番外編07 未配達郵便物処理室~Postcards From A Young Man~ (後編)
最後の『番外編』におつきあいくださり、ありがとうございます。
前・中・後編の、今回が後編です。
貴族の男は、4枚の絵葉書を前にして、肩を震わせていた。
「あなたが昔、投函した絵葉書です。レンバーン子爵」
シシトラが、冷え冷えとした声で言う。
消印の日付。
郵便局名。
それがわかれば、あとはしらみつぶしだった。
その日時に、その土地にいた、帝都の若い男の名前。
新聞の社交欄。
ホテルの宿帳。
自治体の会議録。
教区の記録。
紳士クラブの動向記録。
カントリー・ハウスの芳名帳。
リュウノス商会のエージェントが、徹底的に洗った。
1枚の絵葉書につき、数十人の名前が挙がった。
4枚の絵葉書すべてに共通して登場した名前は、ひとつだけだった。
差出人は特定された。
テーブルの上の絵葉書に向かって、子爵が震える指先を伸ばした瞬間。
「おっと」
シシトラの右手が、絵葉書を一瞬でかっさらっていった。
シシトラの隣に座るエミルウが、子爵をじっと見つめる。
彼の口髭はわななき、顔色は幽霊のように青い。
悪魔を見るかのような目つきで、二人を見ている。
「何が目的だ……」
「否定しないのですね。私はてっきり、あなたがとぼけてシラを切り通すものと予想していましたよ」
シシトラが優しく微笑み。
そして、仮借のない言葉が、落ちる。
「レンバーン子爵。あなたは決して悪い人間ではない。ただ、考えが甘いだけです」
「シシトラ様!」
エミルウが慌てる。
子爵に向き直り、ゆっくりと、言葉を選んで、言った。
「子爵様。あなたは、若いころ、素性を偽って、ユランさんとお付き合いをなさっていたのでしょう。家督を継ぐために家に戻らなければならなくなって。ユランさんに本当のことを言えないまま。……せめてもの償いに、毎月、匿名で仕送りを続けてこられた。今日まで、欠かさず。……そうですね?」
子爵はあえぐような表情をした。
「あなたがいなくなった後、ユランさんが一人で子どもを産んだことは、ご存じでしたか」
「……!」
「知らなかったんですね」
「……本当なのか」
「ユランさんが産んだあなたの息子さんは、去年亡くなったそうです。病気で」
子爵は両手で顔を覆い、テーブルの上に突っ伏した。
シシトラが、子爵の頭の上に、鋭く言葉を刺す。
「母子2人。月に金1枚の為替だけで。暮らしは、決して楽ではなかったでしょうね」
「ううう……!」
子爵は、嗚咽した。
エミルウの瞳が、連れ泣きの涙で揺れる。
「……子爵。ここは他の客もいるレストランです。声を憚ってください」
シシトラの低い声が、容赦ない。
「郵便為替の額面が金1枚分だった理由。それ以上の金額になると、振出人の名前。あなたの名前を明記しなければならないというルールがあるから――そうですよね?」
子爵は、ハンカチで涙を拭き、やがてゆっくりと頷いた。
「私には……勇気がなかったのだ」
かつては若く、美しかったであろう男。
いまは、なにかの成れの果てにしか見えない。
シシトラは、呆れたような笑いを浮かべた。
「そんなもの。額面が金1枚の為替を、何枚も同封して送れば済むことじゃないか」
「あっ!」
子爵とエミルウが、目を見張る。
「レンバーンさん。あなたは、ユラン=ケーシムに対して、まったく真剣ではない。だからこんなことも考えつかないのだ。毎月欠かさず小金を送り続けることで、自分にまだ人間らしさが残っていると思いたかったのだろうが――私に言わせれば、子どもの遊びだ」
「シシトラ様。それはあんまりです――」
エミルウは抗議した。
「あの絵葉書。あそこに書かれていた言葉は、子爵様の本心だったと思います。思い通りにならないことばかりだった。でも、心はユランさんと一緒だったのだと」
エミルウは胸を押さえて、声を振り絞った。
「お金だけではなかった、と、思います」
レンバーン子爵は、救われた、という表情で、エミルウを見た。
シシトラはもう、何も言わなかった。
ただ、ナイフのような強い目で、子爵を見つめ続けた。
光を吸う、黒曜石の瞳で。
レンバーン子爵が怯えて、目を伏せる。
ふう、と大きく息を吐き、シシトラが告げた。
「この絵葉書4枚は、ユラン=ケーシムから、私が購入した。レンバーンさん。あなたや、あなたのご縁戚とは、長いお付き合いになりそうだ。くれぐれもよろしくお願いします」
子爵は、自分の耳を疑った。
「……売った? 絵葉書を? ユランが……嘘だ……」
◇
移民街。
安アパートの部屋。
ベッドの上。
30枚の郵便為替。
シシトラから受け取った、小切手。
「私の人生が、返ってきた」
ユランがつぶやく。
「これから、どこへ行こう」
◇
(シシトラ様が、わからない)
レンバーン子爵が泣きながら退席したあと。
エミルウは、涙目で、料理を口に運びながら考えていた。
(本当は優しい人のはずなのに――どうしてあんな、守銭奴みたいな物言いをするの? どうして子爵様を、あんなに傷つけるようなことを)
悔しい。
美味しい。
悔しい。
美味しい。
こんなに悲しいのに。
こんなに美味しい。
人間とは、なんと、ちょろいのか。
「エミルウ。涙を拭いてから、食べるといい」
シシトラが苦笑しながら、ハンカチを差し出す。
エミルウは受け取らない。
カトラリーを置いて、涙が流れるままに、シシトラに問うた。
「ユランさんと……子爵様を……会わせてあげないんですか」
「ユランは望んでいない」
「どうしてわかるんですか」
「不当に値付けされてきたからだ」
子爵は、使い込んできた。
ユランの人生を。
それも、安く。
とびっきり安く。
月に金1枚で。
若い頃の欲望の後始末に。
贖罪で気持ちよくなるために。
『美しい想い出』として飾るために。
シシトラは、ユランの人生を買い戻す手伝いをしただけだ。
郵便為替。
失われた年月。
子ども1人。
そして。
絵葉書4通。
ユランは、売りたがっていた。
せめて、正しく、値付けしたい。
だって、俺は、商人だから。
しかし、シシトラは、何も説明しない。
ただ、エミルウを見つめている。
「食べよう」
「はい」
エミルウは涙を拭いた。
本当は理解している。
『若い男』の正体が、どこの馬の骨かもわからないのに。
シシトラはユランのために、大金と人手を使ってくれた。
(優しい、優しい、優しいシシトラ様)
「エミルウ。どうだい。この薔薇と鰤のカレー。絶品だと思わないか?」
「本当。とっても美味しいです……! こんな組み合わせを考えついた人は、天才です」
「君もそう思うか」
シシトラが、ニヤリと笑う。
悪だくみをめぐらせる、あの時の顔つきで。
「ここの料理人は、料理長から冷菜職人まで、誰一人をとっても最高だ。だから、この店を、買収しようと思っている」
「ええっ!?」
エミルウは目を丸くした。
シシトラはまるで、野菜ひとつを買うような気軽さで言っている。
「実はこのあと、このテーブルに、店のオーナーが交渉に来るんだ。それまでにデザートを平らげておこうじゃないか」
「まだ主菜もこれからなのに!?」
なんてせっかちなのだろう。
エミルウは、天井を仰いだ。
(私、シシトラ様に、ついていけるかしら……)
◇
『未配達郵便物処理室』。
ジェスロ=ヤンシュは、今日も仕事をしている。
新しい不能郵便物の山が届く。
その中に。
久しぶりに、見覚えのある筆跡。
差出人は、やはり、ない。
今度は、封筒ではなかった。
絵葉書。
どこか遠い街の風景の絵に。
あの文字で。
「私は、許されるだろうか」
ジェスロは苦笑いする。
この男は、どうにも変わらない。
自分が始めた物語を、ハッピーエンドで終わらせることができない男。
付箋を取り出し、メモを書き込む。
『移民街シュウロ通り11番地 リュウノス商会気付 ユラン=ケーシム様』
絵葉書に貼り、仕分け箱に入れる。
今度は届く。
ユラン=ケーシムは、受け取るだろうか。
かつて若かった男からの絵葉書を。
ジェスロにはわからない。
それでいいのだ、と思った。
その答えを探すのは、郵便局の仕事ではない。
最後の『番外編』におつきあいいただき、本当にありがとうございました。
本編に戻り、最終話をお目にかけたいと思います。
残り3回。
次回投稿は2026年6月18日(木)になります。




