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エミルウ ~屋根裏部屋の刺繍姫~  作者: 姫松チミノ
第3章 エミルウの世界(ラスト・ワルツ)
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番外編06 未配達郵便物処理室~Postcards From A Young Man~ (中編)

読んでくださって、本当にありがとうございます。

最後の『番外編(スピンオフ)』に、もう少しおつきあいください。

前・中・後編の、中編です。

「ユランさん。この部屋の家賃。3ヶ月分。他にも、質屋の利息やパン屋、炭屋(コールマン)への信用払い(ツケ)が溜まっていると聞いています。もろもろ合わせて金貨10枚分」


 シシトラの言葉に、ユラン=ケーシムが答える。


「……金9枚と、銀5枚分です」


 シシトラが商人の顔で微笑む。


「金9枚と銀5枚。これを、この壁に飾ってある絵葉書で支払える、と」


「……たぶん」


「たぶん?」


 シシトラは、隣に立つエミルウの顔を見る。


「エミルウ。だんだん話が分からなくなってきたぞ。俺はいったいなんのためにここにいるのか」


「シシトラ様。どうか手伝ってください。ユランさんや私ではわからないことだらけで」


「そうは言っても」


 エミルウが、責めるような顔つきで言う。


「『一度会えば、その人はもう友達だ』って。シシトラ様、おっしゃっていましたよね?」


「……言った」


「じゃあ、ユランさんはもうお友達です。そうですよね? 助けてあげて」


 エミルウが、眼鏡の奥の瞳を揺らして、懇願する。

 ずるい。


(くそう。この琥珀(こはく)色の瞳で見つめられると、俺は弱いんだ……)


 エミルウは、シシトラの顔をあらためてまっすぐに見る。

 いきなり、眼鏡を外した。

 エミルウの視界がぼんやりと滲む。

 目が細くなり、眉間にシワが寄る。

 シシトラを睨むような目つきになる。


(うおっ……!?)


 シシトラの心臓に衝撃が叩き込まれた。

 エミルウはすぐに眼鏡をかけなおす。

 シシトラは棒立ちのまま、言葉が出ない。

 ユランは、何が起こったのか、理解できずに口を開けている。


「シシトラ様……お願いします。手伝ってください」


 コテン、と、エミルウが小首をかしげて、上目遣いでお願いをした。


(きっとパイネたちが、エミルウに、こんなしゃらくさい小技を教えたのだ。そして、腹立たしいことに、この技は、絶大な効果がある……俺に対して!)


 シシトラは、咳払いをひとつする。


「……わかった。手伝おう」


「ありがとうございます。シシトラ様」


 エミルウの花のような笑顔。


 ユラン=ケーシムは、この2人に頼って良いものか、不安になった。


 ◇


 帝都中央郵便局。

 その巨大さ、冷たさは、帝国の権威そのもののように見えた。


 地下階の部屋。

 『未配達郵便物処理室(デッドレターオフィス)』のジェスロ=ヤンシュは、その来客に心当たりがなかった。


 漆黒のフロックコートを(まと)った、東方人の青年。

 薄荷緑(ミントグリーン)のワンピースに象牙色の披帛(ショール)の、眼鏡の令嬢。

 異国風の臙脂(えんじ)色の斗篷(クローク)を着た、帝国人の痩せた女性。


 帝国人の女性が、一歩前に進み出た。

 羽織っているクロークは上等だが、その下の服や、はめている手袋は擦り切れている。

 生活に疲れた顔。

 不安そうな目。


 彼女は震える唇で、あの名前を口にした。


「私は、ユラン=ケーシムと申します」


 ジェスロは、跳ね上がるように椅子から立ち上がった。


(まさか。こんなことが)


 長い間。

 何度も何度も、自分の手で帳簿に記した、その名前。

 どこかへ消えた女の名前。

 死者のように思っていた名前。

 生きた人間の姿をして、目の前に立っている。


「あなたが……ユラン=ケーシムさん?」


 眼鏡の令嬢と東方人の青年が、目を見合わせている。


(この職員は、なぜか、その名前を、前から知っていたかのようではないか)


 そう思っているに違いない。


 彼女も同じ『なぜ』を感じたのだろう。

 返事の声は細かった。


「……はい」


 彼女は、1階の受付で記入してきた書類を差し出した。

 『不達郵便物照会申請書』。

 いつ。

 誰宛てに。

 どの住所へ。

 封筒の色。

 筆跡。

 申告欄に細かく記入されている。


 ジェスロは確信した。


(間違いない。この女性だ)


「……あなたのご身分を証明するものは?」


 彼女は、俯いて、答えない。


 雇用主からの給与明細は?

 貰えていないのだろう。


 家主からの家賃領収書は?

 今の住所のものしかないのだろう。


 出生証明書は?

 ないのか?


 洗礼記録!

 ない、のか?


 ジェスロは、迷宮をさまよう気分だった。

 この女性は、『制度』の外で生きてきたのだ。

 今も、生きている。

 ここに、いる。


 『白檀(サンダルウッド)』の香りを(まと)った東方人の青年が、口添えをする。


「そちらのユラン=ケーシムさんの身元は、リュウノス商会が保証します」


 すっ、と差し出される、漆黒の名刺。

 『(ドラゴン)』の紋章。

 『リュウノス商会 代表 シシトラ=リュウノス』の文字。


(この若者が、あの――)


 ジェスロは、目をしばたたいた。


(聖職者や貴族ならともかく――富豪とはいえ、帝国臣民ではない異邦人の『身元保証』か。規則では、これは通せない)


「残念ですが」


 職責上は、こう答えるしかない。

 シシトラ=リュウノスが差し出した名刺が、行き所を失い、宙吊りになる。


 眼鏡の令嬢が口を開いた。


「ユランさん。あれを」


 女性が、クロークの内側から、紙の包みを取り出し、開く。

 数枚の絵葉書が現れた。

 ジェスロに差し出す。


 彼は一枚受け取り、消印を見る。

 何年も前の、古い日付。

 遠い、遠い土地の郵便局の名前。

 宛先は、いまはもうなにもない、あの古い住所。

 宛名。

 ユラン=ケーシム様。

 見間違えようのない筆跡で。

 あの、クリーム色の封筒と同じだった。


 2枚目の絵葉書を見る。

 3枚目。

 4枚目。

 同じだった。


 裏を見る。

 帝都ではない、知らない土地の、知らない風景の絵。

 これは、白い教会。

 こちらは、異国の港。

 風車と塔。

 美しい砂浜。


 風景の絵にかぶせるように、短い文字。


「私は、許されるだろうか」

「この港には、猫がいる」

「時間が止まったような世界」

「いつか、君とここへ来たい」


 この筆跡が、宛名と住所以外の文字を書いているのを、ジェスロは初めて見た。

 文字が、呼吸しているようだった。


 これらの絵葉書を、彼女はずっと持っていたのだ。

 何年も、何年も。


 彼女はいま、俯いている。

 部屋には時計の針の音だけが響いている。


(規則では、渡せない)


 ジェスロは理解している。


 女性に背中を向けて、壁際の棚へ向かって足早に歩き出した。

 迷いもなく、その場所から、束ねられた封筒を取り出す。

 戻ってきたジェスロは、彼女の目の前で、クリーム色の封筒の数を数えてみせた。

 ぐるり、と紙の帯で、束をひとつに括る。

 震える声で彼女に告げた。


「ちょうど30通。30ヶ月分です。ユラン=ケーシムさん」


 ユランは顔を上げる。

 死んだ誰かが戻ってきたような顔だった。


 眼鏡の令嬢は、両手で口を押さえて、小さな声で叫んだ。


「神様……!」


 30通の封筒と為替の束は、煉瓦のように分厚かった。

 ジェスロはいま、デッドレターオフィスの職員にあるまじきことをしようとしている。

 そこにある『物語』を、読んではいけない。

 その禁を破ろうとしている。

 束を差し出しながら、ジェスロは言った。


「ケーシムさん。ひとつだけ、聞いてもよろしいですか」


 数秒間。

 部屋を沈黙が支配した。


「この『差出人』は……あなたにとって、何なのですか」


 ユランは黙っていた。

 青年と令嬢は、彼女の沈黙を見守っている。


 やがて、彼女は、束を受け取り。

 小さく疲れた笑顔で、言った。


「……よくある話です。でも、言葉にすれば、とっても長くなる。それでもよろしければ」


 ジェスロは、誠実そのものの顔で、頷いた。

次回投稿は2026年6月17日(水)です。

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