第06話 私たちは、幸せです。
ファンシー・フェア会場の片隅。
孤児たちは、サイズの合わない新品の制服を着せられて立っていた。
指揮者が指を振ると、うつろな目で『感謝の歌』を歌い始める。
ああ。親切な紳士さま。美しい淑女さま。
ご覧ください。
かつては寒さに震え、飢えていた私たちを。
怠惰を重ねて、道を見失っていた私たちを。
皆様の慈悲が、私たちを導いてくださいました。
私たちは、幸せです。
皆様の善意に感謝いたします。
神よ。この尊き方々に祝福を。
私たちは、幸せです。
貴婦人が、気まぐれに、孤児の頭を撫でて、通り過ぎていく。
連れの紳士は、孤児が抱える募金箱に、銀貨を落とす。
それを見ていた若く太った社交新聞記者が、吐き捨てるように言った。
「なんですか、ありゃあ。慈善が聞いてあきれる。孤児たちは、客の財布の紐を緩めさせるための、憐れな小道具じゃないですか」
長身瘦躯の先輩記者が、ニヤニヤと笑う。
「いい絵面だろう。『慈善と称して、自分を売り込むことに必死な紳士淑女たち』の姿を、しっかり記事にしろ。読者に余すところなく伝えるんだぞ」
「はいっ!」
そこへ。
歌う孤児たちの列の前に、一人の若い紳士が立った。
「おっと。最高の『特ダネ』のお出ましだ」
先輩記者が顎をしゃくった先に。
フロックコートの生地と仕立ては最上級。
整えられた金髪と、青い瞳は、高級貴族の風儀を示していた。
しかし。
シルクハットを斜めにかぶり、肩をそびやかし。
孤児たちを睨みつける、悪意そのものの目つき。
皮肉な冷笑に歪んだ口元。
銀のステッキを振り回しながら。
その男は、あろうことか、孤児たちの歌声に合わせて、素っ頓狂な声で『感謝の歌』を『合唱』し始めたのだ。
「わたぁしぃ、たぁちわぁ、しぃあわぁせ、でぇす!」
孤児たちの曇りなき歌声が、青年貴族のがなり声にかき消されていく。
他の客たちは、眉をしかめるだけで――その男を咎める者はいない。
「うわぁっ……!」
孤児の一人が耐え切れずに泣き出した。
「どうした? 最後まで歌わないのか?」
孤児が抱えている募金箱に、銅貨を一枚、乱暴にねじこむ。
「おまえたちのように、感謝の心が足りないガキどもには、これで十分だ」
銀のステッキを振り回しながら歩き去っていく青年貴族。
ステッキの先が通行人の肩に当たる。
「気をつけろ!」
怒鳴ったのは青年貴族の方だった。
いま目撃した光景をメモ帳に走り書きしながら、後輩記者が歯ぎしりした。
「なんなんですか、あの男――どこの家のボンボンか知らないが、なんてゲスな野郎だ!」
先輩記者が答える。
「あれが、ガスマン公爵家の跡取り息子。アロン=ガスマンさ」
「えっ! あの――『怪物公爵』と呼ばれるガスマンの?」
「そうだ。だから、誰にも止められない」
『止めないこと』が、この場では品位とされる。
「今日はアロン=ガスマンを徹底的にマークするぞ」
アロンが、あるブースの前で立ち止まる。
テーブルに並べられた、伯爵令嬢お手製のクッキーには目もくれない。
純銀のステッキの先で、売り子の令嬢の顎を、クイッと無造作に持ち上げた。
「ひっ……」
令嬢は驚きと恐怖に顔を引き攣らせる。
目の前の理不尽の名前がアロン=ガスマンだと知っていた。
「遠目にはマシに見えたんだがな。近くで見ると、なんともガッカリだ」
失望した、という表情を作ってみせる。
「そばかすを隠すほどの心がけもないのか。今年の社交界デビュー組は、不作ばかりらしい」
中古の家具でも値踏みするような、残酷な声。
「うっ……」
令嬢は恥辱に震えて、涙をこぼした。
アロンは退屈そうにため息をつくと、伯爵令嬢のクッキーの籠へ金貨を一枚、放り込んだ。
「釣りをよこせ、と言いたいところだが、我慢してやる。とんだ目汚しだ……こちらが金をもらいたいくらいだ」
令嬢が、顔を覆って泣き崩れた。
『……私たちは、幸せです。私たちは、幸せです……』
遠くから、孤児たちのうつろな歌声が、風に乗って聞こえてきた。
「何て下衆な野郎だ……」
「アロン=ガスマンにとって、女は『自分を飾るトロフィー』か、『壊して遊ぶ玩具』でしかないのさ」
先輩記者は、皮肉な笑いを浮かべる。
「たった金貨一枚で、伯爵令嬢の尊厳を買い叩いた気でいやがる」
「あんなことして、主催者につまみ出されないんですか?」
「ガスマン公爵家に喧嘩を売る? そんな度胸がある奴はいねえよ」
後輩記者は苛立たし気にペンを走らせる。
「……最高の見出しにしてやりますよ。『公爵家の不良嫡男、伯爵令嬢を金貨一枚で泣かせる』!」
「いいじゃないか、その見出し。まったく、俺たちにとっては最高の特ダネ提供者さ」
誰もアロンを止められない。
その点では、記者コンビも同じであった。
ただ、彼らは、記事に書く。
それだけで、(自分たちは、止められなかった連中とは違う)と思い上がっていた。
「……おい、見ろ。行くぞ」
アロンの後ろ姿が、会場で最も人だかりができている華やかなブースへと向かっていく。
「あのクソ野郎の次の標的は……男爵令嬢オリンゼ=ヒュッカテだ」
血の匂いを嗅ぎつけた猟犬のように、記者コンビは、アロンの背中を追った。
「会場で一番ちやほやされてる女の鼻っ柱を、へし折ってやる気だろうよ」
今日、一番の熱狂を生んでいる、あの『幽囚姫』のタペストリー。
賞賛と祝福の光を浴びているオリンゼの、その裏側で。
灰色のエプロンを着たやせっぽちの令嬢が怯えていることなど、アロンは知る由もなかった。




