第二十二話 赤き恒星と桃色の嘆き
――桃橋サクラ&桃井ツクモの仮想空間。ここでは似たようで正反対の性格の二人が、特訓に励んでいた。
「……ツクモちゃん、今まで一体何してたの?」
「すみませんでしたぁ!」
……訂正しよう。先程まで余裕ぶってゆるふわにナルシストをキメていた桃井ツクモは、何故かサクラに見事な土下座をかましていた。サクラは普段の穏やかな様子とは違い、前髪に隠れた瞳を獰猛に光らせている。
「寛大なサクラ様におかれましては、どうかお慈悲を……!」
「……サクラ様って……私達、同い年でしょ……?いつもの口調で大丈夫だよ」
「いえいえ!あたし如きがそんな不敬な事は!」
「不敬って思うくらいなら、どうして私の前からいきなりいなくなったのか、教えて欲しいなぁ……」
桃井ツクモ。実は彼女は、サクラの高校のクラスメイトだ。優れた美貌に、他者を惹きつける明るい性格。まさしくクラスの一軍と呼んで差し支えない彼女は、高校卒業を期に行方をくらませたのだ。――一番付き合いの長いサクラを置いて。
「寂しかったんだよ……?連絡しても返事ないし、他の友達に聞いても、皆知らないって言うし……」
「ごめん!本当にごめんなさい!わざとじゃないんです!」
「じゃあ、理由、言えるよね?」
普段のサクラとは違う、厳しい声だった。それを聞いたツクモは涙目で顔をあげて、ぐっと泣きそうになるのを堪えながらこう言った。
「お仕事、クビに、なっで……!ここ最近ずっと、バイト漬けでぇ……!」
「……お仕事?それに、バイト漬けって……」
「はぃぃ……無職ですぅ……だから、連絡する暇もなぐっでぇ……」
嗚咽を漏らしながらのツクモの言葉に、サクラは目を見開いて驚く。……サクラの知っているツクモは、失敗なんか気にせずに、ひたすらに突っ走る猪のような性格の少女だった。自分に絶対的な自信を持っていて、引っ込み思案なサクラも表に引っ張り出してくれるような、リーダー気質でもあった。しかし、今の彼女はそんなサクラのイメージを根底から覆すような人間に変わっていた。
「あだじ、アイドルやっでてさぁ……!ゔれないなりに、頑張っでさぁ……!でも、プロデューサーが不祥事やらがじで、一年くらいでクビになったのぉ……」
「アイドル……えっ、そうだったの?」
「決してサクラの事を忘れたわけじゃなくてぇ……あたし、自分の事でっ、精一杯だったんだよぉ……ごめんねぇ……!」
「い、いやいや!私こそごめんね……!?何も知らずに、酷い事を……!」
「いいよぉ……あだじも、連絡しながっだもん……!」
そう言って泣きじゃくるツクモを見て、サクラはすっかり毒気を抜かれて、胸中が申し訳ない気持ちでいっぱいになる。ツクモの近くでサクラがかがみ込むと、ツクモは涙を流しながらサクラに抱きついた。サクラはそんな友人の背中を、落ち着かせるように撫でる。
「ぶぇぇぇぇ……!」
「よしよし、大丈夫だよ……もう私、怒ってないよ……」
「サクラぁ……!」
しばらく、ツクモの泣き声が、サクラの耳に響いていた。
――――
「復活〜♪ツクモちゃんだよ〜」
ひとしきり泣いた後、ツクモはなんとか調子を取り戻して、サクラの前で決めポーズをした。
「……今更だけど、ツクモちゃんってそんなキャラだった……?」
「まぁまぁ、細かい事は気にせずに♪」
衣装のフリルを揺らしながら、サクラの肩をポンポンと叩くツクモ。……とても可愛らしい所作をしているが、彼女がサクラと同じ二十六歳の成人女性であると考えると、少し痛々しいようにも見える。だが心優しいサクラは「ツクモちゃん大分様子変わったね」としか思わなかった。純真な人間である。
「えっとね、ツクモちゃんはね〜……サクラちゃんに、度胸をつけるための特訓をしたいと思ってるんだ〜♪」
「度胸……」
「そうそう〜敵や爆発を前にしても「キリッ……」と出来るようにするためにね〜」
妙な声真似を交えながら、ツクモはそんな事を言う。しかし、それは的確な意見だった。戦士としてのサクラに足りないのは、まさしく「度胸」だ。幼少期から治らない引っ込み思案な性格は、大人になっても、教師になっても、ゴシキジャーになっても……ついぞ、治らなかった。サクラもそれを分かっているため、ツクモの言葉はやけに刺さった。
「……そうだね。私、臆病だから……」
思わず溢れたサクラの言葉に、ツクモは一瞬眉を潜める。しかし、すぐに表情を取り繕うと、明るい口調のままサクラにこう告げた。
「と、いうわけで〜……ツクモちゃんと、レッツダンスだよ〜♪」
「……え?」
「元アイドルのツクモちゃんの実力……見せちゃうからね~?」
「ええ……?」
突拍子もない提案に、サクラは怪訝な顔になる。当然だろう。何故なら目の前にいる友人は……大の運動音痴なのだから。高校時代、ツクモはほとんどの体育の授業を欠席しており、ボールを投げると自身に跳ね返り、体操をするとどこかしらを痛め、走ると必ずと言っていいほど転んで膝を擦りむく。サクラもあまり運動が得意な方ではないが、そんな自分でも「これはひどい」と思わず思ってしまうほどだったのだ。
(……でも、ツクモちゃんは、元アイドル……なんだよね?)
名も知られぬアイドルとして、それでも一年続けて見せた。つまり、歌って踊って舞台に立った……それならば、あの壊滅的な運動神経もマシになってるのでは。
「わ、分かった……よろしく、ツクモちゃん……」
「おっけー♪早速やってみよっか♪」
サクラはひとまず、この友人を信じてみることにしたのだった。
――――
――その頃、赤羽アゲハ&赤羽オトの仮想空間では……
「おい!姉御!なんなんだよこの格好は!早く元に戻せ!」
「落ち着け。私の弟子ともあろうものが、すぐに取り乱してどうする。戦場で蹲る余裕などないぞ?」
「真顔で何言ってんだよ!その台詞絶対今考えただろ!」
アゲハは自分の身体を抱きながら、涙目でオトに向かって叫ぶ。対して、オトは不自然な程の真顔でアゲハから一切視線を逸らさずに、拳を構えていた。
「さぁ、剣を振るえ。私に全力をぶつけてこい」
「そんなこと言われても……!こんな格好で剣なんて使えるか!」
アゲハは今一度、自分の身体を見下ろす。……やけにサイズがぴったりな、スクール水着。否応なしに身体の線が強調され、一歩でも動けばずれてしまいそうなそれに、アゲハは顔を赤くして蹲ることしかできなかった。
「それこそがお前の弱さだ。力や技で負けることはまずないが、いかんせん精神的な揺さぶりに弱い。特に羞恥の類にな。昔から何度もそう告げたはずだ。だから私はこのような手段を取った」
オトは未だ真顔のまま、そう言い放った。アゲハは思い当たる節があったのか、一瞬言葉を詰まらせ……しかし、それでも必死に反論したい事があったため、彼女は裏返った声を絞り出した。
「なんでスク水なんだよ!もっといろいろ……こう……あっただろ!?」
「私の倫理観と君の尊厳を天秤にかけた結果だ」
「なんでその二つを天秤にかけちゃったんだ!?」
「というか、何を恥じることがある。私は君の叔母であり、ましてや女同士だ。例え裸でも動じる理由はないと思うのだが」
「話をずらすな!あとめちゃくちゃなこと言ってんじゃねぇ!」
アゲハは叫んでオトに食ってかかるが、オトはどこ吹く風である。……全く昔と変わっていない、とアゲハは呆れながら思った。
――赤羽オトは古今東西の武術を極めたという才能を持ち、そしてそれをひけらかさない仙人のような人間だ。アゲハはそんな彼女に憧れ――ついでに当時ハマっていた特撮に通ずるものを見て――弟子入りしたのだが……彼女の指導は、到底幼子のアゲハに合うようなものではなかった。彼女は一度決めたことは頑として変えず、修行となると、普段のセクハラ女としての鳴りをひそめ、一切の妥協を許さないスパルタ人間に早変わりする。……それでも根っこが変わらないのか、普段の変態的な要素が見え隠れしているが……この状態のオトはとても厄介だということは、アゲハにとっての常識だった。
(やれ護身術を教えろって言ったら、「身体中の関節を抜いてこい」って言うし……姉御の「赤羽八式」を教えろって言ったら、「宇宙に眠る美少女の神秘に耳を傾けろ」とか言うし……ああ、あの頃はキツかったな……)
思わず遠い目になるアゲハ。その脳裏には、オトからの無茶苦茶な指導の風景が浮かんでいる。ちなみに「赤羽八式」というのはオトのオリジナルの武術だ。一切無駄な動作がなく、敵を挫く事を目的としたこの術は、アゲハの憧れたものでもあった。結局、アゲハは美少女の神秘とやらが理解できずに、習得を断念したが。それでも、オトに近づきたいと願ったアゲハは、他の武術の修行になんとかくらいつき、今の力を手に入れたのだ。……だが、今の修行は、とてもではないがくらいつけそうになかった。
「せ、せめてもう少し大きいサイズのやつをくれよ。これ、動いたらはだけそうで……」
「ふっ……たまらんな。助かる」
「おい」
「服はそのままでいく。文句があるならそれを私にぶつけてみろ。そうすれば、君の望みを叶えてやらないこともない」
一瞬覗いた変態を隠すかのように、オトは一気にまくし立てる。その時、アゲハは理解した。目の前の叔母はもう手遅れだと。スンッ……と冷めた気持ちと羞恥心がせめぎあい、ついに羞恥心が敗北した。今アゲハの胸中にあるのは「この変態は駆逐しよう」という意志だけだった。
「……わかった。やってやるよ。あたしだって強くなったんだ。目にもの見せてやるよ!」
「ふん、ならば、見せてもらおうじゃないか。その実力を!」
「どこ見て言ってんだ」
完全にアゲハの胸部に目を向けている変態に、アゲハは絶対零度の視線を向けた。せっかくアゲハが気合いを入れたというのに、なんかもう台無しである。この叔母はいちいちセクハラしないと気がすまないのだろうか。もうやだ、この人。
「ああもう!もういい!絶対にぶっ飛ばしてやる!」
「やれるものなら、やってみろ!」
我に返って気合いを入れ直したアゲハは、≪赤い剣≫を構えて、オトに立ち向かうのだった――
――――
――桃橋サクラ&桃井ツクモの仮想空間。特訓のために開かれたはずのその空間は、ツクモによって創り変えられ、先程より閉鎖的な空間と化していた。
「はい、一二三四、一二三四!まだまだ!ペースが乱れてるよ〜!」
「ちょ、ちょっと……待って……」
「何言ってるのサクラ!お客さんは待ってくれないんだよ!?ここでこの振り付けを完璧にしなきゃ!」
「あぅぅ……」
黒い壁で囲まれた空間の舞台の上でキビキビとステップを踏んでみせるツクモと、息を切らして必死にツクモにくらいつくサクラ。彼女達は今、照明を浴びながらダンスの練習をしていた。
――サクラには、舞台の上であたしとダンスしてもらいます!もちろん、仮想のお客さんもありで!
ダンスレッスンが始まるやいなや、ツクモは仮想空間をライブハウスに変え、口調を素に戻してサクラの指導を始めた。
「む、難しい……足元が、見えないよ……」
「足元なんて見なくてもいい!とにかく姿勢を良くして!視線は前!もっと滑らかに動く!」
「え、えっと……」
目まぐるしく指示が下され、サクラは戸惑いながらもとにかく身体を動かす。そのたびにツクモの指導が入り、運動に慣れていないサクラの顔がどんどん青くなっていく。……同じく運動音痴だったはずの友人が、いつの間にかスパルタダンストレーナーへと進化を遂げていた事を知り、サクラの顔は更に青くなった。
「も、もう、無理……」
「まだいける!まだ振り付けは残ってるよサクラ!」
「ひぃぃ……」
サクラは弱々しい悲鳴をあげて、その場にへたり込んだ。前髪に隠された瞳が潤み、思わず泣きそうになる。先程からずっとダンスの練習をさせられ、上達の一つもできていないサクラは、最早心が折れそうだった。
(……やっぱり、私には無理なのかな……?)
心の中に漏れた呟きが、針のようにサクラに突き刺さる。……サグルの助けになりたいと思って、サクラはゴシキジャーになった。アゲハのように人を助けたいと願って、サクラはゴシキジャーを続けた。その思いに、嘘はない。けど、今の弱い自分に、ゴシキジャーを続ける資格はあるのか――それだけが、気がかりだった。
(……私は、ゴシキジャーに、いていいのかな……)
刺さった針はサクラを蝕み、彼女の心を曇らせていく。自分の暗い部分がそのまま映し出されたかのようで、サクラは瞳を覆いたくなった。
「あれ、サクラ?どうかしたの?」
「え……?」
「酷い顔してるけど……あ、もしかして、あたし、やりすぎちゃったかな……?」
「そ、そんなことないよ」
「でも、そんなに顔を真っ青にして……」
「ちょっと、疲れただけだから……すぐに治るよ……」
そう、すぐに治るはずだ。……治さないといけないんだ。
「頑張らなくちゃ……」
友人の心配を背に受けて、サクラはぎゅっと拳を握った。
――――
――アゲハが小学生の頃。暴行で停学となり、別の小学校に通うことになったアゲハは、オトの家に預けられた。
「私は赤羽オト。君の母親の妹――つまり叔母だ。これからよろしく頼む」
「……よろしく」
オトへの第一印象は、赤い髪が綺麗な人だな、というものだった。世界の理不尽さに絶望し、自分の不甲斐なさに打ちのめされていたアゲハには、そんな感想を抱くことしかできなかったのだ。
「姉さんから事情は聞いている。君、下級生を殴ったんだって?」
「……!」
出会っていきなり核心を突かれ、アゲハは言葉を詰まらせた。同時に、オトにアゲハの知られたくない事を知らせた両親を恨んだ。
(……この人も、あたしを避けるんだ)
暴行を起こした時の両親の反応を思い出して、アゲハはオトから視線を逸らした。……また叱られる。また避けられる。また誰かに迷惑を掛ける。そんな思考が頭に広がり、アゲハはぎゅっと目を瞑って、拳を握った。……しかし、続いたオトの言葉に、アゲハのそんな思考は吹き飛んだ。
「……弟を守るため、だったんだろう?」
「え……?」
「なに、私も昔似たような事をしたことがある。姉さんを馬鹿にした奴に、拳をぶつけた事があってな。まぁ、あの憎き姉は礼も言わずに私を突っぱねたが」
苛立ったように顔をしかめて、母への文句を述べるオト。「あの姉も一発殴っておけばよかった」などと呟く彼女の傍若無人な様子を見て、アゲハは目を見開いて驚いた。
「……なんで……」
「ん?」
「……なんで……そんなことを……?」
気づけば、そう呟いていた。自分はこんなにも苦しんでいるというのに、目の前の女性が、それを「特に問題はない」というように処理している事が信じられなかった。縋るようなアゲハの言葉を受けて、オトは不敵な笑みを浮かべ、アゲハの肩に手を置いてこう言った。
「――人を助けるのに、理由は必要ないだろう?」
オトの答えは、正しいようで、間違っているようにも聞こえた。月並みな言葉だが、アゲハの本心を引き上げるものだった。だが、アゲハの脳裏には自分を避ける両親の姿が思い浮かび、それに同意することは出来なかった。
「で、でも……それは、間違ってるって……」
「なら、間違っていると言った奴らは君の弟を助けてくれたのか?苦しんでいる彼を見て、少しでも自分で動こうとしていたか?手段はどうであれ、君が弟を救った事は事実だろう」
「……!」
「それでも君が間違っているというのなら、次は君のその拳を違うことに使えばいい。君の拳で敵の拳を受け止める、というのはどうだ。もしくは、その力で無理矢理にでも弟の手を引いて、君の弟を連れ出してやればいい」
それはアゲハには思いつかなかった考え方だった。――弟を馬鹿にする奴らを殴り飛ばせば、それでいいと思っていた。でも、それは違った。自分は力の使い方を間違っていたのだ。アゲハには、「守る」という方法があったのだ。弟をあの地獄から連れ出して、一緒に笑い合える方法が……
「あ……あぁ……」
気づけば、涙が溢れていた。ずっと縛られていた呪縛から、解放されたような気がした。涙を流してその場に崩れ落ちたアゲハを、オトは何も言わずに抱きしめてくれた。――その日から、アゲハはオトを「姉御」と呼ぶようになった。この人なら、きっと自分を正しい方向に導いてくれるはずだ――――と、かつてのアゲハはそう思っていたのだが。
「――≪爆剣・フレイムスラッシュ≫!」
「……!ふ、剣を使った技か。ならば……≪赤羽八式・水刻超越≫!」
アゲハの炎を纏った剣撃を、オトは拳を用いてそれを受け流していく。素手を使っているはずなのに火傷一つ負わないオトを見て、アゲハは思わず叫んだ。
「なんだよその技!?なんで素手で炎を触ってびくともしてないんだよ!?」
「ふっ……知らないのか、アゲハ?心頭滅却すれば火もまた涼し……美少女の事を考えていれば、炎など取るに足らぬ些事であると」
「いや些事じゃないだろ!?どうなってんだよオトさんの身体は!?」
しかもただの痩せ我慢ではなく、本当に傷一つついていない様子に、アゲハは内心頭を抱えた。自分の叔母は人間を辞めているのかもしれない……と思った瞬間である。
「ていうかじろじろ見てんじゃねぇ!この変態が!」
「美少女に変態呼ばわりされるとは、ご褒美でしかないな」
「ああああぁぁぁぁぁ!もうやだ!」
精神攻撃も物理攻撃も効かない変態に、アゲハは思わず悲鳴をあげた。オトはあいも変わらずアゲハのスク水姿を網膜に焼き付けようとせんばかりに目を見開いているし、もう警察を呼んだ方が早いんじゃなかろうかと思えてくる。まぁ、この叔母なら警察も簡単にあしらえるのだろうが……
(どうする?このままだとジリ貧だ。姉御に攻撃を通さないと、あたしの体力が先に尽きる。なんとか、隙を見て……ん?)
アゲハが剣を振るいながら思考を巡らせていると、ふと、違和感を感じた。目の前に迫ってくるオトの動きが、いつもより鈍いように感じられたのだ。だが視線だけは、アゲハの胸部や臀部に向けられていて――
「……!」
逡巡の末、アゲハは違和感の正体に気づいた。スパルタ人間になった時のオトは、アゲハがどれだけ抵抗しても、一瞬で勝負を終える。特訓だろうと練習試合だろうと同じだ。彼女の辞書に、手加減という文字はない。……ただ一つ、例外を除いて。そして今のアゲハなら、その「例外」を引き起こす事が出来た。
(……やるしか、ないか……!)
アゲハは覚悟を決めて、オトをじっくりと見据え……武器を下ろした。その瞬間にオトの攻撃が止まり、彼女は後ろに飛び退く。オトは怪訝に思ったのか、ほんの少しだけ眉をひそめた。
「……何をしている。今は特訓中だぞ?」
「…………」
アゲハはオトの疑問に無言で返し、彼女の視線を見る。その視線が自身の胸部に向けられていることを確認すると……アゲハはおもむろに、服の胸元を掴んだ。
「……っ!?」
オトの視線がアゲハの胸に吸い寄せられた。アゲハはそれを冷ややかな目で見ると――若干顔を赤くしながらスク水をずらして、その深い谷間を見せつけた。
「ぐはあっ……!?」
――それを目にした途端、オトは鼻血を出して胸を押さえた。アゲハはその隙を逃さずに、すぐにずらしたスク水を元に戻すと、剣の胴で思い切り彼女の胴を打ち付けた。
「あたしの勝ちだ、オトさん」
どこか呆れたようなアゲハの声が響くと同時に、オトは地面に崩れ落ちた。
――――
「……まさか、私が負けるとはな……流石は私の弟子だ」
「いや、なんで鼻血出しながらそんなにカッコつけれるんだ……?」
鼻を抑えながらニヒルな笑みを浮かべるオトを見て、アゲハは胡乱げな瞳を向ける。どうやらまだスパルタモードが抜けていないようだ。
「それにしても驚いたよ。あの硬派なアゲハが、私に色仕掛けをするとは……」
「…………」
アゲハは若干顔を赤くしながらそっぽを向いた。いや、別に色仕掛けをしたかったわけではない。オトの隙を突くには、あの方法しかなかったのだ、とアゲハは内心言い訳する。
「……ふっ、とはいえ、私はどんなアゲハでも大歓迎だぞ。さぁ、師匠である私にもっと君の実力を見せ――」
「見せるか、この変態っ!」
「ぐはっ……!?」
地面を這いずって縋り付いてきた救いようのない変態に、アゲハは蹴りを食らわせた。ちなみに今のアゲハの姿はスク水から学校の制服姿に戻っているので、その際にオトの目にアゲハの下着が写ってしまったことは想像に難くない。
(……オトさんは普段美少女大好きとか言ってる割に、結構初心な所があるんだよな……)
オトはアゲハの前ではセクハラしてこようとする変態だが、いざ自分がそれをするとなると尻込みする。オトは一応正義感も倫理観もある人間なので、変な所で紳士なのだ。悪く言えば、小心者とも言える。先程アゲハがしたことは、そうやって隙を作るためにしたことなのだ。だが目の前の叔母の情けない姿を見て、アゲハはもう二度としないと決めた。
「……コホン。では、特訓は完了したものとしよう。君は見事、自分の羞恥心を乗り越えた。この経験は、きっと君の糧になることだろう」
「鼻血止めてから言って欲しいんだけど」
途端に真面目な顔をして――まだ鼻血は止まっていなかった――そう告げたオトに、アゲハは呆れたような視線を向けた。全くこの叔母は、肝心な所で締まらない。
「あ、さっきの色仕掛けの方法はどうやって知ったのか詳しく――」
「もっかい眠れ!」
最後までふざけたことを抜かすオトの鳩尾に、顔を真っ赤にしたアゲハの鋭い拳が突き刺さるのだった。




