二人だけの旅路12
笠置の渡船場は崖に囲まれているせいか、月ヶ瀬のものよりも薄暗い。
舟が渡船場に近づくと、川岸で待つ2人の船頭が素早く舳先縄を杭に縛り付けた。
「無事に着いたな…大事ないか」
新八が後を振り返る。
玲が慌てて景狼から身体を離す。
景狼は擦り切れ、血が出ている自分の手を見ている。
「そのうち慣れるだろう」
新八が景狼を見て笑う。
「もういいですよ」
玲が恥ずかしそうに下を向く。
「ここはもう山城だ」
「上で言った通りじゃ。ここじゃ儂らは他所者じゃ」
「通行証のない儂らは捕まるのじゃ」
「じゃから、儂に黙って従ってもらう」
「金子を渡してくれるか」
新八が真剣な表情で説明する。
玲が景狼を見ると、頷いた。
玲が懐から珠洲より渡された袋を手渡す。
新八は袋を開けると、大きな手で金子を一掴みし、別の袋に入れた。
玲に袋返す。
「さて、行くぞ」
新八が立ち上がり、舟を降りる。
玲も立ち上がろうとするが、よろけて倒れそうになる。
新八がすかさず手を掴んで岸に上げる。
景狼は立ち上がると、飛び降りた。
渡船場には2人の船頭他に4人の足軽が出口に立っている。
新八は一番背の低い足軽の前に行くと、景狼を呼んだ。
景狼が新八の隣に立つ。
足軽からは見上げる状態、新八からは見下ろす状態になっている。
新八は獰猛な表情を足軽に向けて言った。
「儂は伊賀の柘植じゃ…下柘植の大猿といや、わかるじゃろう」
「伊賀だと!?」
「下柘植の大猿…知っておるぞ」
「一人で寺を燃やした、砦を落としただの…」
「つ、通行証はあるのか」
足軽たちが騒いでいる。
新八は相変わらず獰猛な表情で足軽を見下ろしている。
「山城の通行証は持っておらん」
一際大きな声で足軽を見下ろしながら言う。
「間に合わんかったのじゃ、許せ」
はじめて新八が他の足軽を見回した。
獰猛な笑みを浮かべながら。
「で、では捕まえるしかないな」
そう言いながらも足軽の足は半歩後ろへ下がっていた。
「儂を捕まえるのか、面白いのう」
新八が下がった足軽前に立つ。
「覚悟はできておるのじゃろうな!」
新八が詰める。
もはや足軽たちは自分たちより大きい2人に萎縮し始めてる。
「ま、仲良くしてくれや、これが証や」
新八は打って変わって優しい表情で、足軽の前に金子袋をぶら下げる。
足軽は恐る恐る受け取ると、直ぐに中を改めた。
足軽がニヤリと笑うと、他の足軽に袋の中を見せる。
他の足軽も笑った。
「今日は誰もこないのう」
足軽が2人の船頭を睨む。
「最近とんと客がおりませんのじゃ」
船頭がとぼけた感じに言う。
「ま、戦の最中じゃ、仕方ないわな」
新八が笑いながら足軽の肩を力一杯叩くと、出口へと向かう。
肩を叩かれた足軽はひっくり返っていた。
玲がまだ足軽の前に立っている景狼の手を引っ張って出口へ向かう。
出口を出て暫く行ったところの窪んだ所に3人は立ち止まった。
3人とも川下りの疲れは無いようだ。
「新八様、先程のあれは何でございますか」
玲が竹筒の水を一口含むと新八を見る。
「ああ、あれか。あれは袖の下じゃ」
「袖の下?」
玲が首を傾げる。
「今までは使うことも無かったようじゃが、これからは避けては通れん」
「世間には面倒な決まりが多いのじゃ」
「伊賀には伊賀の。大和には大和の。国が違えば決まりも違うのじゃ」
「その国に入る、歩くには通行手形が必要じゃ」
「通行手形はその国の大名や寺社などが出してくれる」
「自分の国の力ある者も出してくれるじゃろう」
「じゃが、その手形を信じるとは限らん」
「じゃからより力強い者が発行したものの方が効果あるのじゃ」
「その分金子はかかるがな」
「あそこは山城じゃ。儂らは山城の手形は持っておらん」
「じゃが通らねばならん」
「そこで別の方法で通る訳じゃよ」
「あれは袖の下じゃ。金子で通して貰うのじゃ」
「あれは儂のやり方じゃ」
「まず相手を恐れさせるのじゃ」
「すると相手は惑う。考えられなくなるのじゃ」
「そこで金子を渡す。金子は多く渡すのじゃ」
「相手は金子の多さに更に惑う」
「そこで通して貰うのじゃ」
「最後にまた恐れさせて終いじゃ」
新八が胸を張る。
「では寺を燃やす、というのは」
「燃やす訳なかろう、面倒は御免じゃ」
「日頃からそういうことを流すのよ」
「そうしたら更に恐れるじゃろう」
新八が笑った。
「冴なら別の方法を取るじゃろう」
「要は芝居じゃ。そういうことも出来んと世間では生きれないのじゃ」
「景狼には無理じゃろうから、玲が覚えるしかあるまいな」
玲が何やら呟きながら頷いている。
景狼は無表情で2人のやり取りを見ている。
「ここからは山道じゃ。途中に阿対の関があるが、手形を持っておらん」
「じゃから次は避けて参る」
「では参るぞ」
新八を先頭に歩き出した。
打滝川の冷たいせせらぎを聞きながら、谷底の道を南へ進んで行く。
右手には川が流れ、左手を見上げると、笠置山の険しい斜面が、まるで巨大な壁のように聳え立っている。
川から陸に戻ったせいか、景狼はわかりにくいが、玲の表情は明るいものになっていた。
歩いて行くと、打滝川のせせらぎは、不動の滝の激しい轟音へと変わっていった。
新八は不意に左の峻険な山肌へと取り付いた。
轟く水音を背中で聞きながら、凍てつく土や霜の降りた枯れ枝を掴み、道なき斜面を這い上って行く。
玲が登って行く新八を見上げる。
玲が景狼を振り返ると、頷いた。
景狼が新八のように上って行く。
玲も速度は遅いながら確実に上って行った。
登った先には平地で、パチパチと薪が爆ぜる匂いと共に疎らに黒煙が上がっている炭焼き小屋が建っていた。
3人は小屋に近づくことなく、崖側を南下して行く。
新八が立ち止まり、右側崖下を見る。
玲が下を覗き込むと、先程歩いていた道の先に関が見えた。
「あれが阿対の関よ。あのまま進むと関で詮議されるのじゃ」
「じゃから、山から大和に入る」
「関がある時は周りを確かめておくことじゃ」
「そうすれば山から国境を越えることもあるのじゃ」
「あと少しよ」
新八が再び尾根沿いに進んで行くと、だんだん開けて来た。
家々が見え、小高い丘に砦が見えて来る。
「ここが柳生じゃ。あの砦に柳生一族はおる」
新八は砦を指差す。
玲がキョロキョロ見回す。
「儂はここまでじゃ、しっかりのう」
新八が笑うと手を差し出した。
景狼がそれをしっかりと握る。
新八が来た道を戻って行く。
玲は頭を下げた後、姿が見えなくなるまで見ていた。




