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エミルウ ~屋根裏部屋の刺繍姫~  作者: 姫松チミノ
第3章 エミルウの世界(ラスト・ワルツ)
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第41話 覚えていろよ。

 

「皇室関係の緊急輸送指令だ。内容は――開示できない」


 駅長の眉がわずかに動く。

 ウメガイ=リュウノスは、窓の外をチラリ、と見遣って言う。


「あの列車を徴用する」


「……そんなことは、聞いたことがないな。こんな時間に、こんな形で、突然に」


「極秘任務だからな」


 ウメガイの声は静かで、揺るぎがない。

 駅長は封蝋に指をかけた。

 ほんのわずかに、躊躇する。


 ――本物か?


 これが、皇室の紋章?

 ――見覚えがあるような、ないような。

 ――曖昧な記憶に引っかかる。

 疑うこと自体が、不敬に問われそうな。

 判断する方法は――ない。


 外から怒鳴り声が飛び込んでくる。


「積み込みを急げ! もう時間がない!」


 蒸気の噴き出す音が、窓を震わせた。

 駅長の視線が揺れる。


「私には判断できない……本社に電報を打つから、確認できるまで、待て」


「いいだろう」


 ウメガイは、もう一つの椅子にどっかりと座った。


「それで。本社からの返事はいつになる?」


「……こんな時間だ。本社の人間は寝ている。電報を受け取るのは朝。役員が内容を確認して、ここに返信が届くのは、昼を過ぎるだろう」


「ふむ。するとだな。本社から回答が返ってくるまでのその間。たっぷり半日、この列車は動かせないわけだ」


 じろり、と駅長を見るウメガイの目は、地獄からの使者のそれのようだった。


「その分、遅延が出る。皇室に取り返しのつかない損害が出る。――あなたが責任を取ってくれるのか?」


 駅長の喉が、ごくり、と鳴る。


「……規則が」


「本社は言うだろう。『現場が規則に固執したせいで、取り返しのつかない責任問題が生じてしまった』と」


 ウメガイの黒い瞳が駅長の小心翼々とした灰色の目を射抜く。


「この『輸送(ミッション)』はすでに動いている。通関も荷揚げも、すべて終わっている。あなたに、これを止める理由があるのか?」


 駅長は答えられない。

 壁時計の針の音が、やけに大きく響く。


 1秒。

 2秒。


 外では、最後の貨車の扉が閉まる音がした。


 5秒。

 10秒。


 駅長の頭の中で、計算が走る。


 ――本物かもしれない。

 ――偽物かもしれない。


 だが。


 ――止めれば、今、目の前の『黒い男』が、確実に問題を起こすだろう。

 ――通せば、問題は『後で』来る『かもしれない』。


 その差は決定的だった。


 3分。

 5分。


 駅長はゆっくりと封筒から手を離した。


「……あんたたちが荷積みしているその列車は、本来、別の商会の貸切列車(チャーター)なんだぞ」


 ウメガイは肩をすくめる。


別の商会(そちら)には私から説明しよう」


 即答。


「違約金が出るんだぞ」


「全額補償する。書面も出そう」


 また、即答。

 駅長の迷いが1つずつ消えていく。

 駅長が視線を逸らし、指で机をいらいらと叩く。

 あと1つ。


「……もし、私の責任問題になった時は……」


 ウメガイは身を乗り出し、駅長の耳元で、静かに囁く。


「そのときは、我が商会が、一生面倒を見よう」


 ツイ、と。

 ウメガイの指が、机の上に、漆黒の名刺を置いた。

 『(ドラゴン)』の紋章。

 『リュウノス商会 会長』の文字。


 駅長の肩から力が抜ける。

 胸の中の迷いが音を立てて崩れる。

 目の前の列車が、決して止められない『運命』のように見えた。

 やがて駅長は、深く息を吐いた。


「……発車させよう」


 ウメガイは、当然だ、という顔をしている。


「だが、責任は――」


「すべてこちらにある。心配するな」


 ウメガイは駅長の肩に手を置き、破顔した。


 駅長はベルを鳴らした。

 扉の外で、係員があわてて姿勢を正す。


「――あの貨物列車は、臨時便として発車する。準備をしろ。最優先だ」


「はっ……ですが、あれは――」


(他の商会の、明朝出発の便ではないか?)


「いいからやれ」


 汽笛が鳴る。

 低く、長く、夜を引き裂く音。

 白い息が一気に吐き出され、蒸気機関が震える。

 ゆっくりと――だが確実に、列車は動き出した。


 ホームの端で、駅長はその様子を見送る。

 白い蒸気が闇に溶けていく。

 赤い尾灯が遠ざかる。


 駅長は、小さく呟いた。


「……もし、あの命令書が『偽物』だったとしても」


 わずかに苦い笑いが浮かぶ。


「誰がそれを確かめられるっていうんだ」


 蒸気の音だけが、しばらく残っていた。


 ◇


 『戦車』のカードは、『関門』を突破した。

 機関車の床で、ウメガイとボズは大きく息を吐いた。

 汗と煤で顔を真っ黒にしたボズが、ウメガイを(ねぎらう)う。


「ご主人様以外の誰も、こんなことはできなかったでしょう。お疲れさまでした」


 『賄賂』も『暴力』も通用しない相手を、『度胸』と『呼吸』だけで突破したのだ。

 ウメガイは精魂尽き果てていた。

 ボズが差し出した水筒(キャンティーン)に口をつけ、ビール(スモール・ビア)を流し込む。


「まったく。こんな無茶苦茶をしたのは、若い時以来だ……」


 ウメガイは、懐から、『命令書の封筒』を取り出し。

 火室(かしつ)に石炭を()べる機関助士の若者に、封筒を手渡す。

 黄金色に燃えさかる石炭の上に投げ入れられる。

 深紅の封蝋もろとも、一瞬でこの世から消えた。


 エミルウ。

 シシトラ。

 年寄りをこき使いおって。

 覚えていろよ。

 ウメガイが、目を細めて笑いを浮かべた。


 ◇


 その頃、税関事務所では。


「印章が見つかったぞ!!」


 書記官が叫ぶ。

 手には封印付きの箱。


「どこにあった!?」


「大広間の……便所です……」


 気まずい沈黙。


 徴税官は窓の外を見た。

 闇の向こうから、遠ざかる蒸気と鉄輪の音。

 徴税官は、すべてを理解した顔だった。


「……やられたな。あの黒いライオンめ……」

次回投稿は2026年6月9日(火)になります。

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― 新着の感想 ―
ウメガイパパ、カッコいいとこ見せてくれましたね〜!! これで荷物は無事届くのかな? 楽しみに読み進めていきます♪
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