第三話 正義であるために
「——悔しいっ!」
翌日、昼。とあるファミレスにて皿洗いに勤しんでいたスズカは、磨いていた皿を積んだあとに叫んだ。彼女はファミレスの制服の上にエプロンを身に着けており、胸元には「研修中」と書かれた名札が付けられていた。
「仕事中に叫ぶでないぞ、スズカよ。ほら、早く次の皿を洗うのだ」
「ハッ……!す、すみません、つい昨日の事を……」
「いや、ラルバちゃんもそんな所でサボってないで、注文を取りに行ってね……?」
「フハハハハ、すまぬな店長。バイト仲間が挙動不審だったものでつい気になってしまったのだ」
ウェイトレスの制服を着たラルバは店長と呼ばれた男性に注意され、からからと笑いながらその場を去っていく。——現在、スズカ達はファミレスのバイトに勤しんでいた。理由はもちろん、生活費を稼ぐためだ。家賃の支払いに食費に電気・ガス代……etc……まともな収入源のない彼女達は日夜、バイトに励んでいる。
「スズカちゃんも頑張ってね。どうしても叫びたくなったら裏で叫んでくれたらいいから」
「い、いえいえ!大丈夫です!ご迷惑をおかけしました」
スズカは顔を真っ赤にしながら店長に頭を下げる。店長は「無理はしなくていいからね」と言いながら厨房に戻っていった。いい人だ。いい人なだけにくだらないことで心配をかけている自分をスズカは恥ずかしく思った。気を取り直して、皿洗いに取り掛かる。
(しっかり気を引き締めなければ……クビにされたら家賃を払えません)
クビにされるわけにはいかない、とスズカは気合を入れなおす。……トリガージャーであるスズカ達は、元々賃金という概念はない。≪デリュージョン≫という災厄と戦っていた頃も、生活費などはバイトで賄っていた。国に認可された職業ではないのだから当然だ。一言で表すならボランティア。そんなボランティアが≪デリュージョン≫を滅ぼして英雄となってから……実に二年。スズカ達の待遇に、特に変化はない。正義の味方というのは見返りを求めないものであり、無条件に人々を守るための存在である——だがしかし、腹が減れば住処も必要というのが人間というもので。平たく言えばどんな人間でも金はいるよね金は——つまりはそういうことだ。そしてスズカ達は今、住んでいるアパートを追い出されるかどうかの瀬戸際にいるのである。カガリを取り戻すとか言ってる場合ではない。
「四番テーブル、注文入りましたー!」
スズカがそんな事を考えていると、突然店中に騒音レベルの爆音が鳴り響いた。音の発信源はウェイトレスの制服を着ている小柄な緑髪の少女——メグミである。元気の化身と言っても過言ではない彼女の声量は、そんじょそこらの子供とは比べ物にならない。ここで働いている当初は客が全員倒れるという事件が起こったのだが……メグミの快活さと愛嬌の良さが客に刺さり、マスコットの可愛らしいお茶目として受け入れられつつある。スズカは「またあの子ですか」と呟きながら、視線を厨房へと向ける。
「…………」
スズカの視線の先ではエプロン姿のルーシが黙々とフライパンで野菜を炒めており、時折鍋をかき混ぜたり切った肉を揚げたり……巧みな手さばきで、次々と料理を作っていった。そして近くに置いてあるベルを鳴らし、控えめな声で呟く。
「四番テーブル、注文上がったよ……」
「おっけー!じゃあ運んじゃうねー!」
ルーシが取り口に料理を並べると、メグミは手にしていたお盆にそれを乗せて、客の元へと向かっていく。ルーシはすぐに厨房に戻り、次の料理へと取りかかっている。——ルーシはかなり手先が器用で、料理が大の得意。この店では厨房の主戦力として店長に一目置かれている。本人曰く、昔から家族の手伝いをしていたからこその実力らしい。良い子だ。
「店長。帳簿の計算が間違っていたから直したぞ。ついでに、在庫が切れかけていたゆえ、あとで必要分を注文しておいた方が吉である。我輩では店のパソコンには触れぬからな」
「おお、ありがたい。確認しておくよ」
店の奥から現れたラルバに、店長は感謝を述べる。ラルバはその異常な程の知力と記憶力を活かし、店の裏方として大抜擢。AIよりも早く正確な計算能力と些細な違和感を見逃さない並外れた空間把握能力。ついでに愛想もよく、ウェイトレスとしても評判がいい。配膳ロボットよりも何倍も優秀である。
——三人の働きぶりを改めて目にしたスズカはふと、白い皿を持った自分の手元を見る。……料理の腕は壊滅的で、並外れた計算能力があるわけでもなく、コミュケーション下手という程ではないが愛嬌のない自分。……はて、自分のこの店での存在意義とは一体……?
「——よし!皿を磨きましょう!汚れた皿はまだまだありますからね!ええ、ピカピカにしてやりますとも!ピカピカに!」
それ以上追求すると精神衛生上良くなさそうだったので、スズカは思考を止めて皿洗いに戻るのだった。
————
バイトが終わり、四人がアパートに帰った頃……ルーシが作った夕食が並んだちゃぶ台を四人で囲んでいると、ふと、ラルバが口を開いた。
「……どうした、スズカよ?腹は減っておらぬのか?」
ラルバの向かいに座るスズカは、箸も取らずに黙って俯いていた。メグミとルーシもそれに気がついたのか、料理を口に運びながら首を傾げる。
「どうしたの、スズカお姉ちゃん?お腹痛いの?」
「……もしかして、魚は嫌いだった?」
「ほう、ならば我輩が頂くとしよう」
「——!?ちょ、私のお魚を取らないでください!」
「魚は嫌いなのだろう?ならば我輩が頂いて——」
「大好きです!お魚大好きですっ!だから取らないでください!」
ラルバが伸ばしてきた箸から自分の夕食(鮭の塩焼き)を遠ざけて守るスズカ。夕食担当のルーシはホッと一息。よかったね。
「むぅ……そう言われては諦めるしかないな。喜べ鮭の塩焼きよ。慈悲深い我輩は貴殿を見逃してやろう。精々脳筋ヒロインと末永く幸せになるがいい」
「誰が脳筋ヒロインですか!そんな呼び名を広めたら裁きを下しますよ!」
「よかったー。スズカお姉ちゃん、元気になったね」
「元気に……なったのかな?」
ラルバのからかうような発言に顔を真っ赤にして食ってかかるスズカを見て、メグミは安心したように息を吐き、ルーシは首を傾げている。スズカは「全くもうっ」と呟きながら箸で丁寧に鮭をほぐす——秩序守りし戦士は食事も丁寧だ——ほぐした鮭を箸で口に入れ、何度も噛んで飲み込む。
「ふぅ……今日もルーシさんのご飯はおいしいですね」
「メグミ、ルーシお姉ちゃんのご飯大好き!いくらでも食べられちゃうよ!」
「あ、ありがと……」
好物を口にして落ち着いたのか、スズカは微笑みながら料理の感想を述べ、メグミは直球の褒め言葉をルーシに投げかける。ルーシは顔を赤くして、もじもじと縮こまってしまう。和気あいあいとした雰囲気の中、ラルバは鮭をつまみながらスズカに問う。
「——それで、スズカは我輩達に何か言いたい事があるのではなかったか?」
「……っ!」
「皆まで言わずともよい。昨日の話であろう」
良くも悪くも遠慮のないラルバがそう告げると、スズカの顔が苦々しい表情になる。メグミとルーシはオロオロとしながら二人を交互に見る。ラルバは二人を気にした様子もなく、夕食をつまみながら話を続ける。
「……我輩は後一歩及ばなかった。皆には囮まで頼んだというのに、この体たらく……申し訳ない」
「……ラルバさんが気に病むことはありません。私達がこの策で行こうと決めたのですから」
「そ、そうだよ。ラルバお姉ちゃんは悪くないよ」
「僕達がもっと、ダメージを与えられていれば……」
朗らかな雰囲気から一転、重々しい雰囲気に変わる食卓。雰囲気に呑まれやすいメグミやルーシはともかく、いつも飄々としているラルバまで顔を俯かせている。……それだけ、今回の策は皆が「勝てる」と思っていたものだった。
「……いつになったら、カガリお姉ちゃんに勝てるのかな……」
「「「…………」」」
メグミの言葉に、三人は押し黙ったまま。カガリがトリガージャーを辞めてから——二年。その間のほとんどの時間をカガリとの戦いで消費し、得られた成果はゼロに等しい。心の奥底で「この戦いに意味はあるのか」という考えは、四人の中に確かに蓄積していた。
——もう、いいのではないか?
——カガリを連れ戻す必要はないのではないか?
——だってカガリは新しい人生を歩んでいるのだから……
「……勝てます、きっと」
心の中で囁く悪魔から耳を塞ぎ、スズカは沈黙の中でそう呟いた。その言葉は三人に向けたものであり、自分に向けた言葉でもあった。
「カガリさんを、野放しにするわけにはいきません。どんな手段を使っても取り戻す……私達は二年前、そう誓ったではありませんか」
「……うむ。そうであったな」
「……だね。メグミも、そうでしょ?」
「も、もちろんだよ!メグミも、カガリお姉ちゃんとまた遊びたいもん!」
士気を取り戻した様子の三人を見て、スズカはホッと一息吐く。やはり、リーダーというのは慣れない。トリガージャーの中でも一番に弱い自分が、この三人を難なくまとめていたカガリの代わりなど、出来るはずがない……スズカは最初そう思っていたが。人間やれば出来るものだと、我ながら感心する。
(……でもやっぱり、あの人がいないと……)
心の内に生じた綻びを、スズカは頭を振ってすぐに打ち消す。自分の感情が爆発してしまいそうなのを抑えながら、スズカは三人に告げる。
「さぁ、食事に戻りましょうか。せっかくルーシさんが作ってくれたのに、冷めてしまいますよ」
「うむ、同感である。鮭の塩焼きが我輩を呼んでいるのだ、無為にするわけにはいかぬな」
「ルーシお姉ちゃん、明日は何作るのー?」
「えっと……明日は肉料理にしようかな?」
「やったー!お肉大好きー!」
「肉か。豚か牛か……それが問題であるな」
三人はちゃぶ台を囲みながら、再び楽しげな話に戻る。そんないつも通りの三人を見ながら……スズカは無言でほぐした魚を口に入れた。程よく効いているはずの塩味が、全く感じなかった。
————
「……シェリィさーん、こんばんはー……」
「あら、いらっしゃいカガリちゃん」
「ラーメン……」
「ふふ、わたしはラーメンじゃないわよ。ささ、適当に腰かけなさいな」
スズカ達との試合を終えた、翌日の夜。疲労困憊となっていたカガリは、商店街のシェリィの屋台に来ていた。カガリの目の前で、シェリィは手際よく料理の準備をする。
「シェリィさーん……聞いてよー……今日さ、あたしにケチつけてきた戦——客がいてさぁ……」
「あらあら、大変だったわね。それでそんなに疲れてるの?」
「うん……あたしのこと、無愛想だとかインチキ小娘とか言ってきてさぁ……もう腹が立ったのなんの」
「酷いわね。カガリちゃんはこんなに可愛らしいのに」
「そう言ってくれるのはシェリィさんだけだよぉ……」
≪カガリ、大分疲れてるな……そんな甘えたがりみたいなのは初めて見た——ゴフッ≫
余計なことを呟こうとした懐の住民を小突いて黙らせ、カガリはわざとらしく間延びした口調でシェリィに愚痴る。昔から気難しい性格だったカガリは、誰かに甘えることなく幼少期を過ごしてきた。トリガージャーだったときは正義感溢れる姉御肌だったのだが、止めてからはそれまでの反動が一気に来たのである。まぁざっくり言えば、疲れた時は弱音を吐くようになったという当たり前の現象である。
「はい、ラーメン。ドリンクも出せるけど、いる?」
「コーラ……」
「カロリーが凄いことになると思うけど、大丈夫?」
「毎日動いてるから大丈夫……」
「はいはい。じゃ、すぐに用意するわね。熱いうちに召し上がれ」
目の前に置かれたラーメンを指してドリンクの準備を始めるシェリィを見ながら、カガリは箸と蓮華を取ってラーメンを食べ始める。良く煮込まれた濃い味の具と塩気のあるスープが、疲れた身体に染み渡る。細いちぢれ麺がスープとよく絡んでおり、とても美味しい。そうしてカガリが舌鼓を打っていると、カガリの目の前に黒い炭酸飲料が入ったジョッキが置かれた(断じて酒性は入っていない)。喉の渇いたカガリは甘い味の冷たいコーラを一気に口に流し込み、満足そうに「はぁ~」と息を吐く。美少女というよりおっさんみたいな絵面だったが、それを口にするような野暮な人間はどこにもいなかった。
「相変わらずいい食べっぷりね。見ていて気持ちがいいわ」
「だってシェリィさんのラーメン、美味しいんだもん」
「ニクいこと言ってくれるじゃない。なら、これからもご贔屓にしてね」
「もちろん!毎日行く!」
「ふふ、毎日来たら胃もたれするわよ。健康のためにもやめておいた方がいいわ。わたしも最近、試食だけで胃が痛くて……」
「じゃあ、あたしが試食する!」
「とてもありがたい申し出だけど、遠慮しておくわね」
目をキラキラと輝かせながら告げるカガリは、食い気に支配された子供のようだった。対してシェリィは朗らかに微笑むだけで、大人の対応という感じだった。
「えー……シェリィさんのご飯がいつでも食べれると思ったのに……」
「……聞きたいのだけど、カガリちゃんはどんな食生活を送っているのかしら?」
「あたしはいつもコンビニ飯で済ませてる。コンビニ弁当をローテしたり、お菓子を爆買いしたり……あ、栄養ドリンクとか常備してる!」
「……こういうことはあまり言いたくないんだけど……早死にするわよ、あなた?」
「大丈夫だってー。サラダとかも食べてるから!」
「サラダでは打ち消せないほどのマイナスだと思うのだけど……」
露わになったカガリのだらしない私生活に、シェリィは大人な対応も崩して本気で心配するのだった——
————
「ふぅ……食べた食べた……」
≪いつもよりたらふく食ってたもんなー。あんまり食べ過ぎると調子を崩しちまうぞ?≫
「うっさい」
夢心地な気分に水を差してきたバレルを小突き、カガリは街灯の少ない道を歩いている。空はもう真っ暗で、小さい星が瞬いていた。
「はぁ……明日も闘技場に行くの、だるい……」
≪まぁ、カガリはチャンピオンだからしょうがねぇって。カガリに挑みたいやつが、たくさんいるんだからさ≫
「闘技場通いに、週休二日とかいう概念はないわけ?」
≪その分、賞金で稼いでるだろ?≫
「……あんたさぁ。ちょっとは同情とかしてくれないの?」
≪俺までカガリに染まったら、カガリは歯止めが効かなくなるだろー。俺はお前がヘマをやらかさないために、あえて厳しくしてるってわけさ≫
「ハッ、銃のくせに生意気」
カガリはバレルの言葉を鼻で笑い、そっぽを向く。バレルは特に気にした様子もなく、ふよふよとカガリの周りを飛んでいる。
「ちょっと。あんまり動き回らないでよ。ご近所さんに見られたらどうすんの」
≪大丈夫だって。地球にはいろんな奴らがいるんだろ?俺みたいな奴を見たってなんとも思わないさ≫
「限度があるの、限度が。いいから懐で大人しくして——」
「——カガリさん?」
カガリがバレルを捕まえようとしていると、ふと、彼女の耳に聞き覚えのある声が聞こえた。声のした方を見ると、そこには——黒髪ポニーテールの美しい少女が立っていた。カガリは罰の悪そうな表情を浮かべ、少女——スズカを見つめる。
「……スズカじゃん。なんでこんなとこに?」
「それはこちらの台詞です。真夜中にこんな人けのない所を歩いていては危険ですよ」
「それはスズカもじゃんか」
「私は強いからいいのです」
「なら、あたしだって強いから問題なし」
カガリはスズカの揚げ足を取りながら、わざと彼女の癪に障るように言葉を紡ぐ。案の定、スズカは額に青筋を立てながら、カガリを睨みつける。
「……本当に、今のあなたとは馬が合いません」
「今の、ねぇ……昔からそうだったんじゃない?」
「馬鹿を言わないでください。昔のあなたと今のあなたは別物です。——あなたは変わりました、カガリさん。かつて私が憧れた正義の味方とは……比べ物にならない程にかけ離れている」
「……憧れたって……勝手にあんたの理想を押し付けないでよ」
「過去の話です。今のあなたは、猛獣そのもの。トリガージャーの和を乱す不穏分子です。だからこそ、私が更生する必要がある……そして、私はトリガージャーを立て直すのです」
そう告げるスズカの瞳は、真剣そのものだった。彼女は威圧的な雰囲気を纏い、じっとカガリを睨んでいる。
「私は必ずあなたに勝つ。撃鉄のスカーレット」
「……やれるもんならやってみたら?」
カガリが不敵な笑みを浮かべながらそう返すと、スズカは踵を返してその場を去っていった。すると、それまで物陰に隠れていたバレルが、カガリの近くに戻る。
≪……いいのか?あんな言い方して≫
「あいつとあたしは敵同士。これくらいが丁度いいの」
≪俺も挨拶しとけばよかったかな……≫
「あんたが来たらもっと拗れる。行方不明のままにしてた方が都合がいい」
カガリはぶっきらぼうにそう言うと、スズカとは反対の方向を向いて歩き出す。カガリのアパートとは正反対の方向だ。
≪おいカガリ、そっちはアパートじゃないぞ?≫
「スズカと鉢合わせたくない」
≪だからって、そんな暗がりに……≫
「ついてこないなら置いてく」
≪あ、おい!カガリ!≫
苛立ったように足を早めたカガリを、バレルは必死に追いかけるのだった。




