表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エミルウ ~屋根裏部屋の刺繍姫~  作者: 姫松チミノ
第2章 移民街(バッドランド)
22/56

第21話 移民の街のならわし

読んでくださって、本当にありがとうございます。

第2章『移民街バッドランド』編の開始です。

 玄関ホールに現れたエミルウを見て、シシトラは息を呑んだ。


 彼女が着ていたのは、帝国の令嬢が身に纏うような、フリルとレースの塊ではない。

 首元にスッと沿う、東方風のなめらかな立ち襟(スタンドカラー)

 斜めに打ち合わされた胸元には、彼女自身が銀糸で縫い上げた『梅の枝』。

 控えめだが、確かな生命力を持って咲き誇っている。

 そして細い腰には、瑠璃(るり)色の絹帯(サッシュ)がキュッと美しく巻かれていた。


 帝国の『常識』から見れば、令嬢が着るような服ではない。

 しかし、過剰な装飾を削ぎ落として洗練されたその装いが。

 エミルウの透き通るような白い肌。

 特注の眼鏡の奥から真っ直ぐに前を見据える琥珀色の瞳。

 すべてをこの上なく鮮やかに際立たせていた。


 そして何より。

 彼女のストロベリーブロンドに輝く長い髪――。

 1本の三つ編みにすっきりとまとめられている。

 貴族の令嬢らしからぬ、いとけなく無防備なその髪型。

 エミルウの本来の愛らしさを爆発させていた。


「……あの。シシトラ様からいただいた絹で、見よう見まねで服を仕立て直してみたのですが。……変、でしょうか?」


 エミルウが、不安げに上目遣いになる。


「三つ編みは私が担当しましたよ!」


 隣でパイネがえっへんと胸を張った。


 シシトラは、目の前に立っている奇跡のような美しさと愛らしさに、完全に言葉を失っていた。


(故国に伝わる『花仙』とは、きっとこういう姿をしているに違いない……)


 心臓に叩き込まれた衝撃に耐えて、必死のポーカーフェイスを取り繕い、シシトラは短く咳払いをした。


「……いや。とても……よく、似合っている。その……」


 言葉の続きが出てこないシシトラを、眼鏡越しにきょとんと見つめるエミルウ。

 その後ろで、パイネだけがニヤニヤとシシトラの動揺を見守っている。


「……さすが、見事な刺繍師の仕事だ。リュウノス商会の糸が役に立ったようだな。……嬉しいよ」


 エミルウの顔が、パァァッ! と大輪の花のように輝いた。


「ありがとうございます!」


 シシトラは精一杯の気力を振り絞り、わざとそっけない声色を作って踵を返した。


「では、出かけようか」


(いけない……ただでさえ目を引くのに、この上、日に日に綺麗になっていく。……俺はどうしたらいいんだ)


 ◇


 リュウノス邸を出て少し歩くと、東方からの移民たちが住む街に出る。


 エミルウは、眼鏡で得たクリアな視界で、生まれて初めて歩く『移民街』を見た。


 そこは、帝国の貴族街とは全く異なる、極彩色の異空間だった。

 風に揺れる東方風の赤い提灯(ランタン)

 金文字の看板。

 建物が密集し、活気に満ちた狭い路地が、血管のようにあちこちに走っている。


 街を歩く人びと。

 帝国風のシャツに東方刺繍。

  山岳民の帽子。

  港湾労働者の革靴。

 古い軍服を改造した外套。

 異教徒の貫頭衣。

 なんでもあり、の多様な『()()ぎ文化』。


 路上では東方語と帝国語がけたたましく飛び交う。

 市場には見たこともない奇怪な形の食材や、鼻腔を突く薬草が山積みにされていた。

 エミルウは、五感を激しく揺さぶられるような神秘的な衝撃を覚えていた。

 帝国の中に、こんなにも熱く、脈打つような世界があったなんて――。


 屋台が並ぶ通りに差し掛かると、街の活気はいよいよ最高潮に達した。

 竹の蒸籠(せいろ)から立ち上る真っ白な湯気。

 肉の焼ける香ばしい匂い。

 そして、鼻の奥をツンと刺激する、経験したことのない強烈なスパイスの香り。

 それはまさに、東方移民たちの圧倒的な『(せい)のエネルギー』そのものだった。


「熱いから気をつけて」


 シシトラが屋台で大きな『肉饅頭』を買い、エミルウとパイネに手渡した。


「行儀が悪いと帝国では怒られるかもしれないが、歩きながら食べるのが東方の流儀なんだ。それから、こっちも」


 彼がもう一つ手渡したのは、真っ赤な香辛料と炒めたひき肉がたっぷり乗った、汁のない熱々の麺料理だった。

 シシトラは器と共に、滑らかに削られた『2本の細長い木の棒』をエミルウたちに差し出した。


「これは底から豪快に混ぜて食べる。スパイスが効いてるから、気をつけて」


 エミルウとパイネは、器と木の棒を受け取ったものの、どうしていいか分からず顔を見合わせた。


(食事の道具といえば、ナイフとフォークではないのかしら?)


「あの……シシトラ様。この木の棒は、どうやって使うのでしょうか? 麺? を混ぜるため……?」


 エミルウの真剣な困惑。

 シシトラはハッと目を丸くし、こらえきれずに吹き出した。


「ああっ、すまない! 帝国の令嬢が『(はし)』を使ったことがあるわけないよな」


 シシトラは自分の分の箸を持ち、お手本を示す。

 カチャカチャと器用に動かしてみせた。


「こうやって、2本の棒を指で挟んで、麺を摘み上げるんだ」


「こ、こうでしょうか……?」


 エミルウも真似をして指に挟んでみるが、先がクロスしてしまい、うまく動かない。


(針先なら、目をつぶっていても糸を通せるのに!)


 神業のような刺繍をこなすしなやかで器用な指先が。

 見慣れない東方の道具を前に四苦八苦し、プルプルと震えている。

 不器用で愛らしいギャップに、シシトラの胸の奥がまたしてもドクンと鳴った。


「パイネ! 麺が、麺が逃げてしまいます!」


「お嬢様! 私もです! 棒が言うことを聞きません!」


 キャッキャと騒ぎながら悪戦苦闘の末。

 エミルウはようやく一口分の赤い麺を摘み上げ、ハフッ、と口に運んだ。

 ビリッとした強烈な辛みと、複雑な旨味が口の中で爆発する。


「ふふっ、(から)ぁい……! でも、こんなに熱くて刺激的な食べ物が、こんなに美味しいだなんて……!」


 貴族の作法を完全に忘れ、真っ赤な香辛料で少し口元を汚しながら、満面の笑みを見せるエミルウ。


「あっ! エミルウお嬢様、湯気で眼鏡が真っ白に!」


「そうなのよ。とっても美味しいのだけど、前が見えないの……!」


 曇った眼鏡のまま、箸を握りしめてクスクスと笑い合う主従。

 その無防備すぎる姿を見て、シシトラの口元もたまらず緩んだ。


「見たことも聞いたこともないモノを食べるって、ちょっとした冒険だろう」


「そうですね。……食べた時、なんだか自分の身体が、世界の果てまでパーッと拡がっていくような感じがしました」


 エミルウの琥珀色の瞳が、感動にキラキラと輝いている。


「こっちは、羊肉、こっちは、豚肉だよ! 可愛いお嬢ちゃんたち、どこの子だい?」


 屋台の恰幅の良い女性が、帝国語で気さくに話しかけてきた。


「リュウノス様のお屋敷にお世話になっています」


「おや! そうだったのかい。それなら、また、ちょくちょく来て、おくれよ。こっちの牛肉串は、おまけだ、持っていきな!」


 次々と渡される串焼きに、元気なパイネすら圧倒されている。


「すっごいパワー……。みんな、距離感がむちゃくちゃ近いです……!」


 シシトラが声を上げて笑った。


「この街では、みんな『一度会えば、その人はもう友達だ』って言うんだ」


「まぁ」


「続きがあるのさ。『二度会えば、その人はもう親友だ』ってね」


「なんだか……素敵ですね」


「移民は、そうしないと生きていけないのさ」


「えっ……」


「住むところも働くところもない。世間の冷たい風にさらされて、帝都の吹き溜まりに吹き寄せられた人たちが作ったのが、この街だ」


 ついこの間までの自分のことを聞いているようで、エミルウは胸が(うず)いた。


「持っているものが持っていないものを助けなければ、生きていけない……」


 シシトラの声に重たいものが乗っているのを感じ取って、エミルウもパイネも黙り込んでしまう。

 二人の沈黙に気がついて、シシトラは、わざと声の調子を軽くした。


「親父殿がよく言っていた。一人では食えない稼ぎでも、二人で分け合えばなんとかなるものさ」


 エミルウは、シシトラの横顔から目が離せなかった。


(シシトラ様は――ちぎれてしまいそうな世界を、お金の力で繋ぎ止めようとしている。そういうお方……)


 彼が自分を救ってくれた理由が、理解できた気がした。


「だから――それが、移民の街のならわしなんだ」


 パイネが、串焼きを頬張りながらシシトラを見上げて尋ねた。


「シシトラ様。じゃあ、東方の流儀で言えば、私たちってもう、お友達なんですか?」


「そうさ。俺は、パイネのことを親友だと思っているよ」


 嬉しそうにパァッと顔を輝かせたパイネが、エミルウの手を引いて振り返った。


「ねっ! エミルウお嬢様も、ですよね!?」


 エミルウはハッとして、歩き出したシシトラの広い背中を見つめた。


(シシトラ様の……親友? 私なんかが……親友。そんなこと、あっていいの……?)


 シシトラの心の中で、誰かの声が問うてくる。


(エミルウは親友。……本当に、それでいいのか? シシトラ=リュウノス)


 うるさい。黙れ。


(お前は、そんな言葉で……あの令嬢を、一括りにしておきたいのか?)


 名前を与えた瞬間、人はその(かんけい)に縛られてしまう。

 行き交う人々の熱気の中で、シシトラは、今まで味わったことのない感情に灼かれていた。


 目的地に着いた。


「エミルウ。これだ。君に見せたかったのは」


『屋根裏部屋の刺繍姫』が、『帝国最強の刺繍師』に生まれ変わる。

 そのための試練が、いま、目の前にあった。

次回投稿は2026年5月19日(火)になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
見るもの全部が新しい世界。 移民街は楽しそう(*^^*)♪ 肉まんと…辛い麺はなんでしょう?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ