第二十七話 救えなかったもの
≪……それで、ボクに連絡したと≫
スマホの画面の中で呆れたような表情を浮かべるマッドを見ながら、リリスはコクリ、と頷く。彼女の横には意気消沈した様子のアゲハが座っており、お通夜のような空気が漂っていた。
≪……サグルそっくりの突然変異種に会った、か……しかもそいつは、マッドホワイトに変身して、お姉ちゃん達を敵として見ていた……まぁ、お姉ちゃんがショックを受ける気持ちも、分からなくはないね≫
リリスに説明された出来事を繰り返しながら、マッドは神妙な表情で頷く。――意気消沈した様子のアゲハを家に送り届けたリリスは、すぐさま九番の事をオトに報告した。しかし、アゲハはその時も浮かない顔をしていたため、リリスはせめて敵の情報を得ようと、かつて敵だったマッドに連絡を取ったのだ。
「……あの九番って人、何者?」
≪うーん……おそらくそいつはボクと同じ、「メタフォ」っていう種族の突然変異種だね。人間や他の動物を喰らって、喰らった奴に化けるんだ。まぁ、ボクみたいに独自の姿に化ける奴もいるけど≫
「人間を、たべて……じゃああの九番は、サグルを……」
≪……うん。そういう事になるね。――つまりそいつは四年前に、お姉ちゃんの両親とサグルを殺した奴だ≫
画面の奥でスッと目を細めたマッドが、冷たい声色でそう告げる。それは、リリスですら震え上がるような、夥しい量の殺気だ。リリスは恐怖を抑え込みながら、マッドに尋ねる。
「……でも、そいつはマッドが殺したんでしょ?」
≪そう。分からないのはそこだ。ボクはあいつを殺したはずだ。突然変異種は一度死んだら、死体すら残らないのに≫
「……実は死んでなかった……とか?」
≪……ありえない話じゃないね。実際、ボクは奴の身体が消える所を見たわけじゃない。でも、奴が生きていたとしたら、どうやってあの家から出ていったんだ……?≫
頭を悩ませていたマッドは、ふと、我に返ってリリスの方を見た。既に殺気は収まっており、マッドは真剣な表情でこう言った。
≪――とにかく、調べてみるしかない。その九番に関しては、ボクの方で調査を進めておくよ≫
「……私達は?」
≪今までと同じように、突然変異種の相手をしておけばいい。……でも、マッドホワイトには気をつけて。今回は撃退出来たけど、敵が何を企んでいるか分からない。次は九番の言葉通り、君達が殺されるかもしれないよ≫
「大丈夫。私達は、負けない」
リリスがそう言い切ると、マッドは虚を突かれたような表情になった。次いで、何処か呆れたように笑みを浮かべる。
≪……全く、リリスお姉ちゃんは怖いもの知らずだね≫
「当然。私にはアゲハがいる。アゲハがいれば、火の中だって水の中だって怖くない」
≪それなら安心だね。……ま、お姉ちゃんをよろしく頼むよ。じゃあね≫
マッドはそう言って、通話を切った。リリスはスマホの電源を切ると、隣に座っていたアゲハの方を見る。アゲハは滲んだ涙の痕もそのままに、膝を抱えていた。
「……アゲハ。マッドが九番について調べてくれるって」
「……そうか」
「アゲハ。元気出して。アゲハが落ち込んだままだと、私は悲しい」
リリスがそう言っても、アゲハが顔を俯かせたままだ。――サグルと……いや、サグルを殺した敵と再会したのだ。アゲハの胸中が複雑な心情であることは、想像に難くない。宿敵を見つけて、怒りを煮えたぎらせているのか。はたまた、四年前の事件を思い出して、傷ついているのか。人の感情に人一倍鈍いリリスには、アゲハの胸中を察することは出来なかった。
「……元気なんか出ねぇよ」
「アゲハ……」
「……リリスには分かんねぇだろ。家族を殺されたあたしの気持ちなんて」
突き放すようなアゲハの言葉に、リリスはハッと目を見開き、悲痛な表情を浮かべ黙ってしまう。アゲハは膝を抱えたまま、胸中に浮かぶ言葉を絞り出す。
「大切な弟が殺されて、大嫌いな親が殺されて、サグルは生きてるって信じて……それもマッドの嘘で。挙句の果てにはサグルの姿をした仇だぞ?……もう、わけわかんねぇよ……」
もしもこの世界に神がいるとしたら、そいつは一体何色の血が流れているのだろう。アゲハにばかり重い運命を背負わせて、アゲハを何度も騙し続けて。
「あたしが、何したっていうんだよ……」
アゲハが顔を俯かせると、涙の痕をなぞるように雫がつたう。――まだ小さい自分を見限って、叔母に自分を預けた両親。出来の悪い自分を慕ってくれていた、大切な弟。そんな家族との思い出が、嫌でも蘇ってくる。……アゲハはまだ、家族との別れを受け入れきれてなかったのだ。弟はともかく、大嫌いな両親はもう顔も思い出せないというのに。今のアゲハはそんな家族の事を想って涙を流していた。
「なんで、あたしは一人なんだよっ!あたしを一人にするなよっ……!あたし一人じゃ、生きていけねぇよ……!」
アゲハが叫ぶ度に、彼女は自分の膝を叩く。この哀しみを発散しなければ、自分はどうにかなってしまいそうだった。堰き止められていた水が流れ出すように、アゲハは感情を吐露していく。
「父さん……母さん……サグル……なんで、なんで……ああああああああっ!」
涙が止まらなかった。溢れ出した感情を止める術を知らず、アゲハは哀しみと苛立ちを吐き出さすにはいられなかった。何度も膝を叩いて、何度も嗚咽を漏らす。ポッカリと心に空いた穴を、必死に塞ごうとするように。アゲハは必死に叫んだ。――とうとうアゲハは、膝を抱えるのも止めて、その場に崩れ落ちた。
「なんで……あたしがっ!」
もう、アゲハは自分を止めることが出来なかった。床を叩き、頭を掻きむしり、喉が痛くなるほどに叫ぶ。そんな、見るに堪えない姿になったアゲハは――突然、動きを止めた。アゲハを強く抱きしめた、リリスによって。
「――リリ、ス……?」
「…………ごめん、アゲハ」
「え……?」
アゲハがリリスの温もりに呆然とする間、リリスはアゲハを抱きしめながらボソリと呟く。今、リリスがどんな表情をしてるのか、アゲハにはわからなかった。
「……私には、アゲハの辛さは分からない。私の親は滅多に帰ってこないけど、死んでない。私にはきょうだいはいないから、アゲハにとってサグルがどんな存在だったのか、分からない」
リリスは痛いくらいにアゲハを抱きしめ、ぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。未だ流れ続けているアゲハの涙が、リリスの制服の肩を濡らした。
「……でも、これだけは分かる。アゲハは、一人じゃない。私がずっと側にいる。「一生一緒にいる」って、約束したから」
「リリス……」
アゲハは少し落ち着いたのか、掠れた声でリリスの名前を呼ぶ。アゲハはリリスの腰に手を回すと、リリスの胸に顔を埋める。まるで、リリスに縋り付くように。
「んっ……アゲハ、くすぐったい……」
アゲハの吐息や髪が触れて、リリスは身を捩らせる。いつもより何処か艶っぽい恋人の声を聞いて、アゲハの理性の鎖が解けていく。
「……あっ……」
アゲハはリリスを片方の腕で抱き寄せながら、もう片方の手で器用にリリスの制服のボタンを外す。アゲハは涙の痕の残る顔をあげると、そのままリリスの唇に自分のものを重ねた。
「んっ……アゲ、ハ……んむ……」
アゲハはリリスの身体を弄りながら、何度も何度も唇を重ねる。頭の中で何かが弾けていくような感覚を味わい、アゲハの理性は溶けていく。――やがて、アゲハはリリスを抱き上げると、近くにあったベッドにそっとリリスを横たわらせ、アゲハはその上に跨った。
「アゲハ……?」
「…………」
リリスの顔は赤く染まっていて、とろんとした表情を浮かべていた。白くほっそりとしたうなじやはだけた胸元が、アゲハの視界に入る。――少しの沈黙の後。リリスはアゲハに両腕を広げながら……小さく、呟いた。
「……いい、よ。アゲハ、なら……」
「…………!」
――そこから先は、よく覚えていない。ただ一つ、アゲハの記憶に刻まれたのは……可愛くて健気な、最愛の恋人の温もりだけだった。
――――
――見覚えのある天井の下で、アゲハは目を覚ました。何故か薄ら寒い感じがして、アゲハは布団を深く被ろうとする。……しかし、布団を引っ張っても微動だにしないので、違和感を抱いたアゲハは寝ぼけ眼を擦りながら身体を起こす。
「……っ!?」
――そこで目にしたものを見て、アゲハは一気に意識を覚醒させた。……そこにいたのは、一糸纏わぬ姿のリリスだった。
「えええっ!?な、なんでリリスが!?……って」
大きくベッドから飛び退いて、アゲハは自分の身体を見下ろした。アゲハの目に写ったのは、リリスと同じく一糸纏わぬ自分の身体で――
「はぁ!?」
アゲハ、困惑である。アゲハは顔を赤くしながら、すぐさま自分の身体を手で隠す。理由のわからない状況に、アゲハは目を白黒させる。
「な、なんで裸なんだ……!?あたしの服は!?」
アゲハはベッドの上で辺りを見渡しながら、自分の服を探す。……すると、ベッドの下にそれらしきものがあった。アゲハの学校の制服が……二人分。無造作に床に転がっていた。
「とにかく、服を来て……ん?」
アゲハは服に手を伸ばして……ふと、身体に違和感を感じて動きを止めた。例えるならそう、寝汗をかいたまま起床した時のような、べっとりとした感触が全身に纏わりついていたのだ。
「……んん?」
アゲハの額に、何故か冷や汗がつたった。顔から血の気が引いていくのを感じる。アゲハは何処か引きつったような笑みを浮かべながら、ブリキの人形のようにグギギ……とリリスの方を見た。
「…………」
穏やかな寝息を立てながらアゲハのベッドの布団に抱き着いているリリス。雪のようにきめ細やかな肌が、部屋の光に照らされていて、彼女のスタイルの良さがより際立っている。免疫のないアゲハは、思わず赤面して――いや今はそんな事をしてる場合ではない。アゲハは思考を断ち切り、リリスの胸の辺りにある何かの痕に視線を向けた。
「ん……」
リリスが寝返りを打つと同時に、見えていなかった身体の部分が晒される。……そこにも、いくつかの痕がついていた。それは痣のようなものというより、虫刺されのようなもので――
「――ハッ!?」
直後、アゲハの脳裏に、昨夜の記憶が蘇った。顔を真っ赤にしてひたすらに悶えていたリリスに、獣のようにリリスの身体を嬲った自分……他人には絶対口に出せないような激しい情事の光景が、アゲハの脳内を埋め尽くした。
「○$€¥÷〒☆#%〜〜!?!!?」
アゲハの声にならない叫び声が、部屋中に響き渡った。アゲハは顔を真っ赤にしながら枕に顔を埋め、恥ずかしさを抑えるように叫び続ける。
「ふ、ふふふふ……アゲハぁ……大好き……」
ジタバタと暴れているアゲハを他所に、リリスは幸せそうな寝言を漏らすのだった――
――――
……少しだけ冷静になったアゲハはシャワーを浴び、部屋に戻っていつものジャージ姿に着替えた。リリスはまだ眠っていたので、風邪を引かせないためにアゲハと同じようにシャワーを浴びさせ――なるべく身体は見ないようにした――転がっていた下着とアゲハのジャージを着せると、そっとベッドに寝かせた。
「ふぅ……」
今日が休日で良かった、とアゲハは思った。もし平日なら、きっと遅刻確定だろうから。不良生徒であるアゲハだけならともかく、優等生のリリスも一緒に遅刻となると、何か勘繰られるような気がしたのだ。……まぁ、普段のリリスが積極的過ぎて既に手遅れな感じではあるのだが。
(……あたし、リリスとその……シたんだよな……?え、それ色々と大丈夫なのか?同意の上で、とか、まだ高校生なのに……とか……)
脳裏にピンク色の光景を浮かべながらも、恋愛に関して「学生の内は清い付き合いを」的な固い価値観を抱くアゲハは、逆に不安を感じた。いや、リリスは自分の事を拒んだりしないはずだ。大丈夫だ。おそらく、多分、きっと。昨夜の朧気な記憶を辿りながら、アゲハはそう判断した。
(……にしても、あたし、リリスの事好き過ぎない?)
至った経緯はほとんど覚えていないが、昨夜の自分はあまりにも、その……甘えたがりだったような気がする。リリスに唇がふやけるまでキスをして、全身に顔を擦り寄せ、互いの(自主規制)を――
(いや違う違う。そうじゃなくて)
危うく官能小説みたいになる所だった。そんな事をすればこの物語のレーティングが上がってしまうではないか。生憎だが話の肝はそこではないのだ。
(……リリスと一緒にいれば、安心する。あいつはちょっと……いやかなり行き過ぎた変態だけど。あたしが辛い時は側にいてくれるし、何度も「好き」って言ってくれるしな……)
両親からまともな愛情を注がれずに育ったアゲハにとって、リリスからの愛はまさに「蜜」だった。一度味わってしまえば、それなしでは生きられなくなる。いつの間にかリリスはアゲハにとって、なくてはならない大切な存在になっていたのだ。
「あたしは……リリスが好きだ」
口にすると、それだけでアゲハの胸の内が温かくなる。まるで薪を入れた炎のように、その熱は強まっていく。アゲハはふと、近くでぐっすりと眠っているリリスの方を見る。アゲハはおもむろに手を伸ばすと、彼女の頭を優しく撫でた。
「ん……」
リリスは気持ちよさそうに頬を緩め、アゲハに縋るように身を寄せてくる。小動物のような仕草がとても可愛らしく、アゲハも釣られて笑みを浮かべる。
(……ちゃんと伝えなくちゃな。あたしはリリスの事が、好きなんだって)
一度告白した時、アゲハの言葉は少し曖昧で、アゲハ自身も自分の気持ちに整理がついていなかった。もしかしたらリリスを不安にさせてしまったかもしれない。――だが、身体と心を通わせ、自分の気持ちに整理のついた今なら……リリスと正式な恋人に、なれる気がした。
「……好きだよ、リリス」
恋人の頭を撫でながら、アゲハは穏やかな笑みを浮かべる。リリスは眠りながらも気持ちよさそうに、頬を緩めている。――そんな無防備な恋人の頬に、アゲハはそっと唇を当てた。願わくば、ずっと彼女と一緒にいられるように――そんな想いを、胸に秘めながら。
「――目が覚めたら、ちゃんと告白するよ」
自分にも言い聞かせるような言葉を、眠るリリスの耳元で呟くのだった。
――――
「……ふーん。それで、まんまと逃げ帰って来たわけ」
「……申し訳ございません、レーナ様」
アゲハに敗北し、命からがら拠点に戻ってきた九番は、レーナの前で跪いていた。彼女の隣には、竜の鱗のような鎧を身に着けた、黒い異形の怪物――バベルの姿もある。
「――顔を上げよ、九番。これは偵察部隊の責任だ。奴らがゴシキジャーの新たな力を調べていれば、貴様が負けることはなかっただろう。気にする必要はない」
「ですが……」
「ま、バベルもこう言ってることだし、そういう事にしとけば?」
レーナとバベルの言葉を受け、九番は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。普段感情を表に出さない九番にとっては、それは珍しい事だった。
「次は、任務を果たしてみせます。この命に代えましても」
「――滅多なことを言うものではない、九番。貴様は私の右腕だ。貴様が死ぬことは私が右腕を失う事と同義。組織の、王の損失だ。貴様に許されていることは、生きて任務を果たすことだ」
「……承知致しました。全てはバベル様と、王の御心のままに」
「うむ。――では、下がれ。話は終わりだ。任務についてはまた指示を出す」
バベルの言葉を受け、九番がその場を後にする。彼の後ろ姿が見えなくなると同時に、レーナは呆れたように口を開いた。
「ハッ、随分とご執心みたいじゃない?そんなにあの九番が気に入ってるの?」
「……私は王の命に従っているだけだ。貴様に口を出される謂れはない」
「はいはい、そういう事にしとくわね。……それより、あの件に関しては、九番に伝えていないの?」
レーナの言葉に、バベルは黙って彼女を睨みつける。図星、というような反応に、レーナは肩をすくめた。
「ま、伝える必要もないと思うけど。せっかく役に立つようになったのに、また役立たずになったら困るものね?」
「……口を慎め、レーナ」
「そうカッカとしないでよ。いずれ知ることになるんだから、遅いも早いもないでしょ」
「王の命令だ。貴様が口を挟む権利はない」
「またそれね……あなたって本当に面白味がないわ。王も、何故こんな堅物に信頼を置いているのかしら。アタシの方が、頭も良くて役に立つのに」
レーナは毒付きながら、近くの椅子に腰掛けてそっぽを向く。バベルはレーナに言い返す事もせずに、九番が去っていった方を見つめていた。
「……全ては、我らが王のために。私が望むのは、それだけだ」
バベルのその呟きは、誰の耳にも聞き取られることはなかった。




