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ダミアン バクランド 〜第二王子殿下の親友の日常〜  作者: 島田すい


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 チボーが言っていた通り、貴族が訪れるような店だけあって珈琲は洗練されており、朝のパンと茶の重たさをすっと流す味わいだった。住民のほとんどが平民のリュー地区でこの味が飲めるなら、人気が出るのも頷ける。現に店は大きく、座っている手前側だけでなく、奥まった部分にも席はあるようで、人目を避けてゆっくりしたい貴族の需要にも応えている。


「この珈琲、味わい深くて香りも豊かだわ。あなたが選んでいらっしゃるんですか?」

「ありがとうございます。ええ、様々な種類の珈琲を試して、自分が一番気に入った豆を使っております」

「買い付けも、ご主人自ら?」

「そうでございます」

「珈琲豆ですと、南の方へ行かれるのかしら?」

「よくご存知でいらっしゃいますね」


 そう言って目尻を下げて微笑んだ店主。茶色の瞳に温かみがある。客が入ってきたので、上品にゆっくりと歩いて対応に向かった。顔なじみらしい夫人と和やかな笑顔で話している。



 窓はあるがカーテンが閉まっているため外から中の様子は窺えない。それでも圧迫感はなく、むしろ居心地の良さを感じさせるのは、清潔な店内と華美すぎない装飾によるものだろう。時間と生活に余裕がある人たちにとって、居心地の良い空間に見える。だが作られすぎているような違和感に、エステルはわずかに眉を寄せた。


 

 周囲から聞こえてくる老婦人たちの声に溶け込むようにして、ゆっくりと時間をかけて珈琲を楽しむ。そして店主が自分の方を見ていない隙に、令嬢としてふさわしくない粗相――服に珈琲を零したのだ。

 恥ずかしさで俯きながら、店の主人を呼ぶ。


「手が滑って服に珈琲をかけてしまって……」

「あっ、火傷はされていらっしゃいませんか?」


 自分のせいでなくとも客――しかも裕福そうな令嬢が自身の店で怪我でもすれば、場合によっては失態になる。慌てたように訊く主人に、エステルが微笑んだ。


「ええ。すでに冷めておりましたし、少しかかってしまっただけですから。それで大変申し訳ございませんが、あちらの奥をお借りさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「それはかまいませんが……家の者に新しい服を用意させましょう。それと他にもっと広い場所がございますので、ご案内いたします」

「お気遣いありがとうございます。ですが、ちょうど替えの服を持ち合わせておりますし、上を着替えるだけですので、そちらで大丈夫です」


 実際彼女の話し方は丁寧そのもので、着ているドレスの生地も上質なものではあるが、デザインは平民の女性がよく着る一般的なもので、一人でも簡単に着られるものだ。貴族だと思われていないだろうから、一人で着替えると伝えても不審がられない。


「かしこまりました。どうぞごゆっくりお使いくださいませ」

「ありがとうございます」


 鞄を持って立ち上がり、そのまま奥まで進む。後ろからの視線は好奇心だけではないと、エステルは感じ取った。


 着替え終えると一杯分の珈琲代よりも少し多めに金を払い、外に出る。




 妹は僕に目配せをし、そのまま歩き出した。少し間を置いて、後を追う。

 誰もいない路地に入ったところで、エステルに尋ねる。


「どうだった?」

「チボーさんの話通り、品の良い中年の紳士がいたわ」

「うん」

「内装も平民街の店にしては相当洗練されていたし、店の料金設定は高めとはいえ平民でも払える金額だろうけど……頻繁に行くにはよっぽど裕福でないと厳しそうね。実際に私の他には、平民風の女性客が数人しかいなかったわよ」

「少ない客では、経営として成り立たないだろうね」

「ええ、想像していた店の印象と違ったわ」

「うん。もっと混んでいる店かと思っていたよ。まあ、たまたまか時間帯によるのかもしれないけど。でも、ちょうど昼時なのに通りにも貴族らしい人は全くいなかった」

「そうね」

「エステル、それで……何か確認したかったんだよね?」



 妹の服の色が入店前と違っていることに、彼女が店から出てきた瞬間に気がついている。

 あら、ちゃんと見ているじゃない――とでも言いたげな視線をありがたく受け取った。男ならば思わず口説きたくなる仕草だ。兄としては複雑だが、調査には役立っている。


「珈琲を零したの。店の奥まった部分に何があるのか見たくて」


 エステルが店の大まかな作りを説明した。


「それで奥は、結局どうだったの?」

「普通に、テーブルと椅子があったわ」

「貴族用の?」

「かもしれない。でも、とても綺麗だったわ」

「――それは貴族の来店が少ないから? 話と違うね。どう思う?」

「おそらくだけど……使われていないわ」


 ダミアンは頭の中で内容を整理していく。


「意図的な偽装……か」


 エステルが振り向いた。


「あら兄様、勘がよろしいわね」


 ロイ王子といたら嫌でもそうなるよ、という考えは言葉にしなかった。




 僕たちが余分に持っていたのは、それぞれ一枚ずつの下着だけだ。そもそもすでに昨晩、体を洗った際に新しいものに履き替えている。調査が優先なため、必要とあればもう一度履くこともあるが。

 妹は汚れたベストを新しいものに替える振りをして、裏表逆にしたのだろう。色が真紅色と藍色でデザインも違うため手軽に印象を変えられ、緊急で変装したいときにも役に立つ。ちなみに今回は出番がなかったが、ドレスも同じ作りになっている。調査時のために用意した特注品だ。

 珈琲で濡れた部分を鞄で隠せば、本当に服を持っていて着替えたように見せられる。エステルのことなので、その行動が不自然には見られていないはずだ。


「よく見てみると、壁に若干隙間があったわ。そうね、ちょうど……扉くらいの高さよ。動かなかったけれど」

「鍵が掛かっていたってこと?」

「分からないわ」

「じゃあもし扉だと仮定して――住居や倉庫として使われている可能性は?」

「カウンターのところ、全て棚になっていたの。珈琲豆や食器などはそこだけでも十分収納できそうだったわ。ちなみにカウンターの奥に階段もあったし、外から見た店の二階には、主人が付けていた前掛けと同じものが干してあった」


 僕が頷いたので、エステルが続ける。


「それに、もしあの奥の部屋を日常で使っているのなら、扉に取っ手くらい付けると思うけど。そのようなものはなかったわよ」


 エステルのことだ。店内の雑音に紛れて扉を叩いて返ってきた音を判断し、壁なのか向こう側に空間があるのか確認したことだろう。


「――ということは、貴重品があるからではなく、部屋の存在自体を隠したいのか。見つかっては困る何かが中にあるってことかな。いや、そう決めつけるのは早いか」

「そうね。まだ判断材料が足りないわ。ところで兄様、この後はどうするの?」

「一度戻ろうか。服も汚れたことだし、ロイ殿下の見解も聞きたいし」

「ええ、ゆっくり入浴もしたいものね」




 昼過ぎになり、働く者や買い物する親子連れで町は人で溢れ、庶民の日常を切り取っている。少し異質であろう僕たちは必要以上に目立たぬよう早足で進み、馬車を降りたところまで戻った。御者の若者は近くの宿泊所で休んでいた。


「エリックさん。ヴァルリナまで戻りたいのだけど」

「はい、すぐに準備します」


 エリックは金を精算し、後で請求するために必要な領収書を手に戻ってきた。ロイの噂の恋人の御者を命じられるだけあり、エリックは伯爵家の二男であるため、立て替えておける分の金を持っている。


 馬車に乗り込むと、少ししてから動き出した。ここからはまた二時間の道のりだ。いくら大きく頑丈な作りでも、ガタガタしている道を通れば普通は揺れる。だが、このエリックは扱いが上手く、彼が走らせているときは振動も最低限になり、馬が驚いて暴走するようなことも一度もない。

 もしロイに、『さすが秘密の恋人のために選んだだけのことはありますね』などと言ったら、肯定されるのか否定されるのか……。相変わらず、本心を見せない親友だ。

 まあ、第二王子殿下の考えを知りたいだなんて不謹慎だと周りから怒られるだろうから、それで良いのかもしれない。

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