二人だけの旅路13
視界の開けた尾根の突端から二人の眼前に、大和国柳生郷の全景が広がった。
盆地を囲む山々の一角、一際険しく突き出た山頂に、周囲の自然と完全に同化したかのような無骨な砦が、佇んでいる。
先程新八が示した柳生城である。
それは、切り立った崖と土塁、そして黒々とした板壁の櫓だけで構成された、純粋な戦うためのものであった。
冬枯れの木々に隠され、遠目にはただの岩山に見えるが、近づけば生きては帰れぬと思わせる山であった。
「あれが柳生様のお城…昨日の平楽寺とはまた違っています」
玲が魅入られたように呟く。
景狼は一度玲を見るとつまらなそうに鼻を鳴らした。
「参るぞ」
景狼が山を下って行く。
慌てて玲が続く。
街道を進むと、民家や田畑の向こうに、堀を巡らせた立派な武家屋敷が現れた。
その屋敷の背後には、先ほど山の上から見下ろした峻険な山城が、威風堂々と聳え立っている。
屋敷へ向う道には農具を持った領民や、薪を背負った足軽たちが行き交い、穏やかな空気が流れている。
大手門は太い一本木を渡した素朴な冠木門だが、門の前を流れる小川が天然の堀となっており、一枚の頑丈な木橋が架けられている。
「地楡に雀」の家紋が入った幟が門の傍らに静かに掲げられており、ここが柳生家の屋敷であることを証明している。
門の脇に小屋があり、足軽が二人控えている。
景狼と玲が近づくと、胡乱な表情で見てきた。
「わたくし、伊賀国は霧生の住人で黒峰景秀の娘、玲と申す者にござります。こちらは嫡子の景狼と申す者にござります」
「柳生新左衛門様へ書状を預かって参りました」
玲が厳重に風呂敷で包まれた平たい長方形の文箱を両手で恭しく捧げ持ち、頭を下げる。
景狼も無言で頭を下げた。
足軽は文箱を受け取り、見た。
風呂敷に金糸で3頭の狼の装飾がされている。
只者ならぬ使いと悟った足軽の目が見開かれる。
同僚の足軽も見ると頷いた。
「暫しお待ちくだされ」
足軽は小屋の奥から屋敷内の取次ぎ役に渡すと戻って来る。
門はそれ程待たずに開いた。
門が開き、白髪交じりの髪をきっちりと結い、渋い鼠色の直垂を着こなした、いかにも一族の政務を取り仕切る家宰といった佇まいの男で歩いて来る。
その足運びは全くブレがなく、袴の裾から覗く足袋は泥ひとつ汚れていない。
「お待たせいたした。某、当家の年寄りを務めておりまする笠原と申す者。霧生の主君よりの貴重な御書状、確かに我が主・新左衛門へとお届けいたしました」
「直ぐに会いたいとの由」
笠原が門の内に案内する。
2人は土間から屋敷に上がり、広間に案内された。
広間には既に一人の老人と一人の壮年の男が待っていた。
「黒峰景狼と申す」
景狼は短く名乗ると深々と頭を下げる。
「玲と申します」
景狼の隣に座った玲も頭を下げた。
「遠路遥々よう参られた。柳生新左衛門宗厳である」
壮年の男は柳生家の主であった。
新左衛門がにこやかな表情で言う。
「こちらは我が父、栄厳である」
栄厳と紹介された老人は家厳であった。
新左衛門が温和な表情であるが栄厳は厳しい表情を浮かべていた。
「景秀の文、読ませて貰った」
新左衛門は文机の上の文箱を示した。
「それと先ずはこれじゃ」
柳生の紋の入った2枚の書付けを取り出し、差し出す。
玲が恭しく受け取り、確認する。
「これは…」
「先に景秀に頼まれていたものじゃ。弾正様を通じていただいた通行証じゃ」
「これで伊賀、大和、山城、近江、伊勢、摂津、和泉への移動は可能じゃ」
「儂が頼んだのは伊賀、山城、大和だけじゃったが、弾正様はそれ以上としてくれたらしい」
「これは関白様の文があるからじゃが」
「なんにしてもこれで普通に歩けるじゃろう」
新左衛門が大声で笑った。
「忝なく存じます」
玲が深々と頭を下げる。
「儂と景秀の仲じゃ。気にするでない」
「新左衛門様は父上をご存知でらっしゃるのですか」
「存じておるとも。聞きたいか」
「はい。多分この柳生に寄らせていただいたのはこの事もあるかと」
「ほう。賢き子じゃ。話そう」
「その前に」
「鍋、茶と菓子を」
新左衛門が妻、鍋に聞こえるように言った。
広間に藍色の着物を纏った一人の女性が木の盆を片手に入ってきた。
湯気の上る湯飲みを景狼、玲、栄厳、新左衛門の前に置く。
菓子皿を景狼と玲の前に置くと、新左衛門の隣に座った。
玲は珠洲の雰囲気が似てるなと思いながら、鍋を見ていた。
「妻の鍋じゃ」
新左衛門が紹介する。
鍋が頭を下げた後、微笑んだ。
「これから景秀とのことを話す。お前もいろ」
新左衛門が鍋を見る。
「存じております。当家に大いに関わりのあること」
鍋が言った。
「うまいな!」
「それに甘い!」
突然景狼が叫んだ。
いつになく嬉しそうな表情をしている。
居合わせた他の者が呆然としている。
2人が来てから厳しい表情だった栄厳も。
「これはなんじゃ」
「干し柿、ですが」
鍋が景狼が手に持つものを見て言う。
「干し柿というのか、儂はこんなうまいもの知らなんだわ!」
「玲も食うてみろ」
玲も木の菓子皿から干し柿を手に取ると一口齧った。
口の中に甘みが広がる。
「甘いです」
玲が嬉しそうに言う。
「じゃろう」
景狼が干し柿を見ながら不思議そうに言う。
突然?栄厳が笑った。
「うまいか」
「うまい!」
「甘いか」
「甘い!」
栄厳と景狼が楽しそうに掛け合う。
「そうかそうか」
栄厳が楽しそうに頷く。
新左衛門と鍋も父の豹変に驚いている。
新左衛門は一度咳払いをすると話し始めた。
「ここ柳生は今でこそ弾正様の庇護下にあるが、どの昔筒井から何度も攻められておっての」
「何度も戦ったのじゃが、とうとう敗れてのう」
「筒井は後ろに奈良の興福寺がおるので、奥原殿などの地侍が組んだところで話にはならん」
「その中で協力してくてたのが景秀じゃ」
「景秀は大和を回ってる最中で興福寺の大軍を見て、柳生へ来た」
「景秀は関白様の頼みで大和の状況を見ていたのじゃが」
「関白様は奈良が嫌いじゃから、味方しても構わん、と言っておったわ」
「そこで危ない目にあった時に助けてくれたのが景秀じゃ」
「同じ歳で、桁違いな強さ。刀で叩き潰す、あの業は圧倒的じゃった」
「儂が剣を学んだのは景秀が理由じゃ」
「儂は景秀と違って力も弱い。景秀のような戦い方は儂には出来ん」
「じゃから刀を合わせない剣を学んだのじゃ」
「それから儂は景秀を友と慕っておる」
「これが全てじゃ」
「父上は強かったのですか」
玲が信じられない表情で言った。
いつも太郎丸と遊んでいる当主が新左衛門より強いとはとても思えなかった。
「強いな、あれは人の戦い方ではないな。戦う気を失わせる」
新左衛門が思い出すように言う。
「一度立ち会ってみたいが、人では勝てぬだろうよ」
「新左衛門様がそこまで言うほどですか」
そして新左衛門が焙じ茶を湯気を吹くと玲を見た。
「おお、そうじゃった」
「景秀と約したことがあるわ」
「お互いに子が産まれたら夫婦としようと。儂には息子しかおらんから、玲、そなたとだな」
当の本人である玲はよくわかってないらしく、景秀を思い出してニコニコしている。
「まあ、玲ならわたくしも歓迎ですわ。可愛いですし、賢そうですし」
鍋も手を叩いて喜んでる。
栄厳も何度も頷いている。
「わたしがなんでしょうか」
玲が自分の名前を呼ばてたことに気付いた。
「新次郎のお嫁さんです」
「誰がですか」
「玲ですよ」
「ええ!」
玲の叫びが広間に広がった。




