第38話 あなたの、夢を、守りたい
リュウノス邸の大広間。
エミルウ、ハルガ、ヤズ、チューラ。
4人の刺繍師が昼夜を分かたず、手練の針糸を踊らせていた。
夜も昼間と同じ働きができるよう、煌々とした灯りが惜しむことなく輝いている。
「ハルガ様! 皆様! 休憩の時間でございます! 針を置いて、さあ、これをお飲みください!」
パイネとリュウノス邸のメイドたちが走り回り、ほどよく冷えた漢方茶を手渡していく。
疲労困憊。
その場に崩れ落ちるように座り込み、動くこともできない4人。
エミルウはお茶をキュウッ! と飲み干して、深く息を吸い込んだ。
眼鏡を外して、指で瞼の上をぐりぐりと押す。
眼鏡をかけなおすと、すっくと立ちあがった。
「仮眠をとる前に、ちょっと風に当たってきます」
「なんで動けるのぉぉぉ!!」
肩で息をしながら、ヤズとチューラが呆れたような悲鳴を上げた。
「エミルウはおかしいよ……! 1日16時間縫い続けてるのに、あんなに元気だなんて!」
ハルガが顔を拭きながら喘ぐ。
「……みんな、この仕事が終わったら、リュウノスから仕事料をたんまりとせしめるよ……!」
パイネが心の中で思う。
(エミルウお嬢様は、あの屋根裏部屋時代、オリンゼのわがままのために、不眠不休で刺繍を刺し続けていたのよ……)
(自分のため……ううん、シシトラ様のために刺繍を刺している今は……疲れなんてこれっぽっちも感じていないのだわ!)
(……それはそれとして、少しはお休みになってくれないと……さすがに心配……)
誰も彼女を止められない。
それが一番恐ろしかった。
◇
シシトラとリザイアが暗い廊下を歩いてプライベート・ラウンジへ向かうと、そこには、ランプ台の控えめな灯りに映し出された、小さな人影があった。
リザイアがささやき声でいう。
「シシトラ。これを持って、あそこへ行きなさい。ちゃんと話をするんですよ」
自分が持っていたマグカップをシシトラに押し付けると、リザイアは片手を振って自分の部屋の方へ歩いて行った。
シシトラは、両手にひとつずつ、湯気を立てるマグカップを持って。
足音を立てずにラウンジへ歩いていく。
寝間着の上に、体をすっぽり覆い隠すような、分厚く地味なナイトガウンを羽織ったエミルウがいた。
移民街を一望できるバルコニーへ続く大窓を開こうとして、エミルウは不器用に手元を戸惑わせている。
「……エミルウ。こんな夜中にどうした」
エミルウは吃驚して跳ね上がり、慌ててガウンの襟元をかき合わせようとする。
「あっ、シ、シシトラ様! 申し訳ありません、こんな……はしたない格好で……っ!」
恥ずかしさで顔を真っ赤にして俯く彼女。
しかしシシトラの視線は、彼女のガウンではなく、その『両手』に釘付けになっていた。
襟元を隠そうとして、ギュッと握りしめられている彼女の両手。
ひどく不格好な『分厚い真っ白な綿の手袋』がはめられている。
「……その手は、どうした?」
「あ……布に染みがつくので、日中は手に薬を塗れないんです。刺繍をするときは指先に蜜蝋を塗って……夜、寝る前だけ、たっぷりの軟膏を擦り込んで、シーツを汚さないように手袋をしていて。……あの、おかしいでしょうか?」
恥じらいながら、分厚いミトンをはめたような丸い手をもじもじと動かすエミルウ。
その姿はまるで、白い前足を丸めた小動物のように、愛らしかった。
(ちくしょう……やっぱり可愛いなあ……)
しかし、その手。
シシトラたちを守るために、エミルウは小さな手をすり減らしながら戦ってくれている。
やるせなさに、胸が痛んだ。
エミルウをじっと見つめるシシトラの表情が、ランプの灯りで揺れる。
「シシトラ様……?」
エミルウの眼鏡が灯りを映して、琥珀色の瞳を隠していた。
「こんな夜中に……なにをしていたのかな」
「仕事で気持ちが高ぶっているせいか、身体が火照って寝付けなくて……バルコニーの風に当たりに来たのです」
「そうか。これを持って」
右手に持っていたマグカップをエミルウに手渡し、シシトラは大窓を開け放した。
夜風が吹き込み、エミルウのストロベリーブロンドの髪が波を打った。
(……幻……)
暗闇のバルコニーに出る。
エミルウが微笑んでいる。
夜が美しい。
数を数えるのはよそう。
今夜だけ。
「……ああ、それ。よかったら飲まないか。気持ちが落ち着くと思う……」
「ありがとうございます。……うわあ!」
マグカップの中の飲み物を一口すすったエミルウが、驚きの声を上げる。
「紅茶と思ったら……もっと奥行きがあって、ナッツのような香り……これっていったい?」
「南の大陸の高地でしか育たない、『赤い宝石』という灌木から作ったお茶だよ」
「そこでしか育たたないなんて……本当に宝石のように貴重なお茶なんですね……」
「世界中で栽培を試したけど、原産地以外の土地ではどうしても育たなかったらしいんだ」
シシトラが、ふっと笑う。
「頑固だよな……まるで、『お前たちの思い通りにはならないぞ』って言っているみたいだ……」
戦って。
逆らって。
誰にも従わない。
それは、尊い。
そう信じたい。
それなのに。
「……シシトラ様……?」
自嘲するようなシシトラの言葉に、エミルウが不安を覚える。
シシトラは、マグカップを抱えたエミルウの『両手』を見て、くすりと笑う。
もたもたと手元を戸惑わせていたエミルウの愛らしい姿を思い出したのだ。
「なるほど、その手では、うまく窓を開けられないよな」
「……シシトラ様、意地悪です……」
拗ねたようにぷい、と横を向いてから、おずおずとシシトラの表情を確かめるエミルウ。
こんなふうに、二人で話をするのは、いつ以来だろう。
「少し、話さないか」
ドクン、とエミルウの胸の中でなにかが激しく跳ねる音がした。
「……はい……」
シシトラは、必死に言葉を探した。
「エミルウ。俺は、きみの夢を守りたいと思っていた……」
「……はい……」
「俺たちはいつも、金の話をしている……力について話している……数について話している……そんな俺が……」
エミルウは、身構えた。
次に来る言葉のおそろしさを覚悟するかのように。
「エミルウ……君の魂について話をしたいと思っている……俺たちの『これから』について話をしたいと思っている……」
エミルウの華奢な肩が震えているのが、夜目にもわかった。
「なのに、だめなんだ……君にふさわしい言葉が見つからない……」
(――俺は、値付けすることしか知らない人間なのだ)
深く、長い、沈黙。
そして、エミルウの囁くような声。
『シシトラ様……私もです……あなたと、もっと、もっと、お話し、したいのに……言葉が、見つからないの……』
それは、東方の言葉だった。
シシトラは、恐怖した。
こんなことは、いままで、知らない。
自分がどうにかなってしまいそうだった。
エミルウの琥珀色の瞳が、にじんで揺れている。
『シシトラ様。私、あなたの、思い通りにならない、女かも、しれません……あなたと、『同じ』には、なれないかも、しれません……」
『エミルウ、待って……言わないでくれ……』
『でも…………あなたの、夢を、守りたい…………』
『……俺には、夢なんて……!』
苦し気にシシトラが言葉を振り絞る。
エミルウが宝石のような涙を流しながら、微笑んだ。
『シシトラ様。私たち、もっと、もっと、お話し、しましょう……夢、のこと……魂、のこと……私たち、のこと……この戦いが、終わったら……2人で、一緒に、探しましょう……』
エミルウは、分厚い手袋に包まれた手で、そっとシシトラの手の甲に触れた。
真っ白な綿越しに伝わる、かすかな体温。
曖昧で、もどかしい距離。
何も解決していない。
敵はすぐそこに迫り、破滅の足音は止まない。
なんにも変わらない。
それなのに。
その『約束』を、いまは信じることにした。
二人は、話した。
東方の言葉で。
帝国の言葉で。
時々、笑って。
ほんの少し、泣いた。
夜が明けるまで。
夜が明けるまで。
バルコニーから二人が去って。
ただ、『約束』だけが、残された。
そして、朝――。
リュウノス邸から、シシトラの姿が消えていた。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
第2章『移民街』編は、今回で完結です。
次回から、第3章『エミルウの世界』編が開始します。




