第二十四話 新たな従者、清楚な魔王?
――ボディーガード兼使用人であるレモンの朝は早い。起きたらすぐに身だしなみを整え、平日は学校の制服、休日は給仕の服に着替えるところから始まり、マオの朝食の準備に服の用意、更には部屋の掃除と大忙し。これがマオの暮らしているアパートだからまだマシだが、これが本家の屋敷勤めになると業務量が倍になるのだから恐ろしいものである。
「……レモン……朝ごはん……」
「用意しとるからはよ食べや。さっさとせんと遅刻するで」
寝起きで瞼を擦りながら起きてきた主人に、ぶっきらぼうな物言いをするレモン。とても従者とは思えない口振りだったが、マオが全く気にしていない事から、既にそれが日常になっていることが伺える。
「お嬢様、下着はそこら辺にほっとくんやなくて、籠に入れといてって言うたよな?」
「ごめーん……」
「はぁ……あ、寝癖ついとるやん。ご飯食べたら洗面所で直しときや」
「わかったよ……わかったからぁ……」
マオは寝ぼけ眼のまま不機嫌そうな声色で答えると、食卓に並べられていたトーストを齧りだした。レモンは洗濯物の入った籠を洗濯機まで運んでその中に入れ、手際よく洗濯機を操作して回した。
(洗濯物の回収は……また、アイツを呼ぶしかないな)
回る洗濯機を眺めながら、レモンはうんざりしたような顔でそんな事を考える。レモンもマオと同じ学生のため、昼間は家に入れないことが多い。そのため、昼の仕事はどうしても同僚に頼むしかないのだ。レモンとは犬猿の仲で、何かといちゃもんをつけてくる年上の同僚に。
「はぁ……」
「レモン?どうかしたか?」
ため息をついていると、いつの間にかレモンの後ろにいたマオが顔を覗き込んできた。朝食をとって眠気が収まったのか、目元ははっきりとしており、素の口調は鳴りを潜めていた。
「……なんや、やっと目ぇ覚めたんかいな」
「うむ、勿論だとも!今日も我は絶好調である!」
「うるさ……お嬢様の声は耳にキンキン響くんやから、叫ばんといて?」
「え、酷くない?」
今日も毒舌に磨きがかかっているレモンに、思わず素が出てしまうマオ。昔ながらの付き合いである二人がそんな掛け合いをするのは、一種のテンプレという奴だった。
「酷いのはお嬢様ちゃうの?特訓でクタクタになったうちが休もうとした時に、お客さん連れてきたんやから」
「うっ……だって、ミドリが……」
……先日、先代ゴシキジャーによる特訓を終えたレモンが一通りの家事を終えて休もうとした時――まるでそのタイミングを狙っていたかのように、古賀ミドリがマオの家にやってきたのだ。レモンはすぐさまマオの借りている部屋の隣にある自分の部屋に戻ろうとしたが、何故かそれをマオに止められた。普段のレモンなら「業務外やから」と軽くあしらう所だったが、マオの表情がまるでこの世の終わりのような表情になったので、機嫌を損ねないために渋々残ることになった。その時の記憶を思い出したのか、レモンは苦虫を百匹くらい噛み潰したような顔で話を続ける。
「……お嬢様、いつ古賀さんに家教えたんや」
「えっと、それが……教えてないんだよね」
「は?」
レモンは間の抜けた声でそう言った。――翠川グループの社長令嬢であるマオは、その身分のせいでかなりプライバシーに配慮する必要があった。翠川グループはそこそこ大きな会社のため、自分の利益のために擦り寄ってくる輩が後を立たなかったのだ。そのため、マオは必要以上に自分のことを他人には話さないし――そのせいでマオはボッチと化しているのだが――レモンも外で話したりはしないようにしている。まぁマオ達の通っている学校は少し頭の悪い人間が集まる高校なので、翠川グループの事を知らない人間がほとんどなのだが。というか知っていたとしても「なんかすげえ奴」としか認識されないのだが――ともかく。まぁ何が言いたいかといえば、マオの住所を知っている人間など身内以外いないということだ。
「え、どういう事や?ほななんで知っとんの?」
「……調べたって言ってた」
「は?」
繰り返すが、マオの個人情報はおおよそ常人が得られるようなものではない。流石に顔や名前くらいなら誰でも知っていると思うが、それ以外の情報は使用人やマオの父親によって厳密に保護されている。つまり、ほとんど開示されていないのだ。まぁかといってこの厨二病主人がミステリアスな美少女というわけでもないのだが。
「どんな手段を、使ったん……?」
古賀ミドリ。先代アカシアグリーンの現役小学生。物静かで自分の事をあまり語らず、ここにいる主人とは比べ物にならないくらいの頭脳派。他者を寄せ付けない性格で、レモンでも底の見えない少女……そんな彼女は一体どのような手段を用いてマオの個人情報を明かしたのだろうか。レモンが思わず固唾を飲んでマオにそう尋ねると、マオはシリアスな雰囲気を醸し出しながらこう言った。
「わたしが学校から家に帰るときに、後ろをつけてたんだって……」
「いや、ただのストーカーやん」
シリアスな雰囲気は霧散した。いや、ストーカーは立派な犯罪なのだが、思ったより古典的な手法で驚いたのだ。特に他意はない。――レモンはため息をつきながら、マオに向かってこう言った。
「お嬢様、いくら相手が小学生とはいえ、やっていいこととあかんことは教えなあかんで」
「わたしには無理だよ……だってミドリ、わたしがやんわり注意しようとしたら、「マオ姉は私を一人にするのか?」ってハイライトのない瞳で言ってくるんだもん!」
「なに脅されとるんや。相手は小学生なんやし、お嬢様が突っぱねたらええやんか」
「絶対嫌だ。そんな事したら、わたし、あの子に何をされるか……!」
どこか怯えた様子でそんな事を言うマオ。一体あの小学生は、自分の主人にどんな脅しをしたのだろうか。とレモンは思った。
「……はぁ、まぁ事情は分かったわ。その問題は後で考えるとして、はよ学校行こか。このままやったら遅刻するで」
「う、うむ……」
「そんな怖がらんでもええやろ。学校の中やったら古賀さんは入ってこぉへんはずや。道中もうちが守ったるから、しゃんとしい」
「……!か、感謝するぞ、レモンよ!」
マオはそう言って、ちゃっちゃと制服に着替えて玄関に向かう。レモンはマオと自分の荷物を持って、マオの後に続いた。
(……ほんま、世話の焼けるお嬢様やわ……)
レモンは内心ため息を吐きながら、目の前を歩く情けない主人の背中を見る。幼少期からほとんど変わらないその姿は、レモンにとってすっかり見慣れたものになっていた。
(……ま、お嬢様結構チョロいし、楽な仕事であることは変わらんけどな)
この手の世話はレモンにとっては日常茶飯時だ。幼少期から教育を施されてきたレモンにとっては、マオの世話など赤子の手をひねるようなものだ。
(……にしても、最近は疲れが酷いわぁ……誰か変わってくれんやろか)
今までなんてことない日々を過ごしていたレモンとマオだったが、ゴシキジャーと関わりだしてからはその生活も変貌を遂げた。マオは今まで以上に傍若無人な振る舞いをするようになり、アゲハやリリス、サクラの事を度々気にかけるようになった。少しだけ複雑化した主人の扱いに、レモンはこれまで以上に酷使されるようになったのだ。
(……そもそもこの仕事、ほぼ休みなしみたいなもんやしな……労基法どうなってんねん)
護衛兼世話係はほぼ一日中マオの側にいることが求められている。一応土日は休みとなっているが、休みになるとマオが部屋に押しかけてきたりするのだから休めない。いっそのこと雇い主……マオの父親に直談判でもしようかと考えていると、目の前を歩くマオが勢いよく玄関の扉を開けた。
「ハーッハッハッハ!今日もこの魔王が、現世に降臨し…………ん?」
「お嬢様?いきなり止まってどうした……ん……」
マオは高笑いをあげながら、レモンはうんざりとした表情をしながら部屋を出て……同時に言葉を失った。何故なら部屋の前には、メイド服を着た黒髪の女性が、その場に跪いていたからだ。
「――お待ちしておりましたわ、マオ様」
鈴を鳴らすような声が、二人の耳に響く。メイド服を着たその女性は、下げていた顔をゆっくりとあげた。……レモンはその顔を見て、思わず目を見開いた。
「なっ……!?なんで、あんたがここに――」
レモンの言葉を聞いて、女性はクスリと笑みを浮かべる。そしてそのまま立ち上がると、彼女はカーテシーをしながら、二人に向かってこう言った。
「――護衛兼世話係、黄埼ミカン。そこの木戸レモンに代わって職務を果たすため、馳せ参じましたわ」
女性……黄埼ミカンは。とんでもない爆弾発言を、二人にかますのだった――
――――
――特訓を終えた翌日。学校に登校したアゲハは、あくびをしながらボーッと窓の外を眺めていた。
「眠ぃ……」
今の季節は、そろそろ夏に差し掛かっている。燦々とした日差しが、アゲハに振り注いでいた。春の陽気が過ぎ去ろうとしているのにも関わらず、日差しを浴びるだけで眠くなってしまう。
「……アゲハ、眠いの?」
「ああ、ちょっと寝不足でな……」
「大変。今すぐ私の膝枕で眠るべき。さぁ、こっち来て」
そう言ってアゲハを受け入れるかのように両手を広げるリリス。とても魅力的ではあったが、この暑さで人と密着するというのはいささか抵抗があった。よって、アゲハは目を細めてリリスを見るだけにとどめた。
「……お前は相変わらず元気だな」
「当然。アゲハが近くにいるだけで、私は元気百倍」
「そう言ってくれるのは嬉しいが、あたしの元気がないのはお前のせいってことも忘れるなよ?」
昨日、二つの腕輪を守るために夜中に必死の逃走劇を繰り広げたアゲハ。家に帰る頃にはすっかり疲労困憊で、その疲れがしっかりと今日に持ち越されたのだ。アゲハの言葉を聞いたリリスは、サッと視線を逸らす。
「……だって、アゲハとスキンシップしたかった。あの日以来、アゲハとイチャイチャできてない」
「うっ……」
リリスの言葉に、アゲハはほんのり頬を赤くする。あの日というのは勿論、アゲハがリリスに初めてキスした時の事である(第十七話参照)。からかわれるのを嫌がったアゲハの意志で周囲に恋人であることを隠している二人は、表立ってイチャイチャするなんてことはできないのだ。
「……そういうのは家でやるもんだろ」
「つまり、家なら……何でもやっていい、ってこと?」
「常識の範囲内だったらな」
「夜這いは?」
「駄目に決まってんだろ」
早速イエローカードを突き出されたリリスは、目に見えて頬を膨らませる。この女はまだ午前中だというのに何を言っているのだろうか。というかそもそも、人目があるのだから堂々と夜這いとか言うのは止めて欲しい。ただでさえアゲハは悪目立ちしているというのに、これ以上ややこしい噂が広まるのは御免だった。
「むぅ、アゲハはケチ」
「TPOの話だ。あたし達はまだ学生なんだから、清らかな関係というのをだな」
「今どき清廉潔白な価値観は流行らない。だからアゲハはもっと私とイチャイチャすればいい」
「――そりゃあたしだってやりたいけどさ」
「……ふぇ?」
ごく自然に紡がれたアゲハの言葉に、リリスは目を丸くする。アゲハは自分の言葉の違和感に気づかずに、いつもよりどこか凛々しい表情でリリスを見つめる。
「こういうのって一回やったら歯止めが効かなくなると思うんだよな。リリスは可愛いし、優しいし、あたしの事を全肯定してくれるからさ……多分、行くところまで行って――」
「!?!??」
アゲハが甘い言葉を紡いでいる途中、リリスが顔を真っ赤にして身を引かせたので、アゲハは思わず言葉を止めた。代わりに、驚いたような表情でリリスを見る。
「おい、どうしたんだよリリス。顔真っ赤だぞ」
「……アゲハのすけべ」
「えっ、なんで?」
「淫乱。不純。獣……」
「ええっ!?」
リリスは林檎のように顔を赤く染めながら、アゲハを非難するような言葉を投げかける。特大のブーメランがリリスの頭に突き刺さっているが、リリスは羞恥心やらアゲハに求められて嬉しいやらでそれどころではなかったのだ。アゲハは不名誉な呼ばれ方を撤回してもらうべく、弁解を述べようとして――
「……なんや楽しそうやな、お二人さん」
「!?」
茶髪のツインテールの少女……レモンに背後から声を掛けられて、アゲハは言葉を止めた。リリスはアゲハと同じように、レモンの方を見――ることはせずに、真っ赤にした顔でそっぽを向いたままだった。
「なんだ、レモンか……びっくりさせるなよ」
「堪忍な。気配消して背後に立つの、ボディーガードの癖やねん。……ところで、青宮さんはどないしたん?顔真っ赤やけど」
「あたしが聞きたい。なんか気づいたらこうなってたんだ」
リリスをこんな状態にした張本人は、不思議そうにそっぽを向いたリリスを見る。しばらく会話はできそうにないな、と思いながら、アゲハはレモンに向き直った。
「それより、なんでレモンがここにいるんだ?お前のクラスは向かいの校舎だろ?」
「……実は、赤羽さん達に頼みたい事があってな。お嬢様絡みの事なんやけど……」
何故かしおらしい様子でそう言うレモンに、アゲハは首を傾げる。
「魔王の?……そういえば、魔王はどうしたんだ?お前一人か?」
「あー……話せば長くなるんやけど――」
珍しく一人でいるレモンを疑問に思ったアゲハの問いに、レモンが律儀に答えようとしたその時――耳障りな高い声がアゲハ達の耳に響いた。
「――この教室に、赤羽アゲハという生徒はいますの!?」
聞こえてきたその声に、アゲハを含めたクラスの生徒達が声のした方を向く。……そこに立っていたのは、メイド服を身に着けた、黒髪の女性だった。目鼻立ちはくっきりとしていて、スラリと流れる黒髪に猫を連想させるようなツリ目。端的に彼女を表すなら、そう――
(((……なんか、鬱陶しい)))
団結力のないこのクラスが、奇しくも心を一つにした瞬間である。見た目からして「ウザい」を体現したような女性に、クラス一同は怪訝な目を向けていた。
「な、なんですのこの反応は!?下賤の者共が無礼ですわよ!」
「……なんだ、あいつは?」
「……黄埼ミカン。前に話した、うちに何かと突っかかってくる同僚や」
女性――黄埼ミカンはクラスメイトの視線に嫌悪の感情を露わにしながら、ズカズカと教室に入っていく。ミカンは辺りをキョロキョロと見渡すと、アゲハの方を見て動きを止めた。
「いたーっ!貴女が赤羽アゲハですわね!そして負け犬の木戸レモンまで!」
「なぁ、あいつこの学校の生徒なのか?なんかメイド服着てるけど」
「一応、成人して大学を卒業しとるはずや。この学校とは無関係やし、完全に不法侵入やな」
「聞こえてますわよ!一応じゃなくて現役で卒業してますわ!あと、ちゃんと許可は取ってますから!」
ミカンの事を無視してひそひそと話すアゲハとレモンに、ミカンは怒りを露わにしながらそう言った。
「木戸レモン……!相変わらず貴女は年上への敬意が足りていませんわね!」
「え〜、堪忍な〜?うち、そういうの気にせぇへんから〜。それに、お姉さんは随分と若いから、とても年上には見えへんわ〜」
他の生徒の手前、猫を被りながらそう言うレモン。ちなみに後半は「あんたみたいな奴に礼儀を払う必要あらへん」という皮肉である。それを敏感に感じ取ったミカンは、怒りのあまり額に青筋を立てる。
「くっ……!下賤の者如きが……!」
「――おやめなさい、ミカン」
あわや、ミカンがレモンに掴みかかろうとしたその時。鈴を鳴らすような凛とした声が、教室の入り口から聞こえた。アゲハ含めた生徒達は再び入り口に視線を向け――レモンは何故か嫌そうに顔をしかめていた――声の主の姿を見た。その姿を見たアゲハは、目を見開きながら呟く。
「……魔王?」
そこにいたのは、金髪碧眼の小柄な美少女……翠川マオだった。しかし彼女の様子は、明らかにいつものマオではなかった。背筋をピシッと正し、儚げな表情でミカンを見つめ、手は腰ではなく身体の前にある。マオはミカンの元まで歩いてくると――その際も優雅な所作を崩さなかった――凛とした表情で、ミカンに向かって口を開いた。
「淑女がそのような下品な言葉を使うものではありませんよ。上に立つものには、それに伴う品格というものがあるのです」
「……!申し訳ありません、お嬢様!」
「……いや、誰?」
アゲハは思わずそう呟いた。クラスの面々も「え、誰?」って感じである。果たしてこんな清純派な金髪お嬢様が、この学校にいただろうか、と。
「赤羽アゲハ様。うちの使用人が無礼を働いてしまい、申し訳ございません。翠川家の娘として、謝罪させていただきます」
「お、おう……」
「ミカンには厳しく言っておきます。――教室に戻りますよ、ミカン」
「は、はい!わかりましたわ、お嬢様!」
マオは礼儀正しくアゲハに頭を下げ、何やら恍惚とした表情を浮かべているミカンを引き連れて、教室を出ていった。――少しの間の静寂が、アゲハのクラスに訪れた。
「……なぁ、今の人って≪魔王≫じゃねぇの?」
「だよな?この前うちのクラスに来た、あの厨二病全開の」
「あんな礼儀正しい人だったか……?」
クラスメイト達はどうやら前回教室に来たマオの事を覚えていたらしく、怪訝な顔をしながら首を傾げている。そして、それはアゲハも同様だった。
「……どうしたんだ、あいつ……?」
「……えっと、ほんまに話すと長くなるんやけど……」
レモンはどこか疲れた様子で、アゲハに事情を説明するのだった――
……ちなみに、リリスはずっと顔を赤くしながら、机に突っ伏していた。




