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僕は急遽ロイの頼みで、王弟殿下二人の夕食の給仕をすることになった。
予想した通りの面倒事だが、夜会での令嬢のエスコート……などを言いつけられるよりはよほどましだ。
元々の担当者と交代しても怪しまれないよう、ロイがすでにミッシェルに手配させて準備は整っている。それに、ロイの助手である僕が主人不在の場で働いても、不自然に思われない事情もある。
使用人は、仕事中に図らずも耳に入った内容を口外してはならない。これはヴァルリナ宮殿はもちろん、貴族の屋敷で働く者たちの最低限の決まり事だが、どこにでも、基本的なことすら守れない者はいる。今夜の食事会は王弟の二人なので、給仕は信頼のおける人物でなければならないが、あいにく全員が無理だったら……。口が堅いと分かっている者ではなくても、内容が理解できない者ならば、その場にいても問題はない、ということだ。
都合のいいことに、僕はこのヴァルリナ宮殿において、外国人だと誤解されている。僕の容姿が理由だ。父はこのファロンヌ王国有数の大貴族であるバクランド侯爵だが、母親は遠い東の国の商人の娘だ。
エステルは父譲りの金色の髪と蜂蜜色の瞳、シミひとつない白い肌を持っているが、僕は母親の出身国、東の国の民族の特徴を強く引き継いでいる。漆黒の髪と焦げ茶色の瞳、そしてこの国では珍しい凹凸の少ない顔立ちは、一目で外国人だと思われる。
普段、人前で会話しないのも、言葉を理解しないと思わせるためだ。その効果は高く、ロイの助手として活動するのにとても役に立っている。
異なる境遇にあった二人が出会い、結婚に至ったことは運命的かもしれないが、良いことばかりでもなかった。
父は僕たちの母の前にもファロンヌ人の女性と結婚しており、彼女との間に息子が二人いる。その前妻に先立たれ、失意の中でも父親として子供を育て、また、侯爵として領民や使用人の生活を護っていた。
バクランド家は貿易に力を入れており、交渉のために港まで直接赴くことも多い。
ある時、到着した荷物に問題が発生した。父と商人の話し合いは難航しそうに見えたが、同行していた娘のおかげで丸く収まったらしい。その娘――異国情緒あふれる若い女性が、僕たちの母親だ。
その後、仕事相手として交流していくなかで彼女に惹かれていった父は、まず初めに母の父、僕たちの祖父に結婚を申し出た。それを聞いた母たちは当初、大変困惑したそうだ。当然だろう。
だが結局母は根気負けし、婚約した。結婚の準備のため一度母国へ帰り、現地の家族に別れを告げ、二年後に、再びファロンヌ王国へ来ることを約束して。それからずっと、夫となったバクランド侯爵と仲良く暮らしている。
もちろん身分違い、しかも遠い国の出身ということで難色を示す者もいたそうだが、温厚篤実な父の人徳もあり、特に表立っての反対はなかったらしい。
僕たちの祖母である前侯爵夫人が意外にも母を気に入ったこと、そしてすでに息子が二人いて跡継ぎの問題もなかったことも大きいと聞いている。
ちなみに母側だが、一緒に移り住んだ二人の侍女がいて、今も皆元気にバクランド家の屋敷に住み込みで働いている。この二人は姉妹で、流行病で家族を失い身寄りがいなくなった時に仕事で交流のあった祖父が引き取ったので、三姉妹のように育ったらしい。そのこともあり、母の結婚が決まった時も、二人とも同行すると言って聞かなかったそうだ。
距離があるので両国間の行き来は容易ではない上、子供たちが幼かったため母は嫁いで来てから一度も母国には帰っていない。だが、今までに五回ほど、祖父と僕たちの伯父にあたる母の兄が貿易のついでに(どう見ても、母に会うついでと言った方が正しい)ファロンヌ王国へ来て、バクランド家の屋敷に数ヶ月ずつ滞在していた。幼い頃から母や侍女たちに東の国の言葉を教わっていたこともあり、会話にも困らない。
潜入調査の際には、周囲に聞かれず妹と暗号のようにやり取りができるという利点もある。ロイの前でも使いたくなるが、抜かりない彼はすでに学んでいる可能性があるため、控えている。それに無礼にあたるしね。
ちなみに母は元々ファロンヌ語を理解していたが、この国で暮らし始めてから上達し、今では父の代理としても遜色なく働けるくらいになっている。
異母兄弟である兄二人も継母との仲は良好で、巷で聞くようないじめなども一切なく、年の離れた弟と妹である僕たちを可愛がってくれている。むしろエステルに対しては少々度が過ぎるほどの溺愛具合で、万が一にも恋人ができるものなら容赦なく別れさせる計画を立てそうだ。もちろんその相手が、自分たちの君主――ファロンヌ国王――の子息である第二王子殿下だったとしても。
だが幸いにもヴァルリナ宮殿において、最愛の妹がロイの秘密の恋人と囁かれている噂話は、まだバクランド侯爵領までは届いていないらしい。まあ、僕たちは兄二人と違い社交界デビューを果たしていなかったおかげで顔が知られておらず、エステルの身元を誰も知らない、ということではあるが。父や祖母たちの名誉のために言うと、夜会に出席したことがないのは異国人の子供を見せるのを気にしているというわけではなく、デビューするよりも先にロイの助手として働き始めた、僕たちの事情によるものだ。
給仕の仕事に向かうため廊下を歩いていると、少し先に見慣れた金髪の令嬢が見えた。
「エステル、まだここにいたんだね」
「ええ、ミッシェルさんとお茶をしていたの」
「僕はこの後も仕事で残ることになったんだけど、エステルは家に戻るところ?」
「そうよ」
「じゃあ、今夜はゆっくりできそうだね」
「ふふ。どうかしら」
「えっ、何か予定でもあるの?」
「あら兄様、おつかれのようね。勘が悪いわ」
ジュリエットと仲良くお菓子作り――ではなさそうだ。
「まさか……ルグランへ行くとか言わないよね?」
「それはこちらの台詞よ。潜入調査しないつもりなのかしら?」
「主人の素性を調べるのなら、市庁舎へ行った方が効率が良いと思うけど」
「あら、本当にどうかしたの?」
それは当然じゃない――と言われた気がした。
「兄様。資料で分かるのは表向きの内容だけよ」
「うん。もちろんそれは分かっているし、君が言っていた、あそこの奥で怪しい者たちが集まっているかもしれないってことも想像してるけど……」
「そうよ。なら、ジュリアンのような男性が他にもいるはずだわ。そちらから探っていった方が早いわよ」
それはそうだが……僕の役目は調査だけじゃないんだけどな。
「殿下はご存知なのか?」
「ロイ殿下はずっと兄様といたじゃない、いつ言うのよ」
「そうだね。それにエステルが他の女性たちのように、男に騙されるとは考えられないけど……」
「そうよ。わたくしが、遊ぶのですから」
後ろで結わいている髪をなびかせながら笑うエステルのこの仕草だけでも、何人もの男を虜にできそうだ。
「言うつもりはないってことかな?」
「ええ、さすが兄様。よくおわかりで」
彼女の性格では、説得しようとしても徒労に終わる。もしロイが知ったらどう思うのか。事件解決のために賛成するのか、それとも秘密の恋人に危険な真似はさせられないと、止めるのか。どちらなのだろう。
「いや、でも行く時は必ず僕も一緒だ。今夜は家にいて。お願いだ」
「ええ。まずはドレスを選ばないといけないものね」
夕日に照らされ、いっそう輝きを増した蜂蜜色の瞳には、好奇心が滲んでいた。




