封印された遺言
はるとが逝ってから、三度目の冬が訪れていた。
あきとなつの関係は、はるとの死によって結ばれた「義務」から、長い沈黙と対話の年月を経て、ようやく二人自身の「意志」へと変わり始めていた。
ある雪の降る夜。
あきは一人、はるとの実家に預けられていた遺品を整理していた。
押し入れの奥、はるとが最期まで病室に持ち込んでいた古いカセットレコーダー。
その電池蓋の裏に、小さなUSBメモリが絶縁テープで固定されているのを、あきは見つけた。
そこには、はるとの震える字で『あきへ。二人で見てくれ』とだけ書かれた、掠れた付箋が貼られていた。
あきは一人、暗い部屋でその動画を再生した。
画面に映し出されたのは、あの那須の病室で、月明かりを浴びながら自らカメラを回すはるとの姿だった。
映像の中のはるとは、痩せ細り、一言一言を肺の奥から絞り出すように語りかけていた。
そこには、あきも、そしてなつも知らない「はると」がいた。
病室でなつと再会し、すべてを許し合ったあのはるとは、最期まで演じきろうとした「聖人」の姿だったのだと、あきは思い知らされた。
ビデオの中のはるとは、最初は静かに二人の幸せを願っていた。しかし、話が進むにつれ、その理性は決壊していく。
死への恐怖と、遺される二人への嫉妬、そして抑えきれない愛が、どす黒い本音となって溢れ出した。
あきは、画面の中でカメラを掴み、泣き叫ぶ親友の姿を、ただ呆然と見つめるしかなかった。
「嫌だ」「忘れるな」「俺だけを愛して死んでくれ」
それは、はるとが地獄まで持っていこうとした、あまりにも醜く、あまりにも純粋な、剥き出しの執着だった。
映像が終わった後、あきは真っ暗な部屋で立ち上がることができなかった。
はるとは、この動画を「二人で見てくれ」と遺した。
けれど、これを見れば、なつは再び深い罪悪感の沼に引きずり戻されるかもしれない。自分の幸せが、はるとの犠牲と苦痛の上に成り立っていることを、骨の髄まで思い知らされてしまう。
(……このまま、俺一人の胸にしまっておくべきか?)
あきは自問自答を繰り返した。
はるとを「綺麗な思い出」としてなつの心に安置しておくことが、彼に対する、そしてなつに対する優しさなのかもしれない。
けれど、あきは思い出した。
はるとがベンチに刻んだ、あの荒々しい文字を。
石垣に隠した、あの使い古されたキーホルダーを。
はるとの愛は、決して綺麗なだけのものではなかった。
それは、自らの命を削り、泥を啜り、嘘を塗り重ねてようやく繋ぎ止めた、血の通った「生」の執着だった。
(お前の本当の叫びを、なかったことになんてさせない)
あきは、はるとが望んだ「笑い話」にするという道を選んだ。
なつにすべてを見せ、その上で、はるとが欲しくてたまらなかった「明日」を、二人で奪いに行く。それが、親友に対する本当の誠実さだと、あきは確信した。
数日後。
あきは、式場との打ち合わせを終えたなつを呼び出し、重い口を開いた。
「……なつ。はるとが、俺たち二人宛てに動画を遺してたんだ。中身は、俺が先に見た」
なつの表情が強張る。あきはその手を、壊れ物を扱うように、けれど力強く包み込んだ。
「……内容は、今は言わない。俺のわがままだと思って聞いてほしい。……これを、披露宴の最後に流したいんだ」
なつが、戸惑うように首を傾げた。
「……はるとくんの、遺言なの?」
「いいや、違う。……はるとが、死ぬほど格好悪くて、最高に人間らしく、お前を愛していたっていう証拠だ。……それをみんなに見せて、はるとを、ただの『死んだ恋人』から、俺たちの『親友』に戻してやりたいんだ。……なつ。俺を、信じてくれないか」
あきの瞳には、親友の地獄を半分引き受けるという、悲痛なまでの決意が宿っていた。
なつは、あきの瞳をじっと見つめ返し、やがて静かに、深く頷いた。
「……わかった。あきくんがそこまで言うなら、私は何も聞かない。……当日、一緒に受け止めるから」
あきは、ポケットの中のUSBメモリを強く握りしめた。
はると、見てろ。
お前が地獄まで持っていこうとしたその「醜い愛」を、俺が最高の光の中にさらしてやる。
そうして、物語は、あの光り輝く大洗のチャペルへと続いていく




