第47話 エミルウの世界(中編)~What The World Is Waiting For~
読んでくださっている皆様。
心から、ありがとうございます。
最終回まで、残り2回。
ラストエピソードは、前・中・後編で構成されています。
今回は、中編です。
シシトラが一歩前に進む。
おごそかな手つきで、巨大なタペストリーを隠していた覆いを外した。
そこに現れた世界――。
屋根裏部屋で繍われた『オリジナル』よりもはるかに大きな。
――もうひとつの『幽囚姫』。
会場に、どよめきが起こった。
約束は小さく破られた。
沈黙しか許されない、厳粛な時間のはずだった。
東方の流儀で縫い直された、塔に幽閉された刺繍の乙女の物語。
亜麻色の髪。
琥珀色の瞳。
極限まで研がれた極細の糸一本一本が、孤独の影を刻んでいる。
オリンゼの横に掲げられた『幽囚姫』と同じ図案。
しかし、二つは、まるで違う。
帝国の『幽囚姫』には、閉じ込められた乙女がいた。
東方の『幽囚姫』には、閉じ込められた時間があった。
帝国の『幽囚姫』には、形があった。
東方の『幽囚姫』には、光があった。
もう誰も、オリンゼを見ていなかった。
皇太后ユーカルピナが、憑かれたような足取りで、東方の『幽囚姫』に歩み寄っていく。
「もっと見てもよいか」
それは確認というより、もはや懇願のようだった。
エミルウが答える。
「はい。いくらでも」
近くで見ても縫い目がわからない。
糸が地布に溶け込み、色にも輪郭にも境目が見つからない。
――これは――絵画ではないのか?
――絵筆ではない――糸――?
――間違いなく刺繍だ――信じられない!
「失礼します」
エミルウが、タペストリーを静かに回転させた。
「……嘘……!」
皇太后とオリンゼが同時に叫んだ。
裏面に、もうひとつの世界があった。
いや。
それは『裏』ではなかった。
刺繍の乙女を迎えに来た、黒髪の騎士がそこにいた。
乙女と騎士は手を取り合い、塔の扉から飛び出していこうとする。
光の角度で色彩が揺れる。
物語が布の上で動いているかのように。
乙女と騎士の、二人の心臓の音まで聞こえそうなほどに――生きていた。
「……東方の『両面刺繍』……!!」
皇太后は、『表』へ回り、そして、もう一度『裏』を見た。
奇跡か。
魔術か。
高揚した足取り。
恍惚の表情。
「これを縫ったのは――」
「私です」
エミルウが小さく答え。
皇太后は重ねて問うた。
「あなたの名を」
エミルウはシシトラの顔を見た。
シシトラが力強く頷いた。
二人が、この帝国の『偽りの星座』を撃ち落とすために、待っていた瞬間だった。
「――エミルウ=スキャルファと申します」
会場のどよめきは賞賛の言葉で。
そしてざわめきはエミルウの名前であふれていた。
「技巧の極致――もう一人の『刺繍姫』の誕生だ!」
エミルウを賞賛する声が、オリンゼには、自分を責める声に聞こえた。
(なによ。……なによ、なによ、なによ……!)
(エミルウ……恩知らずの居候……!)
(あんたがどうして……いつのまにそんなに美しく……嘘よ! なにかのインチキよ!)
(私から奪った……『刺繍姫』の称号を!)
(泥棒! 泥棒! エミルウ、あんたは泥棒よ!)
(そんなに誇らしげな顔を……するな……ッ!)
エミルウを見る目が血走り、握りしめた手がガクガクとわななく。
舞踏会という『場の重力』だけが、オリンゼの暴発をかろうじて押しとどめていた。
「皇太后陛下。発言をお許しください」
エミルウが、周囲には聞こえない囁き声で許可を求めた。
「よろしい。なんなりと」
「ありがとうございます。――あちらの、オリンゼ=ヒュッカテ嬢の『幽囚姫』について」
皇太后はオリンゼを見て、次に、エミルウを見た。
エミルウは、小さな手持ち型のルーペを差し出した。
「乙女の髪飾りの黄色の中に、『秘密の署名』がございます――」
――黄色の中に、琥珀色の極細の繊維が――『E.S』と縫い込まれていた。
皇太后ユーカルピナは天地が裂ける音を聞いた。
世界が、縫い直される。
2つの『幽囚姫』の作者は――たった一人の少女だったのだ。
(オリンゼ=ヒュッカテ……万死に値する愚か者……!)
煮えくり返るような怒りが、皇太后の指の先まで、満たしていった。
しかし。
今ここで、この事実を公にして、どうなるか。
『芸術の庇護者』である皇太后の不明が、失態が、満天下に知られてしまう。
『節穴』――と。
帝国の権威に傷をつける――そんなことは絶対に許されない。
皇太后はエミルウを見た。
無垢な白いドレスの上に、『白虎』が猛々しく、清らかに踊っている。
この理解のおよばない美しき『異分子』を、野放しにしてよいものか。
皇太后は、すべてを了解したうえで、大きく宣告した。
「エミルウ=スキャルファ。あなたを、『皇室の刺繍師』として『認めます』」
満場が水を売ったように静まり返った。
そして、理解した。
帝国の星図は、いま、書き換えられた。
理解できないものは貴族ではない。
オリンゼは、自分の心臓が針と糸で縫われているような絶望を味わっていた。
嚙み締めた唇から血が滲み、頭は左右に激しく揺れている。
今、この瞬間から、社交界で『オリンゼ=ヒュッカテ』の名を口の端にのぼせる者は、いなくなった。
永遠に。
◇
「公爵閣下。無作法は承知の上なれど。火急にお耳に入れたいことがございます」
そう言って、典礼係がガスマン公爵の足元に片膝をつく。
「式典の最中に……なにごとかね」
メモを受け取り、読んだ。
「父上。なんと?」
アロンもメモを読み――こめかみに青い筋がみるみると浮き上がっていった。
「『空売り』が失敗!? ――リュウノスから金5000万枚の請求だと――!?」
ガスマン公爵の表情は小揺るぎもしていなかった。
優雅な微笑を浮かべながら、壇上の顛末を見守り続けていた。
「父上、どういうことですか。意味が、意味が分からない――どうして私たちが破産などと!」
「アロン。……彼が来る」
半泣きのアロンは、黒い影がこちらに歩いてくるのを見た。
影が歩くと、『青龍』が泳いだ。
「シシトラ=リュウノスゥッ!! 貴様ァッ! どんな卑劣なインチキを使いやがった!!」
シシトラはアロンを見なかった。
公爵のまばたきをしない青い瞳は、まだあの強烈な磁力を失っていない。
「エミルウ=スキャルファの傍にいなくてもいいのかね?」
「彼女なら、心配は要らない」
「信頼という名の糸で、固く結ばれている。というわけだ」
ガスマン公爵は肩をすくめて、微笑んだ。
シシトラは、氷のような声で投げ返した。
「ガスマン。エミルウは、お前の『ケーキ』の素材にはならなかった」
エミルウは、食べられない。
エミルウは、所有できない。
彼女は、ただ、刺繍する。
世界を。
時間が止まったかのように、公爵の笑みが固まった。
シシトラが重ねて言う。
「ガスマン。今度会う時は、裁判所だな。――その時は、お前の破産手続きを手伝ってやるよ」
地べたにへたり込むアロン。
彼を手招きしている未来が、すぐそこにあった。
破綻。
凍結。
訴訟。
強制執行。
監獄。
鉄鎖。
破産。
無能力者。
困窮。
褫爵。
剥奪。
平民落ち。
労働。
労働。
死ぬまで、労働。
アロンはよだれを垂らしながら、もつれる舌で、シシトラとエミルウを呪詛した。
「お前とあの女を、呪ってやるゥゥゥ……! 卑怯なペテンを、使いやがってェェェ……!」
シシトラが返したのは、静かで、そして、意外な言葉だった。
「アロン。……ありがとう」
アロン=ガスマンは、目を瞬かせた。
「お前が、俺に『エミルウ』を引き合わせてくれた」
「ッ……!! うがぁぁぁぁあああああッッッ!!!」
アロンの絶叫を、典礼係の手がふさいだ。
彼は典礼係たちに、容赦なく引きずられていった。
シシトラは、装飾と勲章に覆われた公爵を見た。
寓話の中の人物のように、現実感のない姿。
飾り。
虚飾。
虚仮。
嘘。
(わからない……なぜだ……金5000万枚という途方もない負債を突きつけられたこの男から……敗北のにおいが、微塵もしない……!)
何も終わっていない――のか?
シシトラは、妙な予感を振り切ることができない。
ガスマン公爵は、まるで旧い友人のように、親し気な笑みを浮かべたまま。
胸ポケットに挿していた白いハンカチを取り出し、自分の口元に当てた。
桃の木と蝙蝠の刺繍が見えた。
ガスマンは、深く、深く、においを嗅いで。
ただ一度だけ。
大きくまばたきをした。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
次回、最終回です。
6月20日(土)に投稿します。
※完結後、検索導線の調整のため、『タイトル』・『あらすじ』・『ジャンル』を微調整します。
内容は変わりませんのでご安心ください。




