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最終話です
翌日から私は苦しんでいた。どうすればいいのかわからない。
いいえ、どうすればいいのかは分かっているのだ。だが、その勇気が出ない。
思えばいつも陛下は私にためらいも迷いもせず飛びついてくれた。私が絶対自分を抱きとめてくれると信じて…………。
私はそれを受け止めるだけでよかったのだ。
与えられる言葉だけを受け取っていれば楽だった。陛下がくれるものだけを受け取って、同じように返していれば安心できたのだ。私は求め、愛されているのだと。
けれどそれではだめだと陛下は昨日言ったのだ。
私が飛び込めば、本当に受け入れてもらえるのかしら…?
皆、私を愛しているのかしら……。
頭が混乱して公務が手につかなくなったので、休憩がてら庭でも散策しようと廊下を歩く。
一人にしてほしいと侍女達に懇願すると、しぶしぶと言った体でついてくるのを諦めてくれた。
するとしばらく歩いた所の柱の陰で、話をしている令嬢達がいた。
「アルベルト陛下は生誕祭を間近に控え、ますます素敵になられましたわね。」
盗み聞きははしたないとすぐに踵を返そうとしたのだが、会話の内容に足をとめた。
「本当に……。わたくしもあのような素敵な貴公子と結婚したいものですわ。」
「王妃様は国一番の幸せ者ですわね。」
「あら、でも王妃様と陛下ではちっともお似合いではありませんわ!」
やはり、陛下は令嬢達の目に好ましく写っているのだ。
そして私と陛下ははたから見ても、不釣り合いなのだ……。
私は持っていた扇をぎゅっと握りしめた。
「王妃様にはもっとずっと素敵な、包容力のある男性がよろしいと思いますの!」
「陛下ったら王妃様の前では子供のように甘えてしまわれるものね。」
「王妃様を甘えさせて差し上げられるような方がよろしいわ!」
「でも王妃様も陛下の一途な愛情になかなかお気づきにならないから…。」
「本当ですわね。誰がどうみても、陛下は王妃様に夢中ですのに。」
令嬢達はそう言って、笑いあっている。
私の頭には疑問符がいっぱいだ。私はこの後私の悪口でも始めるものかと思っていたのに…。
これは私の悪口には聞こえないわ…。それともすごく遠回しな悪口なのだろうか…?
私は訳が分からなくなり、とぼとぼと廊下を引きかえした。
しばらくあてもなくふらふらと歩いて、衛兵の詰所の近くにやってきた。
普段はあまりこちらの方まで来ることはないので、どうしようかと悩んでいると、おそらく交代のために移動している衛兵達の姿が見えた。
思わず隠れてしまうと、通り過ぎ様衛兵達の話し声が聞こえた。
「陛下と王妃様は仲直りされたのだろうか…?」
「王妃様の部屋の衛兵の話では、まだぎくしゃくしてらっしゃるらしいぞ。」
「早く仲直りされるといいのになぁ…。」
「あぁ全くだ。王妃様が塞ぎこんでいるだけで、侍女やメイド達がみな沈んだ面持ちで空気が重い。陛下は陛下で、俺達に剣の稽古と称してご自分の不満を発散をなさるからたまらない。あまりにも頻繁に地面とキスをさせられるのは勘弁して欲しいな。」
「陛下のご機嫌を回復させることが出来るのは王妃様だけなのに。」
「お優しいあの王妃様を、陛下はどうやって怒らせたのだろう?メイドや侍女達だって怒られたことなどないというのに。」
「しかもたまったものではないのが、王宮の女性がこぞって王妃様の味方をするものだから、勝手に陛下の味方だと思われている衛兵や文官が非難轟々なことだな。俺達だって理由はわからないが王妃様の味方をしたいのに…。」
「ここ数年は違うが、困窮にあえいでいた俺達の生活を立て直してくださったのは、陛下ではなく王妃様だぞ?最近はようやく陛下自身に忠誠を誓う者達が増えてきたが、現状はまだ王妃様に忠誠を誓う人間が多いくらいなのに…。」
すたすたと去っていってしまったので、それ以上は聞こえなかったが確かに私を擁護するような発言だった。
今まで気にしたこともなかったけれど、私は王宮の皆に存外好かれていたのかしら…?
またふらふらと歩きだすと、今度はメイド達が話し合っていた。
「えぇ、あなた門番の彼と別れてしまったの?」
「そう…彼とはもうダメだって思ったの。」
「なんで?あんなに彼のことを好きだって言ってたじゃない。」
「だって、彼ったら全然私に気持ちを伝えてくれないのよ?寡黙で仕事熱心なところに惹かれたわ!私よりお仕事優先でも構わないわ!
でも、だからこそ会えたときくらい、言葉か態度で私を愛してるんだって伝えてくれなくちゃわからないわよ!」
どきりと心臓がはねた。
伝えなきゃ…わからない……。
「いつも、いつも愛を伝えるのは私の方ばかり!私の愛が何もしなくても永久にもらえるとでも思っているのかしら!?愛は与えてばかりでは枯渇するわ。無償の愛情をくれるのなんて親くらいのものよ。私の愛を永遠に欲しいと願っているならば、ちゃんと求めてくれないとわからないわよ。たった一言、彼の方から私を愛しているという言葉のひとつでもくれれば、私はそれだけでよかったのに…。」
メイドの涙交じりの声が、まるで私を叱責しているようだった。
私は…陛下に自分の方から気持ちを伝えたことがあっただろうか…?
陛下はいつも私に会ったら「愛してる」「大好き」と言ってくれた。私をぎゅっと抱きしめて、微笑みかけてくれた。
陛下は家族愛ではなく異性として愛していたのだというのならば、あれは陛下からの私への惜しみない愛の告白だったのだ。
私は陛下の愛が、何もしなくても永遠に続くものだと思ってはいなかっただろうか……?
だから側妃を迎え入れようと思った。
側妃を迎え入れて、陛下が側妃を愛するようになっても、私への愛情は変わらず続くと思っていたのだから。
けれど、それは違うのではないだろうか。
陛下は家族としてではなく、異性として、女性として私を愛しているのだと言っていた。つまり、陛下が他の女性を愛してしまえば、私へのあの愛情は失われてしまうと言うことだ。
恐怖した。
身勝手にも、恐怖してしまった。あの愛が、無償で与えられ続けるのだという事実がうぬぼれであったと気付いた瞬間、全身から汗が噴き出した。
陛下がくれる愛情が、家族の愛ではない以上、私は陛下の愛を得続けるために、自分の気持ちを伝えなくてはならないのだ。
―――『本当に愛を理解していないのはユリィだ!!俺はユリィを女性として愛している!幼いころからずっと、ずっと…俺はユリィを……!!なぜ理解しようとしない!』―――
あの陛下の言葉が、私の心に重くのしかかった。あれは陛下の心からの叫びだったのだ。
私はなんて失礼で、傲慢な勘違いをしていたのだろう―――!!
勘違いしていたとはいえ、陛下の愛をきちんと受け止めることもせず、与えられることに安堵し、あまつさえ側妃を与えようとし、陛下の愛が家族の愛だと否定までしてしまった!!
陛下はどれほど私を愛してくれていたのだろう……。
伝わらない愛情にもどかしく、けれど根気強く、私が応えてくれる日を待ち続けてきたのだろう。
―――『愛を知らない孤独なユリィを、愛されたがっているのに愛に気づくことのできない、愚かな子供の様なお前を慈しんでやりたいんだ。』―――
あの言葉が陛下の全て。陛下からの惜しみなく注がれる愛情の全てだったんだ。
愚かに年ばかり重ねて、何にも知らずに生きてきてしまった私に、陛下が注ぎ込んでくれた愛情だけが、私を満たして生かしてくれた。
家族の愛でなくても、これほどまでに…。
うぬぼれてしまいたくなる。
何か…。
何かあとひとつ、確証が欲しい。
臆病な私が、皆の愛情を信じるしかないような、そんな確証が……っ!!
そんなことをぼんやりと考えながら、ふらふらと歩いて行ったのは議会の間の近くだ。
ちょうどちょっとした大臣のみの議会が終わったところで、ぞろぞろと大臣や文官達が出てくるところだった。
私は重厚なカーテンの奥に隠れてその場をやり過ごす。
するとよく見知った声が聞こえてきた。
「宰相どの。少々よろしいですかな?」
「カメル大臣か。」
お父様と、カメル大臣……っ!?
私はカーテンの奥で息を殺して二人の会話に集中する。
「王妃様は貴方の娘だろう!さっさと陛下と世継ぎを作るように催促せんか!何を血迷ったか側妃を迎え入れるなどと申しておられたぞ!!」
「側妃は私が進言したことだ。娘はそれを採用したに過ぎない。」
「そなたは馬鹿か!どこの世界に娘に新しい妻を夫に与えよと進言する父親がいるんだ!」
「ここにおるが?」
「そなたがまずすべきは、陛下に王妃様と世継ぎを作れとせっつくことだろうがっ!何を王妃様に側妃の提案などしておる!わしや他の大臣達は確かに早く世継ぎを作れと言ったが、側妃を迎えろなどと一言足りとて言っておらんわ!!
王妃様が馬鹿なことを申されるから、慌てて陛下を叱り飛ばしにいったのだぞ!陛下がきちんと王妃様に愛を伝えられないから、王妃様がいつまでも妻として愛されているという自覚をもてんのだと!」
違う!違うのカメル大臣!!叱られるべきは私なの!!陛下の愛に気付けなかった、愚かで臆病だった私なのっ!!
「なるほど…以前陛下が恐ろしくへこんでいたのはカメル大臣の仕業でしたか。」
「そなたは何故側妃の進言などしたのだ。王妃様と陛下の御子はそなたの孫になるのですぞ?娘を愛しておらんのか?娘の子供を抱きたくはないのですかな?」
カメル大臣の指摘に息が止まりそうだった。私を愛しているのか…私が父に聞きたくて、聞きたくて、けれど聞けなかったことだ。私はじっと父の言葉を待った。
父はしばらく考えた後、言葉を探すように淡々と語った。
「無論、私なりに娘を愛している。そして娘の産んだ子を抱きたいと願わない父はおりませぬ。しかもその孫は直系王族で次代の王となるならばなおさらです。
しかし、娘が望まぬのであれば、私は無理に世継ぎの義務を果たせとは言えませぬ。親子のように仲睦まじく育ってきた陛下を異性として愛することなど出来ないだろうし、陛下も年上の娘を今さら異性として見ることなども出来なかったのだろう。私や大臣も何度か世継ぎの誕生を求めたが、陛下はなかなか行動に移されず、いざ移せばわが娘に拒絶されたと聞く……。ならば新しい妃をあてがい、双方の関係をもとの『家族』に戻してしまうのが良いだろうと思い、提案させていただきました。
娘に進言したのは、娘自信に選ばせることで娘の好む、娘に逆らわない妃をあてがえるようにと願ってのことです。女同士のことは我らにはわかりかねます。娘ならば、自分のやりやすい相手を、派閥や家同士の対立のことまで考慮して見事に選ぶだろうと確信しております。
娘は今までずっと王妃として素晴らしい成果を上げてきたのです。娘が望まぬことが何とか解決できることならば、解決してやりたいと思っています。」
「はぁ……そんなもの若造の陛下が、王妃様のことを好き過ぎて照れておるだけですわい!17歳で周りに妻を抱けとやかましく言われれば純情ぶって反発もされるだろう!だいたい陛下にとっては長年の初恋の相手です。どのように手を出したものか考えているだけでしょうな。」
「そこまで陛下の御心を推察されているのに、大臣は世継ぎを急かすのですな…。」
「ふんっ!それとこれとは別の話じゃ!」
あぁ、きっとこれは父の愛情なのだろう。父は決して私を愛していないわけではないのだ。娘に無理をさせるくらいならと考えた結果がこれなのだろう。
「宰相どの…。ひとつ…聞かせていただけますかな。」
「なんでしょう?」
「宰相どのは…王妃様がなぜ陛下と結婚したと思われますか?」
父は少し考えた後、また静かに口を開いた。
「王妃として国を動かしたかったからでしょう。私の娘は政の才があり、幼いころからよく統治の勉強を独学で行い、私が手ほどきをするようになってからは、目を見張るような素晴らしい為政者に成長してくれた。そして幼い陛下を憂えて陛下の家族になり、王妃として存分にその手腕を発揮なされた。
我が娘は王妃としてふさわしい能力を兼ね備えた素晴らしい女性です。この国が女王制度をとっていれば、私は迷わず王妃様を女王として立てたことでしょう。私の自慢の娘です。」
カメル大臣がため息をついたようだった。私もつきたい。
あぁ、ようやっと理解した…。私は父に愛されていないわけではなかったのだ。
ただ、父と私は決定的にかみ合わなかっただけなのだ。
私が何故王妃になったのか。なぜ幼いころから政治の勉強をしていたのか。何一つ理解していない。
それでも父なりに私を見てくれてはいたのだ。その方向性は、私の望んだものではなかったけれど。
父にとっては私は、王妃となるにふさわしい才覚を持った自慢の娘なのだ。
そうか…私はちゃんと愛されていたのだ。私が望んだ形で示してはもらえなかったけれど、ちゃんと愛し、父なりに気遣ってくれていたのだ。
すれ違いはしたけれど、私はちゃんと父に愛されて、そして娘として誇りに思っていてもらえたのだ。
ならばそれで十分ではないだろうか。
父の言葉が足りなかったから、私が勘違いしていたのだ。
そして、私の言葉も足りなかったのだ。
私が一度でも、私のことを愛していますか?と聞けば、父は答えてくれたのだろう。ただ、ただ怖くて、父が大事にしている国を動かすお手伝いを、勉強をすれば褒めてもらえる、愛してもらえるとあがいてみたけれど、そんな努力をする前にまず聞いてみればよかったのだ。
父の気持ちを……そして伝えればよかったのだ。
愛して下さいと。
そのことにようやく気付いたときに、陛下の言葉が胸によぎった。
―――ユリィが求めた愛情は、ユリィのすぐそばにあるんだよ。みんな、みんなユリィを愛している。侍女たちやメイド、衛兵も国民も、時には敵対している大臣達だって、ユリィのことが大好きなのに。―――
私は愛されていたのね……
―――それなのにユリィはそれらの愛情を表面的なものとしか受け取らない。いちばん身近な俺が狂おしいほどにユリィを愛していることにも気づこうとしない―――
本当に……信じることが出来なくて、おびえて虚勢を張っていただけのこんな私を、たくさんの人たちが愛してくれていたのね。
―――ユリィに必要なのは、望んだ愛を受け取る勇気だ。俺を信じて自分からしがみついて言葉に出して求めてごらん。―――
陛下、アル……アルベルト様…。私、私まだ間に合うかしら…。まだ手を伸ばせば、アルベルト様は受け止めて下さるの…?
大人びたアルベルト様に抱きしめられて少し胸が高鳴ったことも、触れられて落ち着かない気持ちになったことも、口づけをされて、困惑したけれど、とても嬉しかったことも…全部、全部アルベルト様は受け止めて下さるかしら。
―――ユリィの求めた愛情を、みんなユリィに伝えたくて仕方がないんだ。だからみんな両手を広げてユリィを待っている。あとはユリィがみんなを信じて、その胸に飛び込んでいくだけで手に入るんだ。―――
伝えたい。アルベルト様に…この気持ちを…。嬉しくて悲しくてたまらないこの気持ちを、一番に貴方と分かち合いたいの!!
私はドレスをたくし上げて走り出した。
確かアルベルト様はこの時間は執務室にいあるはずだわ…!
執務室に到着すると、私は勢いよく扉を開けた。
中にいた大臣や文官達が私に驚いているけれど、私は陛下の姿が見えないことに焦燥感を覚えた。
大臣の一人が、私の切羽詰まったような表情に驚きながらも、おずおずと話しかけてきた。
「お、王妃様いかがなされました…?」
「陛下は?アルベルト様はどこ?」
「陛下なら半刻ほど前に、息抜きに剣の訓練をするとおっしゃって出ていかれましたが…。」
私はその言葉を聞いてくるりと踵を返し、走り出す。
衛兵や騎士の訓練場に到着すると、訓練していた兵士達が私の登場に驚いている。
「王妃様!このようなところにお出でなさるなんて…―――。」
「アルベルト様はどこ!?」
私は駆け寄ってきた騎士に詰め寄るように尋ねる。
「先ほどまではいらっしゃったのですが、鍛錬を終えて、本を読むと戻られましたが…あ、王妃様!」
私は今度は図書の間に向かい走り出す。アルベルト様が本を読まれるときはだいたいそこにいくからだ。
広い王宮をひたすら駆けまわる。
途中でメイドや兵士達にすれ違うが、私は王妃としての品位をかなぐり捨てて、ひたすらアルベルト様だけを求めて走る。
螺旋階段を駆け上がり、図書の間に到着し、入口で管理長を捕まえる。
「アルベルト様はどちら?」
「本を借りられてすぐにでていかれました。」
「そんな……。」
私はまたくるりと踵を返し上ってきた階段を下る。
階段で私とすれ違わなかったところを見ると、別の階段を使って移動したのだろう。
もう一つの階段は王宮の中央に繋がっているので、どこに行ったかがまるでわからない。
会いたいのに…こんなに会いたくて仕方がないのに…。
まるで自分が迷子の子供になったようだった。
いや、自分は正しく迷子の子供だったのだ。
けれど、ようやっと私は見つけたのだ。私が探していたものをようやく見つめることが出来たのだ。
それを一番に伝えたいの!今度は私から、伝えなくてはいけないの!!
でないとアルベルト様を失ってしまう!
アルベルト様が側妃を迎えてしまう!!
自分がしでかしたことで、私はどこまで恐怖しているのだろう。
きっとアルベルト様はもっと傷ついた。もっと苦しんだ。
謝らなくては、全部、全部。
「どこ……アル、ベルトさ…ま……。どこぉ……。」
謝って、そして、伝えたいことがあるんです。
だから、どうかいなくならないで……。
閉ざしていた心に芽吹いた柔らかい何かを、私は大切にしてあげたいと思ったの。
今度こそ枯れることなく、育ててやりたいと思ったの。
中庭に面した廊下まで走ったところで、息切れしてへたり込んでしまった。
堪えていた涙がこぼれてしまいそうだ。
「アルベルト様…アルベルト様ぁ……。」
「ユリィ!!」
心が崩れてしまいそうになったその時、私が今一番求めてやまない声が聞こえた。
「…アルベルト様……!」
中庭を挟んだ向かいの廊下にアルベルト様がいた。
私が泣き崩れている様子を見て、慌てて中庭を突っ切って駆け寄ってくる。
「だめ!アルベルト様止まってっ!」
私の制止で、アルベルト様は中庭でピタリと足をとめた。
私は這うように立ち上がり、のろのろとアルベルト様のいる中庭へ足を進めた。
「私…私、アルベルト様に言われたことをたくさん考えたんです…。けれど、どうしても信じられなくて…怖くなって。不安でたまらなくて…訳が分からなくなっていたんです。」
私はぽつぽつと語りだす。考えなんて何もまとまっていない。心から思ったことをそのままに口にした。
アルベルト様はそれを黙って見守ってくれている。
「別に今のままでもいいと思ったんです…。けれど、迷い…みなの言葉を聞いているうちに、私は……ちゃんと皆に愛されているのかもしれないと…思ったのです。」
「あぁ…。」
「そして、お父様とカメル大臣の話を聞いて、私は理解したのです。
私に足りなかったのは、皆のくれた愛を信じて、愛を乞う言葉だったんだと。空回りの努力を繰返す前に、まず自分の気持ちを伝え、相手に気持ちを乞うことをするべきだったのだと気付いたのです。」
「うん…。」
「そして、その時気付いたのです。アルベルト様は、あんなにも言葉と態度で私に気持ちを伝え続けてくれていたのに…。私は何も見えていなかったんだと…。アルベルト様の愛は無条件で私に与えられるものではなくて、アルベルト様が私に与えようと願って下さったからこそ、伝え続けてくれていたからこそ、得られていたものだったのだと。」
「……うん。」
「当たり前だと思っていたアルベルト様の愛が、絶対ではないのだとようやく気付いた時、私は怖くなったのです。アルベルト様が私に向けて下さる笑顔が、声が、腕が、その全てが違うところを向いてしまって、二度と私に与えられないかもしれないということに……。」
ふらふらした足取りで、アルベルト様との距離を詰めてゆく。
アルベルト様はそこから一歩も動かない。
「いやです!嫌なんです!我がままで、身勝手でも嫌なんです!!政略結婚で、9歳も年下のアルベルト様が私のものじゃないことなんて、わかっているけれど嫌なんです!!アルベルト様に他にふさわしい年の近い釣り合う令嬢がいっぱいいることなんて分かっているけれど嫌なんです!だれにも渡したくありません!!
だから…だから……っ!!」
私は泣きはらしてしゃくりあげてしまいそうになりながら、なんとか自分の精一杯を告白する。
身分や、年齢や、立場や、恥やプライドなど捨ててしまえ!
そんなものに固執して、失うくらいならば私はこれほど求めていない…!!
陛下は私を子供と言った。大人になることを求められて、心をとめたまま大人になった愚かな子供だと。
だったらいいではないか!子供がしがみついて愛をねだるのは至極当然のことなのだから…!
だからどうか…どうか伝わってください!!私のありったけの気持ちが陛下に届いて下さいっ!!
「私を愛して下さい!!私だけを愛して下さいっ!!どうかあなたの妻にしてください!私と夫婦になってくださいっ!」
肩で息をして、何とか全てを言いきった。
アルベルト様は、両手を広げて私に言った。
「おいで、ユリィ。」
アルベルト様は優しく笑っている。
私は迷わずその腕の中に飛び込んで行った。
アルベルト様は私をしっかりと受け止めて、ぎゅうぎゅうと抱きしめてくれた。
私はアルベルト様の腕の中でわんわんと声をあげて泣きじゃくった。
受け止めてもらえた。包み込んでもらえた。
誰かに飛びついてゆくことには、相手への信頼がないとだめなのだと気付いた。
受け止めてもらえないかもしれないということが、こんなにも不安だったなんて思いもしなかった。
「アルベルト様!アルベルト様ぁっ!!」
「ユリィ。ユリィ、愛しているよ。君が血相を抱えて、俺を探して王宮中を駆けずり回っていると聞いて気が気でなかったんだから。他の皆からは何をしたんだと責められるし……。」
「ごめんなさい。ごめんなさい…私…私……アルベルト様をいっぱい傷つけた…。たくさんたくさん酷い勘違いをした…っ!!本当に…本当にごめんなさいっ!
………私、私アルベルト様を好きになっていいんですか?ドキドキしてもいいんですか…?落ち着かない気持ちになって…アルベルト様だけを見つめていても、許されるんですか……?」
「泣かないでユリィ。謝ることなんか何もない。ユリィは俺を好きになっていいんだよ。俺のことを愛してくれ!そのためならばいくらでもユリィを口説いて、ドキドキさせてみせるから!!……改めて、ちゃんと夫婦になろう。俺の妻になってくれ!」
私はアルベルト様の腕の中で涙を拭いて、しっかりアルベルト様を見つめて告げた。
「えぇ。私をアルベルト様の妻にしてください。……その…私、やり方とかわかってないんだけど……恥ずかしいけれど、夜着も脱ぐから…その、もう一度初夜をしましょう?私、アルベルト様の子を産みたいわ。……きゃあっ!!」
言った途端、真っ赤になったアルベルト様に抱きかかえられて、足早にどこかへ連れてゆかれた。
落ちないようにアルベルト様の首に腕をまわして身体を固定する。
実は少し前から集まって、私達の様子を遠くからうかがっていたメイドや衛兵達の視線が恥ずかしくていたたまれない。
「頼むからあんまり可愛いことを言わないでくれユリィ。今までもずっと我慢してきたんだ。もう忍耐の限界だ!」
「え?え?えっと…ごめんなさい…?あの…どこに向かっているの?」
「寝所。俺の世継ぎを産んでくれ。」
「え?初夜は夜じゃないと出来ないのではなくて?今はまだお昼よ?」
「大丈夫。ユリィは全部俺に任せてくれればいいから。」
「え、えぇ…わかったわ。私はよくわからないから、全部アルベルト様の望むとおりにするわ。だから好きにして頂戴。」
「~~っ!!頼むからユリィはちょっと黙ってて!……これより誰も寝所への立ち入りを禁ずる!」
そう宣言して、アルベルト様は私を連れたまま寝所に閉じこもってしまった。
私達は本当の意味で夫婦になった。
それから一月が経ち、アルベルト陛下の生誕祭が盛大に行われた。
即位10年目にして初めて国民へのお披露目が行われ、国民の熱気は最高潮だった。
若く精悍なアルベルト陛下は熱心に国民に手を振っている。
そして、その隣には幸せそうにアルベルト陛下と視線を交わしながら同じく国民に手を振っている王妃ユリシエンナの姿があったという……。
「ねぇアルベルト。私達はこれでちゃんと『夫婦』になったのよね?」
私が小声でこっそりたずねると、アルベルトは優しく笑って頷いた。
「あぁ、そうだよ。ユリィと俺はちゃんと本当に『夫婦』になったんだ。だからこれからもずっと一緒だ。」
「よかった、嬉しい!大好きよ!愛しているわ、アルベルト。」
「ユリシエンナ、俺も大好きだ!愛してるよ。」
割れんばかりの国民の歓声に応えて、寄り添いあい、いつまでも笑顔で手を振り続けた。
リグツェンド王国の長い歴史の中には、有名な王が複数いる。人によって真っ先に挙げる王の名前は様々だろう。
だが有名な女性は?と尋ねると、皆が真っ先に挙げるのは王妃ユリシエンナだ。
彼女は歴史上もっとも愛された王妃だったという。
7つの幼い王の後ろ盾となるため結婚し、16の若さで王妃となり、流行病で荒れていた国内を収めたという。
その後成長した王に治世を預け、その後は王妃として福祉活動に力を注ぐ。
賢妃として記録が残っているが、彼女が有名なのは王妃としての功績ではない。
政略結婚した9つ年下の王に長く片想いをされ続け、10年かけて王が17歳、王妃が26歳の時にようやく口説き落とされたという逸話が残っている。
そして王の生誕祭で改めて結婚の宣誓をしたという。
その後、王妃は4人の子宝に恵まれ仲睦まじく幸福な夫婦生活を送ったが、52歳で病に倒れる。
王妃は子供と孫に看取られて、王に「貴方と夫婦になれて幸せでした。御土産話をたくさん持っていらしてください。」と残し、息を引き取った。
王妃の死に国中が嘆き悲しみ、盛大な葬儀が行われ、三月の間国民が自主的に喪に服し、王妃を弔った。
その時43歳であった王に後添えを迎える声もあったが、王は頑なにこれを拒み、ユリシエンナだけを生涯の妻とした。
王アルベルトは息子に王位を譲り、81歳で天寿を全うした。
子供と孫達に看取られて「ユリシエンナよりだいぶ年上になってしまった。そろそろ会いに行こうと思う。」と笑って眠るように息を引き取った。
今でも王アルベルトと王妃ユリシエンナは夫婦の象徴として語り継がれ、二人にあやかり、リグツェンドには結婚後、蜜月期間に夫が妻を口説く習慣が出来た。
王と王妃が天国で仲睦まじく過ごしているようにと国民が願い、丘の上に記念碑を建てた。
この丘には今でも王と王妃を慕うものが花を手向け、若い夫婦が二人のように仲睦まじくありますようにと祈りを捧げるという―――……。