二人だけの旅路9
玲は翌日目が覚めると隣を見た。
冴の姿は無かった。
「閑所かしら」
玲は呟くと、掛布を畳んで、景狼が休む部屋へと向かった。
景狼はまだ眠っていた。
玲は景狼が眠っているうちに、冴から借りた小袖を脱ぎ、急いで昨日と同じ格好に着替える。
物音で気付いたのか、景狼が目を覚ました。
「若君、御機嫌よう。夜はよう休まれましたか」
「うむ。健やかであるな」
「若君、冴が早く出立した方がよいとのこと」
「そうか。では朝の手水を使わせてもらってから出立しよう」
「玲も参ります」
景狼は頷くと昨日身体を洗った井戸端へと移動する。
玲も後を追って行く。
井戸端で2人並んで顔を洗う。
身を切るような冷たさで一気に目が覚める。
部屋に戻り、背嚢を背負うと、大伽藍から出る。
冴がいた。
「景狼様、ごきげんよう」
「健やかであるか」
冴が微笑んだ。
「玲、御機嫌よう」
「冴、御機嫌よう」
冴が二つのもの差し出した。
一つは竹の皮に包んだもの、もう一つは風呂敷に包んだもの。
風呂敷の端から鮮やかな小袖の布が覗いていた。
「これは」
玲が冴に尋ねる。
「これは途中で召し上がって、わたしが作ったのよ」
「こっちは玲、持って行って」
「え」
「湯上がりに困るでしょう」
「こんな高価なもの、わたしには過分です」
玲が風呂敷包みのものを返そうとする。
冴は首を振ってから優しく言った。
「持って行って。昨夜嬉しかったの」
「冴、痛み入ります」
玲が頭を下げる。
冴は玲の手を取る。
「また会いましょう」
玲が冴の手を取って、頷いた。
「今ならまだ昨夜の薬力が及んでいるはずですが、急ぎなされ」
景狼は冴から受け取った包みを背嚢に仕舞うと、砂利道を音もなく早足で鉄門へ向かった。
遅れないように玲も追って行く。
鉄門に近づくと、門番が門を開けた。
門をくぐる前に後を振り返る。
冴が手を振っていた。
2人は冴に頭を下げると、一気に門前町へと駆け下りた。
坂を下りながら見下ろす門前町は、朝霧に包まれてまだ静かだ。
昨日来る時には気付かなかったが、霧生では見られない瓦屋根や板ぶき屋根がどこまでも続いてる。
「若君、大きい町ですね」
「なのに静かで気持ち悪いです」
玲が呟く。
「儂らを見てる、それも何人もだ」
景狼が走りながら視線だけ見回す。
「一気に抜ける」
景狼が下りきって平らになったところで更に足を速めた。
玲が負けずについて行く。
直ぐに2人の姿は西へと消えて行った。
2人の目の前には疎らに店が並んでいる。
まだ開いてはいない。
玲は近くの石に腰掛け、愛用の地図を取り出す。
景狼に地図の一点を指し示し、口を開いた。
「若君、ここが昨日いた平楽寺です」
指を少しだけ西にずらす。
「ここが今いる所、小田の辻です」
「小田?」
「そうです。ここは小田というところです。分かれ道があるところを辻といいます」
「ここは道が鍵の手(直角)に曲がっていて見通しが悪いので、不意打ちなど気を付けないと」
「妙な気配がするわけだ」
「あそこに見える道を行くと近江、京へ出ます」
右側に北へ向う道を指差す。
「では儂らはあっちへ向かうのか」
景狼が玲の指の先を見る。
「いいえ。若君は柳生に寄るので、あの道ではありません」
「柳生?」
「はい。父上の文を柳生様に届けないと」
「父上の文?なら仕方なし」
「では行きましょう」
玲が地図を戻し、立ち上がり、目の前に見える道へ向う。
2人の強面の男達が行く手を遮ってる。
刀を構えてる男と槍を構えてる男だ。
「待て、何奴じゃ、何処へ参る?」
男が槍を突き出しながら迫ってくる。
「旅の二人です。柳生へ参ります」
玲が答える。
「柳生?何用じゃ、大和の者か」
話すのは槍の男だけで、刀の男は景狼を見上げている。
何も話さず、表情にも出さない男に圧倒されている。
「父上の文を届けに」
「手形を見せい」
玲が無言で懐刀を差し出す。
「こ、こ、これは黒峰の狼」
男の顔から汗がでてくる。
「では参ります」
玲が景狼を伴って男達を避けて行こうとする。
すかさず槍の男が前を塞ぐ。
「お待ちくだされ、平楽寺に報せまする」
「若君、急がないと黒峰が迷惑します」
玲が小声で囁く。
景狼が一つ頷くと一気に駆け出した。
突然のことで男達は呆然としている。
慌てて気付いた時には2人の姿が見えなくなっていた。
「おい、平楽寺に報せるぞ」
「ここは任せる」
槍の男は刀の男に言い含めると、平楽寺へと向かった。
小田の辻を出た二人は一気に石と泥で泥濘んだ坂、『御代の坂』を駆け上がる。
先の方に荷車を押している集団が見えた。
馬に引かせた荷車が轍に嵌まり、動けなくなっている。
それを尻目に2人は登って行く。
一人が迫ってくる景狼と玲に気付いた。
自分たちの横を普通に駆け上がっている。
「何じゃ、この『御代の坂』を走っておる…物の怪か」
2人を目で追っていくと、一度も止まることなく、視界から消えていった。
坂を登り切ると、下り坂になっていた。
2人の眼下に黒い屋根の建物が見えた。
「若君、あれが観菩提寺というお寺です」
「平楽寺と同じか」
「同じですが…同じではないです」
景狼が首を傾げる。
玲が更に説明しようとした時、横から声が掛かった。
「あんたが黒峰の景狼殿かい」
景狼が声の方を見る。
景狼と同じくらいの背の男が人懐っこい笑顔で立っていた。
「儂は柘植新八。柘植三郎保重の息子じゃ。下柘植の大猿とも呼ばれておる」
黒峰の狼と柘植の大猿が出会った。




