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本日最後の更新です
それからというもの、聖東騎士団との合同討伐やシェニパーへの応援部隊に混じって出兵する度に、救護班にいるリーネの姿を見かけるようになった。見習い兵士のハロルドは、よく怪我をしていた。そして治療を受けに行く際、こっそりと救護班の中の様子を伺い、頃合いを見計らって中に入るようにしていた。彼女の治療を受けられる順番を見計らっていたのだ。なぜそんなことをしたのか、自分でも分からなかった。
彼女はハロルドの顔を覚えており、治療の際には少し会話をすることができた。
何度か治療を受けると、自然と、ひたむきに専念する姿に心を惹かれるようになった。その姿を目で追うようになるのに、そう時間はかからなかった。が、ある頃を堺に、救護班のテントで彼女の姿を見かけなくなった。
救護班を辞めてしまったのだろうか?
別のヒーラーに治療を受ける度に、一輪の花のような笑顔が頭をよぎることが続いた。
そしてある日、初めて気がついた。彼女と話す機会がなくなり、酷く落ち込んでいる自分に。その時初めて、リーネに特別な淡い感情を寄せていたのだと自覚したのだった。
だが、彼は侯爵家の後継ぎ。誰かに想いを寄せたとしても、それは無意味なものだと、幼いなりに理解していた。
日々をこなすうちに、戦場にも慣れ、気持ちを取り乱すことがなくなった。やがて士官アカデミーを入学・卒業し、近衛騎士団に入団。その数年後には分隊長を任されるようになった。
任務に追われる日々が続く、ある日のこと。
侯爵夫人である母に呼び出され、縁談を勧められた。いずれは爵位を継ぎ領地を治め、王室のヘルベリー近衛騎士団を率いる父の役職も継がなければならない。その重責を背負っているハロルドは、誰が婚約者になろうと心を乱されることは一つも無いと確信していた。親の決めた結婚相手など、侯爵家の子孫を残すために必要なだけであって、義理もなければ、互いを知り親しくする必要もないと割り切っていた。
そうして、婚約者の名前も顔も何も知らないまま、両家の顔合わせの日を迎えることに。だが相手の爵位を聞き、思わず眉をひそめた。が、敢えて顔を背けていると、婚約者が立ち上がり、名前を述べたーー途端に、息が詰まった。
リーネだと・・・?
ずっと顔を逸らし続けていた婚約者。
だが見上げてみれば・・・ゆるく巻いた金髪に、空色の瞳。少女の時の面影がわずかに残っている。
縁談の相手は、ヒーラーのリーネに間違いなかった。彼女は可憐な少女から美しい女性に成長し、数奇なことに、ハロルドの前で自己紹介をしているのだった。
「これからよろしくお願いいたします」
花の咲くような笑みを口元に讃えた婚約者は、恭しく一礼した。
その瞬間、あれほど興味がなかった婚約者から、目が離せなくなってしまったのだった。
かつての想い人との再開。それは実に幸運なことだった。しかし、実際の状況はハロルドの想像以上に悪かった。というのも、リーネの顔を凝視していて思い出したのだが、顔合わせのひと月ほど前にレンガ街で女性とぶつかった。その女性が、金髪に空色の瞳の女性ーーリーネだったのだ!
気付いた瞬間、顔がひきつってしまった。が、その時のリーネの目と口も、自分と同様にビクリとひきつったのが気になった。
連れのメイドと逃げるように去って行ったことも思い出し、怖がられているのだと悟った。無理もない。転んでしまった女性を助けるために声をかけなかったのだから。明らかに紳士として思慮に欠けていたといえるだろう。
加えて、顔合わせの席では不誠実な態度を取り続けてしまった。印象は相当悪くなったに違いない。
覆水盆に返らずとは、よくいったものだ。
結果として、目が合った途端に彼女に睨まれてしまった。失態を取り返そうと何度か屋敷を訪ね、部下の言っていた誠意とやらを試し、キスを迫った。いや、今のは言い訳だ。実のところリーネに触れてみたいという欲求は自分でも戸惑ってしまうほど強く、婚約者だから大丈夫だと鷹を括り、実行したのだった。そして強烈なビンタと拒絶により、返り討ちにあったというわけだ。「救護班の鬼」と呼ばれていたリーネの言動には、なかなかの迫力と鋭いナイフのような切れ味があり、さすがに落ち込んだ。
この失態は焦ってしまった自分に責任があると分かっていた。しかし今回の縁談に運命を感じてもいる。今は婚約者に嫌われているが、いずれは、相思相愛の仲になりたいと心から願っていた。そのためには、何をすれば良いのだろう。
・・・・・・
・・・・・・
気の利いた答えは浮かばなかった。
今まで後継者という重責に応えるために自分の全てを捧げてきたハロルドには、恋愛にうつつを抜かす暇もなければ、一夜だけの火遊びをする余裕もなかった。だからその方面のテクニックについては、からっきし苦手だった。故に「女心」という対峙したことのない強敵を前に、妙案は浮かぶはずもなく・・・
唯一できることといえば、婚約者という肩書を掲げて、リーネに会いに行くことだけだった。
*
カルヴァン邸の広間は、来客がある際には応接室として機能する。けれどダンス講師がくると、稽古場になってしまうのだ。
焦茶色の床は褪せて、明るい茶色に変色している。その床板が一定のリズムで軋む。稽古場には軽快なリズムを刻む手拍子が響き、懸命にステップを踏む私の足が、年代物の屋敷の床をギシギシと軋ませていた。こんな場所で踊っていて、床が抜けないか心配だわ。
ハロルド様が討伐に出てから、一週間が過ぎようとしていた。その間、私はダンスの練習に追われていたのだった。
なぜって思ったでしょう? 実は、侯爵家との婚約は、まだ世間に発表していない。というのも、幼い頃から救護班の活動に明け暮れていた私は、社交界デビューを未だに果たしていないのだ。それが問題にあがり、婚約発表の条件として急ピッチで社交界に出なければならないことになった。
けれどデビューするにはダンスが付き物。だから今、我が家の床を踏み抜くのを覚悟で、ダンスの練習をしているっていうわけ! けれど・・・
「ワン、ツー、スリー、フォー! ワン、ツー・・・だめよぉ、リーネ! またステップを踏み間違えてるわよ!」
「ごっ、ごめんなさい、アンドレアス先生! ハァ、ハァ・・・その、ちょっと休憩しませんか?」
「あらっ! さっきもしたばかりじゃないの!」
「の、喉が渇きまして・・・」
先生の許可を待たずに、隅に寄せていたテーブルに近づいた。盤面には水の入ったグラスが二つ載っている。そのひとつに口をつけ、冷たい水を喉に流し込んだ。
ぷはぁ〜・・・生き返る。
肺に溜まった空気を吐き切り、次いで大きく息を吸い込むと、今度は深くて長〜〜いため息を吐いた。
正直にいって、私にはダンスの才能がない。
それなのに、いくら練習したって上手くなるわけないじゃない。
私は物心つく頃からダンスの練習をしてきたことを思い出した。
その時はまだ弟が産まれていなかったから、両親は長女の成長に期待していて、勉強やダンスに力を入れていたのだ。けれど、さっきも言ったように私にはセンスがなかったし、そもそも練習が大大大嫌いだった。
どうにか練習地獄から抜け出せないかと思案していた時に、ふと自分の特技を思い出した。
そうだ!
私には、治癒魔法があるじゃない!
その頃メイドとして屋敷に勤めていたリルに、治癒魔法でできることを訊ねた。そうしたら、救護班員として活躍できることを知ったのだ。
私は迷わずに救護班宛に有志の手紙を出すと、すぐ快い返事が返ってきた。そして戦場に赴き、負傷した兵士達を癒すことを決めたのだ。だって誰かの傷を治すのは得意だし、家の外に出る口実にもなるし!
そうやって私は幼い頃からヒーラーとして活動し始め(両親はものすごく反対したけれど押し切った)、ダンスの練習から逃げていた。
けれども・・・それには期限があった。活動するのは、結婚適齢期をギリギリはみ出した二十歳までと、約束を交わしていたのだ。ちなみにそれから先のことは、当時なにも考えていなかったわ。
そして実際に二十歳を超えてしまうと、あっという間に婚約者ができてしまったのだった。
年も年だし、発表すれば近いうちに挙式を挙げることになるだろう。しかもお相手は泣く子も黙る侯爵家ときた。
もし爵位を継ぐ立場にあるハロルド様の妻が、社交界デビューを果たしていないなんてことになったら・・・あり得ないと問題になってしまう。故に、やっぱりダンスの練習を再開しなければならないのだ。
やらなければいけない理由は分かる。けれど、だからといって心までは丸め込めない。
仕方ないですわ。だって、私の本心は最初から決まっているのだから。
私の心は、そうーー
ダンスが大っっ嫌い!!!!
こうなれば、逃げるしかない。
ダンス講師に「お手洗いに行って来ますわ」と言い残すと、風のように広間を走り去った。
やっとハロルド様のターン終了です。
いや、長かったなぁ〜〜〜〜
明日も更新するのでよろしくお願いします!




