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外伝 ティターニアこと長家竜子に関する一考察

 ある春の日の事。その日はせっかくの休日にもかかわらず、朝から黒い雲の下に雨が絶え間なく降り続けている。その為、後のプレイヤー名“ティターニア”こと長家竜子(ながいえりゅうこ)は、嫌が応にも昨日の嫌な出来事に向き合わざるを得なかった。


 それは愛の告白である。


 美の女神の化身のような彼女にとって、それは時々あることだった。凛として大きな瞳と鼻梁の通った顔立ち。異性を魅了してやまないたわわなバストに、同性からもため息が漏れるほどのくびれたウェスト。ほどよく丸まったヒップとそれを支える長い両脚は、彼女の兄弟とは比べられないほどの美をもたらしている。


 それゆえ兄弟は、いつも彼女に悪い虫が付かないよう守っているのである。


 だから彼女は、心揺らがない相手にははっきりとお断りすることにしていた。以前やんわりと断ったばかりにストーカーを生み出してしまい、兄弟に多大な迷惑をかけたのは苦い思い出なのだ。


 それが他者からは傲慢に見えることに、薄々気づいてはいる。だが、止めるつもりも無かった。


 竜子は昨日も何時も通り相手にはっきりと断りを告げ、そこで不可解な事態に遭遇していた。何故か男の元恋人の女がしゃしゃり出てきて、竜子を罵り始めたのである。


 男以上に激怒した女の意見を聞いてみると、どうも女は男に告白の為にフラれたらしい。男を愛していた女は悲嘆に暮れ、相手が竜子であることを知って諦めがついたのである。


 女は男を愛するが故に、悲壮な想いを内心にひた隠して男の幸せを願っていた。だが、男はあっさりと竜子にフラれてしまった。そこになんのドラマ性も無く、まるでごみを分別するかの対応だったのである。


 ――この冷血女! あなたの! あなたのせいでッ! 私たちは元には戻れないッ! 私達の幸せは、あなたのせいで台無しだッ!


 その絶叫が、竜子にはさっぱりと理解できなかった。心配そうな顔をした紗耶香が駆け寄る中、女の罵倒は止まらない。


 ――冷血女めッ! 氷のように冷たいあなたには、暖かい愛なんて分からないでしょうねッ! 愛を知らぬまま、一人寂しく死んで燃えカスにでもなるが良いッ!


 男の代わりに慟哭を上げる女を、竜子はやっぱり理解できなかった。


 だが、その負け惜しみの最後のフレーズだけは、否定もできなかったのである。


 ――愛を知らぬ女


 心配する紗耶香を他所に、竜子の内心は曇っていた。




 「それで、少しは参考になったのか?」


 ミルクティーを一口飲んだ龍樹は、優しく妹に声をかけていた。竜子は内心の複雑さを抑え込むように、マグカップに手を伸ばす。


 「兄さん。……私、人を愛せないのかな?」

 「……俺の記憶違いじゃなきゃ、お前にも初恋の相手がいたはずだが……?」


 家族という事もあって、普段は表に出さない内心を竜子は吐露していく。彼女はとても不器用な人間なのだ。神は彼女にとても美しい容姿を与えたが、心は人並みに傷つきやすい心しか与えてくれなかった。


 いっそ男を手玉に取る悪女であれば、こんなことに悩みはしない。いっそ真摯に人の気持ちを理解できる女であれば、こんなことにはならなかっただろう。竜子は沈んだ瞳のまま、龍樹を見上げていた。


 「……恋と愛は違うって言ったじゃない」

 「それは俺の場合だよ。心の在り方なんて、人それぞれだ」


 深刻そうな顔の竜子に、龍樹は何処か優しく抱き締める様に微笑みかける。気が付けば、竜子は過去の記憶を思い返していた。




 それは、兄と同じく小学校の時の話である。竜子は11歳で、相手はクラスで一番運動のできる男の子だった。


 彼はクラスの誰よりも足が速く、風を切って楽しそうに走る子だったのである。運動好きらしく短く切りそろえられた髪は、良く日焼けした彼の凛々しい顔立ちをより一層と強調している。発達した筋肉に加えて勉強までできる彼は、クラスのリーダー格だった。竜子を含む多くの人間を導き引っ張っていく存在である。


 当時の竜子は美しさよりも幼さが際立つ割に、性格は今と同じで世の中をどこか醒めた目で見ている少女であった。


 温かい家族に囲まれた竜子は、それゆえ他人に対して興味が無い。自分の意思に反してまで、他人に合わせることはしなかった。従って友達も少なかったのである。


 その数少ない友達も、決して深い関係ではない。


 竜子には、人間関係とやらが理解できなかった。


 そんな孤立気味の彼女にも、彼は優しく声をかけてくれたのである。最初は興味も無かった竜子であるが、ある時気付いたのだ。運動でも勉強でも、彼女は彼に何一つ勝てないことに。


 自分より運動も勉強もできる優れた存在。竜子は彼に初めて興味を持っていた。そしてそれが恋に変わるのに時間はかからなかった。


 彼の方でも自分同様に優れた存在だった竜子には一目置いており、よくよく見れば幼いながらも中々の美しさ。気が付けば2人だけの世界が築き上げてられていたのである。


 だが、そんな2人に暗い影を落とす出来事がクラスを席巻していた。いじめ問題である。




 「……兄公。私の初恋の話は、覚えてる?」

 「あぁ。忘れるわけないさ。……お前がどう思っているかは分からないが、俺は悪い結末ではなかったと思ってるよ」


 一通りの甘い恋の思い出を想起した竜子は、酸っぱい思い出に突入する前に頭を振って回想を放り出していた。


 龍樹はそう言うものの、竜子にとっては悩み深い出来事である。彼女は無意識の内にマグカップを小さく揺すり、水面に漣を起こしていた。


 兄は努めて優しげな表情を浮かべ、妹が語りやすい環境を作るのに腐心する。




 竜子のクラスを深刻ないじめ問題が襲っていた。ある朝突然、前日まで親しかった友達から仲間外れにされるという恐怖。竜子を含めたクラスメイト達はそれに激しく怯え、気が付けば身の潔白を示すようにいじめに加担するようになっていたのである。


 そして、ついにそのターゲットは竜子に向いていた。ある意味当然の帰結である。彼女は友人を必要とせず、逆に言うとクラスメイトの誰もが彼女を必要としていなかったのだ。


 ある朝彼女の教科書が行方不明になったのを皮切りに、無視が起きた。それはいじめの首謀者たちがあずかり知らぬところで始まった、言わば余波である。


 いじめる側こそが強いと誤解した、無邪気な横暴さ。その嵐に竜子は飲まれていた。彼女の抵抗は微弱である。頼れる兄は中学生で近くにおらず、弟はまだ8歳だった。竜子の地獄の日々が始まったのだ。


 誰に何を言っても助けてもらえず、逆に嘲笑されるだけ。騒ぎは一日で大きくなり、帰る頃には靴が無くなり帰りたくとも帰れない。クラスメイト達は我先にと竜子を虐め、その苛烈さを競うようになっていた。


 竜子には、誇らしげな彼ら彼女らを恨めしげに眺めることできない。彼女の心は3日で限界を迎え、気が付けば家族のいない学校でしずしずと涙を流していた。


 愛らしい彼女の涙はいじめっ子たちの加虐心に火をつけ、ますますエスカレートしていく。


 いじめは直ぐに暴力に変わり、彼女の涙が尽きそうになった時だったのだ。助けが舞い降りたのは。


 彼だった。竜子の初恋の相手である少年は、持ち前のリーダーシップを発揮し、地獄の真っ只中に居た竜子を助け出してくれたのだ。その時の無邪気な笑顔を、竜子は今でも覚えている。


 それは竜子が初恋を自覚した瞬間であり、――同時に絶望を自覚する瞬間だったのだ。




 「初恋は甘酸っぱいって言うけど、私の場合は苦かった……。苦くて苦くて、飲み込めたものではなかった……」

 「リュー……お前、あの時……」


 悲しみを湛えた彼女の瞳に、龍樹は気が付けば怒りを覚えていた。らしくなく無力さに、顔を顰める。


 竜子はそれに気付き、慌てて話を進める。彼女の本意はそこではないのだ。




 竜子へのいじめは止んだ。それはもう、竜子自身が驚くほどの勢いで止んだのである。それどころか、彼の威光の前に竜子をいじめた生徒は悉くが頭を下げていた。その中には泣きながら詫びた子もいる。


 それを竜子は胸をときめかせながら見ていたのだ。そして、ふと思った。


 ――何故彼ら彼女らは、あんなに必死になって謝るのだろう。


 その答えは直ぐに分かった。彼は竜子に助けに入るのが遅くなったのを詫びると、その口でいじめっ子たちに告げたのだ。


 ――俺の気に食わない奴をいじめろ、と。


 それを訊いた竜子はときめきも忘れ、ただ魂が抜けたかのような顔で呆然としていた。何のことは無い。いじめの首謀者は、クラスで一番影響力のある彼だったのである。クラスメイト達は、彼への忠誠を示すために竜子をいじめていたのだ。


 立ち尽くす竜子を、彼は頬を染めて見ていた。呆然として幼さの抜けた顔の竜子は、彼の恋を激しく燃え上がらせるだけの破壊力があったのだ。彼はその顔色を、恋い焦がれるあまりうっとりとしているのだと解釈していた。


 そしてその場で、竜子は彼と口づけを交わしたのである。


 苦い、思い出だった。砂糖もミルクも入っていないコーヒーのようで、苦くて飲み込むこともままならない。


 竜子には2つの道があった。


 苦みを無理やり飲み込むこと。つまり初恋の相手と共に歩み、いじめに加担する道。


 苦みを無理せず吐き出すこと。つまり初恋の相手と決別して、いじめに反抗する道。


 前の道に正しさは無い。だが、愛はある。後ろの道に愛は無い。だが、正しさはある。


 愛と正しさなら、どちらを選ぶのが正解なのか。


 キスを終えた竜子の前に、別の少女が連れ出されていた。その子は運悪く竜子よりも前にいじめのターゲットになっていた子で、驚くほど濁った瞳をしていた。そこには、竜子への複雑な感情が込められている。


 王子様の手によって地獄から助け出されたことへの羨望。そしてその当人が王子様と共に自分へのいじめに回ることへの絶望。


 ただ彼女の瞳には僅かに光が残っており、それが異様な熱をもって竜子に助けを求めていた。人の気持ちに疎い竜子でも、それくらいは理解できる。


 幼い日の竜子は、その選択を迫られていた。


 竜子は泥に塗れたその子の手を――しっかりと握っていた。


 その後の経過は残酷だった。皆の目の前で竜子は彼に空手仕込みの拳を叩き込むと、荒んだ女の子の手を取って職員室に駆け込んだのである。


 兄に一言相談していれば、別の結末になっていただろう。龍樹なら裏から手を回して、速やかに事件を収束して見せる。だが、不器用な竜子にはそれができなかった。


 竜子にできたのは、ただ正しいと信じた道を行くことだけであった。


 職員室で普段の静かさも忘れて大騒ぎした竜子のお陰で、いじめ問題は瞬く間に学校中に広がっていた。その派手な行動は教師陣に見て見ぬふりを許さず、またそれをするほど無能でもなかったのである。


 しかし、有能でもなかった。考えてみれば、ここまで教師陣はいじめに気付いてもいなかったのである。その結果何が起こったかというと、新たないじめだった。


 しかも皆学習したのか、前回とはうってかわって陰湿で、それゆえ教師は最後まで気付けなかった。


 そして竜子の恋した彼が、首を吊りかけたのである。


 当たり前の話だが、いじめられた側の怒りはとどまることを知らなかった。同時に中途半端にいじめていた生徒たちは、身の潔白を他のクラスメイトに証明する必要があったのだ。


 それらの感情は逆流となって、彼を襲ったのである。竜子はそれを助けようとして、拒絶されていた。彼のプライドが、他ならぬ竜子にだけは救いを求めなかったのである。


 彼は自分の立ち位置を自覚していた。だからきっと誰かが竜子のように助けてくれると信じていたのだ。だが助けが現れるよりも先に、彼の心は限界を迎えていた。


 だから彼は、皆の目の前で首を括ったのである。


 頭が真っ白になった竜子を尻目に、仲間たちはそれを笑って眺めるだけだった。


 結局彼は我に返った竜子の手で助け出されていた。その時の絶望しきった彼の顔を、竜子は生涯忘れないだろう。彼には味方が、彼女しかいなかったのだ。


 竜子はそれを、苦々しげに見下ろしていた。




 「兄さん。愛と正しさなら、どちらを選ぶのが正解なのかな?」


 そこまで語った竜子は、感慨深く龍樹に問いかけていた。彼女は初恋で、愛を投げ捨てた人間なのである。その答えの出しようのない質問に兄は少しだけ眉を顰めていた。だが、少しだけだ。


 「正しさだろう。愛すら超えうるから、正しいんだ」


 龍樹の答えは簡単だった。竜子の問いに絶対的な正解は存在しない。だから彼にとっての正しさが表に出たのだ。彼にとっての正しさとは、家族だった。


 そして彼は納得いかない顔の妹に、優しく微笑んでいた。


 「いじめられてた女の子は、お前に何も言わなかったのか?」

 「……ありがとうって。そう言ってた」

 「なら、そういう事なんじゃないのか? 」


 竜子は考える様に思い出す。それは彼女の親友である長野紗耶香との馴れ初めなのだ。


 兄妹はミルクティーを味わう。そしてそのタイミングで鳩時計の鳩が9回ほど顔を出し、それに合わせて末っ子の起き上がる音が聞こえ始めていた。


※最新の進捗状況は活動報告をご確認ください。

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