第41話 覚えていろよ。
「皇室関係の緊急輸送指令だ。内容は――開示できない」
駅長の眉がわずかに動く。
ウメガイ=リュウノスは、窓の外をチラリ、と見遣って言う。
「あの列車を徴用する」
「……そんなことは、聞いたことがないな。こんな時間に、こんな形で、突然に」
「極秘任務だからな」
ウメガイの声は静かで、揺るぎがない。
駅長は封蝋に指をかけた。
ほんのわずかに、躊躇する。
――本物か?
これが、皇室の紋章?
――見覚えがあるような、ないような。
――曖昧な記憶に引っかかる。
疑うこと自体が、不敬に問われそうな。
判断する方法は――ない。
外から怒鳴り声が飛び込んでくる。
「積み込みを急げ! もう時間がない!」
蒸気の噴き出す音が、窓を震わせた。
駅長の視線が揺れる。
「私には判断できない……本社に電報を打つから、確認できるまで、待て」
「いいだろう」
ウメガイは、もう一つの椅子にどっかりと座った。
「それで。本社からの返事はいつになる?」
「……こんな時間だ。本社の人間は寝ている。電報を受け取るのは朝。役員が内容を確認して、ここに返信が届くのは、昼を過ぎるだろう」
「ふむ。するとだな。本社から回答が返ってくるまでのその間。たっぷり半日、この列車は動かせないわけだ」
じろり、と駅長を見るウメガイの目は、地獄からの使者のそれのようだった。
「その分、遅延が出る。皇室に取り返しのつかない損害が出る。――あなたが責任を取ってくれるのか?」
駅長の喉が、ごくり、と鳴る。
「……規則が」
「本社は言うだろう。『現場が規則に固執したせいで、取り返しのつかない責任問題が生じてしまった』と」
ウメガイの黒い瞳が駅長の小心翼々とした灰色の目を射抜く。
「この『輸送』はすでに動いている。通関も荷揚げも、すべて終わっている。あなたに、これを止める理由があるのか?」
駅長は答えられない。
壁時計の針の音が、やけに大きく響く。
1秒。
2秒。
外では、最後の貨車の扉が閉まる音がした。
5秒。
10秒。
駅長の頭の中で、計算が走る。
――本物かもしれない。
――偽物かもしれない。
だが。
――止めれば、今、目の前の『黒い男』が、確実に問題を起こすだろう。
――通せば、問題は『後で』来る『かもしれない』。
その差は決定的だった。
3分。
5分。
駅長はゆっくりと封筒から手を離した。
「……あんたたちが荷積みしているその列車は、本来、別の商会の貸切列車なんだぞ」
ウメガイは肩をすくめる。
「別の商会には私から説明しよう」
即答。
「違約金が出るんだぞ」
「全額補償する。書面も出そう」
また、即答。
駅長の迷いが1つずつ消えていく。
駅長が視線を逸らし、指で机をいらいらと叩く。
あと1つ。
「……もし、私の責任問題になった時は……」
ウメガイは身を乗り出し、駅長の耳元で、静かに囁く。
「そのときは、我が商会が、一生面倒を見よう」
ツイ、と。
ウメガイの指が、机の上に、漆黒の名刺を置いた。
『龍』の紋章。
『リュウノス商会 会長』の文字。
駅長の肩から力が抜ける。
胸の中の迷いが音を立てて崩れる。
目の前の列車が、決して止められない『運命』のように見えた。
やがて駅長は、深く息を吐いた。
「……発車させよう」
ウメガイは、当然だ、という顔をしている。
「だが、責任は――」
「すべてこちらにある。心配するな」
ウメガイは駅長の肩に手を置き、破顔した。
駅長はベルを鳴らした。
扉の外で、係員があわてて姿勢を正す。
「――あの貨物列車は、臨時便として発車する。準備をしろ。最優先だ」
「はっ……ですが、あれは――」
(他の商会の、明朝出発の便ではないか?)
「いいからやれ」
汽笛が鳴る。
低く、長く、夜を引き裂く音。
白い息が一気に吐き出され、蒸気機関が震える。
ゆっくりと――だが確実に、列車は動き出した。
ホームの端で、駅長はその様子を見送る。
白い蒸気が闇に溶けていく。
赤い尾灯が遠ざかる。
駅長は、小さく呟いた。
「……もし、あの命令書が『偽物』だったとしても」
わずかに苦い笑いが浮かぶ。
「誰がそれを確かめられるっていうんだ」
蒸気の音だけが、しばらく残っていた。
◇
『戦車』のカードは、『関門』を突破した。
機関車の床で、ウメガイとボズは大きく息を吐いた。
汗と煤で顔を真っ黒にしたボズが、ウメガイを労う。
「ご主人様以外の誰も、こんなことはできなかったでしょう。お疲れさまでした」
『賄賂』も『暴力』も通用しない相手を、『度胸』と『呼吸』だけで突破したのだ。
ウメガイは精魂尽き果てていた。
ボズが差し出した水筒に口をつけ、ビールを流し込む。
「まったく。こんな無茶苦茶をしたのは、若い時以来だ……」
ウメガイは、懐から、『命令書の封筒』を取り出し。
火室に石炭を焚べる機関助士の若者に、封筒を手渡す。
黄金色に燃えさかる石炭の上に投げ入れられる。
深紅の封蝋もろとも、一瞬でこの世から消えた。
エミルウ。
シシトラ。
年寄りをこき使いおって。
覚えていろよ。
ウメガイが、目を細めて笑いを浮かべた。
◇
その頃、税関事務所では。
「印章が見つかったぞ!!」
書記官が叫ぶ。
手には封印付きの箱。
「どこにあった!?」
「大広間の……便所です……」
気まずい沈黙。
徴税官は窓の外を見た。
闇の向こうから、遠ざかる蒸気と鉄輪の音。
徴税官は、すべてを理解した顔だった。
「……やられたな。あの黒いライオンめ……」
次回投稿は2026年6月9日(火)になります。




