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第04話 すべては慈善のためですの

帝都の中心。

 王立公園の中央広場。

 ファンシー・フェア。

 慈善の市。

 それは『貧民への慈善活動』という美名を隠れ蓑にした、特権階級の華やかな『遊び場』だった。


エミルウの滲んだ視界の中では――。

 令嬢たちのドレスの原色と紳士たちのフロックコートの黒が、色彩の奔流となって迫ってくる。

 鼓膜を叩くオーケストラの喧騒。

 香水と葉巻のにおい。

 そこは、エミルウの鋭敏な五感にとって、暴力じみた圧力に満ちていた。


「これはおいくらかな?」


近くのブースで、若い紳士が声を弾ませる。

 テーブルの上のハンカチ。

 つたない刺繍。

 街の店に並べれば、銀貨一枚の値もつかないだろう。


売り子の娘は微笑み、小首を傾げながら考えるふりをする。

 紳士は、値札など見ていない。

 売り子の笑顔だけを見つめている。


「銀貨五枚ですわ」


売り子の気まぐれな言い値に、紳士は財布のひもを解く。

 ここで銀貨を数える男は、紳士ではない。

 迷いなく、金貨をつまみ上げる指。

 売り子の娘の、白絹のような手のひらに、金貨をそっと置き。

 紳士の指先が、手のひらを、さらり、と撫ぜていく。


「ありがとうございます」


売り子のぎこちない笑顔。

 銀貨と金貨の差額――。

 それは、指先の一瞬の『会話』と、売り子の――いや、令嬢の笑顔への代金だった。


普段は屋敷の応接間でティードレスを纏っている貴族令嬢。

 今日はエプロンを身につけて、売り子の真似ごとをしている。

 紳士たちは、お目当ての美しい令嬢と少しでも言葉を交わし、その素手に触れるためだけに。

 法外に値付けされたガラクタに、躊躇なく金貨を投げる。

 桜色の愛らしい唇から、「ありがとうございます」の声を聞くために。

 絹のように柔らかな手から、商品を受け取るために。


エミルウは、眩暈とともに理解した。

 売買されているのは、令嬢たちの『微笑』と、その素手に触れる『特権』だ。

 社交という名の市場。

 女たちは自分という花に男たちがつける『値』に一喜一憂し、男たちは財布の重さで優越感を競い合う。

 代金は、孤児たちの食事や毛布に変わるのかもしれない。

 しかし、ここで売り買いされているのは、慈善ではなかった。


怯えるように身をすくめるエミルウに、オリンゼが冷たく言い放つ。


「さあ、着いたわよ。エミルウ、パイネ。木箱をあそこへ運んで。設営を手伝ってきなさい」


オリンゼは『町娘』に仮装した愛らしい衣装を纏っている。

 コルセット風のビスチェにロングスカート。

 楚々とした白ブラウスにアースカラーのエプロン。

 昨晩、エミルウが『縫い直した』、あの服だった。


(私が縫ったドレスを、オリンゼが着ている――)


エミルウの心に、一滴の毒が落ちる。


そして、自分の服を見る。

 オリンゼから無理矢理あてがわれたドレスは灰色にくすみ、麻のエプロンからはカビのにおいがした。

 メイドのパイネですら、糊のきいたお仕着せに身を包んでいるのに。


「エミルウお嬢様。重いでしょう、私が持ちます」


「ありがとう、パイネ……でも、私も働かないと……」


針傷だらけの荒れた指をきしませて、エミルウは荷物を運ぶ。

 色とりどりのテントが並ぶ一角。

 オリンゼのブースには、すでに人だかりができ始めていた。


人々の目を惹きつけていたのは――『水鏡を()幽囚姫(ゆうしゅうき)』の巨大なタペストリーだ。

 エミルウが昼夜を分かたず、精魂を込めて縫い上げた作品が、太陽の光を浴びている。

 一瞬、誇りに思いかける――。

 しかし、オリンゼの声ひとつで、エミルウの心は突き飛ばされる。


「いらっしゃいませ。紳士の皆様。……ええ。この刺繍は、私が半年をかけて縫い上げましたのよ」


「おお」


「なんと見事な……!」


感嘆の声が上がる。

 オリンゼは眉を上げ、満足気な笑みを浮かべ。

 白磁のようになめらかな指先を、タペストリーの表面に滑らせた。

 刺繍の中――乙女の亜麻色の髪を飾る黄色の花。


(オリンゼ――あなたは知らないでしょう。そこよ。そこに、私の魂の欠片(かけら)が縫い込んであるのよ――)


エミルウは、心の中で絶叫していた。


(私の指がなかったら存在しなかった世界よ――)


「天は二物を与えたもう。オリンゼ嬢は美貌だけでなく、芸術の女神にも愛されている――」


オリンゼの自己顕示欲は、賞賛の声を、麻薬のように飽くこともなく(すす)り続けた。

 その光り輝く舞台のすぐ真後ろ。

 いや。

 舞台の裏側は、裏側ですらない場所だった。

 エミルウは存在しないことにされていた。

 木箱の陰に隠れるように押し込められたエミルウは、分厚い麻のエプロンを握りしめ、ひっそりと息を殺していた。


「刺繍姫・オリンゼ嬢の新作は、ここ数年で最高の傑作ですな」


(軽い――)


『幽囚姫』の美と技巧を誉めそやす紳士たちの声に、エミルウはうつろな響きを感じていた。


(この人たちには、そこまでしか見えていない)


「すべては慈善のためですの」


そう言って、オリンゼは微笑んだ。

 そのすぐ後ろで、エミルウは箱を持ち上げる。

 指に食い込む痛みを、誰も見ていない。

 『慈善』――その言葉は、エミルウの上をむなしく素通りしていった。


現実よりも。

 刺繍の世界の方が、正しい。

 美しい。

 そう信じたいのに。


(私はどうして、こんなにみじめなの……)


太陽の下で、エミルウは、冷たく重い絶望を抱えて立ちつくしていた。


ブースの前の人混みが、突然割れた。

 欲望の熱気に包まれていた祝祭の空間に、突然、冷気が流れこんでくる。


エミルウの運命の糸を揺らす二人の男が、やがてここに現れることなど――

 この時の彼女には、知る術もなかった。

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