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エミルウ ~屋根裏部屋の刺繍姫~  作者: 姫松チミノ
第2章 移民街(バッドランド)
38/56

第35話 なんのこれしき。

 薄暗い天幕の中。

 ハルガは、エミルウの目の前に新聞を突きつけた。


「読んでごらん」


 パイネの顔が青ざめる。


(ああ、ハルガ様! なんてことを! 屋敷のみんなも、移民街の人たちも、エミルウお嬢様には知られないように……と気を遣ってくれていたのに……!)


 エミルウは紙面を読み始めた。

 1行、2行。

 指が止まる。

 震える。

 そして――

 紙を、ぐしゃりと握り潰した。


「……こんな……こんなの、嘘です……!」


(オリンゼ……! ガスマン公爵……! どこまで私の人生を踏みにじれば気が済むの……!)


「知らされてなかったんだね」


「……はい」


 皺の奥から、ハルガの小さく黒い瞳がエミルウを鋭く射抜いた。


「幸せなことだよ。まるで箱入りのお姫様だ」


 エミルウは、ふと、周囲の人びとの顔を思い出す。

 リュウノス邸。

 屋台通り。

 どこかいつもと違う……私を気遣うような、よそよそしいようなあの感じ。

 誰もが少しだけ『距離』を置いていた。


(あれは……私を守るためだったのね)


「エミルウお嬢様、ごめんなさい……!」


 たまらずパイネが泣き崩れる。


「私たち、こんなこと、お嬢様にお見せできなくて……私たちみんな、心の中がぐちゃぐちゃなんです……!」


 胸の奥が、きしむ。


「エミルウお嬢様のお名前が……将来が……あんなやつらのために……くやしいよう……うわああああ……」


 エミルウは、パイネの背中を優しく撫でながら、ふっと柔らかく微笑んだ。


「……みなさん、優しいのですね」


 守られていた。

 でも、同時に――

 奪われていた。

 涙がひと筋、落ちる。


 ハルガが、あっけに取られて目を見張る。


(これほどの辱めを受けておきながら、自分のことより、他人の優しさに涙を流すというのかい、この子は……!)


 天幕のランプの炎が揺れる。


「……エミルウ」


 ハルガが、試すように低い声を出した。


「帝国の連中に、お前の運命を勝手に書き換えられたまま、泣き寝入りするのかい」


 エミルウは、棒を呑んだように固まった。

 自分に問いかける。


(私のせいで、シシトラ様の名誉まで傷つけられた……このままでいいの?)

(いつも私を守ってくれた、大事な大事な人……)

(今度は、私が彼を守らないでどうするの……!)


 しかし。

 私に何ができるだろう。

 針と糸だけが取り柄の、ちっぽけな私に。

 エミルウは必死に考える。


 ――記事の最後に、『幽囚姫(ゆうしゅうき)』のお披露目、とあった。


 『そこ』を戦場とするのだ。

 私の作品を。

 私の名前を。

 私の人生を取り返すための戦争。


 エミルウは何かを決意した。


「ハルガ様。申し訳ありませんが、本日の基礎稽古はお休みにしてください」


「……ほう。何をする気だい」


「私の運命を、私の手で『縫い直し』にいきます」


 ハルガは、目をパチパチとさせた。

 最後の弟子が、最高の弟子であったことが、誇らしい。

 パイネは顔を上げて、お仕着せの袖口で涙と洟水(はなみず)を拭う。


「好きにおし」


「ありがとうございます」


 エミルウは拱手して、パイネの手を握り、走り出した。


 針と糸で、この世界に反撃するために。


 ◇


 リュウノス邸の最奥にある、防音扉に守られたビリヤードルーム。

 深緑色の羅紗(ラシャ)が張られた台を、リュウノス商会の最高幹部たちが取り囲む。

 全員が深紅の朱子織長袍(サテン・チャンパオ)に身を包み、直立する。

 眼の前の『混沌』を『整理』して、『現実』を書き替えるための儀式が始まろうとしていた。


「……敵の第1のカードは?」


 ウメガイの低い声に促され、東方人の老爺・ダンミルが、緑の羅紗の上にタロットカードを滑らせた。

 ダンミルは、自分の喉仏に、奇妙な形をした小さな器具を押し当てる。

 ……ヴオン……と、歯車の回る鳴音(ハウリング)


『……『吊るされた男』』


 真鍮製の器具を震わせて、金属の軋みのような合成音声が、防音室に響きわたった。


『停滞、放置、そして朽ちゆく状況。……洋上で腐敗を待つ『一番茶』の暗示でございまする』


 ボズの眉間に険しい皺が寄る。


『第2のカードは『運命の輪』。急激な下降。……リュウノス株の『暴落』』


 手の中で球杆(ビリヤードキュー)を弄んでいたリザイアの眼が、すう、と細くなる。


『そして第3のカード。『悪魔』。……束縛、恥辱、名誉の完全なる失墜。……『ゴシップ記事』を示しております』


 シシトラのこめかみがヒク、ヒクリ、と動いた。


「……この盤面だけを見れば絶望的な状況だな。だが、我われリュウノスにも、これから引かされる手札があるはずだ」


 そう言ったあと。

 ウメガイがダンミルの身体を案じて声をかける。


「ダンミル。一息入れようか」


『なんのこれしき。ご主人様。続けさせてくだされ。私以外に『カードの暗示』を読み解ける者はおりませぬ』


 病で咽喉部を失った老ダンミルは、震える声でウメガイに訴えた。


「……わかった。では、我われリュウノス商会の手札を確認しよう」


 ウメガイの言葉を受けて、ダンミルが自陣のカードを開く。


『第1の反撃カードは『戦車』。……海が駄目なら『陸路』を拓け、との暗示』


 ウメガイが考え込む。


「これは……帝都へ向かっているリュウノス商船団、第2陣のことだろうか」


「そんな。積み荷はすべて海の上ですよ! それをどうやって『陸路』などと」


 ボズが叫ぶ。


「いや……カードがこう言っている。ならば、あらゆる可能性を探ろうではないか。鉄道、あるいは別のルート……」


『第2のカードは『月』。……偽り、幻想、騙し合いの暗示。市場を欺け、と』


 それを聞いた瞬間、リザイアの翡翠色の瞳が、キラリと光った。

 キューを握る手を前に突き出し、宣言する。


「その『月』のカードは、私のところへ来たがっている。ガスマンに極上の幻想を見せてやりますよ」


『最後のカード。『悪魔』を打ち破る、最大の切り札は――』


 ダンミルがめくったのは、『世界』のカードだった。

 そこにいる全員が、1人の少女を思い浮かべた。

 ダンミルの機械音声が、微かに震える。


『……エミルウお嬢様のことかと』


「……あり得ない」


 シシトラは首を振った。


「こんな『汚い戦争』に、これ以上彼女を巻き込むなど。絶対に――」


「シシトラ様!」


 魔界に、少女の声が響き渡った。

 シシトラが弾かれたように振り返る。

 ビリヤードルームの扉が開け放たれていた。


「ご主人様。シシトラ様。皆様。不躾(ぶしつけ)をお許しください……」


 息を切らし、胸を押さえるエミルウがそこにいた。


(シシトラ様……赤い服もお似合いになるのね……素敵……じゃ、なくて!)


 部屋に歩み入る。

 1歩、2歩。

 深紅の長袍で揃えた『龍の結社』の面々の中に、ただ1人。

 青磁色に銀糸刺繍をあしらった雀裙(ツーピース)の令嬢が、清楚な花のように立っていた。


「シシトラ様。私も一緒に戦わせてください」


 眼鏡の奥で、エミルウの琥珀色の瞳が、決意に燃えている。


「だめだ、エミルウ。これ以上、君を傷つけるようなことはできない……これは俺たちの戦いなのだ」


「私の戦いでもあります」


 エミルウの凛とした声に、男たちは背筋が伸びる思いがした。


「『世界』のカードが私を指しているのなら……。私は、私を救ってくれたシシトラ様と、皆さんの名誉を守るために戦います!」


 エミルウは両手を差し出し、傷だらけの指を――黄金を紡ぐ指を、シシトラの目の前で広げて見せた。


「これは、私の名前で起きている『戦争』ですよね?」


 広げた手を握り、力強く微笑むエミルウ。


「なら、私がいなければ終わりません」


 その誇り高いまなざしに、シシトラは抗いがたい衝動に駆られた。

 この小さな令嬢の前に、思わず片膝を床につきそうになる。


(わかった。エミルウ。俺に命じてくれ――)


 シシトラは、幽囚姫に忠誠を誓う騎士になった気がした。


 ビリヤードルームはいま、沸騰している。

 帝国に反旗を翻すためのカードは、出揃った。

 エミルウとシシトラは、いま、世界を書き替えようとしていた。


 その光景を静かに見つめながら、ダンミルがウメガイの方を向いて、東方語で低く囁く。


『……ご主人様。あの娘は、守られているだけの、か弱いお嬢様などではありませぬな』


 ヴゥン、と機械の喉仏が鳴る。

 金属の音声が、歓喜で震えているように聞こえたのは、気のせいだろうか。


『……あれは、『東方の王』の隣に立つ、『龍の花嫁』になれる器ですぞ』

次回投稿は2026年6月3日(水)です。

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― 新着の感想 ―
エミルウちゃんの決意、やはりとても強い子ですね! 運命を縫い直す。 シシトラが床に片膝をつきそうになる気持ちがわかる気がします。 続きを楽しみに読み進めていきますね。
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