114話 親子の形
風が吹いた。
それは気持ちのいい、肌を撫でるような優しいものだった。
空が晴れた。
すでに晴天であるが、空間そのものが輝いていたのだ。
それは空間の魔素が失われたことにより起こった現象だ。
しかし、それはサフィレーヌがあの闘技大会で見たものとは違って、穏やかな変化だった。
騎士の礼を取り、剣を掲げるルクスの周囲に黄金の輝きが集まっていく。
それはあのときと同じように彼の鎧を作り上げる。
ルクスは念のため防御魔法を展開しているが、ハディアはその変化を静かに見守っていた。
彼女は彼の準備をただ待っていた。その間にフィンナとサフィレーヌを襲うこともなかった。
二人にはもう飽きたように彼女はルクスだけを見ていた。
崩れた宮殿の天井から穏やかな陽光が差し込む。
それは空気中に舞う埃によって、幻想的な雰囲気を漂わせていた。
暖かな風が駆け巡る。
そのまま眠りたくなる春風のような心地よさだった。
やがて、一人の鎧騎士が現れる。
その兜は騎士のもの。
その鎧は騎士のもの。
その佇まいは騎士のもの。
纏う色は黄金ではなく──“銀色”。
つまるところ、何の変哲もない普通でつまらない騎士の姿だった。
だが、それこそ“王道”というものだ。
「…………」
その穏やかなる騎士に礼を返すように、ハディアも黄金の兜を被った。
黄金の石に飲まれる寸前の彼女の表情は子供の成長を歓ぶような穏やかなものだった。
そうして現れるのは赤い花びらをあちこちにつけた『不吉な鎧』だ。
スカートから八本の触手が全て伸びて展開される。
地面に突き刺していた大剣を手に取り、触手が地面に置いていた盾を左腕に装備する。
家族としてのやり取りは終わった。
始まるのはただの闘争。ただの殺し合いだ。
この世界が人間に求めた役割。
“原初の霊長”の再現。
それが始まる。
「────」
「────」
最初に起こったのは宮殿の豪華な床の崩落だった。
ルクスもハディアも、初手から相手の足元を狙った。
ルクスはそれを単純な動きで避け、ハディアは触手を崩落していない部分に突き刺し、移動することで回避した。
宮殿だった場所が次々に形を変え、お互いを襲う。
一度でも足を取られれば、致命的な隙が生まれるだろう。
ルクスはそれを暴力的な魔力砲撃で突破する。
向かってくる壁を斬り裂き、殴り、蹴り上げ、ありったけの魔力の斬撃をハディアに向かってお見舞いする。
ハディアは、ルクスの放った魔族以上の威力と範囲を誇る魔力の大波を、左手の盾で防ぐ。
そして、ルクスが行ういやらしい地形変化を触手を使った三次元の移動によって器用に突破していく。
そして移動に使わなかった触手の爪の先から魔力照射を放つ。
ルクスは空中でそれらを【第三剣術】で器用に受け、そのまま突き攻撃で返した。
同時にハディアの周囲に壁を作り出す。これで彼女は被弾は免れない。
「…………」
ルクス自身の魔力と空間干渉、ハディアの魔力が上乗せされた一撃はハディアの盾でも防ぎ切るのは難しい。
──そのままであれば。
スカートの左後ろにある触手の一本が彼女の左腕に“接続される”。エネルギー供給能力が上昇する。
それにより盾の防御魔法の性能が強化され、ルクスの突き攻撃は霧散した。
「────」
それを見て、ルクスは戦法を変える。変えるしかない。
あれは今の状態のルクスには使えなくなった特殊な防御魔法だ。
相手の魔法を消す方法はいくつかある。
まずは魔法解除だ。それは相手とまったく同じ魔法を使うことができればいい。
しかし、戦闘中に冷静になって、まったく同じ数値を計ることなど出来はしない。
そんなときに便利な方法がもう一つある。
それは“単純に膨大な魔力で消し去る”ことである。
【魔法を消す】という魔法を使うだけだ。消したい魔法に使われた魔素の倍以上のものをぶつければ、対象の魔法はなかったことになる。
これは誰でもできるわけではなく、ある血を濃く残した者たちに許される資質だ。
それこそが呪われた血族の証だ。
ルクスが使えなくなったのは、単純に処理能力不足だ。
今のルクスは魂が一人分しかない。ゴーレムを同時に操作できる数も減っている。
盾にその術式を刻み、半自動化しているハディアと違い、ルクスはその特殊な防御魔法を使うのなら、その魔法だけに集中しなければならなかった。
それは現実的には不可能だ。だから、使えても使わない、が正しい。
ルクスは攻撃を小刻みにして、連撃を放ち続けた。そして、一撃の重さではなく範囲を拡大した。
床や壁から石の矢が放たれる。それは常にハディアのいる場所を狙い続ける。
移動用の触手を防御に使っている分、避ける動作に影響が出るとルクスは踏んだのだ。
その判断は間違っていない。ハディアの被弾率は格段に上がっていた。
彼女の盾に触れた攻撃は霧散していくが、それ以外のものは彼女の鎧に届いた。もちろん、届いたからといって勝てるわけではない。
ダメージは入っているが、それは微細な変化でしかない。
ハディアの鎧は厳選された魔石を混ぜ合わせた、いわば最硬の合金だ。
しかし、魔石内の魔素の種類が多すぎてエネルギー伝達や放熱機能に少し問題があった。
対してルクスの鎧は、大気中の魔素【A-1】のみを使用した単種のものだ。
だからこそ、エネルギーの発生速度も伝達速度もハディアの鎧の性能を大きく上回っていた。
しかし闘技大会の時とは違い、周囲に配慮して集めた魔素のため、総エネルギー量と硬度に問題があった。言うなれば不完全品だった。
つまり、攻撃能力はルクスが、防御性能はハディアがお互いを上回っていた。
「…………」
その確認作業を互いに終え、ハディアがさらなる一手を打つ。
ルクスの小さな攻撃を受け続ける判断をしたのだ。大きな一撃だけを的確に防げばいい。
ハディアは右腕に一本、左腕にさらにもう一本触手を接続した。
それにより、右の大剣には回転する炎が発生する。
さらに、左の盾に収納された鉄球が超高速で回転し始め、空間が歪む重力魔法が起動する。
おそらくどちらもルクスが直撃を受ければ、即死だ。
あの鉄球に至ってはおそらく魔法を打ち消す効果までついている。
つまり、攻撃を当てて逸らすこともできず、防御魔法すら貫通してくるだろう。
しかし、地形の変化は続いている。
間合いを管理しながら詰めていけばいい。
そう思ったルクスが見たのは驚愕の光景だった。
ハディアが──浮いた。
左の重力魔法により飛ぶまで行かずとも、浮いたのだ。
そして、ハディアは盾を前に構えながら突進攻撃を仕掛けてきた。
綺麗な直進だった。彼女はルクスの作った壁を破壊しながらやってくる。
触手の牽制照射を渦状の防御魔法で防ぎながら、ルクスは迎撃体勢を取るしかなかった。
爆発的な魔力を剣に纏わせ、ルクスは最大火力で薙ぎ払いの斬撃を放った。
それはハディアの前に構えた盾によって霧散させられたが、突進の勢いを殺すことはできた。
残るのは彼女の右手に構えられた炎の大剣の一撃だけだ。
「────」
「────」
二人のぶつかり合いにより、強い閃光と膨大な熱が周囲に広がった。
二人の境目に深い亀裂が走るほどのエネルギーのぶつかり合いが起こる。
ルクスの剣とハディアの大剣の鍔迫り合い。
そのまま押し合いを続けた場合、ルクスの出力が勝ち、さらにはハディアの大剣は自分の熱に耐えきれず自壊してしまうだろう。
だが、手数が違う。
触手たちが直接ルクスを拘束しようと伸びる。
ルクスは土魔法や魔力で迎撃しようとするが、一本、二本と彼に巻き付いていく。
そして、触手の爪が高熱を持ち、彼の鎧を溶かそうとする。
もしくはその機能のなにかを不全にできればなんでもいい。
「…………」
そして──ハディアには左腕がある。
先ほどルクスが放った魔力の斬撃を防いで消費した魔力を再び左手に供給し、鉄球が回転を始める。
この鉄球の一撃を与えれば終わりだ。中身はどんなふうに砕け散るのかハディアは楽しみだった。
全部の玩具を使えて、さらにはその初めての相手が息子だなんて、自分はとても幸福だと思った。
いろいろな人間がいるが、実の息子と殺し合いをする母親になれるなんてまさに夢のようだった。
母を殺しに来てくれるなんて、なんと親孝行な息子なのだろう。
「────?」
そんな思考をしていたハディアに近づく何かがあった。
それは巨大な壁だ。土でできた巨人の拳だった。
ルクスが奪った巨大なゴーレムが殴ってきたのだ。
「────!」
その質量の暴力が二人を襲った。
とてつもない衝撃に襲われた二人は無様に吹き飛ばされた。
ハディアは盾でなんとか衝撃を殺そうとするが、その隙にルクスは巨大ゴーレムにそうしたように、巻き付いた触手に魔法で干渉した。
「────!」
吹き飛ばされながらも、ルクスは器用に触手の内一本の操作権をハディアから奪った。
彼女の触手はエネルギー供給装置としても機能している。それを奪われれば鎧を内部から破壊されてしまう。
ハディアはその触手を鎧から切り離した。緊急用の機能を作っておいてよかった。
残りの触手によるルクスへの拘束も解除した。
拘束を解除されたルクスは変化する地形を活かして、また距離を取った。
ハディアも着地を成功させ、再び距離を詰めようと画策する。
本当に驚かされる子供だと、ハディアは少し笑った。勿体ないと思うほどだった。
左腕の鉄球の起動が完了し、また向かってくる巨大ゴーレムの拳にそれをぶつけた。
繋がれた黄金の鎖が伸びていき、その鉄球はゴーレムの拳に綺麗な穴を作りながら貫通し、それを破壊した。
そして、彼女はその鉄球を振り回し、破壊の大旋風を生み出した。
向かってくる鬱陶しい石の雨も、土の壁も全て破壊した。
振り回される鉄球のまわりの空間にだけ穴が空いた、と表現すればいいだろうか。
最大可動の鉄球は、こうして自分から離した状態でないと使えないのが難しいところだった。
その威力を見てルクスは距離を取った。
放つ魔力砲撃も全てその旋風によって蹴散らされていく。
先ほどの触手の拘束により、どこかに異常が出たのだろう。ルクスは右腕の肘を庇っていた。
この至福の時間も終わりが近づいているようだった。
超重力で空間を歪めながら迫る鉄球に気を取られるルクスに、迫る大きな影がもう一つあった。
──それは炎の大剣だ。
ハディアが手に持っているはずのそれは、いつのまにか鉄球とは逆側から挟み撃ちにしてきていた。
大剣の持ち手をよく見るとハディアの触手がもう三本──つまりスカートの半分の触手が接続され、操作されていた。
「────」
ルクスは剣にありったけの魔力を纏わせて、それを迎撃するために斬撃を放とうとした。
しかし、ハディアの狙いは大剣によってルクスを削り潰すことではなかった。
エネルギーを過剰に供給された炎の大剣は漏れ出す魔力を制御できずに、大爆発を起こした。
つまり、その大剣は“特大の爆弾”だった。
宮殿の一部がガラス化するほどの熱量がルクスの鎧を直撃する。
小さな雷と黒い雲が巻き上がる。
個人が使用する兵器の威力としては最高で最悪の威力だった。
その魔法の爆発は“知識の蔵”を破壊したときのように、宮殿を半壊させた。
ルクスは近くにいるであろう愛する少女を庇って、宮殿の石を操作して、なんとかその爆発の衝撃を空へと逃がしていた。
しかし──その銀色の鎧はとうとう動きを止めてしまった。
「さようなら、愛しい子──」
なんとか立ち上がろうとするあちこちが崩れた騎士に、逃れられぬ破壊の一撃がやってくる。
止めの黄金の鉄球がその騎士を打ち砕いた。
ハディアは鎧の中で絶頂しそうなほど昂ぶった。
実の息子をこの手で殺すことができるなんて、本当に貴重で素晴らしい体験だからだ。
ハディアに降り注いでいた鬱陶しい石の矢と相手の地形変化が止まった。
それにより、相手の戦闘不能を確信し彼女はその最期を見ようと身を乗り出した。
銀の輝きが飛び散った。
腕。兜。剣。──しかし、真っ赤な肉はどこにも見当たらなかった。
「──ッ!」
それを見てハディアは鉄球を振り回し、大地を踏んで、土煙を舞わせた。
その土煙によって黄金の鎧の姿と、見るも無惨な宮殿内の景色は見えなくなった。
ランダムに振り回される空間を削ぎ落とすほどの破壊の旋風も、姿の見えないそれに当たることはない。
そして、彼は光が見えなくとも、もう一つの血から受け継いだ能力で姿を聞くことができる。
『やっと一発お見舞いできるぜ』
「────」
右腕の大剣を捨て、鉄球を遠くに放ち振り回す黄金の鎧は、至近距離の防御性能を落としていた。
まず見えたのは“右側から”現れた銀色の騎士。
しかし、その声は“左側から”聞こえた。
まやかしに惑わされる必要などない。両方に対応すればいい。
右側には触手で。左側には盾で。──そして、“正面には”右腕で。
僅かな土煙の揺らぎを彼女は見ていた。正面には透明になった騎士。これが本命だろう。
三方向から迫る影は二つが幻。そのどれが本物でも十分に対処できる。
だがその黄金の鎧が受けた衝撃は、三つ分だった。
「────」
「────」
──全てが本物だった。そして、迫る騎士はもう一つ。後ろからも来ていた。
思考を一周上回る本当に小賢しい奇襲だった。
魔石同士がぶつかり合う音が響く。
銀光の騎士は剣を捨て、素手で黄金の鎧を掴むだけだった。
その目的は魔石を停止させること。
夜の騎士として反王軍の資源を潰し続けた彼にとっては造作もないことだった。
黄金の鎧はそれを引き剥がそうと暴れた。
それはじゃれてくる子供を怒りながら引き剥がす母親のように見えた。
その抵抗によって次々と銀色の鎧は引き剥がされていくが、最後に残った後ろから来ていた一体が、とうとう黄金の魔石を停止させる。
魔石内部の膨大な魔力が消えていく。
「…………」
「…………」
その鎧たちは何も喋らない。
土煙が晴れ、金と銀の輝きが太陽に照らされる。
遠くからその影を見れば、子を背負う母の姿のように思えたかもしれない。
やがて、引き戻されていた黄金の鉄球の一撃によって、停止したその二つの鎧は砕け散った。
◆
宮殿中に鳴り響いていた破壊の音が止んだ。
「……決着がついたのかな?」
「おそらく……」
フィンナは娘に支えられながら歩いていたが、その場にへたり込んだ。
「お母さま……!」
「はは……まさか、キミも私が助かるとは思っていないだろう……?」
とうとう力なく倒れたフィンナを、サフィレーヌが慌てて抱き起こす。
しかし、それをフィンナは最後の力を振り絞って拒否した。
「彼からの伝言だ。“孤高の塔”に行けと。……私としてはとても安全とは言えないが、彼が言うのなら……まあ……大丈夫なのだろうな」
それは婿から風を使って伝えられた言葉だった。
罪滅ぼしという気はさらさらないが、フィンナはそれに従った。
「ならば、お母さまも……。ぅ……いえ」
つい、言ってしまったのだろう。
サフィレーヌは自分でも驚いたように、話した後に口を噤んだ。
それだけでフィンナには十分だった。
血に汚れた手を服で拭いてから、愛しい子の顔をなぞる。
「ああ……。こうなるのなら……もっと……教えたいことが山ほどあったのだがね……。
馬鹿どもの潰し方……。正義を振る舞う経験……。ふふ……夜の愛され方も……な……」
瞼が重い。寒い。痛い。苦しい。──けれど、なにかが満たされていた。
「……でも、キミなら大丈夫だ。見ただけで覚えてしまう子だ。……どうか、あの子と幸せに……」
「はい……!」
娘の手の中で、娘よりも先に逝ける。
孫というものを見れないのは少し残念だが、それを見たら腑抜けてしまう予感があったから、丁度よかったのかもしれない。
ぼやけたような視界の中、もう一度娘を見る。
きっと、サフィレーヌはフィンナ以上の怪物になる。
あのふざけた女相手に愛を説く胆力を持っているのだから当たり前だ。
『はは……我が家は安泰だな……。お前のような化け物が生まれたのだから……』
それが、フィンナの父の最期の言葉だった。
しかしあれは意味通りの言葉だったのかもしれない。そう語った父の顔は笑顔だったのだから。
今のフィンナには少しその感情が理解できた。
「サフィレーヌ。愛しているよ。すまなかった。……キミが新たなカルクルールの当主だ」
「…………」
涙を流して、首を横に振る娘を叱るように、フィンナはその頭を撫でた。
「……ああ、我が家は安泰だな。……キミのような子が生まれてくれたのだから……」
父の言葉で苦しんだフィンナは少しだけ言葉を選んだ。
うまく伝わってくれればいいのだが、とフィンナは笑った。
「……わかりました。お母さまを踏み台にして、愛と幸福で満たされた人生を手に入れます」
青色の愛に狂った目がフィンナを見た。
そうだ。それでいい。
自分を飾ったところで意味はない。
欲しいものは欲しいと言え。
嫌いなものは嫌いと言え。
──そうできなかった母からの助言は、ちゃんと届いていたようだ。
「……それは……素晴らしい……。せいぜい、頑張り給え……」
言いたいことなんてたくさんある。文句も愚痴もある。
でも最期の最期のそれだけで良かった。
“子に看取られる”。
なんと幸福なのか。ああ──とても素晴らしい人生だ。
眩い光に焦がされ、激しい愛に狂った女の最期は、穏やかなものだった。




