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エミルウ ~屋根裏部屋の刺繍姫~  作者: 姫松チミノ
第1章 慈善の市場(ファンシー・フェア)
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第04話 すべては慈善のためですの

「これはおいくらかな?」


 近くのブースで、若い紳士が声を弾ませる。

 テーブルの上のハンカチ。

 つたない刺繍。

 街の店に並べれば、銀貨1枚の値もつかないだろう。


 売り子の娘は微笑み、小首を傾げながら考えるふりをする。

 紳士は、値札など見ていない。

 売り子の笑顔だけを見つめている。


「銀貨5枚ですわ」


 売り子の気まぐれな言い値に、紳士は財布のひもを解く。

 ここで銀貨を数える男は、紳士ではない。

 迷いなく、金貨をつまみ上げる指。

 売り子の娘の、白絹のような手のひらに、金貨をそっと置き。

 紳士の指先が、手のひらを、さらり、と撫ぜていく。


「ありがとうございます」


 売り子のぎこちない笑顔。


 銀貨と金貨の差額――。

 それは、指先の一瞬の『会話』と、売り子の――いや、令嬢の笑顔への代金だった。


 普段は屋敷の応接間でティードレスを纏っている貴族令嬢。

 今日はエプロンを身につけて、売り子の真似ごとをしている。

 紳士たちは、お目当ての美しい令嬢と少しでも言葉を交わし、その素手に触れるためだけに。

 法外に値付けされたガラクタに、躊躇なく金貨を投げる。

 桜色の愛らしい唇から、「ありがとうございます」の声を聞くために。

 絹のように柔らかな手から、商品を受け取るために。



 エミルウは、眩暈(めまい)とともに理解した。

 売買されているのは、令嬢たちの『微笑』と、その素手に触れる『特権』だ。

 社交という名の市場。

 女たちは自分という花に男たちがつける『値』に一喜一憂し。

 男たちは財布の重さで優越感を競い合う。

 代金は、孤児たちの食事や毛布に変わるのかもしれない。

 しかし、ここで売り買いされているのは、慈善ではなかった。


「薔薇をどうぞ」


 美しい売り子――『町娘』の仮装をした令嬢が、若い紳士の胸ポケットに、一輪の薔薇を挿す。


「金貨1枚になりますわ――」


 令嬢の吐く息まで花の香りがするようだった。

 金貨1枚が、じつに気前良く、募金箱に吸い込まれていった。


 この市場で最も高く売買されているのは、令嬢たちの微笑だった。

 彼女たちは笑顔だが、遊びの気分は半分だけだ。

 残りの半分は、本気である。

 社交という名の市場で、自分という名前の花に、男たちから値段をつけられるのだ。

 真剣にならないわけがない。


 『氷の美姫(びき)』と評判の令嬢の売り場には、彼女の微笑み一つに金貨を投げる男が行列を作る。

 太陽のような笑顔で愛されている令嬢には、彼女が脱いだ手袋に大金貨が支払われる。


 一番人気の令嬢にいたっては。

 『慈善舞踏会で彼女とダンスを踊る権利』を賭けて、売り場の前で即席オークションが始まる。

 熱狂した貴族令息たちが、金貨5枚、いや10枚、と、財布の重さで殴り合うのだ。

 お目当ての令嬢と踊る。

 それだけのために、街の職人の年収が、煙のように消えていく。


 売り上げは、そのまま彼女の『徳』であり、『価値』だった。

 どのブースが人気だったか。

 それによって、その家の評判が動くのだ。

 自分のブースで売れ残りが出ることは、家門の不名誉であった。


 『慈善の市場』を飛び交う欲望に圧倒されるエミルウ。

 オリンゼが冷たく命令する。


「エミルウ、パイネ。設営を手伝ってきなさい」


 オリンゼは『町娘』に仮装した愛らしい衣装を(まと)っている。

 コルセット風のビスチェにロングスカート。

 楚々とした白ブラウスにアースカラーのエプロン。

 昨晩、エミルウが『縫い直した』、あの服だった。


(私が縫ったドレスを、オリンゼが着ている――)


 エミルウの心に、一滴の毒が落ちる。


 そして、自分の服を見る。

 一着きりしか持っていないドレスは灰色にくすみ。

 オリンゼから無理矢理あてがわれた麻のエプロンからはカビのにおいがした。


 メイドのパイネは、糊のきいたお仕着せに身を包んでいる自分を後ろめたく思った。


「エミルウお嬢様。重いでしょう、私が持ちます」


「ありがとう、パイネ……でも、私も働かないと……」


 針傷だらけの荒れた指をきしませて、エミルウは荷物を運ぶ。


 色とりどりのテントが並ぶ一角。

 オリンゼのブースには、すでに人だかりができ始めていた。


 人々の目を惹きつけていたのは――『水鏡を()幽囚姫(ゆうしゅうき)』の巨大なタペストリーだ。

 エミルウが昼夜を分かたず、精魂を込めて縫い上げた作品が、太陽の光を浴びている。

 一瞬、誇りに思いかける――。

 しかし、オリンゼの声ひとつで、エミルウの心は突き飛ばされる。


「いらっしゃいませ。紳士の皆様。……ええ。この刺繍は、私が半年をかけて縫い上げましたのよ」


「おお」


「なんと見事な……!」


 感嘆の声が上がる。

 オリンゼは眉を上げ、満足気な笑みを浮かべ。

 白磁のようになめらかな指先を、タペストリーの表面に滑らせた。

 刺繍の中――乙女の亜麻色の髪を飾る黄色の花。


(オリンゼ――あなたは知らないでしょう。そこよ。そこに、私の魂の欠片(かけら)が縫い込んであるのよ――)


 エミルウは、心の中で絶叫していた。


(私の指がなかったら存在しなかった世界よ――)


「天は二物を与えたもう。オリンゼ嬢は美貌だけでなく、芸術の女神にも愛されている――」


 オリンゼの自己顕示欲は、賞賛の声を、麻薬のように飽くこともなく(すす)り続けた。


 その光り輝く舞台のすぐ真後ろ。

 いや。

 舞台の裏側は、裏側ですらない場所だった。

 エミルウは存在しないことにされていた。

 木箱の陰に隠れるように押し込められたエミルウは、分厚い麻のエプロンを握りしめ、ひっそりと息を殺していた。


「刺繍姫・オリンゼ嬢の新作は、ここ数年で最高の傑作ですな」


(軽い――)


 『幽囚姫』の美と技巧を誉めそやす紳士たちの声に、エミルウはうつろな響きを感じていた。


(この人たちには、そこまでしか見えていない)


「すべては慈善のためですの」


 そう言って、オリンゼは微笑んだ。

 そのすぐ後ろで、エミルウは箱を持ち上げる。

 指に食い込む痛みを、誰も見ていない。


 『慈善』


 ――その言葉は、エミルウの上をむなしく素通りしていった。


 現実よりも。

 刺繍の世界の方が、正しい。

 美しい。

 そう信じたいのに。


(私はどうして、こんなにみじめなの……)


 太陽の下で、エミルウは、冷たく重い絶望を抱えて立ちつくしていた。



 ◇



 濃紺色(ネイビーブルー)のフロックコート。

 生地と仕立ては最上級。

 整えられた金髪と、青い瞳は、高級貴族の風儀を示していた。


 しかし。

 その若い貴族の男は。

 シルクハットを斜めにかぶり、肩をそびやかし。

 周囲をねめつける悪意そのものの目つき。

 皮肉な冷笑に歪んだ口元。

 銀のステッキを振り回しながら、ファンシー・フェア会場を闊歩(かっぽ)していた。


 ステッキの先が通行人の肩に当たる。


「気をつけろ!」


 怒鳴ったのは青年貴族の方だった。


 『慈善』に唾を吐きかける。

 品位をどこかに置き忘れて生まれた、高貴な『ならず者』。


 『歩く災厄』が、いま、エミルウに向かって歩いていく――。

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― 新着の感想 ―
慈善のためという名目のファンシーフェア……実際はそれかーーーいww オリンゼさん、慈善の意味知ってるのか〜〜??
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