二人だけの旅路11
申し訳ありません。
笠置は山城でしたので修正しました。
道は細くうねりながら続いて行く。
歩けば歩くほど、轟音が前から迫って来る。
道の先には凄い音を立て、流れていく名張川があった。
槍を持った足軽が数人見えた。
「休むとしよう」
新八の合図で2人は立ち止まった。
向こうから見えない位置である。
「この先は船で川を下ることになる」
新八が小声で話す。
「船?」
景狼が首を傾げる。
「何じゃ、知らんのか」
「うむ」
「なるほど。珠洲殿はこれを教えたかったのもしれんな」
「どういう了見ですか」
玲が地図を取り出した。
「2人は船に乗ったことないのであろう」
玲が頷く。
「じゃから、乗せてやりたかったのじゃろう」
「なるほど。母上らしいです」
玲が微笑んだ。
「じゃが、日が悪いわ」
「この月ヶ瀬の渡しはもう大和じゃ。大和と山城の境じゃ。川向こうは山城じゃ」
新八が遠くに見える足軽を見る。
玲が倣って見た。
「ではここから渡れないと」
「いや大丈夫じゃ。ここは伊賀の者が多く利用する」
「儂は惣国、景狼は黒峰じゃ」
「伊賀の手形があれば通れるじゃろう」
「儂には手形が。2人は黒峰の証があろう」
「それを見せれば問題ない」
「大和の者にとって、この峻険な山々や激流は天然の城壁よ。他国の者には一歩も通さぬ関所であっても、普段から利用している伊賀の者は別じゃ」
玲が安心したように息を吐いた。
「まずは腹拵えじゃ」
景狼が背嚢から取り出す。
「玲、準備を頼む。儂は集めて来る」
「はい」
景狼がその場を離れる。
玲が小さい鍋を取り出し、竹筒の水を入れる。
朝冴から貰った竹の皮包みから干飯を取り出し、鍋に入れる。
景狼が小枝を持って戻って来た。
玲が小枝に燧石で火を付け鍋を置く。
新八は干飯を食べずに持ったまま、呆然と見ている。
「慣れてるのじゃな」
新八が唸った。
「霧生にいた時は一月帰らないこともあったので、いつもこうでした」
玲が照れくさそうに言う。
「新八様もどうですか」
「よいのか」
「ええ」
玲は新八の干飯も鍋に入れた。
椀と箸を人数分、杓子を取り出す。
湯が沸いたら、味噌玉を入れ、杓子で掻き混ぜた。
玲は景狼と新八の椀によそって渡す。
「うまい」
新八が叫んだ。
「この味じゃ、昨日のは味がせんかった」
景狼が嬉しそうに掻き込む。
「惣国の連中、景狼のために張り切って京に合わせたのじゃろう」
新八が笑った。
「見たことない綺麗なものでした」
玲が椀を手に、思い出すように言う。
「味が無ければなんにもならん」
景狼が吐き捨てるように言う。
「その通りよ」
新八が笑いながら景狼の方を叩く。
玲は溜息をつくと別の竹筒を取り出し、二人に勧めた。
「母上の水飴です」
玲が胸を張る。
「おお」
景狼が嬉しそうに竹筒に箸を刺して取り出した。
直ぐに頬張る。
「新八様もどうぞ」
玲が竹筒を新八の方にむける。
「よいのか」
玲が頷く。
新八が景狼と同じように舐めた。
「ぬぉ!甘いのう、甘い!」
玲が自分も食べる。
甘い水飴が疲れを少しずつ忘れさせてくれた。
「甘いのう、これはいいのう」
景狼が新八を睨む。
「何じゃ」
「うるさいわ」
玲が2人を見て笑った。
片付けを済ませると再び渡船場へと向かった。
3人の前に急峻な渓谷、轟々たる名張川が現れる。
川音だけが渓谷に響いていた。
川岸のわずかな平地に、丸太と茅葺きで作られた、雨風をしのぐだけの暗く質素な小屋が立っている。
槍を持った足軽が3人と船頭らしき男がこっちを見ていた。
新八が足軽たちに近づいて行く。
「柘植新八じゃ」
新八が懐から通行証を見せる。
比較的上等な胴丸をつけた足軽が通行証、新八を順に見る。
新八がニヤリと笑う。
「で、あいつらは何じゃ?通行証はあるのか」
通行証を返して、景狼と玲を胡乱に見ている。
景狼は無表情、玲は景狼の腕をつかんでる。
「親父の命であの二人を向こうに連れて行くところじゃ」
「あの二人は何者じゃ、伊賀の者か」
「玲、あれを見せてやれ」
新八が玲を呼ぶ。
玲は足軽に懐刀を見せた。
「この狼の印は…」
足軽が懐刀の3頭の狼を見ると、玲の顔をまじまじと見た。
「黒峰景狼様と玲様じゃ。黒峰じゃ。知っておろう」
新八の言葉で足軽の顔から汗が噴き始めた。
「なぜここに黒峰が…これは儂らじゃどうにもならん」
足軽は呟いた後、懐刀を玲に返した。
足軽たちは顔を見合わせた。
誰も異を唱えなかった。
川岸には、木をくり抜いたり板を合わせたりした、装飾のない無骨な舟が1隻繋がれて頼りなさそうに揺れていた。
渡船場にある大きな岩に分厚い縄が巻かれ、対岸の方に繋がっている。
「笠置まで」
新八が船頭に払った。
「先に言っておくが、これは命掛けぞ」
「山でのことなど、何の役も立たん」
「儂の言うことを守るんじゃ」
「景狼、絶対に縄を離すのではないぞ」
「玲は景狼にしがみついておれ、離すのではないぞ」
新八が今まで見たことのない真剣な表情で、2人を見る。
「では」
新八、玲、景狼、船頭の順に舟に乗る。
人が一人しか座れない幅の舟だ。
「景狼、縄を掴め」
「この縄を掴んで舟が先に進まないようにするのじゃ」
新八が縄を掴み、後に声を掛ける。
景狼が頷き縄を掴む。
玲は景狼の方を向き直ると抱きついた。
「では、行きますぞ」
船頭の合図で足軽が舟を繋いでいた杭から縄を外した瞬間、足元で大人しく揺れていた舟が、生き物のように暴れ始めた。
川の真ん中へ進むにつれ、周囲の風景は飛び散る白い水飛沫で霞み、地鳴りのような濁流の轟音だけが聞こえる。
波頭を越えるたびに激しく底を打ち、景狼や玲の身体を激しく突き上げて来る。
「怖いよ…助けてよ…母上」
「帰りたいよ」
玲は泣いていた。
こんな恐怖は初めてだった。
いくら泣き叫んでも川の音で消されてしまう。
玲は景狼を見上げる。
いつになく無表情ではあるが、眉間に細かい皺が寄ってる。
景狼が玲に気付いたのか一度見ると、再び前を向いた。
景狼の口が『儂が守る』と言ってるように見えた玲は少し安心した。
新八は濁流の飛沫を浴びながらも、口元を吊り上げ、手際よく縄を繰っていく。
「流れを見るんじゃ! 逆らうな、いなせ!」
新八が怒鳴りながら、舟の進行方向を的確にコントロールする。
景狼は未知の乗り物と、足元が定まらない恐怖に一瞬、獣のような警戒心を露わにしていた。
徐々に舟の激しい揺れの「周期」を瞬時に見極め、重心を低く落として縄を掴んでいる。
擦り切れる手のひらの痛みに歯を食いしばりながら、玲の様子を窺う余裕を無理にでも作ろうとした。
月ヶ瀬の渡船場から流れの勢いを利用して、斜め下流に向けて凄まじい速度で加速していった舟はやがて笠置の渡船場へと着いた。




