第21話 移民の街のならわし
読んでくださって、本当にありがとうございます。
第2章『移民街』編の開始です。
玄関ホールに現れたエミルウを見て、シシトラは息を呑んだ。
彼女が着ていたのは、帝国の令嬢が身に纏うような、フリルとレースの塊ではない。
首元にスッと沿う、東方風のなめらかな立ち襟。
斜めに打ち合わされた胸元には、彼女自身が銀糸で縫い上げた『梅の枝』。
控えめだが、確かな生命力を持って咲き誇っている。
そして細い腰には、瑠璃色の絹帯がキュッと美しく巻かれていた。
帝国の『常識』から見れば、令嬢が着るような服ではない。
しかし、過剰な装飾を削ぎ落として洗練されたその装いが。
エミルウの透き通るような白い肌。
特注の眼鏡の奥から真っ直ぐに前を見据える琥珀色の瞳。
すべてをこの上なく鮮やかに際立たせていた。
そして何より。
彼女のストロベリーブロンドに輝く長い髪――。
1本の三つ編みにすっきりとまとめられている。
貴族の令嬢らしからぬ、いとけなく無防備なその髪型。
エミルウの本来の愛らしさを爆発させていた。
「……あの。シシトラ様からいただいた絹で、見よう見まねで服を仕立て直してみたのですが。……変、でしょうか?」
エミルウが、不安げに上目遣いになる。
「三つ編みは私が担当しましたよ!」
隣でパイネがえっへんと胸を張った。
シシトラは、目の前に立っている奇跡のような美しさと愛らしさに、完全に言葉を失っていた。
(故国に伝わる『花仙』とは、きっとこういう姿をしているに違いない……)
心臓に叩き込まれた衝撃に耐えて、必死のポーカーフェイスを取り繕い、シシトラは短く咳払いをした。
「……いや。とても……よく、似合っている。その……」
言葉の続きが出てこないシシトラを、眼鏡越しにきょとんと見つめるエミルウ。
その後ろで、パイネだけがニヤニヤとシシトラの動揺を見守っている。
「……さすが、見事な刺繍師の仕事だ。リュウノス商会の糸が役に立ったようだな。……嬉しいよ」
エミルウの顔が、パァァッ! と大輪の花のように輝いた。
「ありがとうございます!」
シシトラは精一杯の気力を振り絞り、わざとそっけない声色を作って踵を返した。
「では、出かけようか」
(いけない……ただでさえ目を引くのに、この上、日に日に綺麗になっていく。……俺はどうしたらいいんだ)
◇
リュウノス邸を出て少し歩くと、東方からの移民たちが住む街に出る。
エミルウは、眼鏡で得たクリアな視界で、生まれて初めて歩く『移民街』を見た。
そこは、帝国の貴族街とは全く異なる、極彩色の異空間だった。
風に揺れる東方風の赤い提灯。
金文字の看板。
建物が密集し、活気に満ちた狭い路地が、血管のようにあちこちに走っている。
街を歩く人びと。
帝国風のシャツに東方刺繍。
山岳民の帽子。
港湾労働者の革靴。
古い軍服を改造した外套。
異教徒の貫頭衣。
なんでもあり、の多様な『継ぎ接ぎ文化』。
路上では東方語と帝国語がけたたましく飛び交う。
市場には見たこともない奇怪な形の食材や、鼻腔を突く薬草が山積みにされていた。
エミルウは、五感を激しく揺さぶられるような神秘的な衝撃を覚えていた。
帝国の中に、こんなにも熱く、脈打つような世界があったなんて――。
屋台が並ぶ通りに差し掛かると、街の活気はいよいよ最高潮に達した。
竹の蒸籠から立ち上る真っ白な湯気。
肉の焼ける香ばしい匂い。
そして、鼻の奥をツンと刺激する、経験したことのない強烈なスパイスの香り。
それはまさに、東方移民たちの圧倒的な『生のエネルギー』そのものだった。
「熱いから気をつけて」
シシトラが屋台で大きな『肉饅頭』を買い、エミルウとパイネに手渡した。
「行儀が悪いと帝国では怒られるかもしれないが、歩きながら食べるのが東方の流儀なんだ。それから、こっちも」
彼がもう一つ手渡したのは、真っ赤な香辛料と炒めたひき肉がたっぷり乗った、汁のない熱々の麺料理だった。
シシトラは器と共に、滑らかに削られた『2本の細長い木の棒』をエミルウたちに差し出した。
「これは底から豪快に混ぜて食べる。スパイスが効いてるから、気をつけて」
エミルウとパイネは、器と木の棒を受け取ったものの、どうしていいか分からず顔を見合わせた。
(食事の道具といえば、ナイフとフォークではないのかしら?)
「あの……シシトラ様。この木の棒は、どうやって使うのでしょうか? 麺? を混ぜるため……?」
エミルウの真剣な困惑。
シシトラはハッと目を丸くし、こらえきれずに吹き出した。
「ああっ、すまない! 帝国の令嬢が『箸』を使ったことがあるわけないよな」
シシトラは自分の分の箸を持ち、お手本を示す。
カチャカチャと器用に動かしてみせた。
「こうやって、2本の棒を指で挟んで、麺を摘み上げるんだ」
「こ、こうでしょうか……?」
エミルウも真似をして指に挟んでみるが、先がクロスしてしまい、うまく動かない。
(針先なら、目をつぶっていても糸を通せるのに!)
神業のような刺繍をこなすしなやかで器用な指先が。
見慣れない東方の道具を前に四苦八苦し、プルプルと震えている。
不器用で愛らしいギャップに、シシトラの胸の奥がまたしてもドクンと鳴った。
「パイネ! 麺が、麺が逃げてしまいます!」
「お嬢様! 私もです! 棒が言うことを聞きません!」
キャッキャと騒ぎながら悪戦苦闘の末。
エミルウはようやく一口分の赤い麺を摘み上げ、ハフッ、と口に運んだ。
ビリッとした強烈な辛みと、複雑な旨味が口の中で爆発する。
「ふふっ、辛ぁい……! でも、こんなに熱くて刺激的な食べ物が、こんなに美味しいだなんて……!」
貴族の作法を完全に忘れ、真っ赤な香辛料で少し口元を汚しながら、満面の笑みを見せるエミルウ。
「あっ! エミルウお嬢様、湯気で眼鏡が真っ白に!」
「そうなのよ。とっても美味しいのだけど、前が見えないの……!」
曇った眼鏡のまま、箸を握りしめてクスクスと笑い合う主従。
その無防備すぎる姿を見て、シシトラの口元もたまらず緩んだ。
「見たことも聞いたこともないモノを食べるって、ちょっとした冒険だろう」
「そうですね。……食べた時、なんだか自分の身体が、世界の果てまでパーッと拡がっていくような感じがしました」
エミルウの琥珀色の瞳が、感動にキラキラと輝いている。
「こっちは、羊肉、こっちは、豚肉だよ! 可愛いお嬢ちゃんたち、どこの子だい?」
屋台の恰幅の良い女性が、帝国語で気さくに話しかけてきた。
「リュウノス様のお屋敷にお世話になっています」
「おや! そうだったのかい。それなら、また、ちょくちょく来て、おくれよ。こっちの牛肉串は、おまけだ、持っていきな!」
次々と渡される串焼きに、元気なパイネすら圧倒されている。
「すっごいパワー……。みんな、距離感がむちゃくちゃ近いです……!」
シシトラが声を上げて笑った。
「この街では、みんな『一度会えば、その人はもう友達だ』って言うんだ」
「まぁ」
「続きがあるのさ。『二度会えば、その人はもう親友だ』ってね」
「なんだか……素敵ですね」
「移民は、そうしないと生きていけないのさ」
「えっ……」
「住むところも働くところもない。世間の冷たい風にさらされて、帝都の吹き溜まりに吹き寄せられた人たちが作ったのが、この街だ」
ついこの間までの自分のことを聞いているようで、エミルウは胸が疼いた。
「持っているものが持っていないものを助けなければ、生きていけない……」
シシトラの声に重たいものが乗っているのを感じ取って、エミルウもパイネも黙り込んでしまう。
二人の沈黙に気がついて、シシトラは、わざと声の調子を軽くした。
「親父殿がよく言っていた。一人では食えない稼ぎでも、二人で分け合えばなんとかなるものさ」
エミルウは、シシトラの横顔から目が離せなかった。
(シシトラ様は――ちぎれてしまいそうな世界を、お金の力で繋ぎ止めようとしている。そういうお方……)
彼が自分を救ってくれた理由が、理解できた気がした。
「だから――それが、移民の街のならわしなんだ」
パイネが、串焼きを頬張りながらシシトラを見上げて尋ねた。
「シシトラ様。じゃあ、東方の流儀で言えば、私たちってもう、お友達なんですか?」
「そうさ。俺は、パイネのことを親友だと思っているよ」
嬉しそうにパァッと顔を輝かせたパイネが、エミルウの手を引いて振り返った。
「ねっ! エミルウお嬢様も、ですよね!?」
エミルウはハッとして、歩き出したシシトラの広い背中を見つめた。
(シシトラ様の……親友? 私なんかが……親友。そんなこと、あっていいの……?)
シシトラの心の中で、誰かの声が問うてくる。
(エミルウは親友。……本当に、それでいいのか? シシトラ=リュウノス)
うるさい。黙れ。
(お前は、そんな言葉で……あの令嬢を、一括りにしておきたいのか?)
名前を与えた瞬間、人はその形に縛られてしまう。
行き交う人々の熱気の中で、シシトラは、今まで味わったことのない感情に灼かれていた。
目的地に着いた。
「エミルウ。これだ。君に見せたかったのは」
『屋根裏部屋の刺繍姫』が、『帝国最強の刺繍師』に生まれ変わる。
そのための試練が、いま、目の前にあった。
次回投稿は2026年5月19日(火)になります。




