第三十話 虚構の魔王と覚悟の令嬢
——レモンは弓を引き、三本の光の矢を形成する。彼女の瞳が異形の少女を捕らえると、レモンはスッ、と手を離した。凄まじいスピードで放たれた光の矢が、異形の少女へと向かっていく。
「甘い、甘い、甘いっ!」
しかし少女はその拳で矢を弾くと、一瞬でレモンとの距離を詰める。少女はニヤリとした笑みを浮かべると大きく拳を振りかぶる。
「——フンッ!」
レモンは素早く弓を構え、その拳を受け止める。その力の余波は凄まじく、辺りに衝撃の波動が飛ぶ。少女は思わず飛び退き、再び拳を構えて笑う。
「くはははははっ!やるな、人間!この俺様の攻撃を防いで見せるとは!」
「うるさいわぁ……耳に響くから大声止めてもろてええか?」
レモンは嫌そうな表情でそう言うと、弓を構えて目にも止まらぬスピードで走り出す。ゴールドランドイエローの持つ、神速の力。それは強者である少女にとって、驚愕に値するものだった。
「ほう……!人間はここまで動けるのか!面白い!」
「——懐ががら空きやで」
笑う少女の懐に、レモンは弓で斬りかかる。——金色の腕輪の力によって一部が刃と化した弓が、少女の身体に一閃の傷を付けていた。
「ガハッ……!?くく、くはははっ……!」
「……何わろてんねん、気色悪い」
「ククク……!笑いたくもなるだろう……?何故ならこの俺様に一太刀加えた存在など、お前が初めてだからだ……!」
「さよけ……——≪流星弓・コメットアローレイン≫」
レモンは少女の言葉に淡白に相槌を打ち、天空に向かって弓を向ける。そのままレモンが光の矢を放つと……無数に分かれた矢が、少女の上に彗星のように振り注いだ。少女はその矢を見ながら、獰猛に笑う。
「なんの……!滅、滅、滅、滅、滅っ——!」
少女はレモンに並ぶほどの凄まじいスピードで、矢に向かって拳を打ち付けていく。一歩間違えれば身体を貫かれる状況下にも関わらず、少女は実に楽しそうに笑っていた。
「くははははははははっ!!愉しい、愉しいぞ……!」
「はぁ!?何やそれ……!?出鱈目とちゃうんか、こいつ……!」
レモンは少女の狂いっぷりに顔を引きつらせながら、少女の周りを流星の如く飛び回っていく。レモンは再び弓を構えると、少女に向かって斬りかかる。
「いい加減、くたばりやっ……!——≪流星弓・スターマイン・エッジ≫!」
火花を纏った一撃が、無防備な少女に突き刺さる。しかし、少女はニヤリと笑みを浮かべると、自らの身体に刺さった弓を手で掴んだ。少女は身体を蝕む痛みすら感じない素振りで、弓を引き抜いてレモンごと持ち上げた。
「憤怒ぁぁぁぁぁぁ!!」
「なっ……!?」
少女は勢いのままにレモンを投げ飛ばし、弓を掴んだままだったレモンは地を転がる。その隙をついて、少女はレモンとの距離を詰め、拳を振り被った。
「——覇ぁぁぁぁぁぁ!!」
「ガハッ——!?」
人の理を外れた膂力で放たれた拳が、レモンの身体に突き刺さる。レモンは地面に叩きつけられ、その衝撃で≪聖鎧装着≫が解除される。
「ぐっ……うあっ……」
殴られた箇所を押さえているレモンの額に脂汗が浮かぶ。尋常ではない痛みが、彼女の身体を蝕んでいた。
(……≪聖鎧装着≫のおかげか、骨は折れてへん……けど、これは、しばらく……動けへんな……)
レモンは朦朧とした意識の中、痛みに耐えながら冷静に自分の身体の状態を分析している。満足に動かない自分の身体にレモンは舌打ちし、忌々しげに少女を睨んだ。
「くはははははっ!!また俺様の勝ちだな!だが悪くない戦いだったぞ、黄色いの!俺様に勝るとも劣らない実力だ!」
「……なんや、の……あん、た……ただの、突然変異種と、ちゃう……」
息絶え絶えに呟いたレモンの言葉に、少女は高笑いをあげながら返事をする。
「くはははははっ!当然だろう!俺様は突然変異種などというものではないからな……!」
「は……?」
そして、告げられた言葉に、レモンは目を剥いた。——目の前の怪物が、突然変異種ではない……?だとしたら、この怪物は一体……?困惑した様子のレモンに、少女は自分を指で指しながら、こう告げた。
「俺様はテラ。戦いを求め、戦いに求められるもの。宇宙に名を掛ける暴力の化身——煌水晶種。俺様はその生き残り……戦いを求めるただの旅人だ」
最後に少女——テラがそう言ったのを聞いて……レモンは意識を失った。
————
「……ふむ、気を失ったか」
目の前に倒れる、茶髪ツインテールの少女を見ながら、テラは興が削がれたように闘気を離散させた。黒目と白目の入れ替わった瞳が、スッと細められる。
「ああ……戦いたい……もっと戦いたい……何処かに俺様を満たしてくれる奴はいないのか……?」
テラは内なる闘争心を滾らせながら、飢えた獣のようにうわ言を呟く。しかし、テラの声に応える者はなく、彼女の身体にただ欲求が積み重なっていく。
「……そう言えば、突然変異種がいると言っていたな……奴らは俺様には及ばない雑魚だが、暇潰しの相手くらいにはなりそうだ」
そう言って舌なめずりをする異形の少女。ひたすらに戦いを求める煌水晶種にとって、戦いは最早人間の三大欲求に並ぶものだった。
「この俺様が、突然変異種で身体を慰めることになるとは……数奇な運命もあったものだ」
紫色の頬に朱を混じえるテラ。彼女の脳裏には、まだ見ぬ強敵との戦いが思い浮かべられており、それは彼女を異常な程に興奮させていた。
「——俺様を愉しませてみせろ、地球の者共よ」
テラは不敵な笑みを浮かべながらそう呟くと、紫の光に包まれて姿を消した。あとには、地に伏せるレモンだけが残されていた。
————
時刻は夕暮れ頃。大盛り上がりを見せていたイベントは、そろそろお開きの時間となっていた。
≪——これにて、≪魔法少女シオン☆スペシャルLIVE≫は閉幕じゃ!集まってくれた皆のおかげで、素晴らしいイベントとなったぞ!今日は来てくれて本当にありがとうなのじゃー!≫
魔法少女シオンの締めの言葉により、会場全体に歓声があがる。会場の全員が魔法少女シオンに手を振る中、彼女の映った巨大スクリーンはステージの上の方へと上がっていき……やがて、ステージはイベントの余韻を残したまま、誰もいない状態となった。
「以上で、本日のイベントは終了となります〜!お集まりの皆様、本当にありがとうございました!お気をつけてお帰りください〜!——本日の≪魔法少女シオン☆スペシャルLIVE≫で撮影した写真について、SNSに投稿する際は、#魔法少女シオン☆スペシャルLIVEと付けて投稿するように——」
ツクモの注意を含んだ呼びかけを聞きながら、ずっと座りっぱなしだったアゲハはグッと身体を伸ばし……イベントの余韻をその身で感じていた。
「ふぅ……めっちゃ面白かったな……」
「アゲハちゃん、Ayaneがステージに来た時、また号泣してたもんね……」
「ん……ちょっと妬けた。私もあれくらいアゲハに喜ばれたい」
「いや、だってさ。魔法少女シオンの声で、アニメOPとEDを歌ってくれたんだぞ?あんなの、ファンなら泣くだろ」
すっかり魔法少女シオンのファンであることを隠さなくなったアゲハは、何処か興奮した様子で二人に先程見たイベントのコーナーの凄さを語った。そんなアゲハに、サクラは微笑ましいものを見る目を向け、リリスは嫉妬の入り混じった複雑な表情を浮かべてアゲハを見ていた。穏やかな雰囲気が流れる中、ふと、サクラは表情を少し曇らせてこう言った。
「……結局、木戸さんは戻って来なかったね……」
「ああ、確かトイレに行ったんだっけ。レモンの奴、まだ戻ってきてないのか?」
「……そう言われたら、一人足りない気がする」
サクラの言葉に首を傾げるアゲハに、今気づいた、といった様子のリリス。アゲハに熱烈な愛情を向けている故にあまり他人に興味を示さない所が災いしていた。三人がレモンを探すために、辺りを見渡していると……それまで座っていたマオが、勢いよく立ち上がった。
「ん?どうした、魔王?」
「……すまない、皆。我はレモンを探してくる。会場の入り口で少し待っていてくれ」
「お、おう。気をつけろよ……?」
いつもとは違い、真剣な表情をしたマオを見て、アゲハは気圧された様子で言葉を返した。マオは頷く事もせずに、一目散にその場を去っていく。——勿論、お手洗いの方ではなく、ステージの裏へ。
「……魔王が行ったの、反対方向。もしかして、方向音痴?」
「み、翠川さ〜ん!そっちは、反対ですよ〜……!」
サクラの叫びも聞かずに、マオは一目散にステージの裏の方へと向かっていった。
————
——マオが倒れていたレモンを見つけたのは、それからすぐの事だった。青白い顔をして気を失っているいるレモンに、マオは慌てて駆け寄る。
「レモン!レモンっ!どうした、誰にやられた!?」
「…………」
「レモンっ、レモン……!」
マオが必死に呼びかけても、レモンからの反応はない。マオが顔を青くしながら携帯を取り出し、119番に掛けようとすると——彼女の元に、桃髪をウルフカットにした女性——ツクモが現れた。
「大丈夫ですか!?ここで一体何が……あれ、あなたは……マオちゃんだよね?そこで倒れてるのは、レモンちゃん……?」
「貴女は……桃井、ツクモ……?」
「ちょ、救急車呼ばないと!マオちゃん、レモンちゃんのお家に連絡かけれる?あたし、すぐに119番するから!なんかやばそうだったら、医療スタッフに声掛けて!」
そう言って、ツクモは携帯を取り出して119番を掛ける。マオはツクモが現れたことに呆気に取られていたが、すぐに我に返り、119と打っていた電話番号を消して、会場の医療スタッフに電話を掛けた。
「もしもし、わたしだ。今すぐ動ける者はいるか?……ああ、負傷者が出た。至急ステージの裏に来てくれ——」
————
ステージから離れ、会場の出入り口付近に移動したアゲハ達は、未だ帰ってこないマオとレモンを待っていた。
「遅いな、あいつら……」
「やっぱり、迷子になったんじゃ……?私、探しに行ってこようかな……?」
「サクラ姉、それはおすすめしない。迷子になった場合は、片方は動くべきじゃない」
心配している様子のサクラをリリスが窘めているのを見ながら、アゲハは辺りを見渡す。しかし、一向に二人が戻ってくる気配はなかった。
「……あいつら、何やってんだ……?」
「——あ!いたいた……!お〜い!」
アゲハが思わず心配を口にしたその時。三人の元に、艷やかな桃髪をウルフカットにした美人な女性——先程のスタッフ姿のツクモが、足早に駆け寄ってきた。突然現れた知り合いの姿に、アゲハとサクラは驚愕の表情を浮かべる。
「あんたは……!?」
「つ、ツクモちゃん……!?なんでここに……!」
「いやー、ちょっとマオちゃんから皆への伝言を頼まれちゃって。サクラ達の事探してたんだよ」
「……私達に、伝言?」
リリスが首を傾げると、ツクモは走ったせいで荒くなった呼吸を整え、緩んでいた表情を引き締めて伝言の内容を告げた。
「……ちょっと用事があるから先に帰ってくれ、だってさ。あと、せっかくの顔合わせに最後まで付き合えなくて申し訳ない……って言ってたよ」
「用事か……じゃあ、仕方ねぇな」
「そうだね……あ、ツクモちゃん。木戸さんを見てないかな……?お手洗いに行ってから、ずっと帰ってこなくて……」
「あー……レモンちゃんなら、マオちゃんと一緒にいるよ。だから安心して」
サクラの疑問にツクモがそう答えると、サクラはほっと安堵の息を吐いた。……しかし、アゲハは何故か、ツクモのその言い方に疑問を覚えた。
(……なんだ……?なんか引っかかるな……?)
アゲハは疑問に思いながらも、すぐにその思考を振り切った。別にツクモを疑う理由もない。というか、いきなりそんな事を考えるのは失礼だ。そういう事にして、アゲハはその違和感を飲み込んだ。
「……アゲハ?どうかした?」
「……何でもねぇ。ちょっとボーッとしてただけだ。それより、そろそろ遅くなるし、帰ろうぜ」
リリスの言葉にそう答えて、アゲハは踵を返して出入り口へと向かう。リリスとサクラは首を傾げながら、アゲハに付いていく。——ふと、アゲハは振り返り、ツクモに向かって笑顔でこう言った。
「そうだ、あんた……もしよければ、魔王に伝えといてくれねぇか?——イベント、めちゃくちゃ楽しかった、ってさ」
「え?い、いいけど……」
「わ、私も!翠川さんに、楽しかったって伝えてほしい……!」
「……私も同意見」
アゲハに続いて、サクラとリリスもツクモに伝言を頼む。ツクモはその内容を聞いて戸惑っていたが、次第にその暖かい言葉に頬を綻ばせて、クスッと微笑んだ。
「……オッケー、伝えとくよ」
「おう、頼む」
アゲハは短くそう言うと、リリスとサクラと共に会場を後にした。ツクモは人当たりの良い笑みを浮かべながら、アゲハ達を見送り……彼女らが見えなくなった辺りで、ボソリと呟いた。
「……二人共、大丈夫かな……?マオちゃんにはレモンちゃんが病院に運ばれた事は黙っておけって言われたけど……心配じゃんね」
ツクモはマオに伝言を頼まれた時の事を思い出しながら、苦い表情を浮かべる。同時に、アゲハ達に嘘をついたという事実に、胸がチクリと痛んだ。
「どうか、これ以上拗れたりしませんように……」
今のツクモに出来ることは、そうやって祈りを捧げることだけだった。
————
「……今回は素晴らしい手腕であったな、我が娘よ」
——父の声を聞きながら、わたし——いや、我はその場で恭しく礼をする。今、我こと翠川マオがいるのは、屋敷の執務室——父の部屋だ。我は今回あげた成果を報告するために、わざわざ実家に戻っていた。
「……勿体なき御言葉です、父上」
「謙遜せずともよい。君は私の告げた課題を見事達成してみせた。我が翠川グループが提案した、魔法少女シオンの記念イベント……その運営を、君は我が社の代表として、信頼できる従者達と共にこなしてみせた。これが素晴らしい手腕でなくてなんとする」
「わたしは次期に社長の座を継がせていただく身。これくらいは出来て当たり前です」
我がそう言うと、父は歳の割に精悍な顔つきで微笑む。……魔法少女シオンの記念イベントとは、赤羽アゲハ達を誘ったイベントの事だ。おもちゃの会社として世界的に発展を遂げている翠川グループが、魔法少女シオンとのコラボイベントとして主催することを決めたのが事の発端。そして運営を指揮するに当たり、次期社長である我に白羽の矢が立ったというわけだ。ついでに言えば、赤羽アゲハ達を誘ったのも、チケットを持っていたのも、視察ついでに彼女達を含めたお客の生の反応を伺うためだった。
「この調子で励むといい。君のさらなる活躍を期待している」
「ありがとう御座います。これからも、精進いたします」
我がそう言うと、父は安心したように息を吐く。——しばらくの沈黙の後。父は、先程までの厳格な雰囲気を離散させて、我の方を見ながら眉尻を下げてこう言った。
「その……マオ。大丈夫だったかい?」
「——うわぁぁぁぁぁん!お父さーん!」
それに合わせて我——いや、わたしはこれまで堪えていたものを全て吐き出すように泣き出し、父に抱きついた。父は戸惑った様子で赤子をあやすように背中を叩いてくれた。
「よしよし、怖かったね。安心してくれ、レモンは命に別状はないらしいから」
「ひっ……ぐすっ……でも、わだじのぜいで、レモンがぁ……」
「レモンは君の命令に従って、仕事を全うしてくれた。世話係兼ボディーガードとしての役目を果たしたんだ。それに、君の知っている彼女は簡単に死ぬような子じゃないだろう?」
「でもぉ……まだ、目が覚めないって……お医者さんがぁ……!」
わたしは脳裏に大切な従者の姿を思い浮かべて、ひたすらに涙を流す。——あの後、病院に搬送されたレモンは、酷い打撲があるとのことでしばらく入院することになった。骨などが折れてないのは奇跡だ、とお医者さんは言っていた。しかし、レモンは何故か未だに目を覚まさない。嫌な想像が脳を駆け巡り、わたしの不安は強くなっていく。
「どうじよう……レモンが、もし死んだら……」
「大丈夫。大丈夫だよマオ。次期社長である君が部下を……いや、友を信じないでどうするんだ」
「お父さん……でも……」
「——僕達は絶対にレモンを死なせたりしない。あの時そう誓っただろう、マオ?」
「……!」
父の言葉に、わたしは目を見開いた。——そうだ。わたし達は絶対にレモンを死なせたりしない。彼女が死んだら、彼女のきょうだいはどうなる?彼女との約束はどうなる?——わたしがレモンを拾った時の……両親との約束はどうなる?……そう考えると、脳裏に浮かんでいた嫌な想像は殆どかき消えた。
「……ありがとう、お父さん。ちょっとだけ、落ち着いた」
「それなら良かった。……あまり気を落としては駄目だよ、マオ。レモンを信じるんだ」
「うん、分かった」
わたしは涙を拭って、父から身体を離す。声はまだ震えていたが、わたしに——我に、もう迷いはなかった。父から視線を離し、我は部屋の扉の方へと向かう。
(……レモンを信じる。だから、我は我に出来ることを……)
我は扉を開き、そのまま部屋を出る。心の中に一欠片の闇が入れられるのを感じながら、我は自室を目指し、真っ直ぐ前を向いて歩くのだった。
————
……翌日の昼。一週間の中で一番憂鬱な日とも呼ばれる月曜日。学校に来ていたアゲハは、昼食を済ませるためにいつもの空き教室へと来ていた。勿論、リリスも一緒である。
「……あれ、鍵開いてないのか?」
教室の前に辿り着いたアゲハは、呆然と呟いた。いつもは開いているはずの教室の扉が閉まっている。それどころか、人の気配すらしない。普段はマオかレモンのどちらかが先に来ているというのに。
「……珍しい。魔王達、遅刻?」
「そうみたいだな……鍵借りにいくか?」
「……面倒。その辺に座って食べよう。今日のお弁当は自信作だから、ゆっくり味わってほしい」
リリスの提案に、アゲハは微妙な顔をした。
「廊下に座るのか……?服が埃まみれになるから嫌なんだけど」
「じゃあ、私に座ってほしい。私が椅子になる」
「却下だ。お前が汚れるだろ」
「キュン……今、私のアゲハへの好感度が一億上がった」
「いや上がりすぎだろ。上限どうなってんだ」
「既にオーバーフロー。アゲハへの好感度は無量大数」
今日も今日とていつも通りのリリスに、アゲハは呆れたように苦笑する。別に嬉しくないわけではないが、やはり彼女の愛は重いのだ。思わず胃もたれしてしまうそうである。——閑話休題。
「じゃあ、別の場所探すか……確か、向こうに食堂があったよな」
「良いと思う。一緒に食べさせあおう」
「……まぁいいけどさ。それ、途中で昼休み終わるんじゃないか?」
珍しくリリスの提案を受け入れたアゲハだったが、一言だけ苦言が呈された。リリスはこの機会を逃すものかとばかりに、代替案を示す。
「アゲハと、口移し——」
「却下」
「……!?何故……!?」
「却下に決まってるだろ!人目のある所で出来ることにしろっていつも言ってるだろうが!」
「え……ということは、人目のない所ならアゲハと口移しし放題……?」
「食べさせあうより時間かかるじゃねぇか!」
顔を真っ赤にして叫びながら、妥協点を示した自分が馬鹿であったとアゲハは悟った。どうやらこの変態はアゲハとイチャイチャ出来ればそれで良いらしい。アゲハはこう見えてTPOを弁えるタイプなので、公共の場でそういう事は出来ないと、何度言えば理解してくれるのだろうか。とアゲハは思った。そんな風にアゲハが頭を抱えていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あれ、アゲハちゃんとリリスちゃん……?奇遇だね……」
「……ん?サクラ姉?なんでこんな所にいるんだ?」
声の主はサクラだった。サクラは不思議そうに二人を見ていて、左手に何か角ばった包み——おそらく弁当の包みだろう——を持っていた。それを見て、アゲハは何故サクラがここに来たのかを察した。
「ああ、サクラ姉も昼飯を食いに来たのか」
「うん、前に空き教室で食べた時、結構居心地良かったから……良ければ、また入れて貰おうと思って来たんだけど……もしかして、閉まってるの?」
「うん。魔王もレモンもいない。伽藍洞」
「それなら、一応鍵を借りてきたけど……使う?」
「マジか!?ナイス、サクラ姉!」
「ファインプレー。これでアゲハとイチャイチャ出来る」
「イチャイチャ……?」
「ちょっ……!」
リリスの爆弾発言に首を傾げるサクラを見て、アゲハは慌ててリリスの口を塞いだ。アゲハは貼り付けたような笑みを浮かべながら、必死に別の話題で誤魔化そうとする。
「き、今日はリリスが弁当作ってくれたんだよな!いやー、楽しみだな!前作ってもらった時はあたしの好きなものばっかりだったから、今日の弁当もきっと美味いんだろうなー!」
「そ、そうなんだ……?」
「もがもがもが……もがもが……(アゲハがそこまで私のお弁当を楽しみにしていたなんて……好感度プラス一億……)」
サクラは未だ疑問に思っている様子だったが、特に追及してくる事はしなかった。その代わりにもがもがしているリリスが頬を赤らめて、アゲハへの好感度を爆発させていた。アゲハは内心申し訳ないと思いながら、心の中でサクラに手を合わせた。
(すまん、サクラ姉……!ちゃんとした告白ができるまで、リリスとの関係を明かすわけにはいかないんだ……!)
(わ、私の馬鹿……!もっとハッキリ言い切らなきゃ、アゲハちゃんが不安になっちゃうでしょ……!大丈夫だよ、アゲハちゃん……!私、二人が付き合ってることを言いふらしたりしないから……!)
……実は、アゲハの誤魔化しは、二人の関係に気づいているサクラには意味のない事なのだが……それを指摘できるものは、この場にはいなかった。
————
「……マッドよ。本当に、奴はあっちの方向にいるのか?」
——アゲハ達が呑気に昼食を取ろうとしていた頃。学校を休んだマオは、スマホ片手に街中を走り回っていた。彼女の持つスマホから、中性的な高い声——マッドの声が聞こえてくる。
≪多分、こっちで合ってると思うけど……というか皆、ボクが謹慎中だって事を忘れてない?それに今、ボクは別の仕事をしてたんだけど……≫
「その仕事にも手を貸そう。我はこれでも翠川グループの社長令嬢だ。約束を違えたりはしない」
≪まぁ、別にいいけどさ……それにしても、魔王さんがボクに協力を頼むとはね。ボクに連絡してくるもの好きは、お姉ちゃんかリリスお姉ちゃんだけだと思ってたよ≫
「……我とて、貴様を頼るのは嫌だ。貴様は我の従者に大怪我を負わせたのだからな」
≪はいはい……それで、あなたはそんなボクに、レモンさんに大怪我を負わせた奴を探してくれって言ったんだよねー……どんだけレモンさんが好きなの、魔王さん≫
「へ、変なことを言うな!我は魔王として、部下の仇を取ろうとしているだけだ!」
マッドのからかいに顔を赤くして反論するマオ。——現在、マオはレモンと戦っていた何者かを必死に探していた。理由は単純だ。レモンを病院送りにした憎い敵を、マオ自身の手で始末するためだ。レモンを信じると決めて悲しみを封じたマオの中には、大切な従者に怪我を負わせた奴への怒りが燃え上がっていたのだ。
≪うーん……紫色の、禍々しい形状の剣……ねぇ、手がかりは本当にそれだけなの?ステージの裏に監視カメラとかは置いてなかった?≫
「ステージの裏と言っても、ただの壁みたいなものだからな。控え室は別の場所に設置していたし、スタッフが目を光らせているからカメラを置く必要がなかったのだ」
≪なるほど……現場にはその剣は残ってなかったの?≫
「ああ。あそこにはレモンしかいなかった。剣が刺さっていたという場所は、何事もなかったかのように元通りになっていたらしい」
マオがそう言うと、マッドは画面の向こうで考え込む。——しばらくの沈黙の間、マッドは何処か得意げな声色でこう言った。
≪……嬉しい知らせだよ、魔王さん。敵の正体が分かった。場所に関しては、ボクがさっき指示した方へ向かえばいい≫
「何っ、本当か!?」
≪勿論。おそらく、ボクの推測が正しければ、向かった先には突然変異種がいる。魔王さんが探している奴は、きっとそいつらと戦ってるはずだよ≫
「分かった、すぐに向かう!——それで、敵の正体とは何なのだ!?」
マオの喜色の混じった声色に、マッドは打って変わって真剣な声色でマオの疑問に応えた。
≪——煌水晶種……終わりなき戦いを求める暴力の化身——それが、敵の正体だ≫
マッドの言葉に、マオは驚愕に目を見開いた——




