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「ルグランには看板などもないし、存在自体を知らないと分かりにくい場所にあると思うけど、よく見つけたね」
「――ええ。他のお店の取材をしている際に、美味しい喫茶店があると伺いましたので」
「その方の名前を聞いても?」
「ニコラさんがご存知かは分かりませんが……リュー地区の隣のイシナ地区にある、肉屋のチボーさんですわ」
チボーには申し訳ないが、彼は賭博の部分は知らず、純粋な喫茶店として僕たちに教えた。だからエステルも名前を出したのだろう。
ニコラにイシナ地区のどの辺りにあるか訊かれたのでエステルが詳しく説明すると、思い当たる店があったようだ。
「ああ、あの店かな。チボーさんは、肉屋の店主?」
「いえ、息子さんの方ですよ」
ニコラは頷いたあと遠慮がちに手の平を向けた。
「申し訳ないけど頭を整理するので、少し待ってもらってもいいかな」
王都の中心地だけあり、小さな窓しかないこの部屋にも、外からの喧騒が絶え間なく聞こえてくる。
ニコラが考えているのはチボーのことではないだろう。ニコラたち管理局の役人もルグランを疑っているのか。聡明そうな彼の瞳が斜め上を向き、忙しなく動いている。
思考がまとまったようだ。ニコラが何かを確信したように、頷いた。
これから話が思わぬ方向へ進むとは、この時点では想像もつかなかった。
「僕の考えが正しければ、エステルさん、君は誰かに言われてここに来たんじゃなく、新聞記者として自ら管理局まで来たということだよね?」
抽象的すぎて意味が掴めない。エステルも同様らしい。
「誰かとは、どのような意味かしら?」
殿下だと見破られている? だが彼が言った名は、それ以上に意外な人物のものだった。
「隠す理由もないしね。ファブリスとスティーブだよ」
思わず声を上げそうになった。というか僕もエステルも声には出さなくても、顔には出ていたに違いない。
「エステルさんにダミアン君。あっ、いや、警戒しないでほしい。僕は君たちの兄――ファブリスとスティーブと友達なんだ」
嘘を言っているようには見えないが……。
「友達――ですか?」
「うん。もしかしたら聞いているかもしれないけど、二人がこの間来てね。その時にルグランについて尋ねられたんだ」
確かに兄たちが王都に来たとトニーが言っていたし、エステルにも連絡を取っていたが。
「あ、申し訳ない。自己紹介がまだだったね。僕はニコラ・ワグネル。父がバクランド侯爵と友人だから、僕もファブリスたちと仲良くしているんだよ」
ワグネル伯爵は知っている。実際に父と友人だし、息子がいたはずだ。何も言えない僕たちに、ニコラは取り繕うように続けた。
「最近はファブリスたちと王都で会うことが多かったからね。バクランド家に最後に行ったのは十五年くらい前だと思う。二人は小さかったし覚えていないと思うけど、一緒に遊んだこともあるよ」
兄たちとは年が離れているから、僕たちに記憶がなくても不思議ではない。でも、この目の前にいるニコラの話を本当に信じていいのか……? 肯定しないよう、言葉に注意しながら尋ねた。
「えっと……そんな前に会っただけで、なぜニコラさんは僕たちのことをバクランド家の子供だと思ったんですか?」
「ファブリスたちと会う度に、君たちの肖像画を見せられているからね。子供の頃の面影もあるし、すぐに分かったよ」
ニコラに身元が知られているのは確実だろう。その理由が、本当に彼が話した内容によるものなら問題はないが――いや、大いにあるか。でもそれはひとまず置いておいてかまわない。
どこから対処すればいいのか……。一番注意しなくてはいけないのは、ニコラが黒幕側だった場合だ。すでに僕たちの動きを察知されているとしたら? 僕たちはもちろん、ロイも危ない。
「でもそれにしては、さっき僕たちが部屋に入った時に何も反応しませんでしたよね」
「ああ。君たちの目的が分からなかったから、少し様子をみたって感じかな」
「僕たちの目的――ですか?」
「うん。ファブリスたちが君たちのことを調べていることを知って、抗議に来たのだと思ったから」
不意をつかれたニコラの言葉に、瞬時に上手く返せなかった。こちらが困惑しているような隙を見せては不利になる。冷静を装いつつ、エステルの出方を窺った。彼女も沈黙しているが、いつもの優雅さは消えていない。可憐だが芯のある声で言った。
「なぜ彼らがあなたに、わたくしたちの肖像画を見せる必要があるのか、理解できませんわ」
兄たちはエステルを隠したいはずだ。エステルの問いに、ニコラが思わず笑った。
「もちろん自慢ではないよ。下手に見せたら執着されて大事な妹に危険が及ぶことくらい、ファブリスたちは十分理解しているからね」
「じゃあなんで……」
「僕は管理局に勤めているし、手続き等でヴァルリナ宮殿へ行くこともある。だから君たちの社交界デビュー前に、エスコート候補になりそうな男性の素行調査を頼まれたんだよ」
兄たちなら……してもおかしくない。
「まあ、侯爵夫妻と違ってファブリスたちは二人をすぐにデビューさせる気はなさそうだったけど。でもいくら可愛くても、大事にしすぎて時期を逃すのも問題だしね。前もって対策しておくに越したことはないんじゃないかな」
社交界デビューについては年齢的に有り得るとはいえ、やり取りは家族内の話だ。一応ニコラの話は信じられる。
「兄様たちはまさかそのことだけのために、ニコラさんに会いに来たんじゃないですよね。さっきニコラさんも『二人からルグランについて尋ねられた』って言ってましたし」
目尻を下げたニコラは優しく真面目な雰囲気を持つが、やはり貴族出身で管理局勤めなだけあり、駆け引きが上手そうだ。
「うん、ルグランについて訊かれたよ。ファブリスたちは今回の滞在で君たちに会えなかったと、嘆いていてね」
「ええ。すでに他の予定がありましたので」
微笑みながら言うエステルだが、その笑顔はいつもより硬く見える。
「うん、そう聞いている。だから彼らには、その予定についても調べてほしいと頼まれてね」
「予定を調べるとは、どういう意味かしら?」
「要するにその予定――食事の相手が誰だったのか、調べるってことだ」
「それで、ニコラさんは分かったのですか?」
普段と何ら変わりない口調に聞こえるが、長年エステルの兄をしている僕には、妹が冷静ながらも不満を感じているように聞こえた。
「まだヴァルリナ宮殿には行ってないからね」
ニコラが僕たちを安心させるように微笑んだが、油断はできない。
「でも、その依頼内容をわたくしたちに言う理由が分かりませんわ。友人からの頼み事なのでしょう?」
「別にファブリスたちを裏切ったりしているわけじゃないよ。彼らも、むしろ君たちに伝わったほうがいいと思っている」
「え? それはどうしてですか?」
問い返したのは僕だ。
「牽制になるからね」
「はあ……」
やっぱり。でも、全くの見当違いじゃない? 現にエステルは怒ってるし。ロイとエステルは障害があればあるだけ燃える――ほど単純ではないけど、楽しむだろうし。普段は優秀な兄たちだが、妹のことになると頭の回転が鈍り、周りが見えなくなる。
ニコラが言った「牽制」という言葉からすると、どうやら相手はまだ特定されていなそうだ。面倒だが仕方ない。結局兄たちは心配から拗らせているだけだし。
「兄様たちからルグランについて尋ねられた――というのは?」
先ほどの質問をもう一度した。
「どういう店なのかと訊かれたよ」
「どうして二人がルグランの名前を出したのか、分かりますか?」
ニコラはすぐに答えなかった。下唇を噛みながら、視線を左右に動かしている。考える時の癖なようだ。
「逆に訊くけど、君たちはなぜルグランについて調べているのかな?」
「先ほどお話しした通りですわ」
「――そっか。僕はてっきり、ルグランで行われている活動について調べているのかと、勘違いしていたよ」




