番外編02 死んだ娘のドレス~Even Better Than the Real Thing~ (後編)
※性暴力被害に関する、非常に強い描写があります。
フラッシュバックなどの可能性がある方は、閲覧を控えてください。
※番外編の後編です。
事務所の裏手に、工場の焼け跡があった。
破れた窓から光が差し込み、粉塵がキラキラと舞っている。
「フェボタイザーさん。ここに、マリッカさんがいます」
エミルウは、持っていたバルカンファイバー製のアタッシェケースを開く。
グラシン紙をほどくと、死んだ娘のドレスが現れた。
「ヒッ……」
工場主が、亡霊を見たような表情になる。
「フェボタイザーさん。私、エミルウ=スキャルファと申します。駆け出しの刺繍師をしています」
エミルウが、死者のドレスと一緒に、カーテシーを示した。
「私は、布地、縫い糸、仕立ての専門家の端くれです。だから、このドレスを見ればわかります。マリッカさんの最期に、なにが起こったのか」
「……なんだと?」
工場主が薄笑いを浮かべた。
「あの女の最期はなぁ! 自業自得だよ! 夜の工場に忍び込んで、金目のものを物色していた! 持っていた蝋燭を倒して、火を出した! 俺の工場を燃やした! 自分は逃げ遅れて焼け死んだ! それが全部だ! 警察もそう言っている!」
「マリッカさん。物盗りに忍び込むのに、どうしてお出かけ用のドレスを着て行ったんでしょうか」
エミルウが、疑問を1つ、そこに置く。
「……どうして、って」
「フェボタイザーさん。あなたが着てくるように命令したんですよね。おめかしして来るように、と」
リザイアの瞳に、ハッという表情が浮かび、一瞬で沈められる。
工場主は、口を開けたまま、二の句が継げなかった。
「マリッカさんは、断れなかったんでしょう」
エミルウは、死者のドレスを両手で広げてみせる。
「あの夜、ここで起こったことを、このドレスに教えてもらいましょう」
指でドレスの胸元を差す。
「この胸元の前立ての部分。小さなボタンが並んでいたんです。それが、胸元を正面から掴んで、力任せに引き下げられて」
ボタンは弾け飛び、ボタン穴の生地は縦に長く裂けてしまっていた。
普通に脱いだり着たりするだけで、このような破れが生じることはありえない。
「誰かが、ドレスを力ずくで脱がそうとしたんです」
エミルウは、今度はドレスの右肩を指差す。
「ここの血の跡。服よりも高い位置から飛び散った血が、点々と付いています。おそらく、マリッカさんが抵抗したのを怒った相手が、右の拳で左の頬を殴った。そして、飛び散った血がマリッカさんの右肩に飛んだんです」
ドレスの左袖を持ち上げる。
「袖口。ここ。血を擦った跡があります。続けて殴られるのを左手で防ごうとして、顔の血がここに付いたんですね」
リザイアは、エミルウが恐ろしくなってきた。
「ここ。袖ぐり。肩の付け根のところですね。服の中でも負荷がかかる場所だから、一番しっかり縫製されるんですよ。この部分が破れるというのは、相当な力が加えられた証拠です。背を向けて逃げようとしたマリッカさんの肩を後ろから掴み、強引に引っ張ったときに、ここがブチブチと破れたんです。――布のちぎれ方、糸の伸び方で、力の大きさも方向も分かります」
『あの夜』が、明るみに引きずり出される。
『マリッカの母親が何を言っても相手にするな。賠償金を取れなくなったら、お前たちのせいだからな』
そう言うだけで、話が通じた。
保険会社も、工房も、俺のひと睨みで言いなりになった。
なのに、この小娘は!
フェボタイザーは恐怖した。
「……あの女の最期がどんなものだったとしても……俺には何の関係もない」
エミルウはきょとんとした顔で言った。
「なに言ってるんですか?」
エミルウは、自分の手の中にあるドレスに顔を寄せて、小さな声で話しかけた。
「マリッカさん。ごめんなさい。少しの間だけ、我慢してくださいね」
スカートをめくりあげ、アンダースカートを、工場主にも、リザイアにも見えるように示した。
裾のレースが無残に裂けて、泥や足跡で汚れている。
ウエストギャザーの糸がちぎれて、スカートが半分脱落しそうだ。
待て。
――足跡――?
工場主は、愕然とした。
死んだ娘のペティコートの裏地に、機械油と泥が作った『足跡』が、くっきりと刻印されている。
「マリッカさんのスカートを無理矢理まくり上げて、逃げられないように足で踏みつけたんです」
エミルウの言葉を聞いて、リザイアは腰の山刀をスラリと抜いた。
「リザイア様。フェボタイザーさんの靴の裏を確認してください」
工場主は、逃げ遅れた。
目の前に刃を突きつけられて、尻もちをつくように地面に落ちた。
「左の靴です」
リザイアは、ハンカチ越しで工場主の左の靴を掴み、脱がせて、エミルウに示した。
「エミルウ。どうですか?」
エミルウは、マリッカのペティコートの裏地を、その靴の裏へとゆっくりと並べる。
工場の薄暗い光の中で。
フェボタイザーの靴底の紋様は、スカートにスタンプされた靴跡と完全に一致していた。
エミルウが工場主にドレスを見せて、続ける。
「この部分、煤と泥が布地に擦り込まれていますよね。殴られて。身動きできなくなって。いつの間にか、火の手が広がって。マリッカさん、工場の床を這っていったんです。ここです。この油と同じものがドレスにも付いています。ここを這っていきました」
エミルウは、焼け跡の床から、鉄の扉へと視線を移す。
「マリッカさん。お母さまの所へ、帰ろうとしていたんです……」
◇
マリッカの母親は、エミルウが『修復』したドレスを受け取ろうとしなかった。
破かれた跡は、ふさがれなかった。
傷を閉じるのではなく、それをなぞるように、花鳥の刺繍を伸ばしている。
血飛沫があった位置には、赤く小さな花弁の刺繍を散らした。
それは、少女の抵抗と傷の痕跡が、そのまま縫い込められたドレスだった。
事情を知らない人間でも、ひと目見ればわかる。
このドレスには、なにかがあった。
恐ろしいのに、なぜかこんなに美しい。
「こんなのは……娘じゃない……」
(なぜ、わざわざ傷を飾ろうとするの?)
綺麗な思い出だけを残したかった母親は、泣いた。
エミルウには、わからない。
(じゃあ、壊れたマリッカさんのことは……誰が抱きしめてあげるの?)
母親の涙とエミルウの困惑を見守りながら、ウメガイは震えていた。
(このドレスは、本物過ぎる。――本物よりも、……本物だ)
「エミルウ。ありがとう。感謝する」
ウメガイの言葉に、エミルウは頷く。
マリッカの母親に一礼して、部屋を出て行った。
(シシトラ様。私、頑張りました……)
死者の冷たい記憶に触れ続けた指先が、小刻みに震えていた。
リュウノス邸の廊下を歩きながら。
いつの間にか、知らないうちに、涙がこぼれていく。
(ねえ。『よくやった』って。言ってください……)
次回投稿は2026年6月1日(月)です。




