調査
脂が延々と文句を言って、やっと帰っていった。
脂が言いたかったことを一言で言えば「元に戻せ」
アバルは重い足取りで石畳の上を歩き回る。
(緑の聖域。その圧倒的な生命力の前では、一人では力不足――)
「私を連れていきなさいよ! 連れていかないと殺すよ」
だが、アバルは一瞥もくれずにその横を通り過ぎる。
「紅のトゲ」の体から無意識に出る高熱の刃がアバルに触れ、髪の毛が燃える匂いが少しだけ立ち込める。
紅のトゲは凶暴すぎるので、檻の中の檻に隔離している。
「ちょっと! 無視!? まさか、置いていく気?」
ギャーギャー騒ぐ、紅のトゲ――カフカ。その戯言を聞き流し、アバルは思考を巡らせる。
カフカの存在はこの任務には邪魔。どの任務にも邪魔か。
カフカの身の回りの世話係である「腐のトゲ」――巨漢ガルバス。
ガルバスがカフカに捕まって、首を後ろから締め上げられている。
ガルバスは必死に助けを求めるが、アバルはいつものことなので気づかない体でいく。
ガルバスがもう少しで意識を失いそうになる手前で、なぜかカフカが突然力なく倒れこんだ。
それが腐のトゲの力――ガルバスにストレスを与えてはいけない。
聖域そのものを消し飛ばすなら、腐のトゲの力を使えばいい。
しかし、今回は通行さえできればいい。
アバルは「言のトゲ」――淑女ユーイの前で足を止めた。
聖域の主と言葉が通じるなら、ユーイの言霊で強引に事を進められる。
だが、相手は化け物。言葉が通じなければ、ユーイの力は何の役にも立たない。
「結局、まずは俺が動くしかないか……」
アバルは独り言を漏らし、再び一人で聖域へと向かった。
◇◇◇
二度目の聖域潜入は、最初の比ではないほどに過酷なものとなった。
聖域が、明確な意思を持ってアバルを排除しようとしている。
一歩踏み出すごとに、確実に凸に触れる。
凸に触れるたび、足の皮がめくれるような不快感が再び全身を襲った。
さらに厄介なのは、聖域の拡大。
昨日まで安全だった場所が、一夜でイバラになる。
一部は森を抜け、外の世界へとその領域を広げていた。
周回するだけでも、体力は大きく削られていく。
しかし、何度も、何度も、周回していて、あることに気づいた。
拡大のスピードが、一様ではない。
じわじわとその領域を広げているイバラだが、一箇所だけ、拡大が止まっている場所があった。
アバルはその場所に答えがあると確信した。
連日、その周辺に泊まって、調査を続けていた、ある朝。
揺らめく朝もやの向こう側に、ゆらめく人影を見た気がしたのだ。
朝もやに遮られ、上半身は見えなかったが、地面を踏みしめるそのしなやかな足は見えた。
間違いない。ここに、大人の女性がいる。
アバルは急いでその場所に向かう。
しかし、辿り着いたその場所に、人の気配は微塵も残っていなかった。
そこにあるのは、嘲笑うかのようにびっしりと敷き詰められた、イバラだけ。
アバルは忌々しげに、うごめくような凸たちを見つめるしかなかった。
◇◇◇
その聖域の空白地帯にて。
「やっぱり、火をつけましょうよ……」
気弱な看守――里芋が上目遣いで恐る恐る話しかけてきた。
「寒いなら、寝袋の中に顔までしっかり入れておけ」
「じゃあ、寝ますね。起こさないでくださいよ」
「わかった」
アバルは里芋の耳元でささやく。
「ごめん。訂正する。なるべく起こさない」
里芋は一瞬動きが止まったが、何も言わずに頭まで寝袋に埋めた。
もう周囲は真っ暗でほぼ何も見えない。
それでも眠気と戦いながら、人影を見た場所をずっと見続けている。
本当は焚火でもしたい。しかし、その焚火が再び近づいてくる人影を遠ざけてしまうかもしれない。
意識が飛んでいた。気づかないうちに寝たのかも。
周囲は少し明るくなったが、もやがかかって、何も見えない。
起こさないように里芋の寝袋をつかみ、人影を見た場所に向かって少し引きずった。
二人はしばらく、この違和感のある安息地でゴロゴロしながら交代で監視を続けた。
何日も、何日も。
「アバルさん。水浴びしたいです」
「ごめん。も・う・少しガマンして」




