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エミルウ ~屋根裏部屋の刺繍姫~  作者: 姫松チミノ
第1章 慈善の市場(ファンシー・フェア)
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第02話 私の世界へ。ようこそ

「これ、オリンゼお嬢様の新作なんです。ブラシをかけようとしたら、こんな裂け傷が……っ」


 エミルウは、傷だらけの指でそっとドレスの裂け目に触れた。

 指先に、パイネの絶望が伝わってくる。


「……パイネ。どうしてここへ?」


「先輩たちが……『屋根裏の居候なら、なんとかしてくれるかもよ』って……」


 パイネは唇を噛む。

 その先に続く嘲笑を、エミルウは容易に想像できた。


 ――『あの女は針仕事しか能がないから、屋根裏部屋で飼われている』


 エミルウは、覗き込む。

 ドレスのむごたらしい裂け目。


(ああ…なんて綺麗なの………パイネ、ごめんなさい……私、こういう取り返しのつかない『破綻』を見ると……ゾクゾクとしてしまうの……)


「ごめんなさい。やっぱり無理ですよね。こんな傷、どう繕ったって……」


 無理に笑顔を作って、踵を返すパイネ。


「待って」


 凛とした声が、屋根裏部屋に響く。

 パイネが振り向くと、エミルウはすでに真鍮の指貫を指にはめていた。


「見張っていて。誰も、この部屋に近づかせないで」


「え……?」


「三分。三分で、終わらせるわ」


 エミルウはドレスを奪うように引き寄せると、裂け傷に鼻先が触れるほど顔を近づけた。


(私の針を待っているのね……今、迎えに行くわ!)


 迷わず一刺し。

 銀の針が、蝋燭の光を跳ね返す。


(このドレスは。私に縫い直されるために、破かれる――きっと、そういう運命だったのね)


 エミルウは息を止めた。

 針先を狂わせるものは、呼吸すら邪魔になる。


(さあ……私の世界へ。ようこそ……!)


 暗い屋根裏部屋。

 か細い灯りの中、エミルウの指先が加速する。

 もはや指の動きを目で追うことはできない。


 部屋の外を見張るように言われたのに。

 パイネはエミルウの動きから目を離すことができなかった。

 時間が巻き戻っていくかのように、ドレスが形を変えていく。


(これは『直す』んじゃない)


 そんなものでは、追いつかない。


(最初から、こうだったことにする)


 針を持つ指先が、ほんの一瞬だけ、白く滲んだ。

 パイネは思わず瞬きをした。




 光




(……いま……?)


 次の瞬間には、もう何もない。

 ただ、エミルウの指が、狂ったような速さで布の上を走っているだけだった。


 エミルウは、大きくため息をついて、顔を上げて言った。


「終わったわ」


 ドレスに近づき、しげしげと見つめるパイネ。


「……すごい……」


(さっきの、なんだったの……?)


 だが、問いはすぐに消える。

 目の前の光景の方が、よほど現実離れしていたからだ。

 無残だった裂け傷が、跡形もなく消え去っていた。

 完全に布の目と同化している。


 パイネの運命は、エミルウの手で縫い変えられていた。


「オリンゼやお屋敷の人間に見つかる前に、早く戻していらっしゃい」


「エミルウ、お嬢様……っ」


 振り返ったエミルウは。

 ボサボサの髪の奥で、困ったような微笑を浮かべていた。


 誰からも蔑まれている屋根裏の令嬢。

 どんな貴族よりも気高く美しい『天使』に見える。

 私を救ってくれた天使。

 だけど。

 この天使を救ってくれるものは、きっと、どこにもいない。



 真夜中。

 二人の視線が交差する。

 沈黙が、ひび割れる。

 パイネは、エミルウへの感謝と悲嘆の熱い涙が流れるのを、止めることができなかった。


「ありがとうございます……! このご恩は、一生忘れません!」


 完璧に修復されたドレスを抱えて、屋根裏部屋を飛び出したパイネ。

 小さな胸には、抱えきれないほどの想いが。

 今まで知らなかった、熱い痛みの塊があった。


(神様、もしいるのなら、――あのお方をここから連れ去って!)


 傷つき、疲れ果てたエミルウは。

 きっと、今夜、上手に眠れそうにない。



 ◇



 ヒュッカテ男爵は新聞を広げた。

 狐のように痩せた顔。

 青白い頬。

 細く吊った目。


 数秒の沈黙。

 次の瞬間、紙面がテーブルに叩きつけられた。


「くそっ! やられた! 詐欺師どもめ!」


 誰も顔を上げない。


「南西鉄道が破綻しおった。私が投資した金50枚は煙になった!」


 目を血走らせて怒鳴り散らす男爵。


「どいつもこいつも! 愚か者ばかりだ!」


 喉が()れるまで叫び、そして男爵は肩で息をしながら、紅茶のカップに手を伸ばした。

 一口飲み、顔をしかめた。


「この紅茶は冷えている!」


 メイドが青い顔で一歩進み出た。


「申し訳ございません、旦那様」


 男爵はカップを皿に叩きつけた。


「この家ではまともな仕事ができる人間はいないのか!」


 給仕をするパイネの手が震えて、銀盆(サルヴァ)の上で銀器(シルバーウェア)が小さく音を立てる。

 ヒュッカテ男爵家では、男爵の機嫌がつねに屋敷の空気を支配していた。


 その嵐が吹き荒れる食卓の、最も遠い末席。


 エミルウはただ静かに俯いている。

 目の前の皿。

 バターを塗ることも許されない、硬く冷え切った黒パンの切れ端を見つめていた。


 ずかずかと、不機嫌を足音で誇示しながら、男爵がわざわざエミルウの席に来る。


 オリンゼの父親――ヒュッカテ男爵。

 嵐が、エミルウを襲う。

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エミルウちゃん…やっぱあんたはプロだ…いや、達人だ…(ToT)☆
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