32
屋敷に戻った僕たちは、すぐにパトリックに確認した。
「パトリック、ただいま戻ったよ」
「おぼっちゃま、お嬢様。おかえりなさいませ」
「殿下から頼まれていた税金の確認で管理局に行ったら、ニコラさんという人から声をかけられたんだけど……」
「ワグネル伯爵ご子息のニコラ・ワグネル様でしょうか?」
「うん」
「ファブリス様とスティーブ様の幼なじみでいらっしゃいます。この間お二人がいらっしゃった際も、ニコラ様に会いに行かれていましたよ」
「そう、そのニコラさんが『パトリックさんによろしくって』言ってたから」
「さようでございますか」
目尻を下げたパトリックはいつもと変わらない。
「パトリックさん。私の部屋にお茶をいただけるかしら? ダミアン兄様との二人分お願いね」
「かしこまりました」
エステルの部屋に入ると、出かける前に服を選んでいたのか、いくつかのドレスが広げられたままだった。
「今度はこれを着るつもり?」
「ええ、どうかしら?」
「う〜ん。飾りも少ないし、平民風だけど……」
「あら、お気に召さない?」
「いや、そういうわけじゃなくて、そもそも普通はこんなに何枚も持っていないんじゃないかな? 裕福な平民の設定だし、次はまだ二回目だから大丈夫だろうけど」
「確かにそうだわ。色々と気がつかないものね」
貴族令嬢なら、毎日着替えても間に合わないほどのドレスを持っているのが当たり前だから仕方ない。
使用人がお茶を運んできた。彼女が淹れている間それとなく兄たちのことを訊いたが、やはりパトリックやトニーが言っていたことと大差はなく、彼女の様子から屋敷内の雰囲気の良さも感じられた。使用人が部屋を出て行った後、エステルとソファーに向かい合って座った。
「あら、珍しく東の国のお茶ね」
「兄様たちが持ってきたのかな?」
「そうかもしれないわね。懐かしいわ」
二人とも静かに数口ずつ味わってから、話を始めた。
「エステル、ニコラのことはどう感じた?」
「信じられるのではないかしら。ニコラさんとパトリックさんの話からも、不自然な感じはなかったもの」
「うん。僕たちが管理局へ行ったのは偶然だ。もし最初から騙す意図があったなら別の方法で近づいて来ただろうし」
「ええ。でも、お父様たちも動いていたのは意外だったわ」
「僕も驚いたよ。君は誰からの情報提供だったと予想してる?」
「そうね……初めはワグネル伯爵かと思ったけれど、それならファブリス兄様たちに確認させたりしないわよね」
「うん、僕もそう思う」
エステルは新聞記者の服装のままだが、貴族令嬢にふさわしいゆっくりとした動作でカップを置いてから返事をした。
「相当な地位にある方よね……。人数は限られるけれど、確実な証拠がないもの。はっきりと誰かとは今の時点では言えないわ」
ニコラの背後にいる人物が誰なのかも分からないし、父たちがどこまで把握しているのかも気になる(もちろんそれは事件のことだけじゃなく僕たちの仕事もだ)が、今の優先順位はそっちじゃない。
「エステル。他に……アランがシェール伯爵家子息だってトニーが言ってたけど、伯爵はフィリップ王弟の側近だ。アランがあそこにいたのは偶然ではないだろうね」
「ええ。そもそも警備隊へも、何か意図があって所属していると考えるのが普通だと思うわ」
「うん、おそらくそうだろうね。トニーが知っているってことは、少なくともトニーが警備隊に所属していた五年前にはアランが入隊していたことになる」
「入念に準備を進めていたのでしょうね」
入念な準備……ニコラと被るのは気のせいか。だが、口にするほどのことではないはずだ。
「やっぱり時間をかけるのは王座を狙う資金作りのためかな。それに、警備隊員も反乱に参加させようとしているということも考えられる」
「警備兵を騙して宮殿まで行かせるつもりかしら?」
「一時的に騙したらその後に問題が起こると思う。それより国王が悪いと洗脳していき、仲間を集めている可能性が高いんじゃないかな」
王座につけるためなら、執念深く何年かけてでもやるだろう。アランやシェール伯爵にも、相応の地位の約束をしているはずだ。
「そうかもしれないわね」
「うん。でもそうだとすると、あのアランって男は相当に上手く溶け込んでいるよ」
「ええ」
「どうするエステル、アランにこの先も会うのは危険じゃないかな?」
「そうかしら? 一応伯爵子息よ」
「だからこそだよ。王弟も絡んでいるし、ジュリアンのときみたいに事件があっても隠蔽できるだろうし」
「でもまだ日にちが浅いもの。何かするにしてもそれは利用し尽くしてからのはず。彼は私たちの正体に気がついていないのだし、早いうちに情報を集めたほうがいいわ」
本当にそうだろうか。不安が残るが……。
だが、悪事を明らかにして追及しない限り王座を狙う計画は止まらない。反乱が起こってしまえば、被害は甚大になる可能性が高い。
「じゃあ、今夜は……もう遅いか。明日また行ってみる? もう少し時間を開けないと怪しまれるかな」
「貿易商の娘の設定ですもの。時間とお金を持て余していると思われるわよ」
「そうだね。じゃあ、明日の夕方から向かおうか」
「いいえ。兄様はヴァルリナに戻って、ロイ殿下に伝えておいてちょうだい」
「え、何を言ってるの? 危ないし、僕も一緒に行くよ」
「私一人で大丈夫よ。そのほうが彼に夢中になっている感じが出ると思うの」
貴族令嬢とは思えないほど好奇心旺盛な妹に慣れているとはいえ、ここまでとは想像してなかった。一人で怖くないの?
まあ確かに僕は武闘派ではないけれど、それでも一応男だし、兄だし、いないよりはマシというか……。
「いや、でも……」
「ダミアン兄様。二人で行っても一緒に座っているだけだわ。だったら別行動をしたほうが効率がいいわよ」
「だったら逆に、僕がルグランに行くよ」
大きくため息をつかれた。いや、それは僕の方じゃない?
「はなとして行ったら会話もままならないのに、どうやって調査するのよ」
「でも、だからこそ騙しやすいと思われるんじゃないのかな?」
「ダミアン兄様って、本当に純情ね」
「純情なら、異性に慣れていないから舞い上がりやすいよね。演技だと見破られなくて適任だと思うけど?」
「そうね。惚れ込んでいる振りはできると思う。でも、言葉が理解できないのにどうやって貢ぐのよ。いきなり大金を渡されたら警戒されてしまうわ」
ジュリアンのように女を下に見ている男なら、金を出してくれる相手が現れたと喜ぶだけで、深くは疑わないと思うけど。
でも妹にいくらそう反論しても、やはり自分が行くと譲らなかった。
「兄様の気持ちはありがたいわ。でも失敗はできないもの。上手くいきそうな方を選ぶのが普通ではないかしら? ロイ殿下だってそうするわよ」
「自分の恋人に危険な真似をさせるような薄情な人だとは思わないけどね」
いや、言っただけで実際は否定できないかな。エステルもそれを分かっていて返してきた。
「ええ、とっても情熱的よ。こちらが恥ずかしくなるくらいに」
「――なら君を行かせたら、無事だったとしても僕が殿下の不興を買うことは確実なんだけど」
「いいじゃない。それも経験よ」
あまり話の繋がりが分からなかったが、エステルが行くってことだけは理解できた。
こうなったら僕は、ロイへの言い訳を考える方が早そうだ。
「でもやっぱり君がルグランへ一人で行くのは反対だ。トニーを連れて行ければいいけどアランと面識があるし、ニコラ……もだめか。貴族子息なら顔見知りがいそうだ」
「チボーさんはどうかしら? 知り合いはいないだろうし、ジャックさんだとアランさんとタイプが被ってしまうけど、彼なら大丈夫よね」
チボーには悪いけど女性受けする容姿ではないから、家族ぐるみの友人だと紹介すれば納得されるだろう。それに平民の男性にしか見えないので、こちらも都合がいい。
「いい考えだと思う」
「でも、チボーさんが受け入れてくれるかしら」
「分からないけど、まずは頼みに行こう」




