第四十六話 あかいやみのせんし
「がはっ……」
——視界が赤く染まり、アゲハはそのままうつ伏せに倒れる。イリーガルホワイトの放った光弾は九番の放ったものとは比べものにならないほどの威力で、アゲハの腹部に大きな風穴を開けていた。
(しまった……咄嗟に身体が動いて……)
アゲハは撃たれた箇所を押さえながら、目の前の敵を見上げる。九番を——いや、サグルを取り込んだイリーガルホワイト。アゲハが倒すべき邪悪は赤い瞳を輝かせ、こちらをじっと見つめている。
(……こいつを、倒さなきゃ……こいつを倒して、九番を……サグルの、話、を……)
そう思ったアゲハだったが、最早身体は指一本動かず、視界も徐々に朧げになっていく。暗闇が、アゲハの身体を包んでいた。
「——お姉ちゃん!起きて——今すぐ——」
マッドの悲痛な声が聞こえたような気もするが、アゲハはそれを判断することはできず——彼女は、眠るように意識を——
————
——レーナを倒したリリス達は、バベルを倒したマオ達と合流し、アゲハ達のいる「三層」を目指し走っていた。「三層」へ続く階段は長く、未だ先が見えない。
「アゲハ……!」
先頭を走る青と銀の鎧を纏った戦士——シルバーマリンブルーの姿になったリリスが、焦った様子で呟く。マッドやソードがいるとはいえ、敵の親玉であるイリーガルと対面しているアゲハが心配だったのだ。
「リリスちゃん……!走ったら、危ないよ……!」
「はぁ、はぁ……こっちは怪我しとんのに、もうちょっとスピード考えて欲しいわぁ……」
「泣き言を言っている場合ではないぞ、レモンよ。こうしている間にも、赤羽アゲハとオトさんは危険に晒されているのだ。わたし達が助けてやらねばな!」
息を切らしながらリリスを追うサクラとレモンに、傷だらけなのにもかかわらず気合十分な様子で走るマオ。そんな三人を置いて、リリスはひたすらに階段を登る。
(アゲハは強いから、負けることはない……と、思うけど……やっぱり、心配……!)
アゲハが相手をしているのは、彼女の弟にそっくりな見た目をした突然変異種——九番と、リリス達が戦ったバベルやレーナを従えていた王、イリーガル。どちらもとてつもない実力を持っていると考えられる。そんな相手と自分のいない所で戦っているとなると、アゲハに絶対的な信頼を置いているリリスでも、心配になろうというものである。
(……待ってて……!すぐに、駆けつける……!)
リリスはより表情を引き締め、階段を登っていく。——やがて、「三層」へと繋がる場所が目に映り、リリスは少しだけ表情を綻ばせた。
「もうすぐ……!アゲハ……!」
リリスは残りの階段を一気に駆け上がり、「三層」へと飛び込む。今もなお戦っているであろうアゲハの助けになるべく、リリスは槍を構え——
「え……?」
——そこで、身体を貫かれたアゲハを目にしたのだった。
————
「アゲ、ハ…………?」
「……っ!?」
聞き覚えのある声が聞こえ、アゲハの身体を揺すっていたマッドは入り口の方を振り返る。そこに立っていたのは黒髪の少女——リリス。彼女は驚愕に目を見開き、幽鬼のような足取りでこちらに歩いてくる。
「リリス、お姉ちゃん……」
マッドの呟きを無視して、何度もふらつきそうになりながらもリリスは歩く。やがて、マッドの抱えているアゲハの身体の下に辿り着くと、がくりと膝を落とし、その身体に触れた。
「アゲハ…………?」
顔、首、手首……リリスが順にアゲハの身体を触っても、アゲハは反応を示さない。それどころか、熱を持っているはずの彼女の身体が、少し冷たい。リリスの顔色が、青白くなっていく。
「……リリスお姉ちゃん、これは……」
「アゲハは、眠ってるの……?こんな、場所で……?」
「…………」
「どうして、黙る、の……?眠ってるって、言ってよ……マッド……」
リリスの戸惑ったような顔を向けられ、マッドは視線は逸らさずに、ただ黙ることしかできなかった。リリスの疑問に答えても、答えなくても……彼女の憂いをはらう事は、できない。そう、肌で感じたのだ。
「マッドっ!!」
「……お姉ちゃんは、ボクを庇ったんだ。あそこにいる、イリーガル様の攻撃から……」
リリスの悲痛な叫びに、マッドはアゲハの顔に視線を向けながらそう応えた。マッドが指差した先では、玉座の辺りに立っているイリーガルホワイトが、銃剣を肩に乗せてこちらの様子を伺っていた。
「嘘っ……!私は、信じ、ない……!!アゲハは、死なない……!だって、だって——」
——これからもずっと……あなたのそばに、いさせてください……
そう言ってた、のに——そんなリリスの言葉は声に出せず、彼女はアゲハの身体を抱きかかえ、眉尻を下げながらアゲハの顔を見る。……すっかり光を失った瞳が、虚空を見つめていた。それを見たリリスの瞳から、同じように光が失われる。
「そん、な……」
「……リリスお姉ちゃん。お姉ちゃんは——赤羽アゲハは、もう——」
「いやっ、いやぁっ!!止めて……!その先を言ったら、言ったら、私……!」
とうとう瞳から涙を流したリリスを見て、マッドは口を噤む。アゲハの顔にリリスの涙が落ち、一雫の水滴となる。それでも、アゲハは反応を示さない。——その時、悲嘆に暮れる二人の耳に、地を這うような低い声が響く。
≪——死んだよ。フレアレッドは≫
「……っ!!」
その内容に、リリスが思わず顔をあげて声のした方を見ると、銃剣を床に刺したイリーガルホワイトが、こちらを見おろしていた。
≪ばっかだねぇ。そこの四十四番なんかを庇ったせいで、あっさりと死んじゃったんだから。あんなにかっこよく戦っていたのに、勿体ないなぁ≫
「……あなたが、アゲハ、を……?」
≪そうだよ。僕が、フレアレッドを殺したんだ。と言っても、全然本意じゃなかったんだけど——≫
「あああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
イリーガルが言い終えるより先に、マッドにアゲハの身体を預けたリリスが、槍を構えて駆け出す。彼女は涙を流しながら、殺意の籠もった瞳でイリーガルホワイトを睨んでいた。感情を表に出さないリリスにとっては、かなり珍しい事だった。
「許さないっ——!!」
リリスは槍を振りかぶり、イリーガルホワイト目掛けて飛び上がる。そのままの勢いで、彼女はイリーガルホワイトに一撃をくらわせようとし——
≪——目覚めろ、赤羽アゲハ≫
「……っ!?」
イリーガルホワイトの呟きを聞き、リリスは攻撃を止める。——次の瞬間、リリスの前に炎の柱が上がり、そこから赤髪の少女——赤羽アゲハが現れる。彼女は身体に開いた風穴をものともせず、片手に≪赤い剣≫を構えて、無機質な瞳をリリスに向ける。
「…………」
「アゲ、ハ……?」
≪上手くいったみたいだね。この姿でも、僕の力は使えるってわけだ。誰かを操る——王の力が≫
イリーガルホワイトの言葉の通り、アゲハはリリスの前に立ちはだかり、剣を構えたままにじり寄ってくる。アゲハの身につけている鎧と剣は、金色だった部分が黒く染まっており、アゲハの瞳は赤い光を放っている。
「嘘……一体、何が……」
「……イリーガル様の術だ。お姉ちゃんの身体を、操っているんだ……」
リリスの呟きにマッドが応えると、リリスは涙を流したまま驚愕の表情を浮かべる。無防備な状態のリリスに向かって、操られたアゲハは剣を振るう。
「はぁっ……!」
「…………!」
すかさずマッドがリリスの前に立ちはだかり、アゲハの攻撃を受け止める。マッドはアゲハの剣を銃で弾くと、足元に銃弾を放つ。すると、アゲハは高く飛び上がり、イリーガルホワイトの近くへと着地する。
「…………」
≪良い子だ。フレアレッド——いや、ダークフレアレッド。その調子で、裏切り者とマリンブルーを殺すんだ≫
「…………!」
イリーガルホワイトの言葉を聞いたアゲハは、再びリリス達の下へと向かってくる。かつての自分の仲間を、殺すために——
————
イリーガルを背にして、アゲハはリリスとマッドの下へと走り、剣を振るう。マッドは銃を消失させ、剣を出現させると、その一撃を受け止める。
「うっ……!」
「…………」
アゲハは剣を引かせると、後ろに向かって飛び退く。彼女は剣を高く掲げ、身体の周りに複数の火球を出現させ、マッド目掛けてそれを放つ。
「うあっ……!」
火球は不規則な動きをして、凄まじいスピードでマッドの身体に命中する。その衝撃でマッドは吹き飛び、地を転がる。≪魔煌解放≫が解かれ、苦悶の表情を浮かべたマッドが姿を現す。マッドは無表情を向けてくるアゲハの顔を見上げ、掠れた声で呟く。
「お姉、ちゃん……」
≪——そうだ。いいぞ、ダークフレアレッド。そのまま四十四番を甚振るんだ。そうすれば、そこで呆然としているマリンブルーも、きっと動いてくれる≫
マッドの呟きに被せ、イリーガルホワイトはアゲハにそんな事を告げる。すると、アゲハは武器をおろし、マッドの下まで歩み寄ると、その小さな身体に蹴りをくらわせた。
「がっ……!」
「…………」
「痛っ……!止めて、お姉ちゃん……!」
アゲハは無言で何度もマッドを蹴って、その頭を掴み、壁に叩きつける。その間もアゲハは感情の読み取れない無表情で、まるで、別人に変わってしまったかのようだった。悪へと堕ちた恋人の姿を、リリスは絶望に染まった顔で見ていた。
≪いやぁ、面白い光景だなぁ。正義の味方であるゴシキジャーのレッドが呆気なく闇堕ちしちゃうなんて……最高のエンターテインメントだね≫
「……っ!」
≪さて、どうする?マリンブルー。あのフレアレッドは再び死ぬまで四十四番を甚振り続ける。それでうっかり四十四番が死ぬかもしれないけど……止めなくていいのかい?≫
イリーガルホワイトの言葉を聞いて、リリスはひゅっと息を呑む。——あの心優しい恋人が、もし誰かを殺してしまったら……?アゲハはきっと、自分を責める。また、リリスの見ていない所で……壊れてしまう。
(……そんなの、そんなの……!)
——耐えられない。アゲハの身体をこんな風に利用するなんて——許されるはずがないっ!
「あ、ああ……——あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
リリスは槍を構え、アゲハの下に走っていく。アゲハの近くまで辿り着いたリリスは、その槍に氷を纏わせ……
「——≪氷海槍・フロストファング≫!!」
——アゲハの身体を、横に凪いだ。
————
「…………」
——横たわるアゲハの身体を膝の上に乗せて、リリスは押し黙ったままアゲハを見つめる。リリスの瞳からは光が失われており、そこから涙が溢れている。
「……アゲハ」
リリスがアゲハの頬に手を当てても、そこから熱は感じられない。操られていた屍は今、物言わぬ屍へと戻っていた。リリスの声にも……応えない。
「……あ……」
アゲハの身につけていた腕輪が外れ、赤い腕輪と金色の装飾が施された黒い腕輪に分かれる。それと同時に、アゲハの≪聖鎧装着≫が解かれて、元の姿に戻る。腹部にある抉られたような傷が痛々しくて、リリスは思わず目を逸らしたくなった。だが、リリスは視線を外すことはしなかった。大切な恋人の身体から、目を離したくなかった。
≪——おめでとう、マリンブルー。よくぞ僕の配下を全て打ち倒したね≫
「……イリー、ガル……」
少し遠くから聞こえるイリーガルホワイトの声に、リリスは感情のこもらない呟きを返す。イリーガルホワイトは玉座から飛び上がると、リリスの直ぐ側に着地し、その顔を覗き込んでくる。
≪うーん、フレアレッドがやられて腑抜けになっちゃったかー。残念だなー、僕は全力で君達と戦いたかったのに。……でも、これが戦いなんだよね。勿体ないけど、壊れた玩具は捨てないと——≫
イリーガルホワイトがそう言って、銃剣をリリスに向けた時——そこに飛来した銃弾が、彼の銃剣を手から弾き飛ばした。イリーガルホワイトは思わずといった様子で、銃弾が飛んできた方に視線を向ける。
「リリスお姉ちゃんに、手を出すな……!」
そこにいたのは、紫の銃を構えた白髪の少女——マッドだ。先ほどまでアゲハに甚振られていたせいか、頭から血を流しており、顔をしかめている。マッドはよろめく足でなんとかリリスの下に辿り着くと、イリーガルホワイトを睨みつける。
≪……四十四番。邪魔しないでくれる?今、良い所だったんだからさぁ≫
「黙れ、イリーガル……!ボクの仲間に手を出す奴は、許さないぞ……!」
≪あらら、随分と人間に染まっちゃったんだね。その瞳、思い出すなぁ……二年前、赤羽オト達が僕の前に立ち塞がった時の、あの宝石のような瞳を≫
イリーガルホワイトはそう呟くと、虚空から≪赤い剣≫を手の中に生成する。アゲハの持っていたものとそっくりなそれを見て、マッドは驚愕の表情を浮かべる。
「それは……!マッドホワイトの能力……!?」
≪この腕輪は素晴らしいね。やりたいと願ったことを、実現してくれる……これこそ、支配者の腕輪だ。赤羽サグルを利用して手に入れた甲斐がある≫
「……!まさか、サグルにマッドホワイトの腕輪を与えたのは……!」
マッドの言葉に、イリーガルホワイトはあっけからんと答えてみせた。
≪——この瞬間、この時のため。彼は駒として、十分な働きをしてくれたよ≫
「……っ!貴様ぁっ!」
≪口の利き方がなってないね。まぁいいか。君はそこのマリンブルーと一緒に、僕に殺されるんだから≫
そう言って、イリーガルホワイトは剣に炎を纏わせると、マッドとリリス目掛けて振りかぶる。
≪——さようなら。ゲームオーバー、だよ≫
——イリーガルホワイトの剣が、振り下ろされる。燃え上がる炎の一撃を前に、マッドは目を見開いて動きを止めた。……勝てない。赤羽アゲハに庇われた命が、今度こそ奪われる。そんな風に、マッドが死を覚悟した時だった。——鈴を鳴らすような声が、耳に響いたのは——
「——≪翼竜戦斧・アーカーシャノヴァ≫!!」
——目の前の敵を凪いだのは、風を纏った緑の戦斧。怯むイリーガルホワイトの前に着地し、戦斧を構えていた翠銀の魔王——マオは、口元に笑みを浮かべて、マッド達の方へと振り返った。
「——待たせたな、貴様ら!ヒーロー……参上だ!」
蒼と緑の瞳が、真っ直ぐな輝きを放っていた。




