957_ボキャブラリーの大切さを感じる
おはようございます。きんぴらです。
今日は2023年3月2日。木曜日だ。
今は夜の20時。今日は風が強かった。今もなお。花粉が飛びまわり体調が急激に悪化。薬を飲んで目薬をさしてもくしゃみを止められない。
とてつもない疲労を感じて17時ごろ就寝。つい今しがた起きたところだ。
さて、こんなに花粉がまだ舞っていなかった頃。ボキャブラリーが大切だと思うことがあった。
昼食時のこと。
中年男性2人と女性が1人が同じテーブルについていた。職場の仲間らしく、男性二人は堅苦しい会話をし、女性はスマホを触っていて会話には参加していなかった。
男性は大柄な方と華奢な方だったが、華奢な方が年上のようで一方的に話題を振っていた。住んでいる場所、趣味やニュースなど、まだ打ち解けていない方と間を持たせられず、取っ掛かりを探るように球を投げ続けている感じ。
一方、大柄の男性は話を一生懸命聞いているが、自分から話題を振ったり広げたりするわけではなく、相槌だけを打ち続けていた。
この相槌が、私にボキャブラリーの大切さを気づかせることになった。
大柄な男性は、話を振られるたびに「あ、そうなんですね」と返す。まさに広がりも深掘りのない、つまらない相槌だ。返された華奢な男性は仕方なくまた話題を振るのだが、再び「あ、そうなんですね」とだけ返す。
てっきり、会話を続けたくないのかと思ったが、「あ、そうなんですね」の声色は明るく、さらにガッツリ華奢な男性の方に顔を向けており、話をする気は見てとれる。
「あ、そうなんですね」を6連発したかと思うと、一度「へぇ、そうなんですね」を挟んで、そこからさらに「あ、そうなんですね」を4回おかわり。
そこで彼らは昼食を終えて店を出ていった。大柄な男性は「あ、そうなんですね」「へぇ、そうなんですね」以外の言葉を話さなかった。華奢な男性は一生懸命話を振っていたが一向に話が広がらないので新しい話題を繰り出すだけ。捻り出していたのだろう。所々で間ができて、明らかに困っていた。
おそらく大柄な男性に悪気はない。ご本人は一生懸命話を聞いているつもりなのだろう。それが華奢な人からすると話をやめられなくて辛くなる。要するに華奢な方が割を食っている。
言い方は悪いが「悪意のない悪」とはこういうことなのだろう。
話を聞きたいのであれば、訊く力を備えておくべきだ。でなければ話題を振る人だけに負担がかかる一方通行のコミュニケーションとなってしまう。話の広がりも深みもない、つまらない表面上だけでの会話にどれだけの価値があるだろう。会話する時間をかける価値があるのだろうか。
会話におけるボキャブラリーが如何に大切かを感じる経験だった。目の前にいる華奢な方が困っていたから尚更に。
相槌一つとっても、「それで」「それから」「他には」と話を広げられるものはいくつもある。それを備えているだけで、会話が弾んで双方向のコミュニケーションがとれるようになる。「私の方では」などと自身の会話を混ぜ込むとより良い。双方からネタを出せば、共通の話題も出てきやすくなるからだ。
今でこそ私は誰とも距離を縮めず一人の時間を過ごしているが、昔はコミュニケーションお化けだった。飲み会にもゴリゴリ参加して店や時間を決めるのも率先してやるような嫌でも目立つような人間だった。特にコミュニケーションの学習などせずとも、感覚でできてしまうタイプ。HSPで相手の表情や仕草から感情を読み取ってしまうので、幼い頃から蓄積された情報が功を総じて高いコミュニケーション能力を身につけた。結果としてそれが自分を壊すことになったのだけれども、それはまた別の話。
その能力があるからだろうが、華奢な方を見ているのが辛かった。明らかにその人だけが消耗されているのだ。大柄に方に悪気はなくとも、その事実は変わらない。
自分の周りにいてくれる人は相槌一つとっても合う人間にしたい、と思った。あまり会話が得意ではない方は、まずは「それから」「他には」から取り入れてみてはどうだろうか。雑談で相手にばかり話を訊くと取り調べのようになり気分を害することもあるので、時には「私は〜」と自分の話を入れると尚良し。
「そうなんですね」だけで会話を乗り切る人は初めて見た。「何回言うんや」と気になってカウントし初めてからの11連発なので、そこまでの相槌も含めると20回以上だろう。凄すぎて日記に書こうと決めるまでに時間は掛からなかった。
本当に、言葉というものは面白い。一つの言い回しを連続で使い続けるだけで面白みのないものと感じてしまうのだから。ボキャブラリーは大切だ。
それでは、今日もがんばっていきまっしょい!
きんぴら




