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柔らかな言葉

 樹の格好で千紘はマンション周辺の聞き込みをし、菜緒がマンション内の聞き込みをしていく。マンション内の聞き込みと言っても、嘆願書に同意している人から聞ける話しは限られていた。メモを取りながら歩いていると、不審者と言われている男性……若宮恭二が部屋から出てきた。影に隠れ千紘に連絡を取る。

 すぐさま電話に出た千紘に、千紘と言いそうになった口をグッと堪え樹の名を呼ぶ。


「若宮さんが出ました」

『了解。お前も来い』

「はい」


 やっぱり樹を演じている時は徹底しているなと思いながら、若宮に気がつかれないよう後ろから追いかける。

 歩いて20分もしないうちに、若宮は一件の建物に入っていった。


「ここは……?」

「児童相談所だな。アイツは児童心理司なようだ」

「児童心理司?」

「相談所の子どもの心のケアをする職業だ」


 なんて立派な職業なんだろうか。そんな人が不審者になるのか?とは思うけれど、住民達の不安を解消するにはまだ情報が足りない。


「聞き込み結果は?」

「あ、はい。ええっと、住民の中で大学からの友人が1人いらっしゃって、その方の証言です」


 若宮の交友関係は至って普通。付き合って1年になる彼女がいる。タバコとギャンブルはしないで、お酒は休みの前日に飲むみたいだが、最近は予定が合わず一緒に飲んではいない。

 そう伝えていくと、ふーん……と興味無さそうに頷いたのに、どことなく機嫌が良さそうだ。


「樹さん何だか機嫌良いですね」

「まぁな。油断は出来ないが、余計な虫がいないなら機嫌も良くなるさ」

「……虫?」


 虫の話題なんて今の今まで出てなかった。なのに何故?と聞き返しても、答えてくれないのか報告を続けられた。


「伝を使って若宮の勤務表を見せてもらったんだが……」


 ここ数ヶ月の勤務実態を見て声を失う。


「え?若宮さんいつ休んでるんですか?」


 通常勤務以外にも予定がびっしりと書き込まれている。これでは友人と予定が合わないのも分かる。何よりも若宮が休む暇もない。そして初めて若宮を見た時のことを思い出した。


「だからフラフラしてたんですね」

「ああ、恐らくな。夜中に駆り出されたんだろ」


 千紘から資料を差し出された見ると、児童相談所が保有する緊急用の携帯について書かれていた。


「夜勤もいるが、子ども達に何かあった場合、直ぐに駆け付けられる奴がいるよう、持ち回りでこの携帯が渡される」


 端から見ても大変そうだ。だから働いている人はもっと大変な思いをしているのだと思うと、不審者扱いされている若宮に同情してしまいそうだ。児童相談所への入り口を眺め、ため息を吐いた所で一日目の調査は終了した。

 喫茶店に帰り樹の格好から戻った千紘は、うーんと難しい顔をしている。


「資料だけで納得してくれないかな……」


 持ち回りの携帯や証言だけで納得してくれそうな雰囲気ではなかった。確固たる証拠があれば説得出来そうだ。そのためには夜中に駆り出された若宮を尾行することと、鞄の中身を知る必要がある。だとしたら夜中にマンション周辺で待ち伏せしていないといけない。ちょっと大変だな……と呟く千紘にある提案をする。


「千紘さん」

「ん?なぁに?」

「私の部屋に泊まります?」


 口を半開きにしたままポカンとする千紘と、そんな表情初めて見たな……と思いながら見つめる菜緒。次第に自分が言った言葉の意味を理解し、頬を赤く染めながら慌てて首を振った。


「違うんです!!」

「うん、分かってる。分かってるけど……」


 今、喫茶店には誰もお客がいない。千紘が帰ってくるまで店にいてくれた美樹ももう帰ってしまった。カウンターに佇んでいる姿は、まるで手を握られた時と同じシチュエーションだ。しかも藤代すらいない本当に2人きりの状況で、千紘の視線に耐えきれず俯く。

 俯いたものの、また手を握られパッと顔を上げた。


「他の男もそうやって誘うの?」

「え?」

「ダメ。誘わないで。……勘違いさせないで」


 低く囁かれるような声。少しだけ熱を持った掠れるような声色に心臓がバクバクと音を立てていく。優しくても言動がオドオドする時はあっても、千紘は男なのだと気付かされるような姿だ。熱に浮かされたように頷くと、切なそうに微笑まれる。


「誘うのは僕だけね?」

「……はい」

「ん、いい子」


 短く頷いた千紘は、菜緒の頭をポンポンと撫でる。子ども扱いされているような気がして少し寂しいけれど、以前とは違う距離感が嬉しい。


「まあ、近くで待機するよ」

「えっ、泊まらないんですか?」


 誘っているのは千紘だけ。他には誰も誘わない。条件は満たしているし、千紘がいてくれたら嬉しいのにと思い見つめる。重苦しいため息を吐いた千紘は、パッと手を離して菜緒から距離を取った。


「無理。………いや、その、大丈夫だから」


 しどろもどろになっていく千紘が、いつも見ている見知った千紘でホッと安心してしまう。さっきの千紘も勿論本人だとは思うけれど、知らない千紘を見たようで緊張してしまった。お互い見つめ合い、ぎこちない笑みを見せた所で変な雰囲気は消えていった。



 ***



 ***



 夜中、呼び出され急いで出ていく若宮の後をついていった千紘は、道中の写真を取りつつ尾行を続けていく。案の定児童相談所に入った所で、もう既にある程度の証拠は揃っていた。後1日使い資料の補完をした所で、喫茶店に住民達を呼び出した。


「どうです?どんな証拠が手に入りました?」


 代表して娘を持つ主婦の人が説明を求めていく。樹に変装していると、喧嘩腰になってしまうと思ったのか、千紘のままで説明をしていっている。


「まず、若宮さんの職業ですね。彼は児童心理司をしています」

「それって児童相談所の……」

「えぇ、そうです。児童相談所での勤務態度は良好ですし、交友関係にも問題は無さそうです」

「でも、夜中に不審な感じで……」

「夜中に出るのは緊急の呼び出しですね。これが資料です」


 夜中に出ていく理由も語られ住民達は互いの顔を見合せる。


「確かに彼は口下手で服装にも無頓着ですが、それは疲労によるものもあります」


 ついで千紘が出したのは1日の勤務実態。私の夫より忙しいわ……と呟く住民の1人は、自分がとても失礼なことをしてしまったのだと自覚したのか、恥ずかしそうに俯いていく。


「それと、鞄に入っていた本や資料ですが、心理に関する本ですね」


 強気だった住民達は、自分達の考えが間違っていたのだと分かりみるみるうちに縮こまっていく。口々に謝る住民達に千紘は首を振る。


「他者を見た目で判断するのは人間がどうしてもしてしまうものです。ただ、根も葉もない噂で傷つく人もいるというのは知っておいてください」

「……はい」

「でも、娘さんや家族を守るために必死な姿は、ご家族にとって喜ばしいことだと思います」

「そう、ですかね……」

「はい。それともう1つ皆さんが誇る所があります」


 ニッコリと微笑む千紘に全員が目を瞬かせる。


「今回はこういったケースでしたが、本当に隣人や近くに住んでいる人が不審者だった……というケースもあります。ただ、自分でどうにかしようとすると、悲惨な結果になる可能性もある」


 千紘の言葉に菜緒は感心したように頷いた。


「第三者に依頼をする。警察に相談する。とてもいい判断だと思います。皆さんに危険が向かないためにも、今後もしまた何かあればいつでも相談してください。決して無茶はしないでくださいね」


 樹が言葉を投げつけるタイプだとしたら、千紘は言葉をゆっくりと手渡しするタイプだ。しかも爽やかな笑顔と、心配なんですよ?という態度付き。ずっと樹だけがモテていたと思っていたし、樹の態度から見てもそうだと思っていたけれど、2人ともだったのでは?と思える。その証拠に今ここにいる住民全員の千紘を見る態度が変わった。


「あの、ここのオーナーよね?」

「え?あ、はい」

「恋人は?」

「……秘密です」


 人差し指を口元に当て恥ずかしそうに笑う千紘に、住民達は黄色い歓声を上げる。それを眺めていた菜緒も流れ弾を胸にくらいときめいてしまった。やんわりと質問を遮り、直ぐに帰るように仕向けるスマートさから考えても、千紘はかなりのやり手のように思えた。彼女達はこのお店の常連客となりそうな予感がする。

 嵐が去った後、紅茶を飲みながら少し休憩をする。


「千紘さん最後モテモテでしたね」


 住民の中にいる主婦も独身女性も、全員が千紘を見ていた。あれは凄かった……と思いながら言うと、辟易した表情をさせている。


「あれが嫌だから樹の振りしてるんだよ」


 暗に自分はモテると言っているようなもので、ここでも樹との共通点が見つかったと笑ってしまう。


「ん?どうしたの?」

「いいえ。モテ方とか樹さんと似てるなって」

「モテても嬉しくないよ」

「そうなんですか?」

「そうなんですよ」


 モテたら嬉しいんじゃないのかな?と思う自分は、きっとモテたことがないからそう言ってしまうんだろう……と考えた所で、千紘にお願いしたいことがあったのだと思い出した。


「あの、千紘さん。……樹さんのお墓参り行ってみたいんですけど……」


 樹がこの世にいないと知ってから、お墓参りをしたいとずっと考えていた。千紘を見つめそう伝えると、嬉しそうな顔で微笑んでいる。


「ん、分かった。一緒に行っても良い?」

「はい!」


 知らない場所にお墓参りしに行くのは、高校生としては心細いし、むしろ一緒に行ってくれるなんて嬉しい。そう思いながら、用意してくれた紅茶を飲んでいった。









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