風邪
辺りはいつの間にか暗くなっていた。修練場に来る前に戦闘の練習をしていた2人組はいつの間にかいなくなっていた。「そろそろご飯食べないかい?」というキダルの言葉でネロたちは揃って食堂へと移ったのである。
思えば今日は色んなことがあった。幻獣研究所でケイと戦い、その後報酬の杖を使ってずっと鍛錬をしていたのだ。パーティの活動日の次の日にやるにしては充実しすぎである。夕食を食べてお腹がいっぱいになったからだろうか。まだ月が昇ったばかりだと言うのにネロはもう眠たくなっていた。
早々に寝る宣言をしてネロはベッドに潜り込む。フードの中でじっとしていたらしいクロを抱え枕元に置いた。……そういえばクロのことを全く気にしていなかった。
悪いことをした、と詫びのつもりでネロはクロの頭を撫でた。気持ち良さそうにクロは目を細める。もっと撫でていたかったが、眠気が限界である。おやすみ、と心の中で言ってネロは目を閉じた。眠りはすぐに訪れた。
おはようございます、と小さな声が聞こえた。ネロの顔に朝日がさしこむ。薄目を開けるとヴァンが横に立っていた。どうやら起こしてくれたようだ。キダルの姿はもうない。相変わらずキダルは朝が早い。……いや、俺が遅いのか?
「……主様、おはようございます」
「……もしかして俺寝坊してる?」
「いえ、いつも主様が起きられる時間の大体5分前です」
あれ? とネロは首を傾げた。基本的にネロは自分で目覚める。相当深い眠りでもない限りヴァンは起こしたりはしない。だから起こしに来たということは寝坊をしたか? と考えたのだ。
しかし実際は寝坊どころかむしろいつもより早くに起こされている。ヴァンらしくない。さてはまずいことでも起こったか……?
「まずくはないですが、……戸惑われるかと思いまして」
戸惑う? 何の話だ?
そう思いながらネロは体を起こした。シーツをまくりいつものように頭に乗せようと枕元のクロに手を伸ばし。……あれ? なんか熱くない?
伸ばした手を引っ込めてしまうほどクロは熱を持っていた。恐る恐るもう一度触れてみる。やはり熱い。昨日枕元に置いた時はこれほど熱くはなかった。
クロはとろんとした目でネロを見ている。頭はきっとぼおっとしているに違いない。人間で言うところの風邪のような症状だ。さて、これはどうしたものか。
「……ねぇ、ヴァン。魔物って風邪引くの?」
「ええ、風邪を引く魔物もいると聞いたことが」
「ヴァンはこういう時どうしてた?」
「……残念ながら私生まれてこの方風邪を引いたことがなく……。申し訳ありません。引いておくべきでした」
言っていることが意味不明である。どうやらヴァンも混乱しているらしい。ヴァンの助けがないとなると途端に何をすればいいか分からなくなる。……キダルを探すか。多分この時間なら食堂でコーヒーを買っているはずだ。
寝巻き姿のままとりあえずローブを羽織ってネロは食堂へ向かった。食堂は寮生でやや混み合っており、特定の人を探すのは少し難しい。とりあえず一周してみたが、キダルは見つからなかった。行き交う人の顔を見ながらネロは焦りを強めた。
「あれ? ネロ、そんな格好でどうしたの?」
背後から声がした。振り返るとキダルである。食堂内で見かけなかったが、いつの間にかすれ違っていたのか? ……いや、そんなことはどうでもいい。
「キダル、ちょっと聞きたいことがあって」
「何?」
「風邪ってどうやったら治る?」
その一言で事態が分かったらしい。キダルは表情を強ばらせる。すぐ戻る、と言うとキダルは手元のマグカップを一息にあおり、返却口へ駆けていった。
「なるほど、……こいつは確かに風邪だな。しかも結構重いやつだ」
部屋へ戻ったキダルはクロを観察したり触ったりした後でそう結論づけた。その姿は何度か風邪を引いた魔物を見た魔導士のものであり、頼もしい先輩である。
「軽い風邪なら自然に治癒するものだけど、これはちょっと重い。自然には多分治らないね、病院に連れて行かないと」
「魔物用の病院ってことだよね? それどこにあるの?」
「僕のかかりつけの病院でいいなら教えてあげるよ。……ただ」
「ただ?」
「結構大きな病院だから待ち時間が長いんだよ。それに予約なしで行くことになるから結構時間がかかっちゃう。診察には少なくとも半日、ともすると夜まで待つかもしれない。それでもいいかい?」
キダルは申し訳なさそうな顔だ。そんなことを気にしている場合ではない。自然に治らないかもしれないのなら待ち時間など気にならない。
「分かった。その病院はどこなの?」
「帝都の西側にあるんだ。学校とは正反対になっちゃうけど送っていくね」
「いいのか?」
「もちろん。道に迷って行けなかったらクロにも申し訳ないしね」
学校に行く前にキダルが病院へ案内してくれるようだ。何から何までありがたいかぎりである。
しかしやはり帝都の病院ともなると予約が必要のようだ。バドラ島の病院は小さな町医者だったからそれほど大きな病院に行くのは初めてである。いったいどんな病院なんだろう。ネロは少しだけ楽しみになっていた。




