113話 震脚不倒 Realm Reforged
「地形の変化に留意せよ!」
シグルナはただ指示を飛ばすだけだった。
オリジェンヌの近くの戦場ではその大地震の中でも戦闘が続いていた。
そもそも敵はそれを気にしない不死の騎士ばかりなのだ。人間側も止まっている暇はなかった。
「校舎の中心へ移動しろ!!」
学園ではその揺れに怯える者を避難させていた。教師陣は建物の補強を魔法によって行い、崩れないようにしていた。
しかし、学園以外の家や施設は崩れ、倒れていった。
「……来たか」
「カカカ、やっとか……。さすがに限界が近い」
「今度は、なんの相談なのかしらッ!」
東部戦線にもその揺れはやって来ていたが、そこだけは大地震以上の破壊が起こっていた。
そのため、あまり気にかけられることはなかった。というよりもその余裕がなかった。
幹部二人はあと少しだけ英雄を釘付けにしておけばいいのだ。
英雄はその二人が何かを狙っていることはわかっていたが、目の前の戦いを見逃すわけにはいかなかった。
それに彼女たちの戦いは大地に縛り付けられていない。
空中戦を繰り広げる彼女たちは、その大地の身動ぎを克服しているのだ。
そして王都だが、──とても酷いものだった。
巨人による人的災害と大地震による自然的大災害が同時にやってきたのだ。
人々はただその足を震わせて、倒れるしかなかった。
その足を、腕を、建物に潰されるしかなかった。
そんな“慣れきった景色”を見ながら、彼は走り続ける。
できるだけ体力は残していたいと思っていたのに、彼の走る後ろには土人形が作られていく。
土人形たちが人々を抱きかかえ逃がし、立ち上がらせた。
建物が操作された大地によって支えられ、崩壊を免れる。
『鞘に収まった剣』に呆れられながらも、彼は自らが作ったレールを走り続ける。
向かう場所は決まっている。
あんな大きな目印があるのだから。
そして、彼の耳にはおかしな女の笑い声と、愛する少女の怯えた声が聞こえている。
巨人が作り出した絶望の街を、無理矢理作り変えながら彼は進んでいた。
大地震の被害を彼はまったく受けていない。
彼は車に乗っていたから助かったのだ。
しかし──二輪の車に跨るその足は弱々しく震えていた。
きっと走っていたら、進めなかった。間に合わなかった。
運命を切り開くことはできなかった。
──古く遠い記憶は彼をまだ縛り続けている。
◆
大きな石を持ち上げながら、フィンナは安堵した。娘を救えたからだ。
あんな状態でも娘は防御魔法を使い、なんとか落下の衝撃だけは緩和していたのだ。
多少の打撲はあったとは思うが無事だった。
フィンナは娘に降りかかる瓦礫を全て破壊して、倒れてきた柱をその肉体で支えていた。
「お母さま……?」
愛する娘の声を聞きながら、贔屓する娘の顔を見ながら、フィンナは胸を熱くした。
──広がっていく胸の熱を感じていた。
「まあ、“間が悪かった”というだけのお話です」
当然の結果だ。
戦闘中に敵を放り出し、庇護対象を救出していればそうなるだろう。
「…………っ」
娘の顔をもっと見たいのに、フィンナの胸から突き出た黄金の爪がそれを邪魔している。
持ち上げていた柱をなんとか横に置くと、フィンナは膝をついた。
「……あぁ」
流れていく血がフィンナの限界を伝えてくる。
「どちらにしろ、貯蔵魔力との接続が切れた時点で終わりでしたね。残念です」
「が……は……」
さらに二本の触手の爪がフィンナを貫いた。
あの女に慈悲などない。結局は殺すのだから。
それは方法の問題でしかないのだ。
「…………!」
無駄な悲鳴を上げずに娘はフィンナを見ていた。
本当に親孝行な娘だ。
背中から刺されたフィンナはそのまま地面に押さえつけられた。
「ぐ……」
涙を流してその姿を見る娘に対して、フィンナが感じたのは羞恥心だった。
無様を晒すのはとても恥ずかしい。
朦朧とする意識は、絶望する愛娘の姿と、近づいてくる悪女の足音を感じた。
「さてさて」
「……ッ!」
悪女は娘を土の魔法で拘束した。
その足だけを崩壊した宮殿に縛り付けた。
娘はギリギリのその瞬間まで魔力を温存することにしたらしい。
それでいいとフィンナは思った。“それでこそだ”と称賛した。
「くくく……ずっと考えていたのです」
上機嫌に悪女は悪事を語る。
「母と娘。──どちらから殺した方が面白いのか、と」
けらけら、と本当に楽しそうに悪女は笑う。
戦闘中にずっとそんなことを考えていたのだと悪女は言ったのだ。
「どちらも大変魅力的なのですが……」
「……うっ!」
そして悪女は、拘束され膝をつくサフィレーヌを踏みつける。
そのままサフィレーヌをうつ伏せに転がした。
「貴様……」
「ええ、この子はなんだか我慢強そうなので、反応の良い貴方を残します」
フィンナの表情を見て笑いながら、悪女はさらに踏みつける力を強めた。
「ぅ……」
「さあ可愛らしいお嬢さん、なんの役にも立たない防御魔法をお使いなさい。未熟さを感じながら母の前でお鳴きなさい」
鎧の足が大切な娘の背中に痛みを与えている。
体を動かそうとしても、フィンナにはもうそんな力は残っていなかった。
「カルクルール特有の欠陥をこの娘もお持ちなのでしょう? なら、殺し方は決まりですね。
くくく──“発狂死”して貰いましょうか」
「…………ッ!」
悪女は娘の頭をその汚らしい手で掴んだ。そして、少し力を込めた。
「あ……が……ぐ……」
苦痛に呻く娘の声を聞いて、フィンナは暴れようとした。すぐ近くにいる悪女を殺してやりたいと激情を抱いた。
しかし、できたのは歯を食いしばることぐらいだった。
「人間がもっとも優先的に記憶するのは痛みの記憶です。くくく、貴方の中を苦痛で満たしてあげましょう」
「ハディア……ッ!」
「ああ……とてもいい声ですわ。もっと怒ってください。もっと泣いてください。ほら。ほら」
「……っ! ……っ!」
悪女は娘の頭を地面に叩きつけた。
美しい娘の顔を傷つけられた。娘の額が赤く腫れ、多少の血が滲んでいる。
「お嬢さん、痛いですか? フィンナ様、痛いですか?
くくくくくく……あはははははははははっ!!」
悪女が二人を見て笑う。その苦しむ顔を見て嬉しがる。
遊んでいた。
人を苦しめる遊びをしていた。
「……あなたはたしかにあの人の母ですね」
「あら……? 何かしらお嬢さん」
頭を掴まれ、痛みに耐えながら娘が悪女を挑発するように見た。
それは明らかな時間稼ぎだった。
そこにいる全員が理解している。
その時間稼ぎに意味はない。
助かる見込みはない。
死ぬまでの時間が増すだけだ。
だが、娘だけは何かを信じているような気がした。
「遊ぶことが大好きで、楽しむことが大好きで……自分に理由を作るところなんかもそっくりです」
「…………」
それを聞いて悪女の笑みが消えた。
娘の挑発の意図を感じ取ったからだろう。
それはフィンナからすると、意外な反応だった。
まるで“自分の子供の話を他人から聞く母のような”反応だったからだ。
「誰にも苦しみを打ち明けずに孤独に笑う人。でも、あの人とは違う部分もあります。
──あなたは誰にも愛されることはない」
悪女はそれを聞いて娘の頭を離し、少し考え込むように立ち上がった。
そして、娘へと振り返り微笑んだ。まるで雑談に乗る優しい女性のように。
「御高説どうもありがとうございます。賢いお嬢さん。……私、少し混乱していますの」
そして、本当に困ったように首をかしげた。
「貴方が言う『あの人』と私の思う『その人』の認識が少々違うようでして」
娘が語ったあの人とは、フィンナも半分愛するあの子のことだろう。
逆に悪女の思うその人とは、おそらくフィンナの立てた偽者の王女のことだ。
“似ている”という発言から、自分の子供の話だと悪女は思った。
しかし、悪女の中では偽者と自分が似ていると言われているようなものだ。
それは悪女が事実を知らないことを意味している。
「貴方は誰のことを仰っているのかしら?」
「もちろん、わたしの愛する人のことです」
「貴方の……?」
そこまで聞いて、悪女は理解したようだった。
次第にその表情が変わっていった。
そして笑った。
「くくくくく……ああ、ああ……ふふふふ。そうなのですね」
その笑顔は本当の歓びに満ちていた。
まるで、安堵したような感情を宿していた。
「!!」
その時、またあの巨人が動き出す音が聞こえた。
この期に及んであの悪女はまた何かをするつもりらしい。
「…………」
しかし、フィンナが悪女を見ると、その表情を無にして自分が操作しているはずの巨大なゴーレムを見ていた。
崩れた壁の向こうにいるゴーレムは素手になっていた。
そして、その大きな手をここに向けて伸ばしてきた。
「サフィレー……ヌ……再接続までもう少しだ。そう…したら……」
到底間に合わないが、フィンナも打開策をなんとか練っていた。
しかし、宮殿の術式との接続はまだ時間がかかりそうだ。
「大丈夫です、お母さま」
失意を抱くフィンナに娘の優しい言葉が掛けられる。
慰めにしては確信めいた言い方だった。
娘の見る方向をフィンナも見た。
そこには巨大なゴーレムの手に乗る小さな人影があった。
「ああ……あの国境近くで見た小さな足跡……」
悪女はぼそぼそと何かをつぶやきながら、母娘に興味を無くしたように離れていった。
そして、落ちていた自分の武器を拾った。その右腕には再び大剣が握られる。
「そして、あの“ガラクタ置き場”で邪魔をしてきた小さな騎士……」
「がは……ッ」
「お母さま……!」
悪女はさらにフィンナに突き刺していた触手をスカートへと収納した。
“大丈夫だ”と娘に返しながら、フィンナは状況を理解しようと見回す。
ゴーレムの腕が勢いよく飛来した。だが、それは誰の命も奪っていない。
当然だ。ただの移動手段なのだから。
そして、見たのはその手のひらから降りる少年の姿。
「ええ、そうですよね。やっぱり……貴方ですよね? ──ああ、よかった」
黄金の兜を脱いで悪女も彼を見た。そして、懐かしむように笑った。
降り立つのは自分の出生も、経歴も、栄光も奪われた哀れな子供。
しかし、そこに宿るのはそれでも立ち上がる不屈の意志。
かつて、恋い焦がれた姿をそこにフィンナは重ねる。
しかし、自分の出る幕はない。
彼は娘の拘束を真っ先に解き、フィンナへ預けた。少しの『風』を残して。
どんなに誤魔化しても、彼が放つ光は空気を変える。人を変える。やがては世界を変える。
「ちっす! アンタだろ。この巨大ゴーレム作ったの。気に入ったから貰ったわ。
安心しろや。俺がちゃあーんと観光スポットに変えてやるからよ」
そして、場の雰囲気を壊す言葉を放ちながら、彼は悪と向かい合う。
「あらあら、人のものを盗っては駄目よ?」
「どの口が選手権開催してます? じゃ、はいはい! 持ち主が消えればいいと思います!」
「くくくくくく……あはははははははははははっ!!」
皮肉を皮肉で返すあの言葉の応酬。
上機嫌に笑うあの悪女の気分が少しだけフィンナにもわかってしまった。
──帰ってきた。
──戻ってきた。
間違いなく彼がそこにいた。
ただ、その彼が迎えに来たのは自分ではない。
今必死にフィンナを看病する娘を助けに来ただけだ。
フィンナにはそれが少しだけ悔しかった。
燻り続けた炎がやっと鎮まったような気がした。
それは、彷徨い続けた先にやっと訪れた──“失恋”だった。
◆
「あははははははははは!! その馬鹿みたいな言い草!! ええ、そうよ!! そうなのです!!」
目の前でテンションバカ上げしてる女に俺は現在ドン引きしております。
何がそんなに嬉しいんですかねぇ……。
俺の方は全然嬉しくないんすけど……。
はあ……。マジか……。マジかよ……。
まあ、そういうことなんだよな。
「何に納得してるのかは知らないけど、いろいろ落とし前は付けてもらうぜ、クソババア!」
「ク────?」
あ、さすがに固まった。
でも、てめえなんかそれで十分だろ。クソが。
「ふ……。くくく……どうやら、まともな教育は受けられなかったようですね?」
「てめえより良い恩人に恵まれたわボケ。ありがとよ!!」
「…………」
俺は今結構マジギレしている。
目の前の女に対して、信じられないくらい雑に接している。
いや、ある意味自然なのか?
……それも皮肉な話だな。
でも、わかることがある。
間違いなく俺はこの人を殺さなくちゃならないってことだ。
「そこでお礼ですか……。その図太さをあの人には見習って欲しかったですね」
少し遠い目をした後、クソババアは雑談を切り上げた。
俺がアンタの胸に抱かれる未来などない。共に歩く未来などない。一緒に遊ぶことはできない。
それはクソババアにもわかっているのだろう。
俺を再び見るその目には冷酷で残酷な光が灯っていた。
彼女は右手に持つ剣を地面に突き刺し、左腕の盾を地面に置き、最上級の礼を取った。
それは俺でも見惚れてしまうほど綺麗な仕草だった。
血みどろの黄金のドレスが異質さを演出し、崩れた城を背景に退廃的な雰囲気を醸し出す。
「我が名をハディアと申します。血に塗れた愚かな心を受け継ぐ貴方、どうかお名前をお聞かせ願えますか?」
それは偶然だった。
彼女が自己紹介をした瞬間に、また地面が揺れた。
まるで世界が俺たちを笑っているようだった。
俺の足はその振動を感じて、情けなく震えてしまう。
大した大きさではないが、地面が揺れていると認識するだけで俺の体は固まってしまう。
だけど、もう俺は倒れることはない。
泣くことも、嘆くことも、諦めることもない。
だってそうだろう?
それは“俺のトラウマ”ではないのだから。
それは遠い遠い誰かさんの記憶だ。
──ずっと思っていたことがある。
俺がこの世界で目覚めたのは、孤児院で捨てられていた瞬間だ。
そして、俺がそれに気付く前はいつものようにベッドの上でまどろんでいた。
だから俺は最初は夢でも見ているのかと思った。
だから俺は他人事のように生きていた。
でも違った。
間違いなくここは現実だ。
夢だったならこんなにうまく行かないはずがない。
そして、二つあると言われた魂。
それを聞いたときに俺が考えたのは、迷い込んだ俺の魂がオレと混ざってしまったというものだ。
多分それは正解ではある。
しかし、違うのはどちらがどちらであるのかということだ。
この世界で生まれたのはどっちで、あの世界で生まれたのはどっちなのか。
混ざり終わってしまった今となってはどちらもそうである。
しかし、最初この世界で生を受けたのは──俺の方なのだ。
まだ、どうしてそうなったのかはわからない。
あの黄金野郎は何も語りはしない。
だから、『俺』は地震にはビビらない。
そして、わかったことがもう一つある。
さっき俺はベッドの上からこの世界に来たと言った。
しかし、きっとそれは間違いだったのだ。
おそらく、俺は一度死んでいる。
今更か? でも、俺にはその前提すらわからなかったのだ。
あの世界で、その単語が出てくるのはある大きな宗教の話の中だ。
その宗教観の中で、生というものは一度きりではない。
何度も繰り返し、何度も廻り、何度も巡り、その先に辿り着く何かを目指す。
そんな高尚な考えの一部だ。
ああ、きっとどっかの誰かがすでにそんな単語を作っているのかもしれない。
すでにどこかではそれが流行りものとして慣れ親しまれているのかもしれない。
そうだ。俺はこの世界──『異世界』に『転生』しているのだ。
それはつまり、あの世界との別れを意味する。
幸福であふれ、笑顔であふれ、ありがた迷惑がちょっとだけ横行する大好きな世界。
うん、寂しい。すごく切ない。それを予想して何度か泣いた夜もあった。
でも仕方ない。人との別れがあるように、世界との別れだってあるのだろう。
ありがとう。
あの世界のあの国に──。
あの世界の人々に──。
あの世界の運命に──。
さようなら。
あなたたちから得た幸福を糧に、俺はこの世界で生きていきます。
気が付けば、足の震えは消えていた。
俺が立つのは俺の世界。俺が歩むのは俺の人生。
剣を抜き放ち、俺は戦いの礼を取る。
もう、今この場で名乗る名前は決まっている。
遠く懐かしきものではなく、悲運にまみれた王としてのものでもない。
「貴方に返す礼として、名乗ろう。──我が名は『ルクス』。姓は『フォノス』。
貴方の悪逆、見逃す筈もなし。我が手でその罪を裁く」
俺の意志で、俺はあの人を殺す。一片の油断も無く。
さあ、進もう。
改めて多くの感謝と多くの文句を贈ろう。
──俺の愛する糞ったれな世界に。




