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想像できる人物は……一人しかいない。
「ロイ殿下。よろしければ私たちは退出いたしますが……」
目上のロイに意見する形になるため、遠慮がちにエリックが言った。私たちというのは他にチボーだろう。彼もその人物を予想しているからこそ、自分たちは席を外した方がいいのではないかと尋ねたのだ。
「いえ、今後また協力を頼むことがあると思います。こちらにいてください」
「かしこまりました、殿下」
ロイはエリックの気遣いを察し、安心させるように微笑んだ。周囲に焦りを見せず、常に穏やかな態度でそつなく公務をこなしているのは生まれ持った性格もあるだろうが、どれだけの努力と我慢を重ねてこの完璧な第二王子の立ち位置を築いてきたのかと思う。
それは王族に生を受けた宿命なのか……それともロイが特別なのかは分からない。だが、現に今、同じく王族でありながら自分の利益のみを優先し、反乱を起こしてでも王座に就くことに執着している人物がいることも事実だ。
「チボー君も疲れていると思いますが、もう少しお付き合い願いますね」
「あ……うん、いえっ、す、すみません。はい、フィリ……あ、殿下」
チボーの声で一瞬だけ場が和らいだ。だがすぐに室内は緊張を取り戻し、再び痛いくらいに研ぎ澄まされた空気で満たされた。
それを切り裂くかのように、ロイの声が響く。
「さて、話を戻しましょう。アランが口にした『小さいリス』ですが……小さいというのが年齢のことを示しており、また、私がフィリップ叔父上を鷹と形容したことに対してリスと言ったのでしたら、もう皆さんもお分かりかと思います」
ロイは一度言葉を切り、呼吸を整えた。完璧に見える彼でも、緊張しているのだろうか。
「彼が示唆した人物は――リシャール叔父上でしょうね」
チボーを除いた三人が頷いた。チボーは必死に内容理解しようと、言葉を追っているようだ。
一歳違いで双子と間違えられるほど似ている兄二人とは顔の系統が違い、丸い輪郭に丸い目を持っているリシャール王弟。確かにリスと言われるとしっくりくるのは否定できない。だが……
「ロイ殿下。僕はその場にいなかったので、なんとも言えませんが……その、アランが言った内容を鵜呑みにしては危険ではないですか?」
「私も同意よ。アランさんもジャックさんも正直、相当上手くあちら側に溶け込んでいたわ。今夜の会話も、真実味を持たせて話すことは彼にとってさほど難しいことではないでしょうね」
「それに不躾になりますが……リシャール王弟は頼まれた仕事を無難にこなすだけで、自分から行動することは少ないと、殿下も言っていましたよね」
ロイは僕とエステルの意見に理解を示しつつも、珍しく言葉を選んでいるように見える。
「ええ。お二人がおっしゃることは、もちろん考慮しなければなりません」
「もしかして……殿下は他に何か確信できるほどの情報を持っているのですか?」
ロイの顔が、影が差さったように暗くなった。親友の僕だからこそ気がつけるくらいに些細な変化ではあったが。
「確実にとは言えませんが、彼の動機になり得るものに心当たりがございます」
王弟として何不自由ない生活を送っているはずなのに、これ以上の栄達を望むのはなぜなのだろうか。
「正確には心当たりというよりも、新しく知り得た情報の中で気になる点があったと言った方が、良いかもしれませんが」
その言葉に、引っかかるものがあった。
「殿下。それは――あの交換日記の中に書かれていた内容ということですか?」
「ええ、ダミアン君。皆さんにも、順を追ってお話しいたしましょう」
僕が交換日記を見つけた経緯、筆跡を調べて判明した日記を書いた人物、そしてその人物が自身の祖母とルグラン主人の父親であるダヴィルー元侯爵の可能性が高いことを、ロイが淡々と説明した。
エステルとエリックは口を挟まず、聡明な頭で素早く情報を処理している。チボーには、後でゆっくり紙に書き出して教えればいい。二人が理解したところで、ロイが続けた。
「その日記によりますと、私の祖母――前王妃とダヴィルー元侯爵が公にできない仲だったことは、疑いようのないことだと思います。そして日記には、このような記載もございました……」
ロイの瞳が以前も見た、透き通った硝子のようになった。生まれたばかりの子が持つ、世界の汚い部分を知る前の純粋さではなく、喪失感から何も映していないような瞳だ。
常に仮面を付けているロイは、敵がいない僕たちの前でもそれを外さず、何も感情を悟らせない表情のまま、次の言葉を発した。
「『二人の愛に、もうすぐ触れられるわ』……この文が意味することを、あまり考えたくはございませんね」
すぐには理解が追いつかなかった。
王族――いや、ヴァルリナ宮殿内では、自分の感情を表に出すことはあまり好ましくないとされている。それは礼儀作法の面もあるが、悪意を持つ人間に利用されることを避けるためというのが大きい。それにもかかわらず、ロイがごく僅かとはいえ垣間見せた思い。
それに加え、今までに分かっている事柄を合わせて考えると、あることが想像できた。
「二人の愛……それは子供――という意味でしょうか?」
僕の問い(おそらくエステルとエリックも、僕が言わなければ訊いていたはずだ)に、ロイはゆっくりと首を動かした。
「ええ、そう捉えるのが自然かと思います」
該当する人物がすぐに頭に思い浮かんだ。
「その子供は、ルグランの主人のことでしょうか?」
「ルグランの主人がダヴィルー元侯爵の子供であることは、間違いございません」
ロイのことだ。すでに確認は済んでいるのだろう。ということは……
「リシャール王弟が、交換日記に書かれていた前王妃とダヴィルー元侯爵の子供だと思います」
ロイが伝えた重大な事実に誰もが驚く中、エステルが口を開いた。
「ロイ殿下」
「はい、エステル嬢」
「言いにくいのですが……その、前国王陛下はご存知だったのでしょうか?」
「残念ながら、元国王陛下が知っていたのか、すでに本人に確かめることはできません。ですが、そうですね……あくまでこれは一般論として聞いてほしいのですが」
全員が同時に頷く。
「女性側が、例えば同時期に複数の男性と関係を持ったとします。そうすれば、偽ることは十分可能であると考えられます」
そうだろう。もしかしたら母親自身も、誰が父親か確信が持てない場合もあるはずだ。
「殿下。リシャール王弟は現在も王位継承権を保持していますよね。それは、真実が知られていないという証拠でしょうか」
僕が言い、エステルも続けて言った。
「夫と交際相手それぞれに『あなたの子供』と伝えていたのではないかしら」
元王妃に対してなので言葉を抑えているけど、要するに都合よく言って両方を欺いていたかもしれないってことだよね。純粋無垢であるはずの妹がその考えを思いつくのは、調査する者としての視点であったとしても、兄としては正直複雑だ。
「ロイ殿下」
「どうぞ、エリック」
「そもそもですが、父親を確定できる検査は存在しておりません。ですので、リシャール王弟殿下が確実にダヴィルー元侯爵の子という証拠もない。前王妃殿下とダヴィルー元侯爵のお二人がそう信じているだけで、実際は元国王陛下の子供という可能性もあるかと思います」
ロイもまた複雑なのだろう。それを隠すように、すでに冷めている茶を飲んでから答えた。
「それに関しましては、確実とは言えませんが、推測できる理由がございます」
どうやって確認できる? ダヴィルー元侯爵がまだ健在なのか不明だが、探し出して訊くのか、それともリシャール王弟や国王陛下に直接尋ねようというつもりなのか。
そんな僕の疑問を見透かしたように、ロイが言った。
「皆さん、リシャール叔父上と国王陛下たちを見て、何か思い当たることはございませんか?」




