終わっていなかった問題(前)
公園近くを歩いていると、前方から春野先生と更木先生が歩いてくる姿が見えた。どうやら更木先生は本当に春野先生の近くに引っ越したようで、仲が良いな……と思いながら挨拶をする。
「こんにちは」
「ん?ああ、こんにちはー」
「こんにちは。ミナミちゃんは元気ですか?」
「はい!」
返事をしながら立ち止まった2人の服をまじまじと見る。白衣しか見たことがないからか私服は見慣れない。春野先生はシャツにジーンズというラフな格好に、少し高そうな銀色の時計をしていて、更木先生も似たような格好だけど黒の時計をしている。どうやら普段は動物を傷つけないように時計を着けていないらしい。
「脱走してないなら良かったねぇ。学校帰り?」
「はい。2人は……」
「これから早めの夕飯です。一緒に食べます?」
「お、流石更木先生。誘い方がスマートだ」
「茶化さないで下さい。あ、でも喫茶店で食べるんでしたっけ?」
「そうですね。仕事終わりに賄いがあるので……」
「そうなんだ。そりゃ良いねぇ」
賄いの有無で食費が随分と違う。それは一人暮らしをしたことのある春野先生と、絶賛一人暮らし中の更木先生は良く分かるそうで、手を振って送り出してくれた。偶然の出会いは何だか気分をワクワクさせるな……と思いつつ歩き、ふと後ろを振り返り2人の姿を眺める。
2人は笑いながら何か話している。胸の奥に何か違和感を感じたけれど、それが何なのか分からずとりあえず喫茶店に向かった。
***
***
喫茶店の仕事も終わり今日は久々に美樹と帰っていく。
エントランス前で別れ、美樹の姿を見送った所で集合ポストを見る。何も入っていなさそうなポストにホッと胸の撫で下ろしながら、念の為にポストを開ける。やっぱり何も入っていない。そう思いながら閉めたけれど、丁度エントランスに入ってきた郵便局員に話しかけられた。
「あ、すみません若槻さんですか?」
「はい」
「これお届けものです」
こんな所ですみませんと謝る郵便局員には申し訳ないが、差し出された分厚いパックを受け取りたくなくて眉間に皺を寄せる。ただ、これを受け取らなければこの人の仕事も終了しないのだ……と意を決して受け取る。
ペコリと頭を下げて足早に去る郵便局員を見送り恐る恐る差出人を確認する。
宛名は自分なのに差出人が書いていない。それだけで心臓がバクバクとしていく。震える手で封を開け中身をチラリと覗き、ひっ!と悲鳴を漏らす。思わず落としてしまい、中に入っていた物が出てしまった。
「あ……」
見ないように急いでかき集めようとしたけれど、中に入っていた物にどうしても視線が行ってしまう。
中に入っているのは手紙と写真。主に写真だ。そしてそのどれもが菜緒本人が写っている。学校に向かう途中。喫茶店の行き帰り。そしてマンションのエントランスに入る瞬間。その写真を見た瞬間、身の毛がよだつ。バッと辺りに視線を移しても誰もいない。樹を殺した犯人は今も捕まっている筈だ。なのになんでいなくなった後もずっと届き続けるのか。終わってないと信じたくなくて耐えてきたけれど、もう限界かもしれない。今も誰かに見張られている気配がして、急いでかき集め荷物を持って部屋に駆け込む。ガチャン!と鍵を閉めてズルズルと玄関に座り込む。荒い息が中々整わない中、怖さでグスグスと泣いてしまう。
泣いて暫くしてからだろうか、ふと室内に違和感を感じた。体温が一気に冷えていき、握りしめる手はいくら握っていても暖まらない。嫌に響く心臓の音に息苦しさを感じる。まさか、まさか……と考えながら、鞄にしまいこんでいた千紘から貰った紙を取り出した。
カサリと紙を開く音が異様に響く。音を立てないように室内に入り、紙を見ながら辺りを見回す。
「……っ!」
悲鳴を漏らしそうになる口を咄嗟に押さえてしゃがみこむ。引っ越しする時に千紘がくれた延長コード。あれはコード部分に薄汚れがあった。新品を買うよと言っていたけれど、勿体無いとそれを貰った。でもどうしてか、そんな汚れなどない新品の延長コードがテレビの下にある。怖い怖いと思う気持ちに支配されそうになり、どうしていいか分からない。紙を見ながら助けて……と念じていると、何かあれば直ぐに連絡をと書いてあった。千紘の文字で書いてある文面に落ち着きを取り戻す。
深呼吸を何回かして鞄の中にあるスマホを取り出した。
数回のコール音の後に、もしもし?と安心するような声が耳に届く。
『どうしたの?』
優しく甘い声が菜緒の涙腺を刺激する。グスグスと鼻を鳴らすと、菜緒ちゃん?と呼び掛けられた。
「千紘さん、依頼をしたいです……」
そう告げると何か感じ取ったのか、息を呑む音が聞こえる。
『迅速に対応します。1時間後にエントランスで。ミナミちゃんも一緒で良いからね』
「……はい」
来てくれるだけで安心感が増していく。服はこのままで良い。なら……と仕分けだけして手付かずの手紙や封筒を全部紙袋に突っ込む。ミナミの用品も整えた辺りで、ピンポーンとチャイムが押された。
ピクリとミナミが反応し玄関に向かう。それを急いで抱えあげ玄関を見つめる。
(なんで……)
まだ30分も経っていない。それに千紘はエントランスでと言っていた。早くに来れたのか、何かあってここまで来たのか。でも何だか嫌な予感がする……と恐る恐る玄関に近づく。ドアノブがガチャガチャと二度回され、まるで開けようとしているようで、一気に鳥肌が立っていく。
(むり、やだ……)
リビングに走ると、回されていたドアノブの音がピタリと止まった。
あまりの恐怖心に囚われ、どうして良いか分からず再び千紘に電話をする。
『もしもし。後30分くらいで着くからね』
千紘の言葉に、やっぱり今チャイムを鳴らし、ドアノブを回したのは千紘ではなかった……と声を詰まらせる。
「そとでたくない」
『菜緒ちゃん?』
「だって、いまチャイム、なって……ドア開けようと、して……」
スマホを持つ手が震える。なんでこんな目に合わないといけないのか分からない。ボロボロと泣きながら千紘の名前を呼ぶと、菜緒ちゃん!と怒るような声が聞こえてくる。
『僕も行くけど、まずは警察に電話して直ぐに来てもらって』
「でも……」
『でもじゃない!万が一侵入してきたらどうするんだ!』
千紘の怒ったような声が耳に響く。樹を演じている時とは違う声色に、ごめんなさい……と呟く。
『ん、僕こそ怒鳴ってごめん。でも今から必ず電話して。いいね?』
「はい……」
『大丈夫。必ず行く。電話をしながらチャイム鳴らすから、そしたら出て?』
「うん……」
グスグスと鼻を鳴らしながら電話を切り、言われた通りに直ぐに警察に電話をする。10分もしないうちに駆けつけれるそうで、ホッと胸を撫で下ろした。あとで千紘にお礼を言わないと思いながら到着を待った。
***
***
警察の人が来て事情を聞いてくれている途中、スマホが着信を知らせてきた。千紘からかと思いスマホの画面を確認し青ざめた顔を見せる。
非通知には出たくないと思っていると、今度はチャイムが鳴りビクン!と体を震わせた。警察の人が警戒をしながら玄関に向かう。
「菜緒ちゃん?」
扉の向こうから聞こえてくるのは自分を心配し続けてくれる声。警察の人も迎えに来る人だと分かったのか、警戒を解いて迎えてくれた。
鍵を開けて扉を開けると、少しだけ汗をかいた千紘がいた。千紘さん!と飛び出し抱きつくと、慌てた声が聞こえてきたもののしっかり抱き止めてくれた。
「警察にも電話したんだね。良かった」
「電話してって言ってくれて、ありがとうございます……」
「ううん。遅くなってごめんね。……すみません。彼女を助けていただき、ありがとうございます」
ペコリと頭を下げる千紘に習い菜緒も頭を下げる。
「いえいえ。彼氏さんが来てくれて安心ですね。今日はもう遅いので、明日にでも警察に相談しに来てください」
「はい。ありがとうございます」
「今日はここに?」
「いえ、違う場所に連れていきます」
「なら外までお送りしますね」
彼氏というのを否定した方が良いと思うけれど、テキパキと動く警察にも千紘にも言えず、そのままになってしまった。
「持ってくのはこれ?」
紙袋を見て不愉快そうに顔を歪める千紘に頷く。頷いた菜緒を安心させるように頭を撫で、テレビ台近くにしゃがみこむ。暫くして立ち上がった千紘は荷物持ち、キャリーケースを見つめる。
「菜緒ちゃんはミナミちゃんね」
「はい」
ミナミのキャリーケースを持ち、待ってくれた警察と千紘と一緒に外に出る。
鍵をかけて千紘を見上げると、安心させるように微笑まれる。
「暫く戻れないけど、心配しないで」
何から何まで迷惑をかけっぱなしだ。ごめんなさい……と呟くと、ソッと手を握られた。
「大丈夫。僕が守るよ」
千紘に視線を移すと真剣な瞳を菜緒に向けていた。吸い込まれそうになるくらい綺麗な瞳だ。
その瞳を見ていると安心する。そう思いながら頷く。満足そうに微笑む千紘といると、自分はとても安心出来るのだと実感した。




