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エミルウ ~屋根裏部屋の刺繍姫~  作者: 姫松チミノ
第3章 エミルウの世界(ラスト・ワルツ)
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番外編04 鍋の底に月が落ちていた~Brilliant Disguise~(後編)

番外編の後編です。


※このお話は、時系列で言うと、『第30話から第37話』の間のどこかの出来事、とご理解ください。

 次の夜。

 エミルウ、パイネ、メイドたちは、今夜も厨房に集合した。

 艾草(ヨモギ)桂皮(カシア)の燻香が漂う空間。

 炉灶(キッチンレンジ)の残り火で温めた紅茶の香り。

 パイネが小碗に紅茶を注いで、皆に配る。


 東方人メイドが、(おごそ)かな声で、順番に唱えていく。


『一本の糸は弱くとも』


『織り成せば、断つこと(あた)わぬ(ころも)となる』


『縦の糸は我ら』


『横の糸も我ら』


『誰がこの布を織ったのか』


『引き裂けぬ、姉妹の絆』


『我らの血は混ざらぬとも』


『我らの涙は一つである』


「――よろしい。では始めましょう」


 第8回、エミルウの『東方語』学習会が開催される。


「皆様、今日もよろしくお願いします……」


 ここ数日、上達が止まっているエミルウは、申し訳なさに身を縮めていた。

 パイネが、まっすぐな瞳で言う。


「エミルウお嬢様。ちょっと目を閉じて、私が喋るのを聞いてもらえますか」


「え? ……はい?」


 エミルウは、言われるとおりに目を閉じた。

 パイネの咳払いが聞こえる。

 また、誰かの物真似をするのだろうか。


『エミルウお嬢様。私が話していることが、わかりますか?』


 滑らかな発音。

 流暢な東方語。

 そして、それは――声質、トーン、完全にエミルウの声、そのものだった。


「えええええええ!?」


 思わずエミルウは目を開けた。

 パイネが慌てる。


「だめですよ! 目を開けちゃあ」


「パイネ。いまの!?」


 『東方語を完全にマスターしたエミルウ』が、パイネに『憑依』したのだ。

 メイドたちも驚愕していた。

 パイネは、してやったり、と言う顔。


「続けてみますね」


 今度は、声だけではない。

 エミルウの仕草、身振り、手振りまで再現されているのを、見せつけられた。


『シシトラ様。心からお慕いしております。たとえこの世界が壊れても、いつまでもあなたのおそばにいたい……』


 完璧な東方語。

 恥ずかしそうに、でも勇気を振り絞る時の、エミルウの声の震え。

 庇護欲を掻き立てられる、もじもじした仕草まで再現されている。


 エミルウには東方語の意味は分からない。

 しかし、いま、『シシトラ様』という単語だけ、聞き取れた。

 メイドたちは口を押さえて、エミルウを見ながら頬を赤くしている。

 エミルウは激しく狼狽(うろた)えた。


「パイネ! いま、いま、何を言ったの? 私の声で!」


「ウフフ!」


 パイネは、調子に乗った。

 半身に立ち、軽く顎を引き、探るような目つきになる。


『エミルウ。二人で出かけないか。その……帝都に今度、新しい百貨店がオープンするんだ。きっと、君の刺繍の参考になると思って……』


 これも、東方語。

 今度は、若い男の声。

 白檀(サンダルウッド)の香りを(まと)ったような、エミルウにとって特別な声だった。

 エミルウは、両手を振り回して、パイネに抗議した。


「シシトラ様は、そんなへどもどした喋り方はしません……! いつもビッとしてシュッとしていて……かっこいいんだから!」


 メイドたちは顔を見合わせる。


『ええ~?』


『へどもど……してるよね? シシトラ様、エミルウお嬢様にだけ、ちょっとおかしくなるもの』


 解釈の不一致。

 しかし、エミルウの火力の強さを想像すると、メイドたちは声を上げられない。


 パイネが言う。


「エミルウお嬢様。どうですか。『東方語をマスターした自分』をイメージできたのではありませんか?」


(……たしかに)


 今は、自分の『完成形』が、この上なく具体的なイメージを持って立っている。


(そうか。私が東方語を話す時は……こんなふうに聞こえるんだ)


 エミルウの中の『羞恥心(ストッパー)』が外れようとしていた。


『よし。じゃあ。やってみましょう』


 メイドたちが言い、レッスンが始まった。


 ◇


 刺繍を刺すのは、言葉に似ている。

 と思った。


 刺繍の目を揃えるときは、いちいち頭で考えたりはしない。

 反復練習の成果。

 リズム。

 指先が覚えている。


 言葉もそうだ。

 頭で、考えない。

 針を布に刺して、糸を引く。

 針仕事のリズムに合わせて。

 エミルウは、東方語の独特なイントネーションを乗せていく。


 舌の位置。

 息の抜き方。

 口と喉の筋肉の運動。

 手元の作業に意識が向いていることで、発音に対する羞恥心は薄れている。


 パイネが演じた、『東方語をマスターしたエミルウ』を思い出す。


鍋の底(グオ ディー)


 針を刺す。


落ちた(ディャオ ルォ ラ)


 糸を引く。


一輪の(イー ルン)


 刺す。


明月(ミィン ユエ)


(『ミィン』は、高く。『ユエ』は、低く)


 パイネの口真似でやってみよう。

 彼女の『仮面』を、被ってみる。

 つもりで。


『グオ ディー ディャオ ルォ ラ イー ルン ミィン ユエ』


 舌が、もつれる。

 うまくいかない。


(パイネ。あなたは、やっぱり、天才よ)


 『鍋の底に月が落ちていた』。

 本当に、どういう意味なのかしら。


(今度、シシトラ様に訊いてみよう)


 エミルウはくすりと笑って。

 窓の外の月を見た。

次回投稿は2026年6月11日(木)です。

本編にお話が戻ります。

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― 新着の感想 ―
パイネちゃん、やっぱ凄い!!これはもう天才ですね(*^^*)♪ でも、ちょっとちょっと!! なんだか初めの東方人メイドの標語みたいなのが、中島みゆきの「糸」みたくなってませんかぁ〜〜!!\(^o^)…
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