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エミルウ ~屋根裏部屋の刺繍姫~  作者: 姫松チミノ
第2章 移民街(バッドランド)
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第23話 憧れるわぁ

※排外主義、人種主義、植民地主義についての描写が含まれています。注意してご覧ください。

 昼下がりの貴族街(チズウィッカ)

 タウンハウスのサロンでは、令嬢たちの優雅なお茶会が開かれていた。


 未婚の令嬢は、楚々とした百合やスズランなどの控えめな香水を使うのが『淑女の(たしな)み』とされている。

 しかし、ヒュッカテ男爵家のオリンゼから漂ってくるのは。

 自己主張の強い香りをいくつも掛け合わせた、鼻をつくほどあくどい香水の匂いだった。


 他の令嬢たちが時折、扇子でパタパタと空気を(あお)ぐように動かしている。


(オリンゼ様、香りが強すぎますわ)


 という無言のアピール。

 他人より目立ち、称賛されたい一心のオリンゼは、それに全く気づいていない。


「オリンゼ様が刺したという『水鏡を()幽囚姫(ゆうしゅうき)』。今は帝国工芸博覧会に展示されているんですってね?」


「ええ、そうなのよ。運営から『是非に』と()われたものですから」


 オリンゼは得意げにほくそ笑んだ。


「素晴らしいわ。芸術に造詣が深い皇太后陛下も、たいそうお気に召されたご様子だと社交紙にありましたわ」


「身に余る光栄ですわ……」


(もっとよ……! もっと私を称賛しなさい……!)


 しかし、一人の令嬢が無邪気な顔を作って、オリンゼの『痛点』を突く質問を投げかけた。


「ところで、オリンゼ様。次なる『新作』はいつ頃発表なさいますの? 私、拝見するのが楽しみで」


「……新作……?」


 ヒクリ、と、オリンゼの笑顔が引き()った。


「ええ。次はどのような大作を構想されていて?」


「……そうですわね……」


 オリンゼは扇子を持つ手を微かに震わせた。


「できるだけ早く完成させたいのですけれど……実は私……少し手を痛めてしまいまして……」


「まぁ」


 と、わざとらしく驚く一同。


「たいしたことはないのよ……ただ、主治医から『針と糸を持つのは当分控えなさい』と……」


「お可哀想に。早く完治することをお祈りしていますわ」


 同情の声が上がる中、先ほどの令嬢が、扇子で口元を隠してクスクスと笑った。


「針と糸は持てないのに、こうして重いティーカップを持つことはおできになるのですね」


 ガチャンッ!


 オリンゼがカップを皿に叩きつけるように置き、サロンの空気が凍りついた。


「……今、なんて……?」


「いいえ。ただ、最近妙な噂を聞いたものですから」


 数人の令嬢が、意地の悪い目配せを交わし合う。


「あのファンシー・フェアの『金貨500枚の居候令嬢』。オリンゼ様のお屋敷から出て行かれたそうですわね」


「……ええ。あまりに素行が悪いので追い出したわ。私たちの慈悲にも限度というものがありましてよ」


「あら。では……あの居候がいなくなってから、オリンゼ様の新作が『ぱったりと発表されなくなった』のは……ただの偶然かしら?」


 オリンゼの肩が、ブルッと大きく震えた。


「……何を、おっしゃりたいのか、よく分からないわ……」


「ふふふっ。オリンゼ様のお手……ふっくらとして、労働の傷一つない、本当に綺麗な指ですこと。憧れるわぁ」


 令嬢たちのクスクス笑いが、サロンを満たす。


(エミルウ……っ! 移民の男に媚びる商売女……っ! あんたがいなくなったせいで、私がこんな辱めを……絶対に許さないわ……っ!)


 ティーカップの持ち手(ハンドル)を摘まむオリンゼのふっくらとした指に、力が込められる。

 震えるカップが皿を叩き、シンバルロールのように鳴り続ける。

 いつまでも。

 いつまでも。


 令嬢たちは、もう、笑っていなかった。


 ◇


 その夜。

 帝都の主要同業組合の本拠地『ギルドホール』。

 政治家や商人、工場主たちが集う『自由貿易晩餐会』が催されていた。


 晩餐の準備が整うまでの間、巨大ホールでは紳士たちが情報や名刺を交換し合っている。

 その中心で、ひときわ目を引く二つの人影があった。


「リュウノス商会のリザイアと申します。以後、お見知りおきを」


 『(ドラゴン)』の紋章をあしらった漆黒の名刺を差し出し、リザイアが微笑を相手に叩きこむ。

 それだけで、令息も令嬢も完全に魅了されてしまう。

 雪のように白いブラウス。

 袖口と裾には、血のように赤い幾何学刺繍。

 社交には場違いな装いのはずなのに、誰よりも正しいと思わせる存在感。

 リザイアが着ている西央山脈の民族衣装を、皆が欲しがり、その場で注文する。

 光に群がる蛾のように、若い貴族たちがリザイアの周りに集まっていた。


 シシトラの周りには、経済界の実力者たちが自ら歩み寄ってくる。

 年は若いが、狼の気高さと蛇の知恵を感じさせる男。

 言葉を交わして、『国家級の戦略家』という評判を確認する。

 シシトラの口数は少ないのに、会話は彼に支配されてしまった。


(ああ。こんな若者が自分の後継者だったら)


 経営者たちは、自分の不肖の跡取り息子を思い浮かべて、溜息をついていた。


 テーブルに着座するまでに、シシトラたちは立ち話だけで4つの新しい商談をまとめていた。


「シシトラ。本日のプログラムです」


 リザイアから渡された進行表。

 メイン行事である『国会議員の演説』の欄に、『アロン=ガスマン』の名前を見つけ、シシトラは忌々しげに眉をひそめた。


「アロン。あいつ、貴族院の議員だったのか」


「ええ。公爵位を継承する前でも、別の名誉爵位を持っていれば21歳から議員になれます」


「――ただその家に生まれただけで、議員様、か」


「そうです。しかもあの家は、親子揃って帝国の国政を握っているのですよ」


「帝国の臣民たちは、心底気の毒だな……」


 主催者の発声。


『皇帝陛下に乾杯!』


 そして、演説が始まった。


「……さて。アロンのお手並み拝見といこうか」


 シシトラが見つめる先。

 壇上に現れたアロン=ガスマンは、ひどく顔を赤くし、足取りがおぼつかなかった。


「もしかして、完全に『出来上がって』いるのか……?」


「緊張をほぐすために、一杯決めてきたのでしょう」


 リザイアが冷ややかに(わら)う。


「こういう公開演説は、原稿なしの即興で行うのが帝国の常識です。はてさて。あんなチンピラに、そんな器量がありますかね?」


 壇上に立ったアロンは、焦点の定まらない目で会場を睥睨(へいげい)し、マイクに向かって怒鳴った。


「……下々(しもじも)の皆さん!!」


 いきなりの暴言。

 会場の空気が凍りつく。


 シシトラとリザイアは、同時に、椅子からずり落ちそうになった。


(なんてやつだ!)


「本日は……よくぞおいでなさいました! えー……帝国の未来は、みなさんこそが……だから……!」


 演説は早々と迷走する。

 主催者たちが文字通り頭を抱える中、アロンの舌は泥酔と怒りで滑らかに。

 ――そして致命的な方向に、回りはじめた。


「なぜ、あなたたちはいつまで経っても貧乏なのか!? 政治のせいじゃない! 貴族のせいでもない! 薄汚い東方の移民どもに大きな顔をさせているからいけないのです!」


「あの野郎……」


 シシトラの目に殺気が宿る。


「みなさんが銀貨2枚でやっている仕事を、移民どもは銀貨1枚で横取りしていく! こんなことを許しているから、下々の皆さんは、いつまでたっても豊かになれんのだ! みなさんの敵は、あの薄汚い移民どもなのです!」


 会場のどこかから、酔った声のヤジが飛んだ。


「銀貨1枚って、そりゃあ、あんたが女を()り落としそこなった値段じゃあないのか!」


 どっ! と会場が爆笑の渦に包まれる。

 ここにいる全員が『ファンシー・フェアの伝説』を知っているのだ。


「なっ……! 今のは誰だ! 出てこい!!」


 アロンは狂ったように壇上を歩き回る。

 そして、最前列のテーブルに座るシシトラとリザイアの姿を認めた。


「シシトラ=リュウノス! 貴様ァァァッッ!! ぶっ殺してやるッ!!」


「アロン議員! 落ち着いてこちらへ!」


 係員が数人がかりで飛びつき、(わめ)き散らすアロンを控え室へと引きずり出していった。


 シシトラは、ワイングラスを傾けながら、ひどい無力感と虚脱感に襲われていた。


(エミルウの人生を壊しかけた無法貴族は、こんなにもチンケで、滑稽で、愚かなピエロだったのか……)


 俺は、こんな奴のために……。


「シシトラ」


 リザイアの声が、鋭く緊張した。


「前を見てください。……ガスマン公爵です」


 ハッとして顔を上げる。

 騒然とする壇上に、いつの間にか一人の紳士が立っていた。


 アロンと瓜二つの金髪と青い瞳。

 濃紺色(ネイビーブルー)のフロックコート。

 しかし、纏っている空気は全く違う。

 鷹揚(おうよう)な物腰。

 穏やかな微笑み。

 上位貴族にふさわしい完璧な品格。


 だが、彼を注視した者は皆、じきに言いようのない『不気味な悪寒』を覚えるのだ。

 理由は、すぐに分かった。

 その男は、ただの一度も『まばたき』をしない。

 まるで、人間を観察する爬虫類のように。


(こいつが――『怪物公爵』)


「演者も観客も、少々気持ちよく酔いが回りすぎたようですな。場が温まったところで、改めてご挨拶させていただきたい」


 彼は、会場をひとわたり見まわし、会釈する。


「……ガスマンです」


 静かな。

 催眠術をかけるような声。

 アロンの醜態で冷え切っていた会場の雰囲気は、だんだんと奇妙な熱を取り戻していく。


 公爵は原稿など一切見ずに、即興の演説を進める。

 時折、洗練されたユーモアを交えながら。


「私は甘いものに目がなくてね。今日も、控え室で素晴らしいケーキをいただいていた」


 そう言うと、公爵は演説台の下から、一切れの美しいケーキが乗った皿を取り出して見せた。


「さて。このケーキの材料は、何でできているかご存知かな?」


「砂糖!」


 と観客が答える。


「その通り。まずは砂糖。これは赤道直下の島々で採れる。バニラやチョコレートは、南の大陸から。そして……ケーキに欠かせない極上の紅茶は、はるか遠い東方の大陸から運ばれてくる」


 ガスマン公爵の、まばたきをしない青い瞳が、群衆の中のシシトラを真っ直ぐに射抜いた。


「シナモン、クローブ、ナツメグ。これらすべて、元々は帝国の地には存在しなかったものだ。しかし……世界中にバラバラに存在していたこれらの『資源』を、我らが帝国が武力と知力でかき集め、この『ケーキ』という名の芸術品に仕立て上げたのだ」


 公爵は、恍惚とした表情でケーキを掲げた。


「植民地の原住民たちには、決してできなかったことだ。どこの国の誰も、こんなことは考えつかなかった」


 いつの間にか、会場には、ヤジどころか咳払い一つ聞こえなかった。


「我らが帝国以外の、誰にもできなかったことなのだ!」


 観衆は、呼吸をすることも忘れて聞き入っている。


「臣民の皆さん。我々はもっと、自分たちの貪欲さを誇っていい。世界は、我々に『発見』され、支配されるのを待っている」


 ひと呼吸。


「この世界は……我らが帝国の手によって、『ケーキ』として喰われるのを待っているのです!!」


 終始落ち着いた、しかし会場の隅々まで響き渡る魔力のような声。


 世界は『資源』の集合体であり、帝国が統合することで『価値(ケーキ)』になる――。

 公爵はそう言っていた。


 数百人の聴衆が、誰一人言葉を発することをしない。

 夢中になってその恐ろしい演説に聞き惚れている。

 彼らは――静かな熱狂の渦に飲まれようとしていた。


 いや。

 これは演説ではないのだろう。

 説明だ。

 『ルール』の説明だ。


 帝国(われわれ)は、どのように支配するか。

 『資源(おまえたち)』は、どのように統合されるか。

 その『心構え』の説明だ。


「……シシトラ。こいつは確かに『怪物』です」


 リザイアが、額に冷や汗を浮かべて呟いた。


「……ああ」


 シシトラは、壇上の悪魔を睨み据えた。

 手の中のグラスがミシリ、と鳴いた。


「あいつだ。アロンなんかじゃない。……あいつこそが、俺たちの、そしてエミルウの……本当の敵だ……!!」


 鳴り止まない拍手の波を割って。

 壇上から降りたガスマン公爵が、まっすぐにこちらのテーブルへと歩み寄ってくる。

 まばたきをしない青い瞳が、シシトラを見下ろす。


「シシトラ=リュウノス。君への挨拶だ」


 コトリ。


 シシトラの目の前に、優雅な手つきで小皿が置かれる。

 先ほどの演説で掲げていた、『帝国のケーキ』。


「君とエミルウ=スキャルファは、いい『素材』になりそうだ」


 シシトラは、声を震わせた。


「……人間(おれたち)は……『ケーキ』の『素材』ではない……」


「『素材』だよ。君たちは最初から、『ケーキ』になるために存在しているのだ」


 ガスマン公爵とシシトラ=リュウノス。

 二人の間で、何かが冷たく沸騰している。

 いつの間にか、会場の拍手は止んでいた。


 公爵の微笑は、敵対者に向けるそれではなかった。

 親愛にあふれた笑顔で、シシトラに告げた。


「シシトラ=リュウノス。今度会う時は――『戦争』だね」

次回投稿は2026年5月21日(木)になります。

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― 新着の感想 ―
貴族令嬢の茶会こわーい(´;ω;`) オリンゼがエミルウちゃんに作品つくらせてたのほぼバレてる説ww ガスマンのお父ちゃんがヤバいやつなのか…シシトラくん大丈夫かな…?
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