第46話 エミルウの世界(前編)~You Can't Always Get What You Want~
読んでくださっている皆様。
心から、ありがとうございます。
最終回まで、残り3回。
ラストエピソードは、前・中・後編で構成されています。
今回は、前編です。
馬車の扉が開いた瞬間。
夜の冷気よりも先に、視線が降ってきた。
エミルウは、刃のような冷たさに息を呑んだ。
――見たこともない――どこの令嬢だ?
――隣にいる男――東方人がなぜ、ここに?
言葉ではなく『圧』が問うてくる。
石畳の先には、皇宮へ続く光の階段が伸びている。
そこで列をなして、『選別』を待つ、紳士と淑女たち。
外套の前をおさえながら、エミルウとシシトラは歩みを進める。
祝祭のための建物の入口には、式典係が立っていた。
深い紺の制服に、金の縁取りが光る。
人間でありながら、豪華な調度品のような従僕。
微笑みもない。
敬意もない。
役割だけがあった。
彼は一歩前に出て、無言で手を差し出した。
シシトラは、2通の招待状を手渡す。
フットマンの手が止まり、招待状は一瞬、宙吊りになる。
他の招待客の時にはなかった、保留の瞬間。
深紅の封蝋が剥がされ、フットマンはそこにある名前を確認する。
長い沈黙。
(私たちだけが、値踏みされている)
「……お通りください」
その言葉にこめられた意味は――『許可』だった。
他の招待客には、『祝福』を配っているのだろうに。
(そう。私たちは、部外者)
(私たちは、はずれ者)
(私たちは――異分子)
だけど、とうとうここまで来たわ。
慈善舞踏会の扉――いや。
エミルウの運命の扉が、開かれた。
◇
『特別招待枠』のエミルウとシシトラは、別室で待機させられた。
他の貴族たちから隔離されていた、といっていい。
『特別』とはそういう意味なのだ、と、エミルウは理解した。
シシトラの横顔は、いつもと変わらない沈着冷静さ。
だが、顔色は、幽霊のように白い。
「シシトラ様」
エミルウは、白い絹の手袋越しに、かすかに震えているシシトラの手をそっと握った。
シシトラの肩がビクリと動く。
「……なにをする」
「怖いですか?」
「……ああ。怖い」
(この人にも、そういう気持ちがあるのね)
「誰にも言うなよ」
「えっ……」
「震えていたことを」
「……言いません。誰にも」
「君にだけだ。エミルウ」
シシトラはエミルウの顔を見ようとしない。
ストロベリーブロンドの髪を三つ編みでシニヨンにまとめた、見慣れない髪型のエミルウが眩しすぎた。
「シシトラ様。こっちを向いて……」
「俺をこんなふうにしてしまうのは、君だけだ」
芯まで冷えていたシシトラの手に、熱が宿っているのを、エミルウは感じた。
シシトラの指の力が緩んだ瞬間、エミルウの指がその隙間に滑り込んだ。
「……ッッ!」
「やっと、こっちを見てくれた」
エミルウがいたずらっぽく笑い、シシトラが言葉を詰まらせる。
「シシトラ様の手、大きくて……熱いです」
典礼係が部屋に入り、二人に告げる。
「エミルウ=スキャルファ様。シシトラ=リュウノス様。お二人の順番でございます」
「はっ……はいっ!」
エミルウは慌てて手を離して立ち上がる。
「会場までご案内いたし――」
一礼して、顔を上げ、そして、目を見張った。
外套を脱いだ二人が身に纏っていたのは、衣装ではなく、研ぎ澄まされた『武器』だった。
(これを、あそこに連れて行ってよいのか)
全身から水分が蒸発したような渇きを覚えた。
予感がする。
この二人が会場に現れたら――なにかが壊れる。
とりかえしのつかない、なにかが。
エミルウは微笑み、シシトラに向かって言った。
「行きましょう」
◇
灰色のライムライトの下に集まっているのは、帝国の貴族たち。
今夜、目撃者になる。
証人になる。
そして、裁判官のようにジャッジする。
誰が使い物になり、誰が終わるのか。
社交とは、つまり、そうだ。
虚栄と血で捏ねた泥濘の上で。
裾を汚すことなく踊ってみせること。
会場の音楽が止まった。
静寂。
そして、演壇に――『彼女』が降臨する。
皇太后ユーカルピナ。
一切の揺れが無い、屹立した存在感。
そこにあるのは中心。
そこにあるのは秩序。
大広間は、呼吸の音すら慎んでいる。
「私が」
始まった。
「今夜この席に座り、慈善のために寄付を募る椅子を預かることは」
矍鑠とした声で、皇太后は言葉を述べる。
「大いなる名誉であり、また喜びでもあります」
不動の姿勢で、社交界の星座たちは、天の声を聴く。
「……今日。帝国はまた一つ、天上の至宝を手に入れました。『水鏡を繍う幽囚姫』という宝を、です」
誰もが驚きを覚えた。
帝国の恩威を飾る美や功績は、数あまたある。
その中の一つだけを、皇太后がこのように取り上げて見せるとは。
異例中の異例ではないか。
皇太后の隣に、タペストリーが掛けられたテキスタイル・ラックが運ばれてくる。
「この『幽囚姫』を縫い上げた『刺繍の姫君』――オリンゼ=ヒュッカテ。ここへ」
視線が、大広間の一点に集中した。
そこにいたのは、特上の晴れ衣装に身を包んだオリンゼ。
皇太后が直々に自分の名を呼んだ。
オリンゼの意識は一瞬、宙を飛び――野心という錘が、着地させた。
(いつの日かと夢に見ていたわ――ついに、『刺繍姫』は、帝国の宝になったのよ!)
胸を張り、演壇へ向かって、赤い絨毯の上をまっすぐに歩き出した。
震える足。ドレスの裾が床を撫でる。
演壇の上。
恒星の後ろに立つ。
オリンゼが星座の一員となった。
そしてそれは、一瞬だった。
「そして。いまから『幽囚姫』の新作が披露されます」
皇太后の言葉に、オリンゼは耳を疑った。
新作!?
そんなものが存在するはずもない。
いったいなにが起こっているのか。
舞台袖から、ひときわ大きなテキスタイル・ラックと、二つの人影がやってくる。
満場が息を吞んだ。
はじめはエミルウの白。
続いてシシトラの黒。
会場の視線が吸い寄せられる。
「もしかして――エミルウ!? どうしてここに!」
オリンゼが驚愕している。
エミルウは、ウエストを絞った象牙色のイブニングドレス。
ボートネックから覗く、華奢な肩。
夢見るようなベルラインスカート。
そして――スカートの前面に踊る、白い虎の刺繍。
白虎は駆け足を踏みとどまり、こちらを射抜くような瞳で見つめている。
極細の絹糸で繍われた毛並みは、光の角度で輝きを玄妙に変化させていた。
『白虎』が生きて呼吸していた。
シシトラは、帝国の正統な流儀に沿った、漆黒のテイルコート。
しかし、その背中から肩、そして腕にかけて、何かが『泳いで』いる。
深い黒の生地に、藍、藍緑、翠の糸で。
遠目では、しかとは判じ難い。
しかし、シシトラが一歩歩みを進め、身体を動かした瞬間。
光の加減で、天に昇る『青龍』の姿が、ぬるりと波打って浮かび上がったのだ。
――なんだ、あれは。
(これは、私たちが知っている『美』ではない……!)
皇太后ユーカルピナは、己の中で、何かが完全に破壊された音を聞いた。
(あの『恐るべき秘宝』に目が眩んで、この『異分子』たちを招待したのは、間違いだったか……?)
絶対の秩序であったはずの彼女の心が、初めて粟立つ。
(帝国が――私たちのルールが――壊される)
読んでくださって、ありがとうございます。
最終回まで残り2回となりました。
次回投稿は6月19日(金)になります。
※完結後、検索導線の調整のため、『タイトル』・『あらすじ』・『ジャンル』を微調整します。
内容は変わりませんのでご安心ください。




