真実の巡礼
「見せてって言ってるの。あきくん、そこになにを隠してるの」
なつの声は、静かな千波湖の夜気に鋭く響いた。
あきはベンチに座ったまま、凍りついたように動けなかった。
背中に回した指先が、はるとの刻んだ
『Summer never ends』
のささくれに触れている。その一文字一文字が、今は灼熱の烙印のようにあきの指を焼いた。
「……何でもない。なつ、帰れよ。ここはもう、お前が来る場所じゃない」
あきは虚勢を張った。だが、数年間なつを陰で見守り続け、はるとの作った「取扱説明書」を血が滲むほど読み込んできたあきには分かっていた。
なつの瞳に宿った、あの執念深い「疑念」の灯火を消すことは、もう不可能だと。
なつは、あきの制止を振り切るようにして歩み寄ると、強引にあきの腕をどかした。そして、自らベンチの裏側に細い指を滑り込ませた。
なつがいつも、考え事をする時になぞっていた場所。
かつては滑らかだったはずの木の感触が、今は不自然に荒廃し、鋭利な溝となって指先に伝わる。なつの表情が、一瞬で凍りついた。
「……これ、……はるとくんの字だ」
なつは、震える手でベンチの裏側を覗き込んだ。スマートフォンのライトを照らすと、暗闇の中に、命を削って彫り込まれた凄惨なまでの「祈り」が浮かび上がった。
『Summer never ends』
「なんで……なんで、ここにこれがあるの? あきくん、あの日……あのカフェで、あいつは私に飽きたって言ったじゃない! 私を邪魔だって……重いって言ったじゃない!」
なつが、あきの胸ぐらを引き寄せた。
その瞳からは、数年間の憎しみで蓋をされていた涙が、ダムが決壊したかのように溢れ出していた。
「……あきくん、答えてよ! あなたもあの日、あいつを罵倒したじゃない! 『最低なクズだ』って言ったじゃない! ……全部、嘘だったの?」
あきは、天を仰いだ。
はるととの約束。
なつを傷つけてでも守れという、あの呪いのような遺言。
けれど、目の前で崩れ落ち、泥にまみれて泣くこの女性を、これ以上「嘘」という名の檻に閉じ込めておくことは、あきという一人の男には耐え難い拷問だった。
「……ああ、嘘だよ。全部、嘘だ」
あきは、はるととの盟約を、自らの意志で破り捨てた。
「あいつはお前を捨てたんじゃない。……死ぬのが怖かったんじゃない。お前を、俺たちを死という冬に道連れにするのが、死ぬほど怖かったんだよ!」
あきはなつの腕を掴み、半ば強引に駐車場へと引きずっていった。
「あきくん、どこに行くの! 離して!」
「巡礼だよ、なつ。あいつが、この水戸の街に遺した、血の滲むような『愛』を全部見せてやる。……それからだ。お前があいつを許すか、一生呪うか決めるのは」
車は夜の水戸を走り、備前堀へと向かった。
街灯が水面に落ち、柳の影が不気味に揺れている。あきは車を止めると、なつをあの石垣の前に立たせた。
「……ここ、覚えてるか。お前がキーホルダーを失くして、はるとと一緒に泣きながら探した場所だ」
「……忘れるわけないわ。あの日から、私たちの運命は狂い始めたんだもの」
「あいつ、嘘をついてたんだ。……失くした翌日に、一人で見つけてたんだよ。でも、不器用な奴だから、謝るタイミングを逃して、ずっと自分の机に隠してた。……でも、死を覚悟した時、あいつはそれをここに戻したんだ。お前に、いつか見つけてほしいって。お前の『探し物』は、いつも俺が持ってたんだって伝えるために」
なつは震える手で石垣をなぞり、あの防水ケースを引き出した。中から出てきた色褪せたアンティークのキーホルダーを見て、なつはその場に崩れ落ちた。
添えられたメモには、かすれた文字で
『なつ、お前の涙を拭うのは、もう俺じゃない』
と書かれていた。
巡礼は終わらない。
あきは次になつを弘道館へと連れて行った。
真夜中の、静まり返った梅の木の下。
あきは持参したシャベルで土を掘り返した。
そこから出てきたのは、泥に汚れた一通の封筒。
中には、期限の切れた、沖縄行きのペア航空券が入っていた。
日付は、あの日、はるとが失踪した一年後の夏。
「あいつ、自分がいない夏を、お前に一人で過ごさせたくなかったんだ。……あき、お前が俺の代わりになつを沖縄へ連れて行ってくれ。それが、あいつの最後のお願いだったんだよ」
なつは、土の匂いのする航空券を胸に抱きしめ、天を仰いで絶叫した。
「……ばか。ばかよ、はるとくん……! なんで、なんでそんなに勝手なの! 嫌われれば私が幸せになれるなんて、誰が決めたのよ!」
水戸の冷たい夜風が、なつの叫びをかき消していく。
あきは、泣きじゃくるなつの肩に手を置いた。
「……行こう、なつ。……あいつ、まだ生きてる。……那須の療養施設だ。もう、意識も混濁してるって連絡が来た。……今なら、まだ、あいつの『嘘』を、お前の『本当』で叩き潰せる」
「……行く。連れて行って、あきくん。……私、あいつを殴らなきゃ気が済まないわ」
なつは涙を拭い、かつてないほど強い瞳で前を見据えた。
二人の乗った車は、水戸の街を捨て、はるとが待つ「死の淵」へと向かって、夜の高速道路を疾走し始めた。




