18
夜明け前に目を覚まし、住居内を確認したがやはりエステルはいなかった。どこにいる……? 一度は戻ったのか、それすら分からない。
それでも部屋を見回していると、後ろから落ち着いた声が聞こえてきた。
「ダミアン様、おはようございます」
「ジュリエットっ?!」
彼女の様子は、いつもと変わらない。
「――いかがなさいましたか?」
「エステルがいない」
「はい、お嬢様は昨晩また宮殿に行かれまして、そのままお泊まりになられると……」
ジュリエットが言い終える前に、叫び声を上げた。
「はい?!」
「ご存知……なかったんですか? 私はてっきりダミアン様もご一緒なのかと思っておりました。お帰りの際に気がつかず、申し訳ございません」
「それはかまわないけど……えっと、エステルは宮殿から帰ったのに、どうしてまた戻ったんだ?」
「呼び出しがあったのですよ」
妹は素性不明の令嬢とヴァルリナ宮殿内で言われている。そのエステルを呼び出せる相手、そしてジュリエットの心配していない様子から察するに……。
「ロイ殿下から……?」
「ええ、そうですよ。お嬢様は宮殿に泊まり、朝戻られるとおっしゃっていましたので、もうしばらくしたら帰っていらっしゃると思います。朝食を用意いたしますので、少々お待ちくださいね」
彼女の温かみのある笑顔とは反対に、僕は体の中が冷えていくのを感じた。彼らは確かに秘密の恋人のように振舞ってはいたが、本当に恋心が芽生えていた……? あの二人からはあまり想像できないが。
少なくとも、万が一、兄たちに伝わったら……ただでは済まないことだけは容易に予想がつく。
「ジュリエット、朝食は大丈夫だ。僕も宮殿に行ってみるよ」
彼女の返事を待つこともせず、慌てながら着替えた。
「ごめん、行ってきます」
「ダミアン様、お気をつけて」
宮殿内において、個人的な急用が理由では、その素振りを見せてはならない。認められるのは敵の襲来や火事、王族からの要請時くらいだが、いくら僕が今、第二王子絡みの事件で大変急いでいるといっても、それは私的なことだと一蹴されるだろう。周囲に不審がられない程度に足を速めて庭園を通り過ぎ、廊下を進む。
まだ日がやっと昇り始めたくらいの時間帯だ。いくら休みなく働いているように見えるロイでも、この時間ならばおそらく自室にいる。もちろんそこにエステルがいるわけがない――と思っているが、ロイが呼び出したのだから何か知っているはずだ。
警備中の近衛兵が僕に気づいて侍従に伝えてくれた。頭を下げ、無言で少し待っていると、入室を促された。扉が閉まったのを確認する。
「殿下、おはようございます。朝早くにすみません」
「いえ、思っていたより遅かったくらいですよ」
ロイはすでに寝巻きから着替え、ソファーで寛いでいた。
「――食事会で何か掴めると、そんなに期待していたようには見えませんでしたが」
「それはもちろん、ダミアン君に余計なプレッシャーを与え、彼らに勘づかれるような行動を取られては困りますからね」
「でしたら昨晩の成果は、あなたの素晴らしいお気遣いのおかげですね」
「ええ、夜遅くまでありがとうございます」
ロイはこう言っているが、僕がエステルのことを聞きたくて早く来たことも完全に分かっている。そして彼が話した内容も、いつもの掴みどころのない第二王子の仮面越しの言葉だ。
「――ところで」と、口を開きかけた瞬間、併設されている寝室の扉が開いた。寝間着姿にもかかわらず、豪華な部屋に見劣りしない金色の髪の令嬢は……
「兄様、早いわね」
知りたかった答えは、尋ねる前にやってきた。
「エ、エステル……?! いや、待って、なんで……?」
「あら、寝ぼけているの?」
「い、いや、な、なんで……殿下の寝室から……」
僕の焦りをよそに、ロイが言った。
「ダミアン君。私たちは恋人同士なんですよ。お忘れですか?」
「いや、もちろん忘れているわけないですが……。でもそれは、周りへの、その……」
「ええ。ですからこうやってエステル嬢と一緒に過ごしているのですよ」
「はい、でもだからといって泊まるのは……」
「兄様、もうよいかしら。朝食をいただきながら、昨晩の話を聞かせてくださる?」
「いや……いえ、はい」
仕方ない。気持ちを入れ替えるため、小さく息を吐いた。エステルは(場合によってはロイも)後で問い詰めるとして……。今はあの食事会での様子、特にあの違和感の正体をはっきりさせる方が先だ。余計なことを考える必要もなくなる。
エステルが寝室に戻った。着替えるのだろう。
食事の用意のために入ってきたミッシェルが押しているワゴンには、三人分が載っていた。昨晩のことを把握していないはずがない。だが、彼は優秀な侍従だ。僕に教えてくれることはないだろう。
ミッシェルが手際よくテーブルに盛り付けていく。丸テーブルのため、エステルがどちら側に座るのか、気を揉まずに済んだ。いや、落ち込まずに済んだ……と言うべきか。
メニューはパンとフルーツ、紅茶で、さっそく紅茶を口にしたエステルが、僕の葛藤を弄ぶかのように言った。
「さすが、第二王子殿下が嗜まれる紅茶は茶葉が違いますわね。こちらで過ごしたら、毎朝いただけるのかしら?」
「エステル嬢の好みに合わせて、お菓子もご用意いたしますよ。翌朝着られるドレスや宝飾品もご一緒に」
母の国の茶の方がこの国ではよほど貴重なはずなのに。まあ、ロイだったらそれも用意できてしまう。いや、問題はそこじゃない。
「あら、嬉しい。ロイ殿下、またお泊まりさせてくださいね」
「ええ、是非。いつでも喜んでお待ちしております」
見つめ合って言い合う二人は、さながら本当の恋人同士だ。僕にまで演じる必要はないはずだが。さすがにこれ以上、僕を揶揄い、反応を見て楽しむのはやめてほしい。
「あの――そろそろ話をしても?」
「ええ、ダミアン君。待ちくたびれましたよ」
「兄様、どうでしたの?」
「っ、ご期待に添えるかは分かりませんが……」
記憶力には多少の自信がある。給仕の仕事をしながらだったので全てではないが、聞き取れた内容に主観を入れず、そのまま伝えていく。
二人は真剣な顔付きで聞いており、先ほどまでの楽しんでいた雰囲気は無くなっている。一通り話し終えたところで、ロイが口を開いた。
「フィリップ叔父上がバードン男爵三男を知っていたのは意外でしたが、逆に考えれば、関係があったから、とも言えますね」
「はい。それは事件の方じゃなく、ルグランに関して、ということですよね」
「ええ、ダミアン君」
「どのような関係……借金――でしょうか?」
エステルの問いに、ロイは少し考える仕草を見せた。
「ええ。ジュリアンに借金を作らせた原因に叔父上が絡んでいると、そう考えるのが自然でしょうね」
「コンスタンス嬢や他の女性たちからも金を巻き上げていましたよね。それでも追いつかない額となると、通常の使い方ではとても説明がつきません」
いくつもの点が繋がったのだろう。ロイの表情には、すでに確信が浮かんでいた。
「ダミアン君、エステル嬢。お分かりですよね?」
「はい、賭博――だと思います」
僕が言うと、エステルも続けた。
「賭博の大元がフィリップ王弟殿下、ということでしょうか」
「断定はできませんが、その可能性はあります」
「もしそうだと仮定して……なぜわざわざそのようなことを?」
エステルの疑問はもっともだ。
ファロンヌ王国の王族ならば金は湯水のように自由に使える。一度しか、いや一度も袖を通されなかったドレス、見栄のためだけに購入された宝飾品など、気の遠くなるような数の金貨が動いているのが日常だ。もちろんそれは平民から搾取した税金が原資である。
両親やロイが身近にいるので錯覚しそうになるが、このヴァルリナ宮殿にいる貴族以上の階級でそのことを憂い節約を提案する人間など、片手で足りるのではないだろうか。
金に困ることは決してない身分の王弟が、なぜ秘密裏に資金を集めているのか。
「リュー地区の新規事業も含めまして、彼が何か目的を持って動いていることは間違いありません。王都での集会は、私の耳にも入っておりました。詳細はまだ掴めておりませんが、人数や募集している人たちの傾向を考えますと、反乱軍を募っているのではないかと、予想しております」
やっぱりね。怪人の依頼が、単純な殺人事件で済むはずがない。
ロイがバードン男爵三男殺害事件の犯人捜査を命じた本当の目的は、反乱計画を暴くためだったのだ。




