閑話 sideヴァン
森の奥深く、かつては人が住んでいた、今はだれも住まなくなった城がある。蜘蛛の巣がはられ、埃の混じった匂いが立ちこめる陰湿な空間。それが私の思い出せる最初の記憶だ。もう200年以上も前になる。今では実に綺麗な空間だ。相当な綺麗好きになったのは多分この記憶が大きいのだろう。
あれは100年ほど前であったか。まだロードになって間もない頃、人が私の城に迷い込んできたときがあった。人の生命は儚い。既に倍ほどの年月の差がある。羽虫を叩き落とすがごとく追い返せる。傲慢な私はそう過信していた。
だが、案外苦戦したのだ。それも魔物を連れたよく分からぬ人間に……だ。低級の魔物の癖にやけに手こずったのを覚えている。あの強さは何なのか、私はすぐには答えが出せなかった。
そこから100年間、私は自分の愚かさを知り鍛錬を更に積むことにしたのだ。弱く儚い存在であろうとも、決して油断せずにただひたすらに蹂躙すること。それだけを考え、そして私はとうとうグレイスにまでのぼりつめた。
魔物の域を超えて、魔族になった今。よく分からぬ人間に手こずることもあるまい。そして思い至ったのだ。もしや私は相当な思い違いをしているのではないか……と。
だから試すことにしたのだ。人間の力というものを。
ヴァンパイアは基本的に長命種である。人間よりも遥かに長く生きる。別に主は誰だっていい。気に入らなければ寿命が尽きた後、違う主を探せば良いのだ。そう思って森へ下りた。主を探すためだ。
……だが、100年は人間には長すぎたらしい。人間はすっかり腑抜けになっていた。私を見るなり叫ぶものがいた。泣くものがいた。あろうことか粗相をするものもいた。こんな奴らに魔力を使うのももったいない。私は何もせず去った。虚しい気持ちが久方ぶりに胸を撫でた。
……そしてその夜、私は喚ばれた。
精神だけがごっそりと抜け落ちた。そんな感覚だ。目を閉じて肉体を探す。……ふむ、肉体は城の中か。ならばやはり精神だけがここに連れてこられたようだ。召喚魔法……といったか。理屈は分からないがきっとそういうことなのだろう。
さて目の前には2人……、小さな子どもだ。どちらかが私を喚んだのだろう。1人は口を開けたままで、もう1人は私を見て震えている。あぁ、人間はこんなにも弱くなってしまったのだ。また虚しさが胸を撫でた。
……まあ、いい。気に入らなければ寿命が尽きるまで待てば良いのだ。さて、探るとしようか。
「これは……、召喚魔法ですか。……ふむ、私を喚んだのはあなた様でしょうか?」
「! あぁ、……そうだ」
……思っているよりも威勢がいい。喚んだのはこちらの方か。叫ぶことも泣くこともない。……ふむ、案外面白いかもしれない。子どもは震える手で水晶を差し出した。あぁ、そうか。召喚された魔物は主と契約を交わすのだったか。何をすればよいかは知らないが、恐らくこれがそうなのだろう。
元より主に逆らうつもりなどない。差し出された水晶は素直に受け取った。受け取ってもなお、子どもの震えは止まっていない。受け取るだけでは成立しないのか。
見たところこれは首飾りのようだ。ならば着けてみようではないか。……なるほど、これで契約とやらが成立したか。
主様の名前が分かった。……ネロだな。契約をしたことで主様は少し安堵した表情を浮かべたように見えた。
意思疎通のパスが繋がったことで召喚魔法とはどんなものかをある程度理解できた。そしてそのデメリットも。主様が震えているのは自分に恐れてではない。魔力切れによって自分との繋がりが無くなることだ。
召喚魔法によって喚び出された精神体は使用者の魔力によって繋ぎ止められる仕組みらしい。つまりは私を喚んでいる間、主様の魔力は垂れ流しということだ。
無論必要な魔力は魔物に比例する。魔族ともなれば膨大な魔力が必要だ。そんな制約、踏み倒せばいいだろう。要は精神と肉体を分けるからそんな制約が必要なのだ。
方法は簡単。契約を二重にすればいいのだ。そうすれば精神だけではなく、肉体にも繋がりを持たせることができる……はずだ。
グズグズしている時間はない。名前自体にはさほど興味がないが、主様が私にどんな名前をつけるか、には興味がある。召喚を解く前に、二重の契約を結ばなければ……。
「……こうでいいのか?」
「ええ、左様でございます。……ふふ、私の言葉を信用して下さって嬉しく思いますよ。あぁ、そうだ。主様、私に名前をいただけませんか?」
主様は少し、いやかなり悩みだされた。どうやら名前を考えるのが少し苦手のようだ。だがそれでも真剣に考えていることは伝わってくる。現に今主様の頭は私の名前のことでいっぱい。召喚時間の制約なんてひとつも考えていない。
ふふ、……それでいいんですよ。主様に思念を送ってみた。相互に意思疎通ができるなら恐らく念話も可能だろう。やってみる価値はある。
……なるほど、実際に届いたらしい。驚きの表情だ。そして主様はすぐに両側の意思疎通ができる可能性に思いいたった。ふふ、思ったよりもずっと聡い。
「……お前の名前はヴァンだ。よろしくな」
あぁ、ヴァン。良い名前だ。




