逃げる意味
ヨードルのその言葉に部屋全体が動揺の色を見せた。見たところ問答はすべて正解がないように思えた。故に皆思い思いの考えを捻り出したのである。かくいうネロも皆とは少し違った理由で動揺していた。
「順に説明していく。この問答はまあ、とにかく色々書いてあるんだ。……が、足りないこともある。わざと抜いてあるんだ。それを理解しているか試すためにな」
なるほど、それで認証演習という名がついているのか。理解していればそれでよし、してなければそのための演習が始まる。要はそういうことだ。
「ひとつは時間設定だ。人通りが多い時間なのか、少ない時間なのか。それによって取るべき行動も変わってくる。これを考えられていたやつは……2名だな。そこのお前とそこのお前だ」
ヨードルは紙を2枚ピックすると目の前でヒラヒラさせ、迷いなくネロとは違う2人を指差した。ネロはそれを書いていないため指を差されることはない。恐らくだがヨードルは的確に該当者を指差している。名前を書く場所はなかったはずだが、どうやってそれを判断したのだろう。ネロは少しだけ首を傾げた。
「そしてもうひとつは見えない敵がいる可能性についてだ。これは特に2問目が分かりやすい。叫び声が聞こえたとして、仮想敵が誰なのかをどう想定しているか、他にも敵がいないかという点だ。これを一番よく考えられているのはそこの首を傾げてるお前だ」
ヨードルはネロをまっすぐに見ている。今首を傾げているのは恐らくネロだけだろうし、見えない敵について書いた記憶もある。そうか他の人は気にしなかったのか。自分だけ気付いたみたいで少し誇らしい。
……もっともそれはネロではなくヴァンの功績であることはネロ以外誰も知らない。
「それからその行動はどれだけの確率で良い結果を生むかについて述べられているか、だ。この紙にはそこまで書けとは書いていない。そして書いたものもいない。……が、これはとても大切な考え方だ。これを機に心に刻んでおいてほしい」
ネロはヨードルの言う大切な考え方がイマイチ理解できなかった。とはいえ言っていることはある程度理解できる。魔導士の戦いは危険を伴うというのは知っての通りである。最悪命を落とすことになる。確率の悪い行動はやめておくべきである。
そんなことは言われなくても知っている。わざわざ上手くいきそうにないことをするのは悪手だ。だが、肝心のその確率は結果が分かって初めて分かるものである。やる前から悪手であると分かっていたら苦労はしないだろう。
「確率……ってどう判断すればいいんですか?」
当然の質問が投げかけられる。その声の主は大きな剣を横に置いている赤髪の少年である。ネロと同い年くらいだろうか? 記憶が正しければ一番最初にヨードルに指差されたうちの1人だ。
「良い質問だ。経験を積むにはとにかく実践していくしかない。だが、先程言ったように君たちはどんな状況であれ逃げるのが正解だ。最悪命を失うからな」
「……逃げても経験になると?」
「いや、まったく経験には結びつかない。逃げるだけではなんの成長もできない。経験というのは失敗を恐れず実行したものにしか現れない」
部屋にいる皆がヨードルを見て渋い表情を浮かべていた。ヨードルの話がまったく理解できないわけではない。だが額面通りにそれを受け取れば、魔導士は失敗を恐れて逃げ回るだけの存在になってしまう。
そんなはずはない。きっとまだ続きがあるのだ。皆は渋い表情のままヨードルが続きを話しだすのを待った。
「もうひとつこの紙に書かれていないことを説明しよう。これで最後になる、そしてこれがもっとも大切なことになる。それは近くに仲間がいるのかどうか……だ。掠っているものはあったが、残念ながらそれについて明確に書いてあるものはなかった」
「仲間……ですか?」
「そうだ。ここ魔導士ギルドでは依頼など魔物に立ち向かう必要があるとき、4人程度のパーティを組むことを推奨している。ただ人数を揃えればいいだけじゃない。できれば自分よりも階級が上の人である方が望ましい。失敗してもなんとかできるようにな」
なるほど、それなら逃げ回ることもしないで済むな。ネロは静かに頷いた。そして同時に納得したのである。そういうことなら確かに答えはすべてとにかく逃げるになるだろう。
ネロを含めここにいる人たちは皆五級魔導士ですらない新米。魔導士になったばかりならパーティを組むことを知らない可能性が高い。言い換えればソロで動いているという前提になる。
「……ところでここにいる皆は全員魔法学校の新入生でいいのか?」




