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エミルウ ~屋根裏部屋の刺繍姫~  作者: 姫松チミノ
第2章 移民街(バッドランド)
34/56

第33話 それは3分前の値段だ!

 リュウノス邸の台所。

 異国の香りが漂う静謐な空間に、パイネがけたたましい足音で駆け込んできた。


「大変です!! 街の商店で、リュウノス商会のお茶が……いつもの5倍以上の高値で売られているんです!!」


 パイネは息を切らしながら、戸棚にあった紅い茶葉の缶をテーブルにカチャン! と置いた。


「この『紅い孔雀』のお茶と同じものが! 街じゃ金貨1枚で飛ぶように売れてるんですよ! どうしてかは分からないけど、これってうちの商会、ボロ儲けのウハウハじゃないですか!?」


「パイネ。それは『孔雀』じゃなくて『朱雀(すざく)』よ……。うちの銘柄くらい覚えなさい」


「えへへ」


 のんきに笑うパイネとは対照的に、先輩メイドたちは気の滅入った表情で首を横に振った。


「……違うわ、パイネ。それは大儲けのチャンスなんかじゃない。商会の危機なのよ」


「えっ? どうしてですか!?」


 先輩メイドの一人が紅い缶の蓋を開ける。

 摘まみ上げた茶葉は、白銀色の艶ややかな美しさだった。


「うちの商会が扱う茶葉は、帝国中の貴族が喉から手が出るほど欲しがる、最高級の特級品よ」


「皇室もリュウノスのお茶しか使わないわ」


「おお……うちのお茶ってすごいんですね」


 先輩メイドが目を細めてやれやれと肩をすくめる。


「パイネ……あなたも休憩時間に、みんなと一緒にリュウノスのお茶を毎日飲んでいるのよ……。なんてありがたみのない子なのかしら」


 パイネが恥ずかしそうに頭をかく。


「えへへ……すみません。ヒュッカテの家では、メイドにはお下がりの出涸らし紅茶しか出なくって……実家(うち)は貧乏だったので、温かい紅茶なんか飲んだことがなくってぇ……」


 先輩メイドが黒い瞳を潤ませてパイネの肩をヒシっと抱く。


「不憫な子! 今日のお茶はとっておきのを淹れてあげるからね」


 もう一人の先輩メイドがうんうんと頷く。


「パイネ。あなたはヒュッカテたちが飲んだこともないお宝を、毎日ジャブジャブと飲んでいるのよ……あなたの身体はもう、事実上、貴族以上に尊い存在なのよ……!」


「先輩……!」


 抱きしめあう3人。


「……なんの話をしてましたっけ?」


「……リュウノス商会がピンチ、というお話よ!」


 気を取り直した先輩メイドが声をひそめて話を続ける。


「ねえパイネ。もし『明日になれば、このお茶は手に入らない』って噂が出たら、あなたならどうする?」


「え……そりゃ……急いで買いますけど……」


「そうよね」


「リュウノスの貨物船が、税関で入港を拒否されているの。街は『いま市場にあるのが、リュウノスの最後の茶葉だ』という噂であふれかえっているわ。噂が高値を呼んでいるのよ――でも」


 それは商機のサインではなく、警報(サイレン)なのだ。

 パイネの笑顔が引き()った。


「在庫が売り切れた後、リュウノス商会には売る物がないわ。つまり……」


 貴族たちの食卓にリュウノスの茶葉がのぼることは、二度とない。

 今日、高く売られているのは、未来が破壊されているからだった。

 テーブルに置かれた紅い茶缶が、まるで時限爆弾のように不気味に見えた。


 ◇


 証券取引所のフロアは、『(カネ)』で殴り合う巨大な格闘技場だった。


 数百人の値付業者(ジョバー)と仲買人たちが、広大なフロアでいくつもの渦を作り、怒号を飛び交わせている。

 売買のサインを示す無数の指が、剣のように虚空を突き刺す。

 破り捨てられた注文書が、白い雪のようにフロアを舞う。

 長年の()りで喉仏に(かんな)をかけられたような(しゃが)れ声が、雨のように降る。


 その狂乱のフロアを見下ろす、防音ガラス張りの2階VIP席。

 リザイアとボズは、静寂の中で事の成り行きを見守っていた。


 長い編み髪。

 花冠。

 不穏な微笑。

 白いブラウスには死霊のような幾何学刺繍。

 リザイアは、『資本の神殿』に紛れ込んだ美しい祈祷師のようだった。


「リザイア様。朝からもう3時間もここに張り付いてますけど……一体何が起こるって言うんですか?」


「私の悪い予感が当たるところを、この目で確認しておきたいのさ」


 リザイアは腕を組み、声をひそめた。


「……当たってほしくはないがね」


 ボズは息を呑んだ。

 リュウノス商会の『頭脳』と目されるリザイアの、これほどまでに張り詰めた表情を初めて見た。


 その時。

 眼下に広がるフロアの『渦』の一つが、突如として異様に乱れた。

 悲鳴のような声が上がり、手に紙切れを握った男たちがパニックを起こして走り出す。


「……始まったぞ」


 リザイアが目を見開き、ガラス窓に両手を預けた。


『リュウノス、65!』


 ジョバーが巨体を揺らしながら絶叫している。


『リュウノス、60!』


 仲買人たちがジョバーに詰め寄り、次々に叫ぶ。


『70なら売るぞ!』

『70? 話にならない! 58で売るやつはいるか!?』

『いくらでもいいから売りたい! 買ってくれ!』


 唾が。

 汗が。

 ダミ声が飛び散る。


『55? それは3分前の値段だ! リュウノス、50!』


 叫ぶたびに、数字が恐ろしい勢いで転がり落ちていく。


「なんだ!? 一体、階下(した)で何が起こってるんですか!?」


「リュウノス商会の株価が、暴落を始めたんだ」


 ボズは咄嗟に理解できなかった。


「開場した時、うちの株の買値は95だった。それが今、50を割っている。……リュウノス商会の市場価値は、この1時間で『半分』になったんだよ」


 リザイアが忌々しげに吐き捨てる。


「ガスマン公爵だ。奴がリュウノス株を大量に『売り』に出した」


「ガスマンが……!?」


「税関から入港拒否されていると噂が立っているところへ、大物が動いたんだ。投資家たちがパニックを起こし、雪崩を打って売りが売りを呼んでいる」


「そんな……そんなことで……?」


 ボズは歯噛みしたが、すぐに首を傾げた。


「でもリザイア様。ガスマンの野郎、市場を暴落させるほど大量のリュウノス株を、どうやって持っていたんですか?」


 悲痛な表情を浮かべていたリザイアが、ボズの質問に、明るい笑顔を見せる。


「ほう。いい所に目をつけたな、ボズ。……奴は最初から、うちの株など『1枚も』持っていないのさ」


「……は?」


「大量の株を借りてきて、高値の時に売り飛ばすのさ」


「他人から借りた株を……売るんですか?」


「そう。そして、誰も見向きもしないクズ値に落ちてから、今度は株を買い戻す」


 リザイアは、手のひらの上でチャリン、チャリン、と銀貨を遊ばせながら説明する。


「買い戻した株を持ち主に返す。手品の種はこれだけだ。簡単だろう?」


「……ただ借りて返しただけで、どえらい差益が……!?」


「手順が普通と逆なのさ。高く売って、安く買い戻す。『空売(からう)り』という。値下がりする方に賭けるんじゃない。値下がりさせるために売るんだ」


 ボズは頭がクラクラした。


「リザイア様……わからねえ……どうしてもわからねえ……虎の子の株をクズ紙にされるかもしれないのに、それでも株主はガスマンに貸すんですか」


「株主一人ひとりは、まさかそんな大掛かりな企みがあるとは夢にも思うまい。ガスマン公爵家の権力と信用があれば、否やはない。大手銀行や有力貴族に圧力をかけて、リュウノス商会(うち)の株を借り上げたのだろうさ」


(つまり、私たちの敵はガスマンだけではない。帝国の金融システムそのものだ)


「……汚ねぇっ!!」


 ボズはバンッ! と窓ガラスを叩いた。


「そんなやり口が許されるなら、ガスマンの野郎は百戦百勝じゃねえか!!」


 だが。

 リザイアの手が、空中にあった銀貨をバチッ! と掴んで、ギュッと握りしめた。


「百戦百勝、か」


 リザイアの翡翠色の瞳が、ボズの黒い瞳を覗き込んで、妖しく笑う。


「本当かな? 本当に、そう思うか?」


 ガスマンたちは、『市場は、買える』と思っている。

 ならば。

 リザイアの頭脳は、すでに『逆転』のための地図を描き始めていた。

次回投稿は2026年5月31日(日)です。

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― 新着の感想 ―
パイネちゃんって、愛されキャラですね〜♪先輩メイドに可愛がられてる様子が微笑ましいです(*^^*) リザイアさん、このどん底の状況を…乗り切れる方法を考えていたんだ!?
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