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私はお父様の書斎机の前に仁王立ちしていた。
珍しく整理された机の上には、一枚の便箋。その向かいに座るお父様。彼の横にはお母様が立っているのだけれど、二人はこれまで見たこともないような満面の笑みを讃えていた。
笑顔なのだから良いことのはずなのに、あまりにもにやけ過ぎて、逆に恐ろしく感じてしまう。
両親の笑顔の理由。それは私の婚約者候補を見つけたから。
でもそれだけじゃないの!
突然だけど解説するわ。私の暮らすシャスティス国の爵位は、身分の高い順に、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵に分けられているのだけれど・・・侯爵といえば国境や重要地域を管理する貴族であり、主に国防を司っている重要なポジション。肩書きだけの侯爵もいるなか、ヘルベリー侯爵家は王家の矛と呼ばれる近衛騎士団を率いる有名な家門。
一方、我が家は男爵家。お父様の一族は先祖代々シェニパー領のレンガ街の管理を任されている田舎貴族の代表。先日は作物の収穫高について頭を悩ませていたお父様。って、そんな貴族、山ほどいるわ! つまり我が家は(自分で言うのが悲しくなるけど)本当によくいる底辺貴族なのだ。
でもみんな、この縁談は田舎貴族にとって、またとないチャンスだと、もう十分に分かったわよね? だからお父様とお母様は少年少女のようにキラキラと瞳を輝かせ、頬を染めて熱い眼差しで私を見つめてるってわけなのよ。
でも侯爵家が相手、か・・・
お父様、どうやってこの縁談を掴んだのかしら? もしかしたら、なにか間違えているとか。例えば、郵便配達員が宛名の名前を読み間違え、誤って我が家に手紙を届けてしまった、とか?
私はお父様に再度訊ねた。
「本当に、侯爵様が私と婚約を??」
「そうだ。実は先週、お前の肖像画入りの手紙をいろんな貴族に送りつけた。当てずっぽうにな。そしたら侯爵家から良い返事が来たんだ! 信じられるか!?」
「そ、それでロイヤル子爵の屋敷に電報を送ったのですね。父危篤と読んだ時には心臓が止まるかと思いましたわ」
私は胸に手を当てて、嘘でティーパーティーを抜け出させたお父様のお顔を改めて見た。悪びれる様子はなく、目を爛々とさせ、心底嬉しそうな表情をしている。後日ピンピンしているお父様を見かけたら、子爵がどう思うのだろうか? ということは考えないことにした。
まだ少年のように頬を染めているお父様の隣には、同じく少女のようにはしゃぐお母様。
「やったわね、リーネ!」
「でかしたな、リーネ!」
「ま、待って! まだ心の準備ができていませんのよ! まさか、こんなに早く縁談話が来るなんて思ってませんでしたから」
「なにを言ってるんだ。その年齢で結婚していないのなんて、お前くらいなんだぞ!」
いきなり顔を真っ赤にして憤るお父様を横目に見ながら、私は突然浮上した婚約者候補の名前を、心の中で復唱してみた。
(ハロルド・グレイ、ハロルド・グレイ・・・間違いなく、ティーパーティーで騒がれてた『銀髪の貴公子』よね?)
かっこいいと令嬢が騒いでいた、今をときめく貴公子様。そんな相手に嫁ぐとなると、プレッシャーを感じる・・・
それにね、正直に言うと、私は結婚に向いていない。だから今まで散々逃げてまわってきた縁談話だったのに。
一体全体、どうしてこうなったの〜〜!!?
こんがらがって解けない毛糸玉のように、今起きていることの整理がつかず、私は両手で頭を抱え、膝から崩れ落ちた。お父様の書斎の床には紺と白の絨毯が敷かれており、幾何学的なモチーフが目に飛び込んだ。その柄を見ていると、目が、回ってきた・・・
すかさずお母様が駆け寄り、体を支えてくれた。
「まぁ、嬉しくて倒れそうなのね」
「本当にそう思いますの?」
「どうかしら。でも結婚とは、そういうものよ」
「うぅ・・・」
「いいじゃない。ヘルベリー侯爵のご子息はイケメンだって噂よ。ジャガイモ男爵と結婚した私より、ずっといいわよ」
「おい、聞こえてるぞ」
不機嫌そうなお父様のツッコミを聞き流して、私は顔を上げた。
お母様の言うとおりだわ。結婚相手を選べないのだから、イケメンなのはラッキーなことじゃない。しかも権力のある侯爵ときた。私たち、めちゃくちゃツイてますわ。
けれど噂では、冷血な殿方とも耳にした。実際には、どんなお方なのだろう?
*
ちらちらと音もなく舞う雪は大地に降り積もり、あたり一面を銀世界に変えている。北の大地に広がる純白の絨毯。そこに鮮やかな赤が飛び散った。
点々と彩られる生暖かい血は、絨毯を汚す前に凍りついてから雪のうえに落ちる。極寒の地では、液体は瞬時に凍ってしまう。けれど、それだけではない。傷口さえも凍りつき、しまいには出血自体が止まってしまうのだった。
凍傷を起こした傷口を抑え、白い絨毯の上を這う男がひとり。彼は生きようと懸命にもがいていたが、たった今、新たな傷ーーそれも深刻な傷を負った。刹那、口から血を吐き絶命したのだった。
男の亡骸の横を次々と駆けぬけていく足、足、足。彼らは、追っ手から逃げていた。
逃亡者たちは黒く分厚いローブを身にまとっている。その下には、短剣や長剣を忍ばせており、その気になれば戦うことのできる装備をしていた。が、みな戦意喪失し、逃げ惑っているのだった。彼らはなにを恐れ、なにから逃げているのだろうか?
黒い影がさっと駆け抜けた。瞬間、悲鳴と共に、またひとり、雪の中にドサリと倒れた。
彼らは、血に飢えた修羅から逃げているのだった。
だが白銀の世界では逃げ隠れできる場所などない。追いつかれ、次々と切り捨てられてしまう人々。背中を斬られた男が、振り返り叫んだ。
「こっ、殺さないで! 頼む、まだ死にたくないんだ。
シャスティスに忠誠を誓うから、許してくれ・・・」
死を目前にし、命を乞う。慈悲の心があれば、振りかざされた剣は鞘におさまるかもしない。
だが相手が悪かった。彼らの追っ手は執拗に追いかけ、命を刈り取るまで止まることを知らない戦の鬼。修羅の眼光は鋭利な刃物のように鋭く、ひと睨みされただけで心臓が止まりそうになるほどの覇気をまとっていた。
その視線に睨まれた男は瞬時に悟った。命乞いは無意味だった、と。
音のない純白の銀世界。スノードームの中のように汚れのない美しい世界は、いくつもの悲鳴と絶命により、その様相を地獄に変えていくのだった。
やがて、動くもの全ての息の根が止まり、静寂の帳がおりた。ようやく剣を振るう手が止まると、その背後から声が飛んだ。
「隊長、ひとりで倒したんですか!?」
隊長と呼ばれ振り返った修羅は、赤く染まった剣を地面に突き刺し、両手で白銀の兜を脱ぐと頭を振った。整った顔立ちの男だった。
彼の口から白い息が洩れた。その呼気はふわりと浮上し、銀髪の前まで浮上する頃には霧散したのだった。
誰のことを書いてるのか想像がついた方もいると思います。
次の話は15時10分に更新予定です!




