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 褪せた煉瓦の街並みの中にひとつだけ、噴水広場がある。退屈な田舎街の景色の中に、唯一ある憩いの場。その噴水を中央にして四方位に道が延びており、そのうちのひとつは、街の領主の屋敷に続いている。

 その屋敷に、一通の手紙が届いた。

 顔見知りの配達人から手紙を受け取った屋敷の女主人は、見慣れぬ家門の封蝋に首を傾げるのだった。



 カルヴァン男爵は書斎で仕事机に向かいペンを走らせていた。一通り作業を終えると、ため息を吐き、妻の淹れてくれたコーヒーを口にした。

 既に冷めてしまい、芳醇な香りが弱くなっていた。次いで口内に残る苦味と強い酸味。

 酷使した両目を閉じ、右手の指で瞼をマッサージする。もう年だなと思った。

 既に五十歳を過ぎた男爵は、このごろ老いを感じていた。事務作業に連続して取り組むのが以前より辛くなっただけではない。朝目覚めてすぐ、階段を上り下りすると膝が痛むようになったことや、脂っこいものを食べたときに胃がむかつくこと。鏡を見ると、後ろになでつけた茶色い髪に白髪が目立っていること。老いだけではなく、彼は領地経営にも頭を抱えていたのだった。心配事など、数えれば枚挙にいとまがなく、悩んだ分だけ白髪が増える。だから考えないようにしていた。が、この問題だけは、どうにかしなければ。


 その問題とは、娘であるリーネの婚約のことだった。

 彼女は二十歳になるというのに、情けないことに婚約者がまだいないのだ。隣町のロイヤル子爵の娘は二人いて、リーネより三つ年下の次女には既に婚約者がいる。長女は結婚しており、つい先日息子が生まれたそうだ。つまり、子爵からすると孫だ。


 孫か。いいな、孫。うやましいな、かわいい孫。


 思わず、心の中で一句詠んだ。

 わたしにも いたっていいのに かわいい孫。


 字余りの切ない気持ちを処理するために、男爵は先週、ついに行動を起こした。知り合いの貴族や名のある伯爵・侯爵家に、リーネの肖像画入りの手紙を送ったのだ。しかし、どんなに首を長くして待っても、返事は一通も来ない。


 二十歳の行き遅れ令嬢の縁談話。

 みな敬遠してしまうのだろうか?

 でもわたしの娘は、世辞抜きで綺麗だ。性格に多少難はあるが、見た目は良いんだから必ず良い返事が来るはずだ。それなのに、なぜ・・・


 どうして返事が一通も来ないのか思案し、両手で頭を抱えた。


 農地の収穫高、今季は悪かったな。


 もはや悪いことしか浮かんでこない。気持ちを切り替えるために、良いことを思い出そうと努めた。

 縁談の手紙を送った先週、学生時代の旧友と偶然再会したのだ。彼と互いの近況を報告し合っていると、折り入って頼みたいことがあると、神妙な面持ちで言われた。


「私と新事業をやってみないか?」


 彼は新事業を立ち上げるためのパートナーを探していたのだった。男爵は何十年も変わり映えのない領地経営をしていたため、新しい事業を始めてみたいという気持ちがあった。しかし提案された資本金を用意することはできず、結局、後日に返事をすると告げ、別れたのだった。

 旧友の顔を思い浮かべながら、男爵は仕事机の上にある書類に目を落とすと、眉をひそめ、ため息を吐いた。と、書斎にノックの音が響いた。


 コンコン。


 次いでドアが開き、カルヴァン男爵の妻が入ってきた。が、悩ましげな顔をしている。彼女はひどく穏やかな性格で、悩んでいる姿など今まで見かけたことがないというのに。

 男爵は妻に声を掛けた。


「どうしたんだ?」

「先ほど届いたんですが」


 彼女が差し出してきたのは、一通の手紙だった。受け取るなり、差出人を確認した。が、書かれていなかった。すぐに封蝋に目をやると、見慣れない家紋ーー獅子と双剣の紋様。

 見覚えがあるが、思い出せなかった。だが貴族だということは予想がついた。妻が首を傾げているのは、これが理由だったのだと納得した。

 裏返し宛名を見ると、カルヴァン男爵の名前が書かれていた。間違いなく、自分に送られてきたようだ。開封すると、丁寧にたたまれた便箋が一枚入っているのみだった。それを開き、中に目を通す。たちまち、男爵の目が見開かれ、大声で叫びはじめた。


「やったぁぁぁぁ!!! ついに!! ついに決まったぞぉぉぉ!!!!」

「あなた!? いきなりどうしたの!?」

「大当たりだぁ! フォーーーーッ!!!」

「お、落ち着いてください!」


 興奮する男爵は、妻の顔の前に便箋を突き出した。彼女はムッとしたように眉をひそめたが、無言で便箋に目をやった。視線を左右にせわしなく動かし、全てを読み終える頃には両手を口にあて、その場で飛び跳ねた。


「こ、侯爵家からの求婚だわ!!」

「そう! ついに我が家に運が回ってきたんだ!」


 喜び過ぎて目が血走っている男爵は、書斎から飛び出すと大声で喚き始めた。


「エナはいるか!? すぐにリーネを連れて来るんだ!!」


 メイドの名を呼びながら家中を駆け回る男爵の手から、便箋がひらりと舞い落ち、年季の入った床の上に着地した。それを慌てて拾い上げ、もう一度書かれている文章を目で追い、縁談相手の名前を、声に出して読み上げた。



「ハロルド・グレイ!?」

「そうだ、リーネ。ハロルド・グレイ、つまりヘルベリー侯爵家が縁談の相手だ」


 私は言葉を失くしてしまった。

 電報を確認するや否やティーパーティーを飛び出してきた私は、お父様から婚約者候補の名前と家柄を聞いて思考停止したのだった。


 行き遅れ男爵令嬢だった私が、なんでヘルベリー領主のひとり息子(美形)と結婚することになったの?

 一体、何が起きたというの!? 誰か説明して!!!!


続きは今日の12時に!

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