番外編06 未配達郵便物処理室~Postcards From A Young Man~ (中編)
読んでくださって、本当にありがとうございます。
最後の『番外編』に、もう少しおつきあいください。
前・中・後編の、中編です。
「ユランさん。この部屋の家賃。3ヶ月分。他にも、質屋の利息やパン屋、炭屋への信用払いが溜まっていると聞いています。もろもろ合わせて金貨10枚分」
シシトラの言葉に、ユラン=ケーシムが答える。
「……金9枚と、銀5枚分です」
シシトラが商人の顔で微笑む。
「金9枚と銀5枚。これを、この壁に飾ってある絵葉書で支払える、と」
「……たぶん」
「たぶん?」
シシトラは、隣に立つエミルウの顔を見る。
「エミルウ。だんだん話が分からなくなってきたぞ。俺はいったいなんのためにここにいるのか」
「シシトラ様。どうか手伝ってください。ユランさんや私ではわからないことだらけで」
「そうは言っても」
エミルウが、責めるような顔つきで言う。
「『一度会えば、その人はもう友達だ』って。シシトラ様、おっしゃっていましたよね?」
「……言った」
「じゃあ、ユランさんはもうお友達です。そうですよね? 助けてあげて」
エミルウが、眼鏡の奥の瞳を揺らして、懇願する。
ずるい。
(くそう。この琥珀色の瞳で見つめられると、俺は弱いんだ……)
エミルウは、シシトラの顔をあらためてまっすぐに見る。
いきなり、眼鏡を外した。
エミルウの視界がぼんやりと滲む。
目が細くなり、眉間にシワが寄る。
シシトラを睨むような目つきになる。
(うおっ……!?)
シシトラの心臓に衝撃が叩き込まれた。
エミルウはすぐに眼鏡をかけなおす。
シシトラは棒立ちのまま、言葉が出ない。
ユランは、何が起こったのか、理解できずに口を開けている。
「シシトラ様……お願いします。手伝ってください」
コテン、と、エミルウが小首をかしげて、上目遣いでお願いをした。
(きっとパイネたちが、エミルウに、こんなしゃらくさい小技を教えたのだ。そして、腹立たしいことに、この技は、絶大な効果がある……俺に対して!)
シシトラは、咳払いをひとつする。
「……わかった。手伝おう」
「ありがとうございます。シシトラ様」
エミルウの花のような笑顔。
ユラン=ケーシムは、この2人に頼って良いものか、不安になった。
◇
帝都中央郵便局。
その巨大さ、冷たさは、帝国の権威そのもののように見えた。
地下階の部屋。
『未配達郵便物処理室』のジェスロ=ヤンシュは、その来客に心当たりがなかった。
漆黒のフロックコートを纏った、東方人の青年。
薄荷緑のワンピースに象牙色の披帛の、眼鏡の令嬢。
異国風の臙脂色の斗篷を着た、帝国人の痩せた女性。
帝国人の女性が、一歩前に進み出た。
羽織っているクロークは上等だが、その下の服や、はめている手袋は擦り切れている。
生活に疲れた顔。
不安そうな目。
彼女は震える唇で、あの名前を口にした。
「私は、ユラン=ケーシムと申します」
ジェスロは、跳ね上がるように椅子から立ち上がった。
(まさか。こんなことが)
長い間。
何度も何度も、自分の手で帳簿に記した、その名前。
どこかへ消えた女の名前。
死者のように思っていた名前。
生きた人間の姿をして、目の前に立っている。
「あなたが……ユラン=ケーシムさん?」
眼鏡の令嬢と東方人の青年が、目を見合わせている。
(この職員は、なぜか、その名前を、前から知っていたかのようではないか)
そう思っているに違いない。
彼女も同じ『なぜ』を感じたのだろう。
返事の声は細かった。
「……はい」
彼女は、1階の受付で記入してきた書類を差し出した。
『不達郵便物照会申請書』。
いつ。
誰宛てに。
どの住所へ。
封筒の色。
筆跡。
申告欄に細かく記入されている。
ジェスロは確信した。
(間違いない。この女性だ)
「……あなたのご身分を証明するものは?」
彼女は、俯いて、答えない。
雇用主からの給与明細は?
貰えていないのだろう。
家主からの家賃領収書は?
今の住所のものしかないのだろう。
出生証明書は?
ないのか?
洗礼記録!
ない、のか?
ジェスロは、迷宮をさまよう気分だった。
この女性は、『制度』の外で生きてきたのだ。
今も、生きている。
ここに、いる。
『白檀』の香りを纏った東方人の青年が、口添えをする。
「そちらのユラン=ケーシムさんの身元は、リュウノス商会が保証します」
すっ、と差し出される、漆黒の名刺。
『龍』の紋章。
『リュウノス商会 代表 シシトラ=リュウノス』の文字。
(この若者が、あの――)
ジェスロは、目をしばたたいた。
(聖職者や貴族ならともかく――富豪とはいえ、帝国臣民ではない異邦人の『身元保証』か。規則では、これは通せない)
「残念ですが」
職責上は、こう答えるしかない。
シシトラ=リュウノスが差し出した名刺が、行き所を失い、宙吊りになる。
眼鏡の令嬢が口を開いた。
「ユランさん。あれを」
女性が、クロークの内側から、紙の包みを取り出し、開く。
数枚の絵葉書が現れた。
ジェスロに差し出す。
彼は一枚受け取り、消印を見る。
何年も前の、古い日付。
遠い、遠い土地の郵便局の名前。
宛先は、いまはもうなにもない、あの古い住所。
宛名。
ユラン=ケーシム様。
見間違えようのない筆跡で。
あの、クリーム色の封筒と同じだった。
2枚目の絵葉書を見る。
3枚目。
4枚目。
同じだった。
裏を見る。
帝都ではない、知らない土地の、知らない風景の絵。
これは、白い教会。
こちらは、異国の港。
風車と塔。
美しい砂浜。
風景の絵にかぶせるように、短い文字。
「私は、許されるだろうか」
「この港には、猫がいる」
「時間が止まったような世界」
「いつか、君とここへ来たい」
この筆跡が、宛名と住所以外の文字を書いているのを、ジェスロは初めて見た。
文字が、呼吸しているようだった。
これらの絵葉書を、彼女はずっと持っていたのだ。
何年も、何年も。
彼女はいま、俯いている。
部屋には時計の針の音だけが響いている。
(規則では、渡せない)
ジェスロは理解している。
女性に背中を向けて、壁際の棚へ向かって足早に歩き出した。
迷いもなく、その場所から、束ねられた封筒を取り出す。
戻ってきたジェスロは、彼女の目の前で、クリーム色の封筒の数を数えてみせた。
ぐるり、と紙の帯で、束をひとつに括る。
震える声で彼女に告げた。
「ちょうど30通。30ヶ月分です。ユラン=ケーシムさん」
ユランは顔を上げる。
死んだ誰かが戻ってきたような顔だった。
眼鏡の令嬢は、両手で口を押さえて、小さな声で叫んだ。
「神様……!」
30通の封筒と為替の束は、煉瓦のように分厚かった。
ジェスロはいま、デッドレターオフィスの職員にあるまじきことをしようとしている。
そこにある『物語』を、読んではいけない。
その禁を破ろうとしている。
束を差し出しながら、ジェスロは言った。
「ケーシムさん。ひとつだけ、聞いてもよろしいですか」
数秒間。
部屋を沈黙が支配した。
「この『差出人』は……あなたにとって、何なのですか」
ユランは黙っていた。
青年と令嬢は、彼女の沈黙を見守っている。
やがて、彼女は、束を受け取り。
小さく疲れた笑顔で、言った。
「……よくある話です。でも、言葉にすれば、とっても長くなる。それでもよろしければ」
ジェスロは、誠実そのものの顔で、頷いた。
次回投稿は2026年6月17日(水)です。




