第四話 生じる綻び
……かつて、地球に「異星人」という存在がやってきた。エルフやドワーフ、竜人に精霊——人間とは違う「異能」というものを持った彼らは、人間とは別に集落を築き、文明を生み出した。人間と異星人は昔から縄張り争いを繰り広げており、その過程で生まれたものが、≪妄想≫と言われている。例えば、エルフの生み出した≪魔術≫、精霊が創り上げる≪偶像≫……人間で言えば、≪創作物≫なんてのがそれに当たる。デリュージョンは存在するだけで世界を歪め、毒となり、武器となり、兵器となる。それらに自我を与え、人間も異星人も支配しようとしていたのが……≪理想≫。あたし達の——敵だった。人間が生み出した、最終兵器……人の命を何とも思わない怪物。最悪の人工知能——それがアイディールだ。
——あいつのせいで、あたし達は戦いを強いられた。
——あいつのせいで、あたし達は多くのものを失った。
——あいつのせいで、あたしは——
————
「ん……」
カガリが目を覚ますと、見覚えのある天井が目に入った。ムクリと身を起こして辺りを見渡すと、そこが自分のアパートだということが分かった。カガリは頭をかきながら、首を傾げる。
「あれー……あたし、いつ帰ったんだっけ……」
昨日の記憶を思い返しながら、カガリは家まで帰ってきた過程を脳内で整理する。
(……確か、スズカと会って、家と反対方向に行って……疲れてきたから、さっさと家に帰って不貞寝したのか)
自分の身体を見下ろしてみると、昨日着ていた服のままだった。「粉骨砕身」と書かれた白Tがしわだらけになっていて、羽織っていたジャケットは無造作に地面に転がっていた。おまけに風呂にも入ってないので、少し汗臭い。——カガリはため息を吐いた。
「はぁ……風呂入って洗濯しなきゃ……」
「メグミも入るー!カガリお姉ちゃんと一緒ー!」
「無理だって、うちの狭い風呂じゃ二人は——ん?」
カガリは途中で言葉を止め、バッと声のした方を見る。そこにいたのは、綺麗な緑髪をした小柄な少女——この場所にいるはずのないかつての仲間、メグミの姿があった。
「って、メグミ!?あんたなんでここにいるの!?というか鍵は!?」
カガリはその場から飛び退いて壁際に張り付き、声を荒げる。メグミはコテンと首を傾げながらこう言った。
「鍵、開いてたからちゃんと閉めたよ?」
「あ、そうなんだ……それはありがとう……じゃなくて!なんでメグミがここにいるの!?ここ、あたしの家なんだけど!?」
「外で遊んで帰ってきたら、お姉ちゃんが玄関で倒れてたから運んだの!偉いでしょ?でも、お姉ちゃんがお隣に住んでたなんてびっくりしたなぁ。また一緒に遊べるね!嬉しい!」
メグミのその言葉を聞いて……カガリは、自分の記憶に齟齬があった事を理解した。
(——あたし、布団にたどり着いてない!)
家に帰ったのは事実だ。しかしその時のカガリは、あまりに疲れが溜まっていて……玄関で鍵を開けて倒れ込んだのだ。不貞寝ではなく事故寝であった。
「えっと……メグミ?あたしがここにいるのを見つけたのって……あんただけ?」
「そうだよ!……あ。でも、昨日ここで丸まって寝ちゃったから、スズカお姉ちゃんが心配してるかも……」
その言葉がカガリの耳に入ると同時に、部屋のドアがバンバンと叩かれた。後から、聞き覚えのある少女の声が聞こえてくる。
≪——すみません!緑髪の女の子を見ていませんか!?昨日外に出てから帰ってきていなくて……!≫
≪スズカ……そんなにバンバン叩いたら、お隣さんがびっくりするよ……?≫
≪返事もないようだし、出掛けておるのではないか?それよりもメグミを探しに行くのが先であろう。あの娘を野に放てば、リードの千切れた犬のごとく遠くに行ってしまうぞ≫
≪はっ……!そ、そうですね!私、少し探してきます!ラルバさんとルーシさんはここで待っていてください!この辺りにいる可能性もゼロではないですし、ここに帰ってくるかもしれませんから!≫
≪うむ、任された≫
≪僕達に、任せて……≫
そんな会話が聞こえ、ドタドタとアパートを去っていく音が聞こえる。カガリはすっかりと顔を青ざめさせ、騒動を引き起こした本人は呑気に首を傾げている。カガリは身体を震わせながら、メグミの肩を掴んで訴える。
「——マジでどうすんの!?ねぇ!?」
「あ、そうだった!ラルバお姉ちゃんとルーシお姉ちゃんもいるんだよ!お姉ちゃんの顔を見たらきっと喜ぶと思うから、会いに行こう!」
「無理無理無理、あいつらにここに住んでる事が知られたらスズカにもバレるじゃんか!日夜問わず押しかけられる!」
「?バレたらマズイの?」
「マズイ。チョーマズイ。あの秩序モンスターに何度も押しかけられたら、あたしノイローゼになる」
「そうなの?お姉ちゃんも大変だね」
「主にあんたのせいでね!?」
話の通じないポジティブモンスターにカガリは頭を抱える。——メグミは昔から超がつくポジティブな性格で、何かと後ろ向きに考えがちなカガリとはとことん話が合わなかった。とはいえ、彼女に悪意があるわけではないので、そこまでカガリが邪険にすることはなかったが——閑話休題。
「はぁ……マジでどうしよう……」
「……よく分からないけど、メグミがスズカお姉ちゃん達の所に戻ればいいんだよね?」
「そうだけど……どうすんの?扉の外にはラルバ達がいるし、あんたが出ていったら二人が「どうやって人の家に入った」って問い詰めるでしょ」
「じゃあ、あそこから出るー!」
怪訝な顔をするカガリに、メグミは満面の笑みを浮かべて窓を指さした。迷いのないメグミの瞳を見て、カガリは呆れたような表情になる。
「いや、あんたなら通れるかもしれないけど……出る所を見られたらどうするつもり?」
「大丈夫!これを使うから!」
メグミはそう言って、懐から赤い火炎放射器程の大きさの銃——トリガーブラスターと緑色のカートリッジを取り出す。メグミはカートリッジをトリガーブラスターにセットすると、引き金を引いて叫ぶ。
「——≪トリガーチェンジ≫!」
「ちょ、まっ——」
——アームド・ハリケーン!トリガーグリーン!
緑のサイバースーツにジャケットを羽織った戦士——トリガーグリーンに変身したメグミは、クルクルと銃を回すと、懐から白いカートリッジを取り出す。彼女は流れるような動作で銃の引き金の辺りにそれをセットする。
「≪インビジブル≫ー!」
メグミがそう叫んで銃の引き金を引くと、途端に彼女の姿がカガリの視界から消える。メグミは姿が見えないながらも胸を張って、自慢げにこう告げた。
「どう、お姉ちゃん?これなら見つかってもバレないでしょ!」
「な、なるほど……いきなり変身するから何事かと思ったけど……あんた、頭良くなったね」
「えへへ……じゃあ、メグミはラルバお姉ちゃん達の所に行ってくるよ。——また遊ぼうね、お姉ちゃん!」
感心するカガリにメグミがそう台詞を残すと、カガリの目の前でひとりでに窓が開き、そこから誰かが出ていったような物音が聞こえた。試しにカガリが窓に手を伸ばしてみると、そこにはもう誰もいなかった。
≪ラルバお姉ちゃん、ルーシお姉ちゃん!ただいまー!≫
≪おお、メグミ!帰ってきたのか!≫
≪よかった……!心配したんだよ……?≫
≪えへへ、ごめんね?ちょっと道に迷っちゃって!≫
耳を澄ませると、メグミ達のそんな会話が聞こえてくる。カガリはホッと安堵の息を吐いて、その場にへたり込んだ。
「た、助かった……」
メグミが機転を利かせてくれたからなんとかなった。もしあのままメグミが部屋にいたら、他の三人にも居場所が知られてしまうところだった——ゾッとしない未来を想像して、カガリは身体を震わせた。
「……それにしても、メグミがあんなふうにカートリッジを使うなんてね」
——≪インビジブル≫カートリッジ。それは数秒間だけ自らの姿を消す能力を持ったアイテム。普通は戦闘で敵の目を欺くために用いるものだ。カガリの知っているメグミはそれを活用したりはしなかった。いや、できなかった。カガリの指示がないと、彼女はそのカートリッジの使い方を理解できなかったのだ。
——貴殿の庇護下にあった二人は、もういない——
「…………」
先日ラルバに言われた言葉が、カガリの脳裏に浮かんでくる。……メグミはカガリにとって妹のような存在だった。カガリが何をするにも後ろをついてきて、甘えたがりで不器用。トリガージャーだった頃のカガリは、これからも彼女の面倒を見ることになるだろう——そう思っていた。しかし、現実の彼女は、最早カガリの助けなど必要ないほどに立派に成長していた。それは喜ばしいことであり——同時に、少し寂しくもあった。
「……風呂に入ろ」
カガリは脳裏に浮かんだ考えを追い払うように、そう呟くのだった。
————
メグミを探しに飛び出したスズカは、ラルバの連絡を受けて来た道を引き返していた。
(……メグミさんが見つかって良かった。あの子がいなくなっては、カガリさんに顔向けが……)
そこまで考えて、スズカは途中で思考を断ち切った。心の内とはいえ、カガリの事を思い浮かべてしまう自分が許せなかったのである。
(……早く戻りましょう。今日もバイトがありますから……)
スズカが思わず足を早めた、その時——彼女のすぐ近くから、甲高い悲鳴が上がった。
「——きゃあああぁぁ!」
スズカが視線を向けると……そこには、黒い異形の怪物を前に怯えている、青髪の女性の姿があった。その怪物の姿を見て——スズカは、目を見開いて呟く。
「≪妄想≫……!?何故、デリュージョンがここに……!?」
「だ、誰か助けて!誰かー!」
「……っ、今は、あの人を助けなければ……!」
スズカは銃を構え、今にも襲いかかろうとしている怪物に銃弾を放つ。そして、女性のもとに辿り着くと、その怪物を蹴飛ばし、怪物の前に立ちはだかる。
「…………」
「……≪下級≫のデリュージョン……ということは、何処かに≪中級≫が……」
「あ、あなたは一体……?」
「私はトリガーブルーの青峰スズカ。下がっていてください。奴は私が倒します」
呆然と自身を見上げてくる女性にそう告げると、スズカは青色のカートリッジを銃の引き金近くにセットし、怪物に向かって引き金を引く。
「——≪トリガーチェンジ≫!」
——アームド・オーダー!トリガーブルー!
青いサイバースーツに身を包み、ジャケットを羽織った戦士——トリガーブルーに変身したスズカは、異形の怪物に向かって立ち向かっていく。
「——はぁっ!」
スズカが拳を振るい、銃弾を撃ち込むと、人型の怪物はうめき声をあげる。鱗のようなもので覆われた身体で、怪物は必死の抵抗とばかりに殴りかかる。しかし、スズカはその拳を弾き、さらに攻撃を加える。
「…………!」
「——無駄です。あなたの攻撃では、私に傷はつけられない」
「…………!」
「町中で使うものではありませんが……これでトドメです」
スズカはそう言うと、懐から桃色のカートリッジを取り出し、銃の引き金近くにセットする。
「≪トリック≫!」
スズカが怪物に向けて引き金を引くと、彼女の近くに複数の銃が出現し、一斉に銃弾が放たれる。とめどない攻撃に怪物は耐えきれなくなり——やがて、声にならない悲鳴をあげて消滅した。それを見届けたスズカは安堵の息を吐いて、呟く。
「ふぅ……なんとかなりましたね」
スズカは銃からカートリッジを外し、≪トリガーチェンジ≫を解除する。そして青髪の女性のもとに歩いていくと、未だ地面にへたり込んでいた彼女にスズカは手を差し伸べる。
「……大丈夫でしたか?お姉さん」
「え、ええ……あなた、凄いのね。あんな化け物を倒しちゃうなんて……」
「これくらい、秩序を守る者として当然です」
笑みを浮かべてそう告げたスズカは、戸惑う女性の手を握って優しく立ち上がらせる。女性は「ありがとう」を礼を述べると、スズカに向かって笑みを返した。
「助かったわ、ありがとう。あいつ、買い物の帰りにいきなり襲いかかってきて……あなたが来なかったら、わたしはあいつに殺されてたかもしれないわね」
そう言う女性の両手には大量の食材の入ったビニール袋があり、先程の出来事を思い出したのか、少し顔を青くしていた。話題を変えようと、スズカは食材の入ったビニール袋に視線を向けてこう言った。
「……随分と量がありますね。もしよければ、家に帰るまで私が運びましょうか?」
「ああ、大丈夫よ。わたしの家はすぐそこなの」
女性はそう言って笑みを浮かべ、すぐ近くにある屋台を指し示した。明らかに家には見えないそれに、スズカは首を傾げる。
「あれが……?失礼ながら、家には見えないのですが……」
「わたし、この辺りで屋台をやってるの。この食材はそこで出す料理の材料。家はすぐ近くだから、あそこで寝て過ごしたりもしてる。あ、そうだ。助けてくれたお礼に、何か食べさせてあげましょうか?」
「い、いいんですか!?」
外食など何年ぶりだろうか。そんな風に女性の言葉に目を輝かせたスズカだったが、すぐにこの後の予定を思い出し、苦い顔になる。
「わ、私……この後、バイトなので……お気持ちはありがたいのですが……失礼しますっ!またあの怪物が現れたら、すぐに駆けつけますので、お気をつけてっ!」
スズカは最後に注意喚起をすると、足早に去っていった。残された女性は呆気に取られた顔で、呆然と呟く。
「行っちゃった……まぁ、顔と名前は覚えたから、今度見かけたらご馳走してあげましょうか。……それにしても、最近の若い子は大変なのねぇ……」
女性——シェリィはそう呟くと、食材を持って屋台へと歩いていくのだった——
————
「うーん……」
「……どうしたの、スズカ?何か、考え事……?」
——バイト先のファミレス。スズカが唸り声をあげながら皿を磨いていると、後ろからルーシが声をかけてきた。彼女の赤い瞳がスズカを心配そうに見上げているのを見て、スズカは慌てて言葉を紡ぐ。
「あ……すみません。ちょっとボーッとしてしまって……」
「そっか……あの、そろそろ皿を貰ってもいい……?盛り付けに使う皿が、足りなくて……」
「分かりました。えっと、これで良いですか?」
「……うん、大丈夫。じゃあ、僕は持ち場に戻るから……今日も頑張ろうね、スズカ」
ルーシはスズカから皿を受け取ると、そう言って厨房へと戻っていった。スズカはいつも通り皿を洗いながら、先程の出来事について考えていた。
(……デリュージョンが、またこの世界に……奴らは、私達が滅ぼしたはずなのに……)
かつて、トリガージャーと戦いを繰り広げた敵——≪妄想≫。人々の妄想から生み出された、異形の怪物。それは、かつてスズカ達が、滅ぼしたはずの存在だった。
(……アイディールがいない限り、デリュージョンは生まれないはずなのに……まさか、アイディールか、それに代わる何かが現れた……とか?)
デリュージョンを生み出した、人類が生み出した最悪の人工知能——アイディール。彼女がいる限り、デリュージョンは何度でも生み出される……だから、スズカ達はアイディールを倒すために戦ったのだ。そして掴み取った平和——それが今、壊されようとしている可能性がある……そう考えるだけで、スズカの背筋に怖気が走る。
(——ひとまず、この件は後で皆と共有しておきましょう。再びアイディールが現れたのならば、カガリさんの力も……いいえ)
スズカは脳裏にカガリの姿を思い浮かべ、それを掻き消した。彼女は眉間にしわを寄せ、目つきを鋭くさせる。
(私達四人で、解決するのです。そうすれば、あの頑固なカガリさんも私達の事を認め、説得の余地が生まれるかもしれないから——)
スズカはそう決意を漲らせ、ひたすらに皿磨きを続けるのだった。




