終わりの意味
砂利道を進んでいるような音が聞こえてくる。覚醒しない頭を働かせようとした時、ブレーキ音と振動に、ここは車の中だ……と考え付いた。ゆるゆると目を開くと、意識を失う前に見ていた男性の顔が見える。
「……ま、つだ……」
「ん?ああ、菜緒ちゃん気がついた?」
微笑んでいるのに怖さを感じる。咄嗟に逃げようとしてもシートベルトのせいで逃げられない。パニックになりながらシートベルトを外そうとしたけれど、その手を捕られ恐怖に染まった顔で松田を見る。
「大丈夫。こんな所では君を壊さないよ」
「ひっ!」
優しい声色なのに言っている言葉は物騒だ。何とかシートベルトを外してドアを開けると、ロックが掛かっていなかったようで簡単にドアが開いた。転がるように外に出て周りを見回す。日は天辺に登り正午辺りを示している。視線の先には木製の小屋があり、もつれそうになる足を動かし小屋の前に立つ。誰かいて欲しい。そんな願いを心の中で願いながら小屋の扉を開けるものの誰もいない。
「残念だったね。ここ、今はあまり人が来ないんだ」
「ここって……」
「ここに樹はバイクを置いた。風景を撮る為だったみたいだね」
松田が示す先は雑草が繁っている。そこに樹はバイクを置いたというなら、ここは樹が死んでしまった山だ。そう自覚した途端、ペタリと腰を抜かしてしまう。そんな菜緒に笑いかけながら松田はゆっくりと語っていく。
「アイツは俺の女を奪った」
「樹さんは奪ってなんかない」
「そんなことはない。あの女は俺よりアイツが良いと言っていた」
怖さで声も震えてしまうけれど、樹を悪く言われたくなくて松田を睨み付ける。高校でも人間関係は日々変化がある。その中には誰と誰が付き合ったや、誰と誰が別れた等も当然あるし、好きな人にフラれる話だって勿論ある。その女性の心変わりには同情出来るけれど、だからと言って、女性が好きになった樹を殺して良い理由にはならない。
「その日からだよ。俺の人生の歯車が狂ったのは……」
額を押さえる松田は肩を震わせ笑っている。
「あの女だけは許せなくて海に捨てた」
「捨てたって、もしかして」
「ああ、今頃どこか流れ着いてるかもな」
当時付き合っていた女性は行方不明。その原因が目の前の松田によるものだと知り、更にパニックに陥る。ポロポロと涙を流していると、その表情を見て満足そうに微笑んだ。
「あれから幾ら男から女を奪っても、俺の心は満たされない」
そんな時に偶然出会ったのが千紘が演じていた樹だった。
「しぶとく生きていたアイツ。そしてアイツに繋がる君こそ、俺が望むものだった」
樹から何故自分が繋がるのか分からない。そう考えていると、何とか抜かしていた腰が復活してきた。ヨロヨロと立ち上がると松田にグッと腕を握られた。
「君は樹の大切な人間だろ。そんな子こそ、俺が殺すべき存在だと気がついたんだ」
違うと否定したいけれど、聞く耳を持ってくれない松田は菜緒の腕を引っ張り山道を登っていく。図書館で読んだ記事の内容が頭に浮かぶ。小屋から離れ100メートル。その場でピタリと止まった松田は菜緒を見つめる。
「俺も君と一緒に落ちる。自分の女が他の男と死ぬ。素晴らしい復讐だと思わないか!?」
気分が高揚しているのか大声で告げられ体がビクリと震えてしまう。誰か助けて欲しいと願っても、人気はないまま。でも最後まで諦めたくない……と頭を働かせる。
「わ、私と付き合ってるように思われちゃいますよ?」
「樹の女を奪ったように見えるならそれで良い」
やっぱり聞く耳を持ってくれない。そう思っていると、松田が顔を歪め左足を見る。
「……この左足も樹のせいだ。アイツ登山用のナイフで俺の左足刺して来たんだぞ」
もう傷は治っているのに時折痛むようだ。これこそが樹が残してくれた手がかり。そして今も自分が逃れるために使える。樹に感謝しながら、逃げられるかも……と松田の左足を思い切り蹴る。
まさか蹴られるとは思わなかったのか、グッとその場に膝をついた松田の目は憎悪に歪んだ。その顔を見ないように駆け出して先程の小屋の前に戻った辺りで、バイクの音が聞こえてきた。山道を進んできたバイクは菜緒の前に止まり、運転手が勢い良く降りてくる。
「菜緒ちゃん!」
ヘルメットでくぐもっているけれど、この声はずっと聞きたかった千紘の声だ。ライダースジャケットもヘルメットも樹とお揃いの物で、樹と千紘が助けに来てくれたようで、ポロポロと涙が溢れる。ヘルメットを取ると中から樹の格好をした千紘が現れた。
「樹、お前また俺の邪魔を……!!」
松田の右手には鈍く光るナイフが握られている。菜緒を庇うように前に出た千紘はヘルメットを取り松田を見つめた。
「双子の弟がこの場所で殺された」
「……ふたご?」
「弟は新品のバイクを使って山に来た。そこで君に殺されたんだ」
何を言っているんだ?と怪訝な表情を見せた松田を気にせず千紘は続けた。
「弟の名前は瀬良樹。僕の名前は瀬良千紘だよ。松田哲史……君が僕の弟を殺したんだね」
ゆっくりと告げる千紘の表情はこちらからは見えないが、落ち着いた声色なのに恐ろしさを感じてしまう。ギュッと服を掴むとピクリと一度反応してくれたものの、菜緒の方を見ようとはしてくれない。
「双子だなんて信じられるか!!」
松田の言葉にため息を吐いた千紘は、免許証入れとして使っているパスケースを松田に向かって投げる。あまり遠くに飛ばなかったパスケースを松田は取りに行き、そして震え始めた。
「は?じゃあ俺は何のために今まで生きてきたんだよ!!折角樹を見付けたと思ったのに!!」
樹を見つけ樹の彼女を殺そうと計画し動いていた。それら全てが無駄だったと実感したのか悔しそうに地面を叩いている。
「君が樹を恨んでいるように、僕は君を恨んでいる。樹はその恨みを晴らすために君を生かしておいたと思っているよ」
「千紘さん!」
今まで聞いたことがないほど、怒りに溢れた声。悔しがって泣く松田の傍に寄ろうとする千紘の腕を思わず引く。
「ダメです千紘さん」
「……離して」
「絶対嫌です」
このまま引き下がったら千紘ともう会えなくなる。松田と同じように千紘も復讐を考えていた。何度も悩み抜いた上での考えかもしれないけれど、千紘にはそんな道を歩んでほしくない。
「千紘さんがそっちに行くのやだ」
「アイツは君も殺そうとした。そしてそんな危険な目に合わせた自分が許せない」
松田のみならず自分自身もここで命を落とすつもりなのか。そんなことは絶対にさせない……と、千紘の腕を思い切り引っ張った。バランスを崩した千紘がよれたと同時に抱きつく。美樹が抱き締めてくれたように、ギューッと言いながら背中に腕を回す。
「千紘さん。終わりにしましょう」
「……」
「皆の待ってる喫茶店に帰ろ?」
項垂れている松田を複雑そうな表情で見ていた千紘はキツく目を閉じた。目を開き菜緒の頭に手を置いた千紘の表情は先程よりも落ち着いている。
「ん、帰ろうか」
頭を撫でられる感触が心地良い。頬を緩めていると、パトカーのサイレンの音が数台分聞こえてくる。どやどやと上がってくる警察の中に前川がいて、千紘は深々と頭を下げた。
こうして松田は菜緒の拉致に関して逮捕された。きっとここから警察の追求があるだろう。
菜緒はといえば、千紘にしがみついたまま離れられない。何故かと言うとどうしても手が離れなかったからだ。千紘の体温を感じた途端安心して涙が止まらない。可那子の裏切り。松田に向けられた憎悪。千紘が復讐を果たそうとしたこと。全てが怖かった。終わってもなお震えが止まらない。そんな菜緒を同じように抱き締めた千紘は苦しそうに何度も、ごめん……ごめんね……と呟く。
「怖い思いをさせてごめん」
「ち、ひろさん……怖かった、怖かったの」
「うん。ごめんね」
背中をポンポンと撫でられると余計に涙が止まらない。
「千紘さん、が、違う人に見えて、どっか行っちゃうって……」
「行かないよ。どこにも行かない」
「本当?」
「本当。菜緒ちゃんや皆の傍にいる」
だから大丈夫。そう呟かれ安心すると、自分の力が抜けていくのが分かった。極度の緊張から解放された菜緒は、暖かな腕の中で気を失っていった。




