第二十話 譲れないもののために
レモンとメアリー専用の仮想空間――果てしなく広がる草原の上で、二人はひたすらに足を動かして走っていた。
「ランドイエローに必要ナノハ、無尽蔵の体力デース!ランニングでパンプアップシマショー!」
「……はぁ、はぁ……!なんでや……!なんで、追いつけへんのや……!」
いつの間にか仮想空間の力でランニング用のスポーツウェアに着替えたメアリーは、目を輝かせながら一切ペースを崩さずに走っている。そんな彼女を追うのは、≪聖鎧装着≫したレモンだった。ボディーガードを仕事にしている現役高校生のレモンは、体力には自信があった。幼少期から鍛えられている彼女の身体は実際、並の高校生とは比にならないほどの体力と胆力を秘めている。しかし、目の前を走る金髪碧眼の美女は、それ以上の怪物だった。彼女には目立った筋肉があるわけでもなく、身体が引き締まっているわけでもない。しかし、彼女は走り続けられている。何かのバグじゃないのか、これ?
「レモンちゃん、ペースが落ちてマスネー!モットモット走り続けマスヨー!」
「はぁっ……!はぁっ……!」
「うーん、まだ八時間デスヨ?レモンちゃんは高校生なんですカラ、まだまだいけるはずデース!」
「も、もう限界や……!頼むから、休ませて……!」
「OK!ストップデスネ!休むと、筋肉も大喜びデース!」
八時間――実際は八十分だが――走り続けたレモンは、ついに音をあげた。いや、音を上げないとおかしい。もう足は上がらないし、腕一本動かせない。駅伝を走り終えた陸上選手よろしく、レモンはよろめきながら肺にゆっくりと空気を入れ、足を止めるのではなく、歩かせることで呼吸の安定を図る。一方、メアリーは息一つ乱さずに朗らかに笑っていた。なんかもう軽いホラーである。
(……さっきからずっと、筋トレやらランニングやらさせて、なんでこんなに元気なん?英語教師とかいうのはなんやってん……)
どちらかというと体育教師――いや、体育教師でもこんな化け物はいないだろう。仮想空間とはいえ、肉体の疲弊がなくなるわけでもないし、普通に筋肉痛も起こる。特訓を始める前までは「どさくさに紛れて潰したる」と考えていたレモンだが、見通しが甘すぎた。今や地面に身体を預けて、思考を星の彼方に送るだけである。どうしてこうなった。
「レモンちゃん、大分≪体力≫ついてきましたネー。ナイスワークデース!ワタクシ、感激シマシタ!ご褒美に、お水をあげマース!」
そう言ってレモンの近くにキリンの絵が描かれた水筒が置かれる。レモンはそれを無造作に掴むと、少しずつ口のなかに流し込んだ。
(……≪体力≫ねぇ。全然変わった気がせんのやけど……ほんまにこれが、特訓なんか?)
――メアリーの告げた、特訓の内容。それは、レモンも呆れるような至ってシンプルなものだった。
――ランドイエローはスリリングでデンジャラスな沢山の技が売りなのデース!そのためには、手数――≪体力≫を増やしマショー!
技ではなく、純粋に持久力をあげる特訓。そう一方的に告げたメアリーは休憩を挟みながら、レモンを限界まで追い込ませた。最初の頃は余裕たっぷりだったレモンが、こうして呼吸をすることしかできなくなるほどに。
「次は、技の練習といきマショー。レモンちゃん、≪黄色い弓≫を準備しておいてくださいネー!ワタクシ、ちょっといろいろ準備してきマース!」
「え、ちょっと待って……うち、まだ体力が……」
「さぁ、レッツゴーデース!」
そう言って、嵐のように去っていったメアリー。レモンは這いずりながら彼女の後ろ姿を見送り……額に、青筋を立てた。
「……何が、技の練習や……!片言女が、調子に乗るなよ……!」
レモンは地面を掴み、今までで一番の恨み節を残した。その表情は疲れも相まって、最早般若のようになっていた。この場にマオがいたら、ギャン泣き案件である。
「ここまでうちをコケにしたんは、あんたが初めてや……!絶対に一泡吹かせたる……!」
レモンは痛む身体にむち打ちながら、鬼の形相でレモンを追うのだった。
――――
――所変わって、リリス&ミコトの仮想空間。
「……さて、小手調べは終わりです。ここからは、あなたの慈悲の心を鍛えます」
神妙な様子でそう言ったミコトを見て、リリスはゴクリ、と方唾を飲む。二人の間にある雰囲気は、特訓が始まる前に戻ったかのようだ。ちなみに、リリスが正気を失うので一時的に四人のアゲハは消してある。後で出てくるのであしからず。
「……慈悲の心……私、頑張って鍛える」
「………………やる気を出して頂けたようなら、何よりです」
何か言いたげなミコトがそう言うまでにものすごく間があったが、リリスは気にした様子もない。彼女の瞳は真剣そのものだ。断じて「もう一回四人のアゲハに囲まれたい」等と欲望を抱いているわけではない。ないったらない。
「……それでは特訓を始めます。これから、先程の四人のアゲハさんをもう一度出現させます。青宮さんには、彼女達を守りながら、突然変異種と私を倒して頂きます」
「!!」
アゲハ、のところで目をキラキラと輝かせ――もとい、緊張感を走らせたリリスは、手の持つ≪青い槍≫を強く握る。そんな彼女を見ながら、ミコトは再び指を鳴らす。すると、彼女の周りに牛型の突然変異種が三体現れる。突然変異種達が雄叫びをあげると同時に、ミコトもまた、自分の刀を構えた。
「一人でも守りきれなければ、最初からやり直しです。私は、手加減しませんよ」
「……わかった。やる」
気を引き締めたリリスが槍を構え、彼女の周りに四つの光が現れる。そして再び四人のアゲハが現れ、突然変異種達がアゲハ達を狙って足を進める。こうして、次の特訓は始まった――
――――
「いい調子デース!その調子で、頑張っていきマショー!」
メアリーがそう叫ぶと、彼女の隣を黄色い矢が通り過ぎる。矢が放たれた場所には、鬼の形相をした――マフラーで口元は隠れているが――レモンが立っていた。
(殺す殺す殺す殺す殺す殺す……!)
内面も穏やかではないレモンは、目を血走らせてただひたすらに≪黄色い弓≫でメアリーを狙っていた。レモンの脳裏には、先程のメアリーの言葉が何度も再生されている。
――ワタクシ、忍者の如ク、逃げ回りマース!だから、レモンちゃんはワタクシに矢を当ててみてくだサーイ!
そう言って、メアリーはレモンの側から離れ、わざわざくの一風の衣装を着て、先程からその無尽蔵の体力を活かして飛び回っているわけである。当然ながら、一度も矢は当たっていない。それはブチギレているレモンにとって何物にも代えがたい屈辱であった。
「コスプレ片言女……!今すぐにでも、その息の根止めたるわ……!」
完全に特訓とかいう外聞を消し飛ばして、暗殺者にクラスチェンジしたレモンは、しかし狙いは正確に、メアリーを狙う。しかし、メアリーはいとも容易くそれらを回避する。まるで未来予知でもしているかのようだ。
「今のは、惜しかったデスネー!でも、レモンちゃんなら、まだまだいけマスヨー!」
「〜〜〜〜っ!!」
メアリーは励ましの言葉を言ったつもりなのだが、レモンからすれば、それは完全に煽りの言葉だった。――ちなみに、レモンがキレている理由は、もう一つある。それはメアリーの着ている、くの一衣装に起因していた。
(――なんやその、忌々しい揺れ方っ!!)
サイズが小さいのだろうか。メアリーの肌にピッタリとフィットしているくの一衣装は、そのスタイルの良さも相まって視界の暴力と化していた。有り体に言えば、その――揺れているのである。彼女が動くたびに、同時に立派なそれが揺れているのである。一方レモンは鍛えているがゆえのスレンダー体型で、背は比較的高いが、どちらかというと筋肉の比率が高い。つまり、ここにいるのは持つ者と持たざるものというわけだ。加えて、レモンは普通に嫉妬心というものを持っていた。
「――殺す」
「ワッツ!?レモンちゃん、今何か凄い事言いませんデシタ!?ワタクシ、何かシマシタカ!?」
口にも出ていた。もう殺意ダダ漏れである。暗殺者というより狂戦士である。それに対して、少し怯えた表情のメアリー。レモンの殺気は、メアリーの鋼メンタルに少し亀裂を入れることに成功していた。
「絶対に当てたるから……歯ぁ食いしばりや」
「ワーオ……It's scared……」
メアリーは冷や汗を一筋垂らし――怒りの表情を浮かべて迫りくるレモンに、背を向けて走り出すのだった……
――――
酷く広く見える町中を、リリスは四人のアゲハを連れながら駆け回る。
「「「ブモオオオオオ!」」」
牛型の突然変異種達――≪突然変異種対策本部≫ではタウロスと呼ばれている――は、目を血走らせて斧を振るいながらリリスを追いかけている。
「リリス、みて!うしさんだー!」
「凄ーい!しかも大きいぞ!」
「ちょ、ちょっと……揺らさない、でっ」
リリスは背中に二人のアゲハ――幼稚園時代と小学生時代のアゲハを背負いながら、身体を揺さぶられていた。
「おい、なんだよあいつらは!なんであたし達を追いかけてくるんだ!」
「リリス、安心しろ……!あたしが、守るから……!」
「大丈夫、だからっ……!早く、走って……!」
リリスの前を走る、高校生時代のアゲハ。そして、リリスを庇おうと後ろを走る、中学生時代のアゲハ。リリスの前にいるアゲハはともかく、後ろを走るアゲハは格好の的であった。
「ブモオオオオオ!」
「あっ……」
突然変異種が中学生時代のアゲハの前で斧を構え、振り下ろそうとして……しかし、その攻撃はリリスの槍によって止められた。
「大丈夫……?アゲハ……!」
「あ……ありがとう、リリス……」
「かっこいいー!」
「すげぇぞ、リリス!」
「ふぐっ……」
アゲハに礼を言われ、褒められ、背負っているアゲハ二人の悪意なき抱きつきによって首を絞められ……リリスは二つの意味でうめき声を上げた。リリスは必死に槍で突然変異種を押し返し、≪青い槍≫を振るう。
「≪激流・スパイラルブラスト≫……!」
「ブモオオオオオ!?」
一体の突然変異種が身体を貫かれ、その場に崩れ落ちて、爆発する。しかし、すかさず他の突然変異種達が襲いかかる。
「ブモオオオオオ!」
「……!」
「――そこまで」
あわや、一人のアゲハの首が斧に切り裂かれようとしたその時――凛とした声が響き、アゲハと突然変異種が消えた。そして、入れ替わるようにミコトが現れる。
「失敗です。休憩時間を過ぎた後、もう一度特訓を再開しますよ」
「…………難しい」
「やると言ったのは貴女ですよ、青宮さん。弱音を吐いてはなりません」
地面に倒れ込んだリリスを見下げて、手厳しい言葉を放つミコト。リリスは眉を少しだけ下げて、荒い息を吐きながら項垂れていた。
「次で、何回目……?」
「十三回目ですね。そのうち、突然変異種を全滅させたのは一回です」
「……ミコトさんが、強すぎる」
「気の所為ですよ。私はがむしゃらに刀を振るっているだけです」
「でも……私、負けた……」
一度だけ、リリスは突然変異種三体を全滅させることができた。しかし、最後の刺客であるミコトに敗れ、無念にも失敗に終わったのだ。
「ミコトさん、何者……?」
「私はただの、組織の職員ですよ」
「ただの、じゃない……凄く、強い……」
「昔の話です。それに、強さで言うのなら、オトさんの方が格段に強いと言えるでしょう。肉体的にも……精神的にも」
ミコトは無表情のまま、何故か少し顔を俯かせた。しかし、すぐさま顔を上げて、彼女は前を向く。
「……少し話しすぎました。そろそろ、十四回目といきましょうか。身体も少し癒えたでしょう」
「ええ……まだ、ちょっと……」
「世間一般によると、少し不調なくらいが、丁度良いらしいので」
ミコトはリリスの言葉を無慈悲にも切って捨て、指を鳴らす。すると、リリスの周りに四人のアゲハ、ミコトの周りに三体の突然変異種が現れた。
「今度は少し、ペースを上げてみましょうか」
その無慈悲な言葉に――珍しくリリスは、青ざめた表情を表に出すのだった――
――――
――白河ミコトは幼少期より、感情の起伏が少ない人間だった。というのも、鉄仮面のような両親の表情がそのまま受け継がれていて、彼女自身も、周りとは少しズレていたのだ。周りが笑う出来事でも彼女は笑わないし、周りが泣いていても彼女には何が悲しいのかが分からない。彼女は完全に浮いている人間だったのだ。小中高と、友人の一人もなく過ごし……その折に、大学の食堂で赤羽オトと出会った。
「隣、いいかな?」
「え……まぁ、はい」
「助かるよ。昼時だからか、どこも開いていなくてね。そろそろ腕がお盆の重みでつる所だった」
遠慮がちに頷いたミコトを見ながら、冗談を混じえて爽やかな笑みを浮かべてみせたオト。ミコトはそれを見て、気まずそうに顔を逸らす。これまでの人生で、自分に笑みを浮かべてくる人なんていなかったから。これまで自分に向けられた視線など、奇異の視線か侮蔑の視線のようなものだった。ミコトはすっかり、萎縮していたのだ。しかし、オトは身を引かなかった。
「おや、君は確か……」
「……?」
「ああ、思い出した!確か入学式で、私の隣に座っていただろう?その時の君は今のように縮こまっていたから、よく覚えているんだ」
それを聞いて、ミコトもハッとしたような顔になった。隣の席に座っていた、赤髪の女性。彼女は何やら興奮した顔持ちで辺りを見渡し、いろんな人に声を掛けていたのをミコトは思い出したのだ。
「……あの時の」
「おや、覚えてくれていたか。あの時は声を掛けられなかったが、まさかまた会えるとは思っていなかったよ。同級生のよしみだ、これからよろしく頼む」
「え、あ……はい」
ミコトはおずおずとお辞儀し、オトは快活な笑みを浮かべていた。……今だから思う。この出会いは、なんと素晴らしい出会いだったのかと。オトはその気さくな性格で、それからも何かと自分に声を掛けてくれた。
「お、また会ったな。席が開いていないんだ、また隣に座ってもいいかい?」
「あの教授、頭が固いよな。少しの遅刻でネチネチと責めてくるんだから」
「今更だが、ミコトと呼ばせてもらっても?いやなに、友を下の名前で呼ぶということに憧れていてね」
オトはさっぱりとしたところがあり、自分の思ったことははっきりと言える人間だった。最初は、控えめな性格の自分と相性が悪い、とミコトは思ったものだが……それは杞憂だった。歯に衣着せぬ言動のオトを、意外にもミコトは受け入れる事ができた。自分も周りを顧みない言動をすることがあったから、親近感からかもしれない。
「……思ったのだが、ミコトはいつもつまらなそうな表情をしているな」
「はぁ……そうでしょうか?意識してるつもりはないのですが」
「も、もしかして、私の話はつまらないか?」
「そんな事はありません」
「そ、そうか?ならいいのだが」
彼女は「良い」人間だった。こちらの内側に軽々しく足を踏み入れず、かといって突き放すような言動をしない。他者から排斥され、遠ざけられてきたミコトからすれば、彼女との関係は心地よいものだった。彼女の話はミコトの視野を広げるもので、少しずつミコトの棘を丸くしていった。
「……お、あそこに、凄く好みの――ゲフンゲフン。とても可憐な令嬢がいるな。少し、声を掛けてくる」
「そうですか。お気をつけて」
彼女はとても好奇心が旺盛なのか、自分から人との関わりを広めていった。誰に対しても――何故か女性にしか声は掛けていなかった気がするが――分け隔てない対応をする彼女に、ミコトは「慈悲」の心を見出した。
(おそらく彼女は、自らの見分を広めると共に、私のような一人でいる人間を放っておけないのでしょう。流石、高潔で崇高なる意志を持つお方です)
……実際はナンパがしたいだけの変態なのだが、ミコトが知る由はない。――とにかく、ミコトはオトの事を尊敬していた。そんなミコトが、オトの立ち上げた≪突然変異種対策本部≫の一員となり、マリンブルーとなることにそこまで時間は掛からなかった。オトは自分の力になってくれる人間を探していた。だから力になった。彼女からの恩義を返すために。
(私に出来ることは、オトさんの意志を受け継ぎ、自分の役目を遂行すること。そのためには、青宮さんに、「慈悲」の心を教えなければ)
目の前を走る少女――青宮リリスは、「愛」の欠けた人間だった。いや、正確に言えば、一人の人間にしか興味がない、と言おうか。彼女は、オトの姪っ子……赤羽アゲハに酷く執着している。自分の愛をぶつけ、彼女以外はどうでもいい、というようなその姿は、ミコトの目指している理想とは、正反対のものだった。
(……オトさんは強い。守ると言った人間を、皆守ってみせる。それはまさしく「慈悲」……誰かを守りたい、救いたいと意志に変わりありません。だというのに、青宮さんはそれが欠けている)
別に、一人だけに愛を向けるのが悪い、ということではないのだ。だが、彼女の愛は一つのものしか映しておらず、ミコトにはそれ以外は目に入っていないように思える。つまり、視野が狭い。端的に彼女の問題点を挙げるならば、そこに尽きる。
(……だからこそ、赤羽アゲハを何人も出して無理やり視線を広くさせ、徐々にそれを改善していこうという試みでしたが……やはり、荒療治をするべきでしょうか)
リリスが突然変異種と戦う所を遠目に見ながら、ミコトはそんな事を思う。特訓はいい方向に進んではいるのだ。しかし、それは彼女の才覚に頼っているだけだとミコトは思う。彼女は才ある人間だ。そのせいか、自分の能力の上限を増やすのではなく、元からあるものに頼ってその穴を埋めている。それでは、ミコトの期待する成果は現れない。……彼女は視線を逸らした。また、リリスが失敗すると思って――
「――はぁぁぁぁぁぁ!」
「……!?」
――その瞬間。殺気を感じたミコトは刀を構え、後ろから切りかかってきたリリスの一撃を避ける。建物の上に立っていたミコトは、その状況に首を傾げた。
「なっ……何故、貴女がここに……!あの四人はどうしたのですか!?」
「……建物の中が、無人だった。だから、隠した。アゲハ達に「ここで待ってて」って言って……突然変異種を、倒した」
「……!?」
ミコトは目を見開いた。先程まで、あの四人のアゲハからずっと離れなかったリリスが、彼女達を自分から離したのだ。……いや、冷静に考えれば、当たり前である。人を何かから守るのなら、匿うのは一つの手段だ。だがミコトはリリスがアゲハを想うあまりに、離れたくないという思いからその手段を念頭から消しているのだろう――と思っていた。しかし、現実は違った。彼女は私情を混ぜずに、ただ守るために彼女達を匿った。リリス――このアゲハが大好きな変態娘は、自分の感情を後回しにして合理的な判断を下したのだ。
「アゲハがいなくても……ぐすっ、私は、戦える……アゲハのハグが無くても、アゲハの愛の囁きが無くても……ぐすっ」
いや、めっちゃ未練たらたらだった。涙を流しながら、唇を噛み締めてそれを堪える様子は、まるでご褒美をお預けにされた子供のようだった。――その表情を見て、ミコトはふと、ある記憶を思い出した。
「……はぁ…………」
「どうかしたのですか?気分が優れないご様子ですが」
「いや、この前声を掛けた子に、なんだか避けられているような気がしてな……私は何かやらかしたのかと思ってな」
「なんと。オトさんでも、そのように悩む事があるのですね。意外です」
「何を言うか。生憎私は完璧な人間じゃない。落ち込みだってするし、泣きもするさ。……はぁ……あの女の子、私の好みだったんだけどなぁ……」
それは、オトがとある後輩に避けられたとミコトに愚痴った時の記憶。確かその後輩は恋に悩んでいるとか言っていて、たびたびオトを頼っていた人物だ。オトは彼女に嫌われたのではないかと悩み、食堂で一人で落ち込んでいた。珍しく開き直ったオトの言葉に――後半は小声でよく聞こえなかったが――ミコトは驚いたことを覚えている。しかし、オトはすぐさま立ち直り、嫌われたことなど歯牙にもかけない様子でいつものように女性に声を掛けに行った。曰く、「悩んでいる時間が勿体ない。人間は待ってはくれないんだぞ」とのこと。それを聞いて、ミコトはますます彼女の事を尊敬した。
(……この少女は、どこかオトさんに似ていますね。自分の感情を差し置いて、救うことを選んだのですから)
――ミコトはそう言って、槍を向けられてるにも関わらず、クスリ、と笑みを浮かべた。そのまま刀を鞘にしまい、両手をあげる。
「――私の負けです。貴女は特訓をやりきりました」
「え……?」
「貴女は私の求める結果を自ら引き出した。よく頑張りましたね」
未だ呆然としているリリスを見て、ミコトはどこか微笑ましい気持ちになる。……自分はまた、見誤っていたのだ。青宮リリスという、その高潔な少女の事を。彼女はミコトの思っていたより「良い」人間だった。それを知ったミコトは、もう満足していた。
「少しの休憩の後、現実世界に戻りましょう。これからも、マリンブルーとしての活躍、期待していますよ、青宮さん」
「……?う、うん……」
ミコトはそう言って、踵を返して去っていった。――しかし、リリスの胸の中には、「困惑」という文字が右往左往としていた。
「……どういう事?」
リリスは単に、「頑張って特訓をやりきりたい」という思いで動き、その思いの動機も「アゲハに褒められたい」というものによるものだ。だからこそ自らを奮起して、必死に作戦を考えたのだが……ミコトと戦うより前に、認められてしまった。頭の中は完全に「?」である。
「……まぁ、いいか」
まぁ、目的は達成できたし、これでいいや。そう思ったリリスは、アゲハ達四人の待つ建物へと足を進めた。
――――
――殺される。そんな風に感じたのは何時ぶりだろう。メアリーは額に冷や汗を滲ませながら、必死にくの一服のまま足を進める。彼女の後ろ――放たれる殺気の元からは、可憐な細身の少女――レモンが鬼気迫る様子で駆けてくるのが見える。
(……なんということデショー……レモンちゃん、何故か、めちゃくちゃに怒ってマース……)
レモンが矢を放つたびに、メアリーの胸やら頬やらに掠って、既にメアリーの身体は切り傷だらけだ。何度も避けているはずなのだが、次第に標準が定まっているようだ。
(強くなってるのは、ワタクシの思惑通りデスガ……レモンちゃんの殺気が最初の時よりマシマシデース……!これは、止まったら死にマース……!)
メアリーからのレモンの評価は「力をセーブしている更に高みに登れる少女」だった。実はこれは当たらずとも遠からずで、レモンは滅多に裏の顔――今の殺気を纏った姿を見せない。それは面倒事を避けるためだし、主の評判を落とさないためのものだった。勘の鋭いメアリーは、それを敏感に感じ取ったからこそ、彼女が自然と本気でやる気になるような特訓に仕向けたのだ。力をセーブすることは悪いことではない。しかし、いざというときに全力が出せなければ、足手まといになるだけだ。メアリーは同じ先代ゴシキジャーのメンバーからも、今のゴシキジャーからも「お調子者」のレッテルを貼られているのだが……教師という事もあって、人に対する観察眼は、決して馬鹿に出来ないレベルのものだった。
(レモンちゃんは一皮剥ければ、きっともっと強くなれマース。だから、この特訓で何かをつかんでクレタラ……ヒッ!?今、矢がお尻を掠りマシター!やばいデース!このままだと、蜂の巣になってしまいマース!)
前半まで冷静に思考していたメアリーは、自分の臀部を掠めた矢に怯えて、涙目になる。かつてランドイエローだったメアリーは、その天才的な運動神経と反射神経によって、一度も攻撃を受けたことがない。だから、そのメアリーに迫る矢というのは、彼女に強い恐怖心を抱かせるものなのだ。というか普通に、命を奪われそうになって――仮想世界だから実際は奪われないが――恐怖を抱かない人間などいない。そんな奴は人間じゃない。
「横田……メアリィィィィー……!」
「ヒィィィィィ!?怖いです!めちゃくちゃに怖いです!誰か!誰かー!」
後ろから迫る地を這うような低い声に、メアリーはキャラ崩壊を起こしつつ悲鳴をあげた。最早レモンが妖怪の類のようである。
「≪乱射・ラピッドブラスター≫!」
無数の矢がレモンの≪黄色い弓≫から放たれ、メアリーを穿とうと迫りくる。メアリーは恐怖心を抑えながら、必死にその場を飛び回る。
「ハッ、テヤッ!セイッ!」
その様はまるで舞のように優雅な動きに見えたが、彼女の涙でぐちゃぐちゃになった顔のせいで台無しだった。レモンはそんなのお構いなしとばかりに矢を放つ。
「これで……しまいや!――≪狙撃・グランドショット≫!」
放たれた一筋の矢が、凄まじいスピードでメアリーに向かい……その芯を捉えた。
「ヒィッ」
一瞬だけ、メアリーは自分の身体から生えた矢を目にした。矢はすぐに消えて、メアリーを蝕む痛みはなくなったが……彼女は、立つ力を失ったかのように、その場にへたり込んだ。途端に、彼女の肩に手が乗せられる。
「あ……レモンちゃん、デスカー……?」
「やっと追いついたわ……似非くの一が……」
「な、ナイスデース、レモンちゃん!ワタクシ、絶対に特訓をやり遂げてくれると信じてマシタ……!」
「……言い残すことは、それだけか?」
「へ……?」
怯えながらも律儀に自分の役目を果たそうとするメアリーの話を、レモンは途中で切って捨てた。彼女の顔は、これ以上ない満面の笑みだったが……まるで、その背後に虎がいるかのような迫力だった。メアリーは地面を静かに逃げようとしたが、肩にガッチリ手が掴まれていて動く事が出来ない。メアリーはもう、泣き笑いみたいな表情を浮かべていた。
「レモンちゃん……?」
「散々うちのこと馬鹿にしよって、まさか生きて帰れるとは思わんよな……?」
「れ、レモンちゃん!暴力は!暴力は駄目です!ワタクシはただ、レモンちゃんに強くなってもらおうと……!」
「問答無用じゃごらぁぁぁぁー!」
「ヒィィィィィ!?」
……その後。仮想空間に、一人の女性の悲鳴が響き渡った。




